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統廃合に寄せられた至言

2023-03-10 23:18:20 | モルモン教関連

ステーク統廃合に関して、教会の姿をよく見抜いた至言が寄せられた。私の冊子「日本の末日聖徒イエス・キリスト教会の統廃合をどう見るか」に対するコメントの一部である。

「資本主義と末日聖徒イエス・キリスト教会の方針はよく似ていて、強い地域に資産はより多く投資され、弱い地域からは、撤退して行く。あるいは、拡大している時期への対応は上手いが、並行(停滞)状態、減少傾向にある時期には、打つ手がない。全て増加の目標しか受け入れられない。」

 高木論文とつき合わせてみると重なる部分があって興味深いと思う。 


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129 コメント

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モルモン教徒はなぜ資本主義的なのか? (オムナイ)
2023-03-11 08:05:42
>私の冊子「日本の末日聖徒イエス・キリスト教会の統廃合をどう見るか」

え?冊子になっているのですか。
知りませんでした。

>全て増加の目標しか受け入れられない。

確かに。数の上での成長が停滞期に入った時は信仰の質を追求すべきだと思います。

このようなサイトを見つけました。

https://tyleransom.medium.com/why-are-mormons-so-capitalistic-5e26bb25062

COWEN:モルモンはなぜ資本主義なのでしょうか?

FRIEDMAN:どうでしょう。とても興味深い質問ですね。
モルモン教徒は米国で経済的に非常に成功していますし、モルモン教会の歴史は19世紀前半までしかさかのぼりません。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の代わりに、200年も前にさかのぼらないものについて話しているのですから、
モルモン教に詳しい人たちが、それについて多くのことを語ることは可能なはずです。

しかし、私たちのアメリカ社会では、モルモンが経済的に非常に成功していることは確かです。
・・・・・・・
一般的には、コーウェンやフリードマンの評価は正しい。
しかし、モルモンがどの程度資本主義的であるかは、もっと微妙な問題である。
ここでは、モルモンの経済的成功に関するデータを検討し、モルモンの資本主義に関する教義的・文化的説明を行い、
最後に教義的・文化的要因が「モルモンは純粋な資本家」という特徴に反する理由を考察している。
・・・
・収入と学歴
Pewによると、アメリカのモルモンは、収入と教育の両面で、アメリカの他の地域よりも中流階級に偏っています。
これは、これらの分布の最下層にいないことで顕著に表れています。
対照的に、ユダヤ人は所得が非常に高く、米国で最も裕福な宗教グループである。

・資本主義に対する教義的および文化的支援
・資本主義に対する教義的および文化的反対
ーーーー
むむ。結局、信者としての末日聖徒は資本主義的ではなく、
教会という組織は資本主義的だという事でしょうか。

いわゆる「成功者」が教会の指導層ですからね。
Webさん引用のユタ州では投資詐欺に引っ掛かる州民が多いとか。。
お人好しが多いのでしょうね。
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目新しくありません (NJ)
2023-03-11 11:07:35
冊子と言っても、このblogに投稿したのとほぼ同文の8頁です。

紙媒体で活字になって綴じてあると、目を通してもらいやすいのです。(体裁もものを言う。)
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Unknown (擁護派)
2023-03-11 15:13:39
伝道がうまくいってる地域は、狂乱のバプテスマが行われている可能性はないですか?
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伝道部会長も認識・承知 (NJ)
2023-03-11 15:27:27
それは近年はもう見られないと思っています。(もうかなり前から、さすがに)。
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Unknown (擁護派)
2023-03-11 15:46:45
だといいんですけど、狂乱バプテスマって、教会のテキストには一切書いてないし、実質反キリストの捏造になってるし
返信する
Unknown (佐久間智樹)
2023-03-11 23:36:11
「資本主義と末日聖徒イエス・キリスト教会の方針はよく似ていて、
強い地域に資産はより多く投資され、弱い地域からは、撤退して行く。
あるいは、拡大している時期への対応は上手いが、並行(停滞)状態、
減少傾向にある時期には、打つ手がない。全て増加の目標しか受け入れられない。」

この事実を素直に受け入れることはできませんが、聖書を読むと、
これと同じ趣旨の内容が書かれているように感じます。それは、

「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、
持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」

タラントのたとえ話で、預けられたタラントを増やさなかったしもべが
それを取り上げられ、最もタラントを増やしたしもべに与えられたこと

です。



実はこのことを専任宣教師時代に実体験しました。

私は専任宣教師の転勤にとても興味がありました。伝道部長と二人の
伝道部長補佐が祈りをもって決め、それによって少なくとも次の転勤までの
同僚が決定され、任地が決まるからです。これが一体どのようなルールや
原則にのっとって行われるのか、いつも注目していました。

結果としてわかったのは、「おおよそ、持っている人は与えられて、
いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも
取り上げられる」ということです。

専任宣教師がみな任期中常にベストな状態であるわけではなく、
時期によって波があります。熱心に宣教に集中できるときもあれば、
なんらかの理由でそうでないときもあります。それは、他の専任宣教師から
ある程度尊敬の目をもって見られる伝道部長補佐も例外ではありませんでした。

熱心に宣教に集中できる波に乗った専任宣教師は、福音を他の人に
伝えることに関心を持つ会員の多いユニットに転勤していきます。
なんらかの理由で専任宣教師としての働きに集中できない専任宣教師は、
福音を他の人に伝えることに関心を持つ会員が少ないユニットに転勤していきます。
私が知りえて記憶している限り、これに例外はありませんでした。

それに気づいたときに、その言葉の通りになるなんて、聖書は恐ろしいと震えあがりました。



伝道部長と二人の伝道部長補佐は常に時間に余裕がなく、各ユニットの
会員の状況や各専任宣教師の状況を把握できていたとは思えません。
人の力ではない権能がはたらいていたように思います。

「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、
持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」というのは、
人の意志ではありません。御心であるなら受け入れるしかありません。



引き続き預言者の言葉を引用します。

「…しかし、富を求める目的は…善を行うことである。」

「…すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、
彼らをより分け、…『…これらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち私にしたのである』。」

問題は与えられた後、与えられたものをどう使うかだと思います。
すでに10タラント持っているのに、さらに1タラントを加えられたしもべも、
そのタラントをどう使うかを問われるのだと思います。
そしてそれは、この世で生きている間だけでなく、死後もそうであると思うのです。
最高の栄光を受けるというのは、そのようなことだと思います。
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タラントのたとえ話 (好奇心)
2023-03-12 00:43:04
タラントのたとえ話って主人から僕が財産を任される話ですが、財産を預けた後、主人は旅に出てしまいます。ですから僕たちは自分の判断と力量でその財産をどうにかするしかない。このたとえ話はそういう状況です。

けれど、私らの教会の運営はどうでしょうか?それぞれの神権者にどこまで任されていますか?

教会の集会時間、集会の内容、教師が教える内容、指導者が行うべき事としてはいけない事、すべて細かいところまでマニュアル化されています。指導者とは名ばかりで、マニュアルと指示事項を諾々とこなすだけ。

正直なところ、地元教会の運営って、言われたとおりやっていればこなせるし、逆に言えば余計なことはできません。個人的こうしたほうがいいのでは?と考えを挟む余地はほとんどありません。

その結果が、出席率の低下と、それゆえの教会の統廃合。これで日本の教会員に責任がありますと言われても何だかなぁって感じです。最近の私は教会から召しや責任を打診されても、基本は断る方向で考えています。
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なぜ1タラントの僕が外の暗闇へ (オムナイ)
2023-03-12 02:50:49
タラントの喩えは何かが足らん。

弟子として、この喩えを逆説的に考えてみます。

「天国は、ある人が旅に出る時・・」神様から財産(タラント)を預けられると始まります。

10、5、1つまり才能に関わらず最善を尽くせば、

「僅かなものに忠実だったので多くのものを管理させよう、私と一緒に喜んでくれ!」と日の栄の救いを匂わせます。

なぜ10タラント預けられた僕ではなく1タラントの方なんでしょうね。


「持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」
そんな。。酷すぎる。
持っていようと、いまいと、サボった僕は取り上げられる
ほうが納得がいきますね。

タラントの喩えはダメな資本主義のたとえ?
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Unknown (Unknown)
2023-03-12 07:02:40
>持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる

これは「マタイ効果」と呼ばれるらしいです。

マタイ効果(マタイこうか、英語: Matthew effect)またはマタイ原理(マタイげんり、英語: Matthew principle)とは、条件に恵まれた研究者は優れた業績を挙げることでさらに条件に恵まれるという現象のことであり、それは科学界以外の様々な分野でも見ることができる。「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と要約できる。この概念は名声や地位の問題にも当てはまるが、要約の文字通り経済資本の累積的優位性にも当てはめることができる。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8A%B9%E6%9E%9C


>そんな。。酷すぎる。

たしかに。私もそう思います。カトリック金沢教会のホームページは以下のような説明がありました。


最後の言葉に注目しましょう。「持っていない」人は「持っている」ものまでも取り上げられると。この人が「持っていないもの」と「持っているもの」とは、別々のものを差しています。例の「怠け者の悪いしもべ」が「持っている」ものは主人から預かったタラントンで、「持っていない」のは、他の二人のしもべと違って、そのタラントンをうまく運用して、それを増やそうという「熱意」でした。その結果は、持っているものまでも取り上げられて、それを有効に運営するしもべに渡されてしまいました。主人のとった処置は正しいと思います。
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http://www.church-kanazawa.sakura.ne.jp/message/120210.html


つまりタラントを持っていない者は持っているわずかなタラントまで取り上げられるという意味ではなく、「熱意」を持っていない者は「神から預かったもの」を取り上げられるのだと。私はこの説明に同意したいですね。

しかし多くの人が「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」との意味に受け取ってしまうのは、資本主義社会の中で暮らしていてその残酷な現実を見ているからでしょうか。

私ら人間は自分の暮らしている社会制度に置き換えることでしか神との関係を把握できないのかも知れません。専制君主時代は神は絶対的な王であり、資本主義の中では神は有能で合理的な経営者だと捉えてしまうのかも。

本来は「アバ、父よ」と呼ぶ存在だとイエスは教えているのですが。
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Unknown (通行人)
2023-03-12 16:07:59
神殿建設を巡る施策は資本主義的とは程遠く何がしたいのかチグハグな感じがする。
教勢縮小著しい場所に建設しても地元負担が増えるだけなのでは?
建ててしまうと必然的に有給職員及び奉仕者が必要になり教会の狙いはそこか?と勘繰ってしまう。
利権絡みなのか?
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