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[メモ] 西洋が黒人を奴隷とした流れ(正当化の口実を含む)

2018-02-21 23:21:58 | キリスト教

[聖書で不正義を正当化] 

実際は奴隷制の正当化は長い年月をへて固まっていったもので、特定の一つか二つの出来事や発言を引用して説明がつくものではない。常に議論が戦わされていた。

 1 紀元後について見れば、黒人はハムの子孫であるという考えが紀元200年から600年に遡ることができる。

 2 意外なことに12, 13世紀までに奴隷制は北西ヨーロッパで実際上なくなっていた。

 3 ヨーロッパ人によるアフリカ人奴隷貿易は、1441年ポルトガル人が自国の皇太子に西サハラ海岸で拉致したアフリカ人男女を献上したことに始まるとされる。

  15世紀中頃、大航海時代、プランテーション経営に必要な労働力として、奴隷貿易が盛んになりヨーロッパとアフリカ、アメリカ大陸を結んで約3世紀にわたって続いた。このアフリカ大陸から新大陸への黒人奴隷の売り込みが、17, 18世紀に一層拡大された。

  18世紀、英リバプール、仏ボルドーはアフリカから黒人を銃器と交換に購入し、英仏は西インド諸島に黒人を提供する代わりに砂糖を手に入れた。またアフリカから西インド諸島に黒人が送り込まれた。いわゆる三角貿易。1579-1807年にその数は1,500万人以上に達した。

[経済的な正当化。奴隷制は新世界を豊かにし、アフリカはヨーロッパから武器その他の供給を必要とした。]

  18世紀に幾人ものキリスト教徒が奴隷制を擁護する神学上の根拠を構築しようとした。アメリカのジョン・サフィンが恐らくその最初の人物であろう。彼は奴隷制は神が定めた、聖典に規定された恒久的な制度であると正当化を試みた。ほかに18, 19世紀に神学的な擁護論が数多く提示された。1772年トマス・トンプソン、1850年サミュエル・A・カートライト、ジョサイア・プリーストなど。主として弁明に使われたのは、創世記9:20-27の酔ったノアをハムが見て、カナンは呪われよとノアが言った箇所であった。トマス・トンプソンはレビ25:44以下に奴隷が他国の者であれば永久に奴隷として所有できる、という文言を拠り所にした。

[ノアの呪い]

7 しかし、同じ18世紀に奴隷制に反対する思想が出始めた。ジャン・ジャック・ルソー、トム・ペインがあげられる。福音主義的キリスト教徒が特に熱心で、ジョン・ウェスレー、メソジスト派、英国国教会、クエーカー、長老派、バプテスト派が反対した。1807年英国で奴隷制が違法とされ、1808年米で外国との奴隷貿易が禁じられた。

 

参考にした文献

Lester E. Bush, Jr. and Armand L. Mauss ed., ”Neither Black Nor White.” Signature Books 1984.

David Brion Davis, “The Problem of Slavery in the Age of Revolution, 1770-1823.” 1999.

Sinclare B. Ferguson, “New Dictionary of Theology.” Inter-varsity Press, 1988.

・Stephen R. Haynes, "Noah's Curse." Oxford University Press, 2002.

 

 

(私的ノート: 2007年、英国へ行った時、大英図書館、ロンドン図書館、シェフィールド図書館を訪れてこの件で集めた、僅かな資料をもとに記した。)



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27 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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確かにありますね。 (教会員R)
2018-02-22 10:34:57
聖書無謬説の立場に立てば、旧約の神は基本的人権に配慮しない神ということになるでしょう。

25:44
あなたがもつ奴隷は男女ともにあなたの周囲の異邦人のうちから買わなければならない。すなわち、彼らのうちから男女の奴隷を買うべきである。
25:45

また、あなたがたのうちに宿っている旅びとの子供のうちからも買うことができる。また彼らのうちあなたがたの国で生れて、あなたがたと共におる人々の家族からも買うことができる。そして彼らはあなたがたの所有となるであろう。
25:46
あなたがたは彼らを獲て、あなたがたの後の子孫に所有として継がせることができる。すなわち、彼らは長くあなたがたの奴隷となるであろう。しかし、あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々をあなたがたは互にきびしく使ってはならない。

ただこれを読む限り、イスラエルの人々は互いに奴隷にしてはならない、という文脈の中で書かれており、しかもこの掟は、レビ人へのローカル掟として書かれているのでしょう。
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人種と神権 (ダイエット★継続中)
2018-02-23 14:34:39
みなさま、お久しぶりです。
最近はダイエットだけでなく高血圧とも戦う日々です(笑)。医者からはいつ血管が切れてもおかしくない状態などと脅されながら降圧剤を飲んでいます。

さて興味深いテーマが語られましたので少し質問させて下さい。

LDS教会の公式サイトで「人種と神権」というページを読みました。
https://www.lds.org/topics/race-and-the-priesthood?lang=jpn&old=true#13

そこにこのような一文がありました。
『カインののろいは神権と神殿の制限を正当化するものとして,しばしば主張されました。1900年頃になると,別の解釈が広く伝わるようになりました。黒人はルシフェルとの前世の戦いにおいて,あまり勇敢ではなかったので神権と神殿の祝福を差し止められている,というものです。』

この文には脚注があり以下の説明がありました。
『例えば使徒であったジョセフ・フィールディング・スミスは,1907年に「肌の黒い人種は天上の戦いで中立の立場をとったのでのろいを受けた」という信条はモルモンの間で「非常に一般的」であったと書いています。しかしながら,彼はこのような信念は「教会の公式見解ではなく〔そしてそれは〕単に人の考えでしかない。」と認めました。ジョセフ・フィールディング・スミスからアルフレッド・M・ネルソンへ,1907年1月31日,教会歴史図書館,ソルトレーク・シティー。』

ここで質問なのですが、LDS教会の指導者はなぜこうした考え方や説が教会内に流布されている事を許していたのでしょうか?

NJ様の記事によりますと1800年代初頭には欧米で奴隷制度は良くない、という考え方が広まってきています。いろいろなキリスト教会が奴隷解放、人種差別廃止の方向へ向かいつつある時期に設立されたのがLDS教会だと思います。ですがその流れとは逆の方向にどうしてLDS教会は向かったのでしょうか?

公式サイトの説明では、公式な教義でない考えが会員たちに広まっていたとのことですが、そのような状況の場合、通常であれば指導者達がそのような風潮を憂いて間違いを指摘し、正しい解釈をするものだと思うのですが、なぜそうした行動がなされなかったのかと不思議に思いました。
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私も降圧剤服用 (NJ)
2018-02-23 17:40:56
ダイエット継続中さま

コメント、ありがとうございます。ごもっともなご質問です。少し確認の上お答えしたいと思います。若干時間をください。
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ミズーリの影響 (NJ)
2018-02-23 21:47:00
>キリスト教会が奴隷解放、人種差別廃止の方向へ向かっていた時期に設立されたのがLDS教会・・逆の方向にどうしてLDS教会は向かったのか

初めJSはエイベルという黒人に神権を与えたり、その人物が伝道に出たりして米国北部の流れに沿っていました。それがミズーリ州へ移動して奴隷制を維持する環境に影響を受けます。激しい論争、ついで争いに巻き込まれ廃止論放棄に向かいました。JSの死で大きく転換します。BYはカインの血を一滴でも流れている者は神権を受けられないと宣言するに至ります。

>指導者はなぜこうした考え方や説が教会内に流布されている事を許していたのか

年月がたってジョセフ・フィールディング・スミスが、理由として前世の態度があいまいであったためという理由を捻出することになります。初め可能性として言っていたのが教義のようにみなされるようになりました。マッケイやH.B.ブラウンが黒人にも神権を、という立場に立っていましたが、J.F.スミス、義理の息子B.R.マッコンキーなど超保守の人たちに遮られます。公民権運動など全米を包み込むうねりで、教会も流れに沿うことになりました。教会の中でも異なる立場の陣営が対峙し、変革に年月がかかるということだと思います。

小生執筆「黒人と白人との別なく」モルモンフォーラム2号(1989年冬季)より。
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Unknown (教会員R)
2018-02-23 22:33:18
当時のモルモンには大半が貧者であったが、その一方で裕福な実業家が多くてプランテーションも盛んで今更奴隷制に反対も出来ない実情が一方であって、理想家のJSは人道的な奴隷制を廃止したかったが、現実主義のブリガムヤングは政治的理由で廃止に反対だったのでしょう。

JS亡き後BYが奴隷制推進のために、高価な真珠を根拠に反対派を黙らせるために、今日伝えられている様々な都市伝説を談話や説教に織り込んだものと思われます。 その後南北戦争によって奴隷制は廃止となったが、預言者BYの語った推進理由だけが意味なく一人歩きしてしまい、保守派のお抱え学者たちによって支持されていたものと思われます。

保守カルトと言われても文句が言えない日本法人が好んでこれらの都市伝説をモルモンの教義に見せかける目的で強化していったため、日本人モルモンは勘違いの度合いが激しいのでしょう。

今から思えばモルモンとして残念な話です。
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おや? (落伍者)
2018-02-23 22:50:20
 神権が与えられなかったのは啓示ではなかったのでしょうか?

もし人の考えであるにもかかわらず、それが神の意志として固持されてきたことを考えれば、啓示も自浄努力もないということにならないでしょうか?



 
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補足 (教会員R)
2018-02-23 22:57:44
保守カルトと言われても文句が言えない日本法人というのは1990年頃以前の日本法人のことです。

今は立派に脱カルトして紳士的な教会になったと認識しています。
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落伍者さんへ (教会員R)
2018-02-23 23:05:24
神権付与の一時停止そのものは政治的理由から来た啓示だったのでしょうが、合理化しようとした理由付けがまずかったのでしょう。

また後出しでは何とでも言えるのですが、停止解除は北軍勝利と同時くらいが適当だったのに、ずるずる長引いたのが痛かったです。
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RLDSでは聖典としてない模様の (たまWEB)
2018-02-24 11:32:41
アブラハム書1章には、
「ノアは彼の先祖であり、彼に地の祝福を授けたが、神権に関しては彼をのろった。
27節 さて、パロは神権の権利を持つことのできない血統の出であったが、パロたちは・・・」
とかってあるので、一般会員はそう受け取ってきた歴史があるんでしょう。一方ブリガムやその取り巻きには英国フリーメイソンと通じ、人口削減のベースとなるところの、19世紀後半の英国由来の優生思想と結びついく方向で、人種政策を変えることはなかったんではと・・・
カーター大統領との協議まで発展し、うまいタイミングで啓示がおりて1978・6・8神権の発表にこぎつけたみたいな・・・
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=mormon+priesthood+%22president+carter%22
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優生思想、人工削減関連では (たまWEB)
2018-02-24 12:01:10
英国王子のアフリカ人口減らせや
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%AD%90%20%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%89%8A%E6%B8%9B
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/95c713ddd697df989b6381477988ec00
前々ブッシュ大統領の子宮けい癌ワクチン推進、来日とかって・・・接種再開しないならISDS条項で数百億の賠償請求??
ブッシュ ワクチン
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