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医科歯科通信  (医療から政治・生活・文化まで発信)



40年余の取材歴を踏まえ情報を発信

「文学の復活」

2015-01-27 12:32:20 | 受けとめる力
★ネットには、良くとも悪くとも、人間が抱く快・不快という原始的な感情を増幅させる機能があると思います。
特にネガティブな感情は安易な“共感”を得やすく、伝染しやすい。
ネットでは、しばしば「炎上」が起きます。
「悪いことをした相手は攻撃して当然」という独善的な正義感があります。
やがて、この正義感が大勢の熱狂を呼び、ネットによって増幅され、さらなる熱を帯びて「炎上」となるのです。
真偽不明な情報も無防備に受け入れてしまう状況が生まれているわけです。
「弱い立場の人間を、皆で寄ってたかって攻撃する」という行為や、「“怒り”という感情に大多数の人間が押し流されてしまう」といったことは、人間にとっての根本的な問題なのです。
それが、ネットの誕生によって浮き彫りになったといえるでしょう。
ネットには、利便性の裏に危険性が潜んでいます。
いわば、全てが均質化されてしまい、他者への想像力が欠如している状態です。
現実は、数学的に割り切れるような単純なものではありません。
少なくとも決断を迫られたら、自分なりに“逡巡”してみるべきでしょう。
具体的に言及すれば自分の身体に適したスピードで考え、生きるべきだということです。
人生を支えるベースとなるのが「文学」です。
そのような「文学の復活」が、今こそ求められているのではかいか、というのが私の問題意識です。
“逡巡”とは、言い換えれば、知らないものに対して、深く考えを巡らせるということです。
自分自身、まだまだ分からないことがあると気付けば、人は謙虚になれます。
この謙虚さこそが、異質な他者への想像力を涵養する素地になります。
私たちは焦らずに“逡巡”し、冷静に自身の立ち位置を見直すことを心掛けるべきなのです。批評家・村上裕一さん

「語り直す」ことで、過去の出来事に新たな意味づけ

2015-01-27 10:35:21 | 受けとめる力
政治と経済の「再人間化」を前進させる鍵は、人数の多寡ではなく、連帯の底深さにある。
誰の身にも悲惨に及ぶことを望まない民衆の連帯を国内でも国際社会でも築くことが、時代変革の波を大きく形づくる。
復興の真の課題は、被災した人たちが一人残らず「生きる希望」を取り戻せるよう、社会で支え続けることだ。
日本でも、65歳以上の高齢者の2割が貧困状態。
食事さえ十分にとれないなど、貧困に苦しむ子どもも6人の1人の割合。
「経済的な困窮」に加えて、「社会的な孤立」という二重苦にさいなまれている。
問題はどこにあるのか?
功利主義である。
社会契約説などの伝統的な理論が、高齢者や子ども、女性、障害のある人などを、対象にいれずに構想されてきたからだ。
「ある個人の大いなる苦痛と窮乏は、複数の人びとの幸運がそれを超過することで相殺されうる。ここでは各人の人生は一度きりであるという、もっとも重要な道徳的事実が、ぬぐいとうされている」
アメリカの政治哲学者・マーサ・ヌスバウム博士
そこで誰も排除しない「人間の尊厳」に基づいた社会の再構築を呼び掛けている。
どのような人であっても、病気、老齢、事故などで、他の人々の支えを絶対に必要とする状況が生じかねないという現実を見つめ、社会の軌道修正がすべての人々に深く関わる課題であることに思いいたすべきである。
「共に生きる」というのは、単なる偶然のつながりという意味ではない。
「一方が動くと、他方も動く歯車のように噛み合いながらすすみゆくものである」
「アイデンティティ」の概念を提唱した心理学者・エリク・エリクソン
「成熟した人間は必要とされることを必要とする」平和学者・エリース・ボールディング博士
人間はどのような状況にあっても、誰かに必要とされていることを実感した時、相手の気持ちに応えたいとの思いがわき上がってくる。
人生の意味を紡ぎ直す営みが、悲惨の拡大を防ぎ、連鎖を立つ力となる。
人生はやり直せない。
しかし、その歩を他の人に「語り直す」ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、「練り直す」ことができる。エリク・エリクソン
エリクソンは自らの哲学の生きたモデルとしてハマトマ・ガンジーに着目し、評伝「ガンディーの心理」を手がけ描き出した。

「まっとうな人間」として死ぬことができる・・・・

2015-01-27 01:30:12 | 受けとめる力
★「憲法第9条」について
「非武装・非暴力・非戦の平和主義」とは?
東西冷戦下いずれの陣営にも加担しない「独立国」にふさわしい「小さな軍隊(警察隊)による日本領域防禦を志向するものであった。
★しかも、その前提には、自衛隊の実態は自国の防衛という9条の枠を超え、安保体制下米軍の局地戦に投入される「外国の軍隊」にすぎぬ、との認識が伏在していた。
★「ベルリンに一人死す」ハンス・ファラダ著(赤根洋子訳)
ナチスが「望ましくない作家」とした著書は、ペンネーム。
グリーム童話の中で、悪行をじっと見ていて、首を切られても真実を語りつづけた馬の名前。
ヒトラーを告発した名もない市民、一介の職工夫妻の「ハンペル事件」 をモデルにひた小説。
庶民夫妻の絶望的な闘いh、ナチ社会に実質的には何ら影響を及ぼさなかった。
逮捕され2人はギロチンで処刑された。
「無意味な行為だったのでは?」と問われた。
夫は答えた。
自分は少なくともナチの「共犯者」でなくていられた、「まっとうな人間」として死ぬことができる・・・・。

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池内 この本の舞台は、ヒトラー体制の最盛期であった1940年のベルリンです。家具工場の職工長オットー・クヴァンゲルとその妻アンナという一小市民が、息子の戦死の報に接したことで、反ヒトラーの抵抗運動を始めます。ただ、運動といっても、反戦、反ナチス、サボタージュを呼びかけるメッセージを葉書に書いて、ベルリン中の公共の建物に置き、市民に抵抗運動を呼びかけるという素朴な方法でした。残念なことに葉書はほとんど市民の目に触れることなく当局に届けられ、2年後、夫婦は逮捕、名ばかりの裁判を経て、翌年ギロチンで処刑されます。この現実に起きた「ハンペル事件」をもとに、著者が見聞きした他のエピソードを入れて描かれ、ドキュメンタリーとフィクションが上手に融合された作品です。

 この本でとても重要な一つは、著者のペンネームです。「ファラダ」というのはグリム童話『がちょう番の娘』に登場する馬の名前です。この馬は、お輿入れのときにお姫様を乗せて、その後、お姫様が侍女に騙されてがちょう番にされる一部始終をじっと見ています。そして殺されて首だけが城門に晒されながらも、「王女様」と呼びかけたことで、がちょう番がお姫様であることを王子は知る。この本が書かれたのは第二次大戦が終結して間もない1946年。著者はこの戦争の間にじっと見てきたものを、この本にこめた。そういう意味のペンネームでもあります。

片山 「リアリズム小説の傑作」という謳い文句のとおりで、登場人物と空間の設定が秀逸です。クヴァンゲル夫婦の住む小さなアパートには様々な人が住んでいます。古参のナチ党員とヒトラーユーゲントであるペルジッケ親子、地下に住む密告者バルクハウゼン、最上階にはユダヤ人の老婦人ローゼンタール、さらに外から息子の許婚者トルーデルや夫婦を捜査する秘密警察ゲシュタポなども絡み合い、グランドホテル形式で物語が進行します。このアパートがドイツ全体の縮図になっていて、第三帝国時代の市民生活をよく描いています。

なぜ夫婦は抵抗できたのか
池内 市民の生活がいかに互いに監視し合っていたかは、ちょっとしたやりとりでよくわかります。フランスがドイツに降伏したことを受けて、「ドイツは世界で一番豊かな国になります。そのためなら20万、30万の犠牲者くらい安いもんです。みんな、金持ちになるんですからね!」と言う相手に対して、クヴァンゲルは「そんなもの、一人の犠牲者を出すだけの価値もない」と反論する。すると、「あんたは今、総統をもろに批判したんだぞ。もし俺がそういう奴で、これを密告したら……」とクヴァンゲルを強請(ゆす)る。

片山 しかし、クヴァンゲルは屈しないばかりか、国や総統よりも、「息子のオットーが戦死した。女房は嘆き悲しんでいる。俺はそれが悲しい」と言い切る。彼が抵抗にいたる論理は、国や民族を救うというようなイデオロギーではなく、ただ愛する息子を奪われたという「私」の経験が全てなんです。「私の論理」の強さを示している点で、いまの時代でも共感できるでしょう。山内 ナチスへの抵抗といえば、ショル兄妹による白バラの抵抗運動や、シュタウフェンベルク伯爵を中心とした国防軍のヒトラー暗殺の陰謀などが有名ですね。彼らは教師や軍部のエリートであり、その抵抗には濃厚な動機付けがあった。しかし、クヴァンゲル夫婦はイデオロギーとは無縁の一介の庶民です。それにしても、彼らを動機付けしたものは「私の論理」だけなのでしょうか。

池内 ヒトラーは30年代以来の深刻な経済不況からドイツを救ってくれた。そのことはよしとしても、ユダヤ人への迫害をはじめ、秘密警察が跋扈し、反対者は収容所に送られる“体制”に、ドイツの市民の多くは、内心は批判的だったんです。この“体制”に従うことは良心に反し、心が痛んだ。だから蟷螂の斧であっても、反ヒトラー、反ナチズムで行動を起こし、自分の人間的な尊厳を取り戻そうとした。はっきりと書かれているわけではありませんが、きちんとそれは読みとれますね。

イデオロギーの呪縛
山内 登場人物は、みんな弱さや利己心といった人間なら誰にでもある側面を持ち、完成された人格者が出てこないところも、小説として奥行きが深くなっていますね。

片山 拳銃自殺をしたゲシュタポの捜査官などよい例ですね。彼は、人間としての良心に目覚めてしまった。しかし、ゲシュタポである以上、自らの尊厳を守る道は死しか残されていなかった。つくづく“体制”とは恐ろしいものです。ひとりひとりの意思にかかわらず、ひとたび“体制”が動き出すと、みんなそれに巻き込まれていきます。

池内 そういうシステムが一度動き出すと、誰も止められないし、誰も責任をとらない。その恐ろしさを正面から描いた小説です。

山内 この小説は、単に反ナチという文脈だけではなく、今日においても、イデオロギーや“体制”の呪縛がいかに我々の生活を脅かすのか、大きな示唆を与えているあたりがすごい。この本が書かれた46年当時は、まだソ連の共産主義が救いになるかもしれないという期待感も残っていた。しかし著者は共産主義下の東ベルリンでこの小説を発表しているにもかかわらず、共産主義の非人間的な恐ろしさに気付いている。作中に、共産党の支部が結成される話が出てきますが、党員の一人がうっかりそのことを他人に漏らしてしまう。それを知った仲間は「これ以上しゃべってしまわないうちに今夜にでも死んでしまう、というのはどうだろう」と、同志に自殺を強要するんですよ。こういう恐怖をさり気なく描いている。著者の慧眼はたいしたものですね。

評者山内 昌之,片山 杜秀,池内 紀
文藝春秋

感謝の言葉はプラスの言葉の代名詞

2015-01-26 11:50:22 | 受けとめる力
★信用と信頼
「信用」とは、しっかり裏付けをもとに信じること。
「信頼」とは、根拠を求めず信ずることだ。
つまり、信ずる際に“条件”をつけるかどうかの違いである。
「信頼」の重要性を訴えたのは、心理学のアルフレッド・アドラー。
人間関係では、「信用」するのではなく「信頼」するのである。
「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じること。
裏切られる可能性があっても相手を信じるのである。アルフレッド・アドラー
★私が日記をつける上で実施しているのが、日々の生活の中から「ささいな喜び」y「小さな感謝」を見つけ記録する方法です。
当たり前の暮らしの中から
小さな喜びや感謝を見逃さないでいるように心掛けていると、自然に頭の中に良い言葉や前向きな考え方が広がっていきます。
プラスの言葉を使うと、気持ちが明るく、前向きになります。
中でも、感謝の言葉はプラスの言葉の代名詞です。
小さなことにも感謝できるようになると、心身ともに元気で明るくなり、今よりもっと、イキイキとした人生を送れるようになるんでしょう。
文筆家・村岡洋子さん



















平和の文化建設を民衆の力で-

2015-01-25 20:49:27 | 受けとめる力
★何かをなそうとするならば、常に勇気が求められる。
そして、成功させてみせるという確信が不可欠だ。
確信という核があってこそ、理論も、体験も、より説得力をもつ。
★2014年も、数多くの衝撃的な残虐行為や暴力、憎悪、不寛容な行為に見舞われた地域があった。
今こそ世界は人類を正しい方向へ引き戻されなければならない。
★期待されるのは「人間精神の復興」だと思われる。
平和思想に通底する核心は、慈愛と思いやりである。
人間に内在する善の力を引き出すことだ。
★平和の文化と不暴力の理念を教育の中核に据えることだ。
★「子どもたちとつくる平和の文化」
個人が平和と非暴力の思想を形成する上で、公式・非公式を問わず教育を問わず教育の影響を受けることは明らかであり、この点について、さらに真剣に検討する価値があると思う。
★平和の文化の建設における重要な要素は、民衆のエンパワーメントであり、女性の台頭が創出の道を開く。
★「戦争のない世界」「核兵器のない世界」
それこそが地球的な生存の問題である。
平和の文化建設を民衆の力で-

対話は「創造」 新たな自分を生む

2015-01-23 13:04:54 | 受けとめる力
対話に挑戦
あなたも対話名人になれる

対話ほど難しいことはありません。
それは、対話の基本は1対1で、会話と違って、単なるおしゃべりではないからです。
対話で新しい人間関係が生まれるのです。
対話には自分以外の「他者」との対話もあれば、「自分自身」との対話もあるのです。
自分以外の「異質な他者」との対話では人間関係能力が育てられます。
自分自身を大きく成長させてくれるのです。
「何のために対話するの?」
「それは、励ましたり、私の主張を分かってかったりするからです」
だから、一生懸命に話すのです。
「対話名人」という人は、「きき名人」の異名なのでしょう。
「話す」と「聞く」の割合は、2対8がベストと考えておきましょう。





世界史的な意味を持った、戦争に関する考え方の転換

2015-01-23 07:18:49 | 受けとめる力
★戦後70年 新たな国際秩序と日本
今後の課題
第2次世界大戦終結後、米国を中心とする資本主義陣営と、当時のソ連を中心とする社会主義陣営とが激しく対立する冷戦時代に突入した。
冷戦期は、米ソとも異常ともいえる核軍拡戦争が繰り広げられ、いつ核戦争が起きてもおかしくない、極めて危ない状況であった。
★近年はどうか?
核兵器保有国は、核兵器の近代化を急速に進めており、将来的に、かなりの量の核兵器を備蓄しようとしているのが現実。
米ロの戦略核弾頭の配備数はむしろ増えている。
ロシアは1643発に増加。
一方で、米国の戦略核弾頭の配備数は、昨年の3月時点で1583発であったが、10月には1642発に増えている。
ウクライナ問題により、欧米諸国とロシアは対立関係にある。
拡散防止条約再検討会議に対する期待もかなり薄い。
米国科学者連盟「核情報プロジェクト」のディレクター・ハンス・クリステンセンさん
★世界の見通しは、残念ながら明るくない。
特にイスラム過激派組織「イスラム国」の台頭である。
★第2次世界大戦のような惨禍を二度と起こすまいとの強い決意の下、「国際の平和の安全の維持」を目的に創設された国連。
まさに国際社会の共通の利益や価値、規律を具体化するための中核的な組織である。
しかし、現在、「国連重視」も揺らいでいる。
国際秩序を守ろうとする動きは、イラクのクウェート侵攻のときと同様に、ロシアのクリミア編入とウクライナ分断の動きに対する国際社会の対応はずいぶん甘いとハンスさんは論じている。
★「教え子を再び戦場に送るな」
1951年、朝鮮戦争のさなか、日本の再軍備も始まった時代、日本教職員組合がスローガンを掲げた。
この言葉は、戦後日本の平和主義の特徴をよく示している。
太平洋戦争は、兵士だけでなく多くの国民が動員され、空襲など恐ろしい被害を経験した。
日本の歴史上初めての全体戦争である。
戦争と平和の問題は、日常生活での、一人一人の生活とじかに結びついている。
そうした日本国民の直感が、人々の平和を求める声を支えてきたのである。
日本憲法で戦争放棄と戦力の不保持が定めれた背景については、平和の理想の追求にとどまらない、現実的な事情もある。
しかし、国民がそれを歓迎したのは、占領軍や日本政府によって誘導された結果とは言い切れない。
悲惨な戦争の経験と、二度とそれを繰り返してはならないという反省が広く国民に共有されていた。
大げさに言えば世界史的な意味を持った、戦争に関する考え方の転換であった。
東京大学教授・苅部直さん












「誰もが一流になれる」「熟達者になれる」との可能性

2015-01-21 23:11:10 | 受けとめる力
「一流への道」

一流への条件は?
「才能の有無に関わらず、1万時間の訓練でとても高いレベルに到達すること。卓越したパフォーマンスは質的に異なりますが、熟練者と普通の人の違いは生涯にわたり熟虜された努力の結果です。単に時間を費やせば熟達すると考えるのは間違いです」
向上には質の高い「探究トレーニング」が必要だと、米フロリダ州立大学のアンダース・エリクソン教授は指摘している。
-探究トレーニングで重要なことは?
まず、自分の動きや技能を振り返り、過ちや改善点を知ることが重要です。
次に適切なステップは何かを考え、具体的な小ゴールを設定します。
一流になる人は意図的な訓練を行い、常に能力の限界を伸ばす努力をしています。
今までできたことの次を目指し、そこができたらまた次ということを繰り返す。
彼らは状況判断にも優れています。
例えば、空手の熟達者の反応速度は普通の人と大差はありませんが、攻撃が体のどこにくるかを予測する能力が高い。
特別な訓練により得られた能力です。
それは(心の中でイメージを作る)心的表象を持っているからです。
過去の経験などをもとに状況判断や未来予測ができるのです。
一流の人は個人訓練の時間が多いのが特徴です。
熟練した教師なしに一流になった人はいませんでした。
どんな訓練が必要なのか、上達の過程が分からなければ一流になるのは難しいでしょう。
適切な助言を行う教師を持たない人は上達過程が劣っていました。
モチベーションも低いと思います。
現代でも一流の指導者は経験豊富です。
自転車選手なら心臓の大きさや動脈の太さが変化します。
訓練によって、それまで使われていなかった遺伝子のスイッチをオンにすることができるのです。
「これ以上できない」という向上可能性の「限界値」も見つかっていません。
一流選手が輩出されることで子どもたちがあこがれ、裾野が広がり、訓練法が開発されるといった相乗効果があります。
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利根輪太郎は「誰もが一流になれる」「熟達者になれる」との可能性を
確信した。








画一的教育を<教育の国有化>と表現

2015-01-20 23:42:27 | 受けとめる力
無知は“罪悪”国を滅びしさえする

★「暗黒日記」のジャーナリスト・清沢洌(きよし)は、1935年「現代日本論」を出して教育の画一化を痛烈に批判した。
画一的教育を<教育の国有化>と表現する。
学問の研究から生まれる「真理」に対する尊敬というものがない。
その傾向、日本の現在の教育にいちじるしく見られるものだと思う。
清沢の次の言葉がいい。
<だいたいこの立派な、偉い国が、そう無闇に亡国になったり、へこたれたりしてたまるものか>
毎日新聞専門編集委員・玉木研二さん
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17歳のとき研学移民(学生となるための立場での移民)としてアメリカ合衆国ワシントン州に渡航した。シアトル、タコマで病院の清掃夫、デパートの雑役などを務めるかたわらタコマ・ハイスクール、ワシントン大学などで学んだ(ただしその履歴を示す文書は残されていず、朝日新聞社への就職の際は「米国の大学」をおえたとしている)。
1911年(明治44年)頃からは現地の邦字紙の記者となり、数年にして現地日本人社会で著名な存在となった。当時はアメリカ西海岸において日本人移民排斥運動が高潮に達していた。日本人に対する蔑視と敵意を、日本国内の為政者として、あるいは恵まれた立場の在米外交官としてでなく、日本政府からの庇護の薄い移民という立場で味わったにも拘わらず、清沢は晩年に至るまで一貫して日米友好を訴え続けた希有の自由主義平和思想家であった。
新聞記者時代[編集]
1918年(大正7年)帰国した清沢は、貿易関連の仕事を転々としたのち、1920年(大正9年)には中外商業新報(現在の日本経済新聞)に入社した。ここでもはじめは米国関連、日米問題関連のエキスパートとしての執筆活動を行ったが、大正デモクラシー、政党政治の伸長、関東大震災後の混乱(なお清沢は妻子をこの震災で喪った)、日本の満州進出などを受けて、国内問題や対中関係も彼の執筆対象となっていった。
1927年(昭和2年)には東京朝日新聞に移籍し、またこの頃から新聞以外での著作活動も精力的に始まった。清沢の基本的な立場は、対米関係においては協調路線、国内では反官僚主義・反権威主義、対中関係では「満州経営」への拘泥を戒めるものであって、石橋湛山のいわゆる「小日本主義」と多くの共通点をもっていた。だが清沢のリベラルな論調は右翼勢力からの激しい攻撃にさらされた。特にその著作『自由日本を漁る』所収の「甘粕と大杉の対話」(大杉栄殺害犯として獄中にある甘粕正彦憲兵大尉を大杉の亡霊が訪ね、甘粕の迷妄を論破する、というストーリー)は国体を冒涜するものとして批判され、1929年(昭和4年)には清沢は東朝退社に追い込まれ、以後は生涯フリーランスの評論家として活動することになる。

1937年(昭和12年) - 1938年(昭和13年)には、堪能な語学力を買われてロンドン開催の国際ペン・クラブ世界会議の日本代表という立場で再び欧米を訪問し、各所で精力的な講演活動を行う。日中戦争の勃発・激化を受けて欧米の対日感情は極度に悪化していたが、愛国者を自負する清沢はむしろ積極的に講演で、あるいは現地新聞への投書などを通じて日本の立場の擁護・正当化を行っていった。皮肉なことに、彼自身が国内で反対の論陣を張っていた硬直的・非協調的外交政策のスポークスマンの役を担わされたわけである。また駐英大使を務めていた吉田茂とは、このロンドンでの新聞投書による世論工作の過程で親しくなっていったという。
帰国後の清沢は、再び本来の対米協調を主軸とした外交への転換を訴える立場を取り、「新体制」「東亜新秩序」などの言葉に代表される抽象的かつ空疎な政策を諫め、アメリカを威嚇することで有利な結果を得ようとする外交政策の愚を説き、ドイツとの連携に深入りすることなく欧州情勢の混沌から距離をおくことを主張したが、事態は1940年(昭和15年)の日独伊三国軍事同盟、1941年(昭和16年)の日ソ中立条約、南部仏印進駐とそれらに対する米国の一連の対抗措置は、ことごとく自らが提言した潮流と相反する方向へ進んだ。

余裕ある人生は内実が豊か

2015-01-20 12:01:14 | 受けとめる力
★「人間が、より豊かな心で幸福でいるためには何が必要か」
1)周りや地域の人々と「つながること」
2)「活動的であること」
3)「関心を持つこと」
4)「学び続けること」
5)人に何か良きものを「与えること」
すなわち、身近な家族、友人、地域を大切にして、人間とつながり、生き生きと活動する。
社会や環境に積極的に関わり、学ぶことを怠らず、人のために献身する-ここに、豊かな心で幸福に生きるための要諦がある。
以上は近年、イギリスが、世界の多くの科学者と協力して行った研究調査のテーマである。
★1)懸命に生きる人生は美しい。2)余裕ある人生は内実が豊か。3)快活に生きる人生は強い。4)仲良く生きる人生は明るい。5)誇りに生きる人生は崇高。
6)親孝行の人生は幸福。7)学び抜く人生は勝利。
★子どもは、一人も漏れなく、宝の使命をもった人材である。
「いじめ」は、現代社会の病理。
もっと真剣に大人が対策を講じなければならない課題だ。
★世界の指導者は10代、20代で、人生の哲学、思想、信念をもち、それを貫いて、30代、40代で、偉大な仕事を成し遂げている。
青春時代に、生き方の骨格をつくり、さらに完成させていくところに、確かな人生の道がある。




○ 枯れる野に 咲く菜の花が 春を呼ぶ


菜の花の写真:2016年1月10日 取手市内で撮影>










宮本武蔵の「勝負に懸ける執念」

2014-12-20 11:16:42 | 受けとめる力
コラム「北斗七星」
公明新聞:2014年12月12日(金)付
剣豪・宮本武蔵の「勝負に懸ける執念」の凄まじさを、かつてNHKが「その時歴史が動いた」で検証したことがある。その一例として紹介されたのが、歴史に名を残す巌流島の決闘だった◆戦いは“秘剣燕返し”の遣い手である佐々木小次郎に、宮本武蔵が挑んだものだった。普通の刀の刃が2尺3寸(約70センチ)に対し小次郎の刃は3尺(約90センチ)あったことから、小次郎の剣は“物干し竿”と呼ばれた。相手の切っ先が届かない所から振り下ろし、相手を倒していたという◆その小次郎が対決前に「真剣をもって勝負を決せん」と武蔵に申し出る。が、普段は真剣で戦う武蔵はこの時、「われは木刀を使う」と返す。そして巌流島に現れた武蔵が手にしていたのは長さ4尺2寸(約127センチ)もある木刀だった◆なぜ、武蔵は櫂を自ら削り勝負に臨んだのか。この時の木刀から柄の部位を差し引くと、小次郎より武蔵の方が切っ先が10センチほど長かったという。この10センチの切っ先の差が、「絶対に勝たなければならない」という武蔵の執念の現れだったというのだ◆衆院選の投票日まで残すはきょうと明日の2日。公明党の小選挙区候補も比例区候補も、そして応援してくださる党員、支持者の皆さんも必死に戦い、きょうまで来た。あとは切っ先の勝負。「絶対に勝つ!」との執念が勝敗を決する。(流)

利根輪太郎は宮本武蔵の「勝負に懸ける執念に対して、改めて「我が意を得た思いがした」font>

















心における帳尻

2014-12-16 11:52:11 | 受けとめる力
(精神的)帳尻が合っていない状態は落ち着かない。
そのまま放置したら今後のことにも差し支える。
大きなミスが伏在している可能性だって否定できないからだ。
だいいち、建て付けの悪い家に住んでいるみたいな違和感がまとわりついて、精神衛生上よろしくない。
収支決算ならば帳簿を見れば分かるだろう。
だが、心における帳尻だってある。
損した感じ、被害的な気分、徒労感や無力感-そういったものは、心の中で収支バランスが取れていないからだろう。
一所懸命に努力したにもかかわらず、それに見合うだけの報酬だの感謝や労いだの充実感が得られなかったら、その時点で精神的な帳尻は合っていない状況となる。
腹が立ったり虚しくなったり、いずれにしても心は穏やかでなくなる。
でも。誰かがそのような「帳尻が合っていない」状態を理解してくれたら、それだけで気持ちはかなり持ち直すものである。
言い換えれば、マイナスぶんが大幅に補填される。
他人の理解や共感は、心の帳尻を合わせるための効果的な歳入となるだろう。
精神科医・春日武彦さん




















わたしたち「書く人間」の役割の一

2014-11-28 06:33:49 | 受けとめる力
ノンフィクションの力

★「今日も自分は小説が書けるんだ、今日も自分は原稿用紙に文字を書けるんだと思うと、嬉しいな、ありがたいなと思います」作家・夏樹静子さん
「書く」を「生きる」に置き換えてみる。
★励ましを受け立ち上がる。
そして自らの使命を自覚し、今度は地域のため、人々のために活動する。
「自分のためだけに何かをする」のではなく、周りの人に支えられた分、周りの人々を支えていこうとする意識。
そうした人間性が活動のなかで高められていく。
国連ウィメン日本協会東京・安倍陽子会長
★14年前は(体重)60㌔の小さな少年がここまで来るとは誰も想像しなかったと思う。
この国の魂、相撲の神様が認めてくれたから、この結果がある。
この優勝に恥じないよう、今後も一生懸命頑張っていきたい。白鵬は歴代最多32度目の優勝大鵬に並ぶ
★友人の朝田さん(仮名)に連れられて、宮城部屋を訪れた時の写真が残っている。
当時の宮城野親方は口腔がんの手術後であった。
当方は30代であり部屋でちゃんこ鍋を食べたことなど因縁を感じる。
★ノンフィクションの力
本当の意味で世の中を支え、動かしているのは、自分の仕事に黙々と取り組んでいる人たちだと私は思っています。
でも、そういう人は、自分のことを言おうとしない。
その人たちのことを伝えるのが、わたしたち「書く人間」の役割の一つだと思うんです。ライター・佐々涼子さん

自然治癒力を高める健康人生を

2014-11-27 23:38:25 | 受けとめる力
「変毒為薬(へんどくいやく」は仏教用語である。
「大薬師の能く(よく)毒を以て(もって)薬と為す(なす)が如く」インドの論師・竜樹著「大智度論」
生命の悪・毒(煩悩・業・苦の三道)を薬(法身・般若・解脱の三徳)へと転換する。
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血圧の薬はマムシの毒から見つかった。
毒性を持つ物質は体に作用を及ぼすが、だからこそ薬となる可能性もある。
つまり変毒為薬とは、仏教が古来から、薬と毒の関係に着目していた証左。
人体に備わる「免疫力」「自然治癒力」「自己回復力」が、少々の狂いなら自分の力で正常な状態へと戻す。
薬は、体治癒力だけで健康な状態へ戻れなかった時、その手助けのために使う。
風邪で熱が出ている状態の時は、休養と栄養を取り、体の回復を待つのが、本当の理想。
言い換えれば、人体に備わる“健康を保つシステム”を良好に維持することが、健康の根本。

「死の五段階説」

2014-11-27 22:37:17 | 受けとめる力
Eキューブラー=ロスは、大学病院、一般病院で末期患者へのインタビューを重ね、その内面性を精神医学的に観察した。
そこで提唱したのが「死のの五段階説」だった。


多くの人は死に至るまでに、否認・怒り・取引・抑うつ・受容の五つの心理段階を経るという。
否認とは、例えばガンの告知を受けた人が、自分はそのような病気dあるはずがないと否定する。

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スイス人の精神科医エリザベス・キューブラー・ロス
(1926~ 2004)は、「死の受容五段階モデル」を唱えました。死期が間近に迫った患者が、死を受容していく心理的過程を5段階に分けてモデル化したものです。
参考にしてください。


第一段階:「否認と孤立」
病などの理由で、自分の余命があと半年であるとか
三か月であるなどと知り、それが事実であると分かって
いるが、あえて、死の運命の事実を拒否し否定する段階。
それは冗談でしょうとか、何かの間違いだという風に反論し、
死の事実を否定するが、否定しきれない事実であることが
分かっているがゆえに、事実を拒否し否定し、
事実を肯定している周囲から距離を置くことになる。

第二段階:「怒り」
拒否し否定しようとして、否定しきれない事実、
宿命だと自覚できたとき、「なぜ私が死なねばなら
ないのか」という「死の根拠」を問いかける。
このとき、当然、そのような形而上学的な根拠は
見つからない。 それゆえ、誰々のような社会の役
に立たない人が死ぬのは納得できる、しかし、
なぜ自分が死なねばならないのか、その問いの
答えの不在に対し、怒りを感じ表明する。


第三段階:「取り引き」
しかし、死の事実性・既定性は拒否もできないし、
根拠を尋ねて答えがないことに対し怒っても、
結局、「死に行く定め」は変化させることができない。
死の宿命はどうしようもない、と認識するが、
なお何かの救いがないかと模索する。
この時、自分は強欲であったから、
財産を慈善事業に寄付するので、
死を解除してほしいとか、長年会っていない娘がいる、
彼女に会えたなら死ねるなど、条件を付けて死を
回避の可能性を探ったり、死の受容を考え、取引を試みる。

第四段階:「抑鬱」
条件を提示してそれが満たされても、なお
死の定めが消えないことが分かると、
どのようにしても自分はやがて死ぬのである
という事実が感情的にも理解され、
閉塞感が訪れる。 何の希望もなく、何をする
こともできない、何を試みても死の事実性は消えない。
このようにして深い憂鬱と抑鬱状態に落ち込む。

第五段階:「受容」
抑鬱のなかで、死の事実を反芻している時、
死は「無」であり「暗黒の虚無」だという今までの
考えは、もしかして違っているのかもしれない
という考えに出会うことがある。
あるいはそのような明確な考えでなくとも、
死を恐怖し、拒否し、回避しようと必死であったが、
しかし、死は何か別のことかも知れないという
心境が訪れる。 人によって表現は異なるが、
死んで行くことは自然なことなのだという
認識に達するとき、心にある平安が訪れ
「死の受容」へと人は至る。