★ネットには、良くとも悪くとも、人間が抱く快・不快という原始的な感情を増幅させる機能があると思います。
特にネガティブな感情は安易な“共感”を得やすく、伝染しやすい。
ネットでは、しばしば「炎上」が起きます。
「悪いことをした相手は攻撃して当然」という独善的な正義感があります。
やがて、この正義感が大勢の熱狂を呼び、ネットによって増幅され、さらなる熱を帯びて「炎上」となるのです。
真偽不明な情報も無防備に受け入れてしまう状況が生まれているわけです。
「弱い立場の人間を、皆で寄ってたかって攻撃する」という行為や、「“怒り”という感情に大多数の人間が押し流されてしまう」といったことは、人間にとっての根本的な問題なのです。
それが、ネットの誕生によって浮き彫りになったといえるでしょう。
ネットには、利便性の裏に危険性が潜んでいます。
いわば、全てが均質化されてしまい、他者への想像力が欠如している状態です。
現実は、数学的に割り切れるような単純なものではありません。
少なくとも決断を迫られたら、自分なりに“逡巡”してみるべきでしょう。
具体的に言及すれば自分の身体に適したスピードで考え、生きるべきだということです。
人生を支えるベースとなるのが「文学」です。
そのような「文学の復活」が、今こそ求められているのではかいか、というのが私の問題意識です。
“逡巡”とは、言い換えれば、知らないものに対して、深く考えを巡らせるということです。
自分自身、まだまだ分からないことがあると気付けば、人は謙虚になれます。
この謙虚さこそが、異質な他者への想像力を涵養する素地になります。
私たちは焦らずに“逡巡”し、冷静に自身の立ち位置を見直すことを心掛けるべきなのです。批評家・村上裕一さん
特にネガティブな感情は安易な“共感”を得やすく、伝染しやすい。
ネットでは、しばしば「炎上」が起きます。
「悪いことをした相手は攻撃して当然」という独善的な正義感があります。
やがて、この正義感が大勢の熱狂を呼び、ネットによって増幅され、さらなる熱を帯びて「炎上」となるのです。
真偽不明な情報も無防備に受け入れてしまう状況が生まれているわけです。
「弱い立場の人間を、皆で寄ってたかって攻撃する」という行為や、「“怒り”という感情に大多数の人間が押し流されてしまう」といったことは、人間にとっての根本的な問題なのです。
それが、ネットの誕生によって浮き彫りになったといえるでしょう。
ネットには、利便性の裏に危険性が潜んでいます。
いわば、全てが均質化されてしまい、他者への想像力が欠如している状態です。
現実は、数学的に割り切れるような単純なものではありません。
少なくとも決断を迫られたら、自分なりに“逡巡”してみるべきでしょう。
具体的に言及すれば自分の身体に適したスピードで考え、生きるべきだということです。
人生を支えるベースとなるのが「文学」です。
そのような「文学の復活」が、今こそ求められているのではかいか、というのが私の問題意識です。
“逡巡”とは、言い換えれば、知らないものに対して、深く考えを巡らせるということです。
自分自身、まだまだ分からないことがあると気付けば、人は謙虚になれます。
この謙虚さこそが、異質な他者への想像力を涵養する素地になります。
私たちは焦らずに“逡巡”し、冷静に自身の立ち位置を見直すことを心掛けるべきなのです。批評家・村上裕一さん