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<この記事はやや専門的で長文]>

  モルモン書に聖書が引用されている場合、単に欽定訳聖書の文言(英語)から和訳するのではなく、聖書の原語も確かめて翻訳(改訂)が行なわれたのだろうか、という質問がアンドリュー・ホール九州大学准教授(末日聖徒)から出された。質問の意味は、欽定訳が正確でない場合があるし、1611年に欽定訳が翻訳されてから、英語の意味が変遷している場合もあるからである。

  5年以上かけて進められた改訂作業の中で、私は奉仕で1991-92年の2年間協力する機会を得た。そして、聖書の原語と参照する面に重点を置いて取り組ませていただいた。例を二三あげてみたいと思う。

 1 ‘magnify.’ ヤコブ 1:19, 2:2 に our office, mine office を目的語として出てくる。明治訳、昭和訳とも「その職を尽くして」と訳している。ヤコブ書の表現と同じものがローマ11:13に出ていて口語訳、新共同訳とも「務めを光栄とし」と訳している。それはギリシャ語 δοξάζω [doksazo:] の訳で正しい。モルモン書の訳は magnify の現代の意味「拡大する」にとったものである。それで1955年改訂訳では中をとって「自分たちの務めを尊んで大いなるものとした」と両義を含ませるものとなった。2009年版も同様である。

 なお、ドイツ語モルモン書は新約と同じ「栄光を称える、賛美する、称賛する」という意味のverherrlichten としている。

 

  2 ‘order.’ アルマ 13:9 に after the order of という表現があって、「・・の位に従う・・」という訳になった。order を「位」という意味の語として翻訳する方針が取られた。口語訳では詩篇110:4に「位」という訳語が使われている。アルマ13:9の文は次の通りである。

  They become high priests after the order of the Son

   「彼らは御子の位に従う大祭司となる」(1995, 2009年版モルモン書)

 ただ、聖書に割合い多く出てくる

        after (or according to, of) + the order of +人名、御子

という表現の order はヘブライ語ではディブラー דִּבְרָה  で、意味はmanner, order、新約では タクシスτάξιςでnature, quality, manner の意である。それで、「・・の様に等しい、・・に等しい、・・と同じような」(文語訳、関根訳、新共同訳)としているものが多く見かけられる。最新の「聖書協会 共同訳」では「・・に連なる・・」としている(詩篇110:4)。 

(そこに私の敷衍訳案を加えれば、「・・の雰囲気を持つ、・・のたたずまい(風格)を漂わせる、・・の器に通じる」などとなろうか。) 

                                                                                                                                   

  3 ヘブライ語、ギリシャ語に多用される常套句の扱い。次のものは省略した方がよい語句である。

1)    וַֽיְהִי־ ワヨヒー (And it came to pass 「そして・・のようになった」) は、過去の事件を連続的に叙述しようとする時に使われ、旧約聖書の散文において濫用される傾向がある。(例、創世22:1, 20、士師11:35, 39)。そのためいちいち直訳すると、煩わしくなるためほとんどの現代語訳聖書では省略されている。モルモン書(英文)にも多く現れるが、省略するのが自然である。著しい例を挙げれば、ヤコブ書5章に28回現れる。(1995年改訂に先立って、いちいち逐語訳することが一時米本部から求められたことがあった。)

2)    ἰδού イドゥ(Behold 「見よ」、しばしば感嘆詞)は、発話の冒頭で注意を引くために聖書でよく使われ(例マタイ8, 9, 12章で19回)、モルモン書でも頻出する(IN2章6回、3章14回)。昭和訳モルモン經では「ごらん」と訳されていて、気になる読者もいたのではないか。やはり適宜省略するのが妥当である。

 

 4 固有名詞

1)エバ ← イヴ (昭和訳) IN5:11 (明治訳は「エバ」)

2)エリヤ ← エライジャ (昭和訳) IIIN25:5  (明治訳は「エリヤ」)

3)メルキゼデク ← メルケゼデク (昭和訳) アルマ13:14   (明治訳は「メルキゼデク」)

4)ベニヤミン ← ベンジャミン (昭和訳) オムナイ1:23 

5)ヤレド  ← ジェレド (昭和訳) エテル1:32

6)ラバン ← レーバン (昭和訳) IN3:3

1)~6)のいずれも、英語の発音によっていたのを、ヘブライ語の原語を確認の上、日本語訳聖書の表記に合わせて改訂された。(ニーファイ、リーハイ、レーマンはすっかり定着していたため、変更されなかった。)

  上記のように、1995年改訂によって末日聖徒イエス・キリスト教会は、用語の点で少しだけ普通のキリスト教会に戻したと言えるかもしれない。

 [なお1995年改訂にかけ、聖書起源の言葉の翻訳改訂に関連しメモを残しているので、将来のため参考までに清書して管理本部の翻訳課に提出したいと考えている。]

 参考資料 :

・Alfred Marshall, "The Interlinear Greek-English New Testament: The Nestle Greek Text with a Literal English Translation." Samuel Bagster and Sons Ltd. London, 1958, 1975

・Jiro Numano, “The Japanese Translation of the Book of Mormon: A Study in the Theory and Practice of Translation.” MA thesis, Brigham Young University, 1976

・Robert Young, "Analytical Concordance to the Holy Bible," Lutterworth Press, 1979
・Eldin Ricks, "Eldin Ricks's Thorough Concordance of the LDS Standard Works," FARMS, 1995



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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-23 04:21:27
NJさん、やはりモルモン書の翻訳に関与されていたんですね。お疲れ様でした。しかし「奉仕」ということはタダ働きだったのですか、そんな大事な作業に無給とは・・・

>1995年改訂に先立って、いちいち逐語訳することが一時米本部から求められたことがあった。

なるほど、そうだったのですね。モルモン書の訳文が全体的に生硬に感じる理由です。まぁ好みの問題もあるでしょうが。私は技術書、説明書は逐次訳が向いていると思いますが、文学に関しては逐次訳はダメだと思っています。特に大衆小説など原著が「教養のない人でもスラスラ読んで楽しめる」ことを目的にしている場合は、訳文もそうあるべきなのでは?と考えているからです。

ではモルモン書はどうなのか?正直言いますとモルモン書に改訳されてからは読む気がなくなりました。ところどころの日本語的ないびつさが気になって・・・。

教義と聖約は改訳されてからさらに読む気が失せました。旧の訳文は文語調で書かれていましたが韻を踏んでいて暗証しやすかったのです。人の記憶に残る文章は聖典としては重要じゃないのですかねぇ。もっとも読みやすさのためにはある程度、翻訳者が文章に加工を施してしまうことは否めないわけで、それによって意味が正確に伝わらない点を懸念する向きもあるでしょうが、それは教会と言う組織の中で教え学んでいくことで十分補えると思うのです。

でも上から与えられたものを感謝して受け入れるのが末日聖徒の信仰みたいなので、文句は言えませんから、面白くないものは読まないという自由意思の行動をとるしかないのかなと、そんなわけで私のモルモン書はとても綺麗なままです。

>[なお1995年改訂にかけ、聖書起源の言葉の翻訳改訂に関連しメモを残しているので、将来のため参考までに清書して管理本部の翻訳課に提出したいと考えている。

ええ、もったいない! そんなことしたら絶対2度と日の目を見ませんよ。
 
 
 
聖餐の祈りには 旧版の佐藤龍猪訳 (たまWEB)
2019-03-23 09:33:56
にあるような【‘(一同と)共に’】、少なくとも英文に則してぇぇ、‘共に’を入れるべきだにゃぁぁ。

英語の with ですよねぇぇ・・・”that they may have (always) his Spirit to be with them. Amen. ”

中国語のでも、共に は入ってるんじゃ?!

”・・・與他們同在” 摩羅乃書・モロナイ書4、5章から

”與・むた 【与▽・共▽】

名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた形の下に付いて、「…とともに」「…のままに」の意を表す

与(與)

ピンインyǔ ⇒ [異読音] yú,yù

1  前置詞 (書き言葉に用い,「…と一緒に…する」と言う場合)…と,…と共に.⇒跟 gēn ,同 tóng .”

列王紀6:16 不要懼怕!與我們同在的比與他們同在的更多・・・エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」。

ヨハネ伝17:12 我與他們在一起的時候・・・わたしが彼らと一緒にいた間は・・・

黙示録21:3 神將要親自與他們同在・・神自ら人と共にいまして

現行の’御霊を受けられるように’なんだぎゃぁぁ、バプテスマの後の、聖霊の賜物を受ける儀式の時に、’聖霊を受けなさい’との勧告・勧め・命令の言葉があるように、まぁ、この言葉は聖文には出てないわけですぎゃぁ、受けられるように備える・信仰を働かせるのは、教会員であってさぁ(各自の責務)、の観点からすれば、ちょっと違うんじゃぁぁ・・・やはり、なんで原文から離れちゃったんですかねぇと・・・教会員はこの確認の儀式を受けてからは終生、聖霊の助けが受けられるわけですよね、ある意味、その信仰が働いてる限り。

この’共に’の重要性はですねぇぇ、教義と聖約46章に賜物の列挙があって、そこを見ますとぉぉ、

「09 まことに、わたしはあなたがたに言う。それらは、わたしを愛してわたしのすべての戒めを守る者たちと、そうしようと努める者たちのために与えられる。それは、わたしを求める者たちや、わたしに願い求める者たち、願い求めるけれども自分の欲のために使うようにしるしを求めるのではない者たちのすべてが、益を得られるようにするためである。
10 さらにまた、まことに、あなたがたに言う。教会員に与えられているそれらの賜物が何であるか、常に覚えておき、また常に心に留めておくようにと、わたしは望んでいる。
11 すべての人があらゆる賜物を与えられるわけではない。賜物は多くあり、各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられるのである。
12 ある人にはある賜物、またある人には別の賜物が与えられて、すべての人がそれによって益を得られるようになっている。
13 ある人・・・
27 また、教会の監督、および教会を見守るように、また教会の長老となるように神が選んで聖任する人々には、それらすべての賜物を見分けることが許される。それは、あなたがたの中に、神から出ていると公言しながらそうではない者がいることのないようにするためである。
28 そして、御霊によって求・・・」

他の人にとっての益ということですよねぇぇ・・・

みたま(の賜物)を通して、各自は他の会員から益を受けたり、他に益を与えてるということぎゃぁ、共に聖餐を受けてる状態で、聖霊が共にあるようにということで、そのような賜物が働くのであるという、そのような意味合いが、本来の、その原文・英語のにね、あるんだよねぇぇと、訳する人たちにとって、わきまえ見れれば、まぁ、そういう観点に立ったらば、やっぱり、’共に’は、はずせないんじゃないのかなぁぁってね・・・

みたまを通じて、みたまの働きがあって、助け合えるワードや支部というのが、この共にあるよう願えるという特権がですね、聖餐式、聖餐の祈りから見て取れるわけでしてぇ、現行の意味合いの、その勧告を各自に繰り返す・リピートしてる趣旨ではないんだとということですよねぇぇ、少なくとも原文では。"Receive the Holy Ghost"/聖霊を受けなさいのreceiveは祈りにはなくてhaveになってるですがなぁぁ・・・祈りでの御霊が共にあるようにの主語は複数形ですよねぇぇ、確認の儀式は一人一人。自身のことですね・・・こういった違い、逸脱・・・なんだかなぁぁ・・・

96年末くらいから変わって20年・・・はばかることなかれ・・・
共にを入れた改訳すべきぃぃぃじゃないのぉぉ・・・
 
 
 
やっぱねぇぇ この’共に’を消したのは悪訳 (たまWEB)
2019-03-23 09:48:49
なんじゃぁぁ・・・ある意味、聖霊の賜物を消してる、否定してるようなもんではと・・・
これは、あかんなぁぁ、あかん、あかん、あかんですよぉぉ・・
 
 
 
指摘に感謝 (NJ)
2019-03-23 10:01:14
なるほどね、今気づきました。現行訳は「いつも御子の御霊を受けられるように、・・」となっています。(モロナイ4章末節)。

これを「御子の『みたま』常に一同と共にましますように」(昭和佐藤訳)に戻すべきではないか、という提案ですね。賛成です。

なお明治訳は「常に御子の御霊を己等(おのれら)と共に在(あ)らしめん為」となっています。

[この聖餐の祈りの部分は、菊地良彦長老が改訂・最終文案を決めたと伝え聞いています。]

 
 
 
共に聖餐を受けてる状態で、聖霊が共にあるようにということで、そのような賜物が働く (たまWEB)
2019-03-23 10:10:59
つまりはぁぁ、理想的には、次週の日曜の聖餐までに、聖餐を受けたことで、ワードや支部内の会員同士が、聖霊の賜物を通じて助け合い・強めあいということがですね、その週の日月火水木金土の間に、経験されるというのがですねぇぇ、聖餐を受けた仲間同士で、お互い何らかの貢献・益を受けたり得たりというのが起こることが聖餐を通じてあるんでしょうかねと・・・これは教会員間だけに限らず、各自が、隣人との関係で、なんらかの益をもたらし得る・或いは益を得られる状態に、その聖餐を通じて、の恵み・祝福とでも言えるんでしょうかね・・
 
 
 
あ、どうもです。 (たまWEB)
2019-03-23 10:15:32
そうですかぁぁ、あの菊地名誉七十人さんですかぁぁ、教会幹部というのは、どうもなぁぁ・・・

 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-23 12:19:41
たまWEBさんの今回の書き込みにはちょっと、いやかなり感銘しました。マジです。

陰謀論とか良く書いておられるので、そういう人なのかと思っていましたが、見直しました!
 
 
 
見直し? たまWEB気づいたのは (たまWEB)
2019-03-23 15:47:55
去年ね。 ”聖餐の祈りは英文の字義通りに・・・
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/94e3781cb200bc7ca4403334665761fd

陰謀史観? 星占いも書いてまっせ・・・過去の仕切りなおし、振り返り等々の、ちょうど水星逆行中、しかも目下うお座守護星の海王星と重なるタイミングじゃん・・・幸いの方向だといいんじゃがの・・・ま、それは、おいといてぇぇ・・・

この20数年間、違い気づいてた会員はいるんじゃないかな・・・でも、教会では上からの方針一点張りで、一般会員の意見・異見・質問等々は求められず、ネットは避けられ、そういったことは幹部への不従順みたいな取締りの対象に、なぁんてね・・・

2006年11月くらいだったか、モルモン書のモルモン8章28節で、違うだろうと注目させられた感じで、モルモン経・龍猪訳と比べようと霊感受けたんでしたぁぁ、

「・・・教会の指導者たちと教師たちが心を高慢にして、彼らの教会に属する者たちが彼らをねたみの目で見るようになる時代に、それは出て来る」(2006版)

「教会の支配者および教師たちはその心に高慢をつのらせて、自分の教会に属する者をさえ嫉むようになる時、」(龍猪訳)

で、老若男女の米人宣教師さんらに尋ね、やはり彼らも指導者が一般会員をの理解でしたね。

まぁ、現行の2009年版モルモン書では、旧泉掲示板で書かせてもらってそれが汲まれたか、’属する者たちが’の主語が一応消えて、両方ととれる折衷版のようなのに変わりましたかぁぁ。

蓋し、この8:27のところも、幹部ということで菊地氏の強権発動・ごり押しがあったんでしょうかねぇぇ・・・

聖餐のところは会員のつながりの分断みたいな意図かな、で、ここは、幹部を妬む傾向がある一般会員という図式を刷り込ませては・・・

このようなことにどう対処したらいいのか、思うところ、パート2のつづきということで・・
 
 
 
末日聖典コレクター (オムナイ)
2019-03-23 17:07:46
> [なお1995年改訂にかけ、聖書起源の言葉の翻訳改訂に関連しメモを残しているので、将来のため参考までに清書して管理本部の翻訳課に提出したいと考えている。]

有益資料になる事間違いなしですね。

NJ先生との交流を経てモルモン経コレクターと言っても良いくらい明治訳、昭和訳、平成訳と所有しています。
中にはポケットサイズのモルモン経も作成したようで先輩モルモンも様々な取り組みをされていたのだと思います。

意外だったとは翻訳の系譜を教えていただく事で、各時代のモルモン書を新鮮な気持ちで数多く読めました。

聖書にしても色々な訳があって、それをきっかけに興味深く研究といってはおこがましいですが、信仰の幅が広がったように思います。

新たな元号のモルモン書もおそらく出るのでしょうね。
次世代に相応しい日本語訳のモルモン書を待ち望みます。
 
 
 
陰謀史観的妄想上ですが (たまWEB)
2019-03-23 20:36:48
五十人評議会とかダナイト団の流れが今日に至るも教会の真の中枢に代々継続されてるんだろうと・・・メイソンの簒奪者群はジョセフの時から教会に陰に陽に入り込んでてね、中枢に、スミス兄弟ら暗殺後、中枢で中心に・・・それで、対応してるかのように、今日もCIA,NSA,FBIとかの諜報、米軍、政界等に派閥・力を代々占めてきてるんでしょうと・・・
教会幹部とかは表に見えるんですが、やっぱ裏の権力があるんでしょう・・・
たとえば、財政ではエンサイン財団とかがトップの意思決定機関じゃないのかな・・・

五十人
https://www.lds.org/study/history/topics/council-of-fifty?lang=jpn
 
 
 
ダナイト・・・ (たまWEB)
2019-03-23 20:39:41
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/2c8f5c05c49f046996790a288c3a83d4
 
 
 
ダナイト モルモン (たまWEB)
2019-03-23 20:41:25
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%80%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%20%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3
 
 
 
多妻婚が指導層に広まるうちに (たまWEB)
2019-03-23 20:59:22
支配層での閨閥、特権階級の系譜つながりができていったことに・・・

軍関係の一例・・?!
”日本の敗北の後、731部隊は、日本人に優しい米軍将校の支援を受けて、ユタ州のダグウェイ・プロービング・グラウンドに移転することによって、戦争犯罪に対する罰を免れました。そのほとんどは、日本語で訓練されたモルモンです。
” https://blog.goo.ne.jp/iloverosia/e/9f6d7e99fe88ceabc9d3317a0fb05547

 
 
 
菊地氏は、宣教師の時 (たまWEB)
2019-03-23 21:11:39
同僚さんがヒンクレー一族の人で、そっからつながりが出来ていったんじゃ・・・ヒンクレー一族からは戦前、ワシントンDCに民主党上院議員・ユタ選出だったがおりましたか、そしてもち故ヒンクレー管長が・・・中央管理本部でのエリートとして育てられ、深慮遠謀、彼が子供の時から、そういった計画があったのかもよ・・・
 
 
 
大会の話の題に(2006年) (NJ)
2019-03-23 23:00:30
2006年4月の総大会でデビッド・A・ベドナー長老が、
That We May Always Have His Spirit to Be with Us と題して話していますね。どう訳したのでしょうか。 



 
 
 
’いつも主の御霊を受けられるように’ (たまWEB)
2019-03-23 23:50:53
ざんすな・・・
 
 
 
モルモン書が出たのは2006年後半くらい (たまWEB)
2019-03-23 23:59:11
だったかの記憶なんですが・・・4月時には既に’共に’の消去・聖餐の祈りの改変は既定になってたと・・・
 
 
 
あ、間違えた・・・ (たまWEB)
2019-03-24 00:01:45
1996年でしたね・・・
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-24 08:19:30
第2ニーファイ9章6節


【モルモン経】
大いなる造り主の憐み深い道が成就するために万人に死が伝わったから、必ず復活を来す能力がなくてはならない。

【モルモン書】
死がすべての人に及ぶようになったので、大いなる創造主の憐れみに満ちた計画を成就するためには、復活の力が必ずなければならない。

【英語】
For as death hath passed upon all men, to fulfil the merciful plan of the great Creator, there must needs be a power of resurrection, and the resurrection must needs come unto man by reason of the fall

これ、かなり意味が違うんですけど・・・毎日モルモン書をお読みになってる熱心な教会員の皆様はお気づきですか?

ちなみに
【Google翻訳】
なぜなら、偉大なる創造主の慈悲深い計画を成就するためには死がすべての人に渡ったからです。

・・・んん?モルモン経のほうが正しいのか?
 
 
 
調べてみました (NJ)
2019-03-25 18:08:10
IIN9:6についてコメントされた Unknown さんへ

この句の英語は文法的に二通りに取れるので、手元にあるモルモン書の諸訳、諸版に当たってみました。

英語の最初のコンマ以降コンマまでが、前にかかるのか後ろにかかるかの違いです。前にかかると読めば「偉大な創造主の慈悲にあふれる計画が成就されるため、死が全ての人に及んだ」となります。普通の感覚で読めばこうなりますが、意味上無理が感じられます。

前にかかると解釈したものは、一つの現代口語訳の英語版だけでした。(L.M.Anderson版)。

ですから、Unknown さんが見た「モルモン経」は何年版だったのでしょうか。1957年版は後ろにかかるように訳していました。明治訳や他の4種の版も同じで、私もそれが正しいと思います。

他の4種:1984年中国語訳、Thomas Johnson の敷衍訳、Timothy B. Wilson 版、Michael Hicks 版。
 
 
 
菊地長老 (オムナイ)
2019-03-25 19:19:07
>菊地良彦長老が改訂・最終文案を決めたと伝え聞いています。

モルモン書(平成訳)が刊行されて、しばらくしてホームワードに来られたことがありました。

「新しいモルモン書を熟読し翻訳について大館長会に意見を進言しました。」的なお話をされていました。

日本人の幹部に意見を求めるのは当然なのかも。

そう言えば長老は口語訳ではなく「新改訳聖書」を愛用していましたから、そちらに意見が引っ張られることはあるかもしれませんね。
 
 
 
「聖徒たち」 (オムナイ)
2019-03-25 19:39:24
>ダナイト・・・ (たまWEB)

https://history.lds.org/saints?lang=jpn

ダナイト団って日本語では反モル的な情報しか無かったので恐ろしいイメージでしたが、最近教会ホームページに「教会歴史」の短縮版とも言うべきサイトがUPされていますね。

それでもボリューム(全4巻)ありますが、知らなかった歴史の側面も読み取る事ができます。

ダナイト団についても触れられていました。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-25 23:25:42
NJさん
それは本気でおっしゃているのですか?惚けていらっしゃるのですか?

佐藤龍猪訳のモルモン書は教会員に非公表のまま書き換えられています。私は複数バージョンあるのを見ています。書き換えた方は文字数が少なくなり不自然な位置で改行されているのですぐ判別できますよ。

1980年代以降は書き換え板が流通していました。訳文は「前にかかって」いました。本当にご存じない?きちんとモルモン経を読んでおられましたか?

これは翻訳の誤りを訂正したのではなく、教会で教えている教義が「前にかかる」内容だったからです。証拠は救いの教義です。

--------------------- ここから
さてもし堕落から贖われる望みが全くないままその状態に取り残されるとすれば、堕落は最も恐ろしい災いであったろう。ここでヤコブが民に教えた言葉をニーファイ第二書9章から一部読んでみたい。
「大いなる造り主の憐れみ深い道が成就するために万人に死が伝わったから」ここまで読んで少し考えてみよう。これは非常に変わった表現である。死をもたらしたアダムの咎をこのように見る、言い換えれば死は「大いなる造り主の憐れみ深い道を成就する」ためにあると見ることは、普通人々が持っている見方ではない。
言い換えれば死も誕生と同様、人の幸福にとって重要なのである。・・・・(中略)死は救いの計画の中で誕生と同じように重要なのである。私たちは死ななければならない。死は必要である。死がこの世に入ってきたのは「大いなる造り主の憐れみ深い道が成就するため」であった。
(『救いの教義』第1巻P.111 第7章アダムの堕落)
--------------------- ここまで

また当時のインスティテュート生徒用資料『モルモン経』宗教コース121-122 (発行日1987年2月16日)でも、P.74で上記を引用しています。

生ける予言者が語った言葉だから正しいのです。「あれは個人の意見で教会は教えていない」という見苦しい言い訳は通用しません。これは末日聖徒イエス・キリスト教会の教義なのです。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-25 23:31:45
こちらのサイトも参考にしてください
 ↓
https://www33.atwiki.jp/mormon/
「モルモン経」と当時の「教義と聖約」の全文が公開されています。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-25 23:59:02
連続投稿をご容赦ください。

参考までに復元教会( Community of Christ)ではモルモン書の公式改訂版(The Book Of Mormon- Revised Authorized Version)を作っていまして、この改訂版でこの聖句は第2ニーファイ6章11節にあたるのですが、2つ目のカンマがありません。つまり・・・

さぁこの聖句の正しい意味は何でしょう?
生ける予言者の言葉とインスティチュート資料説明を受け入れるべきか?

何かおかしいぞと思って生ける予言者の言葉を捨てるべきか?
 
 
 
1977・二十七版は、前にかかってますな (たまWEB)
2019-03-26 10:19:59
モルモン経
「・・憐み深い道が成就するために万人に死が伝わったから・・」
 
 
 
パッテンという使徒(114章とか)は (たまWEB)
2019-03-26 10:30:46
五十人評議会では、ランク・階級が3,4番目くらいというの最近、英語のでチラ見しましたぁぁ・・・
五十人評議会の伝統が今日、裏にまわって陰の政府みたいなんで、あるのかなぁぁって・・・

https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/b9a0e639ad804be2bb17dbc65b8e02b6
日本も明治以降、ロスチャイルドの明治天皇制度と言う感じでさぁ、特にユタ戦争後、上層は通じ合ってるとみたほうが・・・
 
 
 
青丹吉 ()
2019-03-26 10:42:02
青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有

万葉の時代は花と言えば、梅だったのかな?今は桜がもうすぐですね。

「青丹吉」と同じで、「生ける預言者」と言うのも、大管長の枕詞かも?

>言い換えれば死も誕生と同様、人の幸福にとって重要なのである。

そうですよね、人間が死なないとなると、年金事業は破たんするでしょうし、超高齢化社会は永遠に続く。

住む土地も狭くなってしまいますね。

私の子供の頃は、日本でも人口の増加が社会問題だったんですが、今は人口の減少が社会問題なんですね。

2045年、AIが世の中を支配し始め、不要になった人類が滅びる。末日ですかね。

預言者でなくても誰でもわかることは、人類もいずれは滅びるって事です。

だから、宗教者は、何時の時代でも、終末論を持ち出して神への信仰を求める。

信仰者は死なないとか、死んでも生き返るとか言うんですが、そこに何の保証もない。

もちろん、そんなことはみんな知ってる。
でも、何とかずっと生きて居たいって思う。
生きてるって事がそれほど楽しんですよね。

すみません、豚のたわごとです。
 
 
 
漂流記 (たまWEB)
2019-03-26 11:47:26
「日本最古の風水都市[編集]
竈門神社の縁起にあるように「四神相応の地」といわれ、首都としての立地条件を備えており、また、これは水城等の建設された664年や太宰府が建設された618年には確定していたから、ヤマト王権唯一の日本式風水(陰陽道)都市である平安京(794年)よりも130年-176年以上も早い。
『日本書紀』『続日本紀』『魏志倭人伝』『万葉集』の記録[編集]
711年-800年の蓄銭叙位令などが示すように畿内地方は8世紀まで通貨経済は皆無であったが、『続日本紀』769年(神護景雲3年)10月の記事で太宰府の役人が都に「此府人物殷繁。天下之一都會也。」「この府は人の行き来や交易が盛んで、日本で一番の都会である。」と報告しているように太宰府は国際交易都市であり、役人程度しか住まなかったという藤原京や平城京などのヤマト王権の首都を凌ぎ、古代日本で最も繁栄していた都市であった。
『魏志倭人伝』によると3世紀の奴国(博多)でさえ2万戸(10万人以上)の人口があり藤原京や平城京より遥かに人口が多かった。
また畿内地方は8世紀まで通貨経済は皆無であったが「國國有市、交易有無、使大倭監之。」「国々には市場があり、交易の有無を大倭(倭人で位の高い者)に監視させている。」とあり倭では交易が盛んであったことが窺える。
『日本書紀』「壬申の乱(672年)」の記事に「倭京」の名がみえるが、この時期に畿内地方には未だ京と呼べるような都市は無く(飛鳥宮等は宮殿のみで市街地は持たない)。これは当時日本に存在していた唯一の都市である太宰府のことと考えられる。
『万葉集』に小野老が大宰府に着任した時の宴席で「奈良の都」を偲んで詠ったとされる次の歌があるが、この歌は大宰府の繁栄を詠ったものであり、大宰府の繁栄を示すものである「青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有(青丹よし 寧楽の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり)」万3-238 歓迎の宴席で前任地(平城京)を称える歌を詠うのは無礼で非常識である。小野老は新任地(大宰府)を称える歌を詠って歓迎に答えたと考えられる。
歌からは左遷された者の悲哀も都を思う切なさも感じられない。明らかに目の前の雅な風景を詠ったものである。
•「寧樂」は、「なら」とは読めない。平城京は他の歌では「平城」と表記されている。寧楽の都は単に「安らかで楽しい都」という意味である。
•「あおによし」という枕詞は平城京建設(710年)以前に使用された例があり、「奈良の都」とは無関係にそれ以前に成立したと考えられる。 ◦久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎 くやしかも かくしらませば あをによしくぬちことごと みせましものを(口惜しいなあ、こうなると分かっていたら、(あをによし)国中の名所を見せておいたのに) 万5-797

」九州王朝説  
 
 
 
古の ()
2019-03-26 12:47:50
古の 奈良の大仏 屁をこいて 今日ここのへに 匂い来るかな


https://j-town.net/tokyo/news/localnews/277360.html

九州も良いところですが、奈良も良いですよ。

日帰りなんて言わずに、泊まっていってくださいね。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-26 13:45:49
質問でです。
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/d76ddb6dffd4cad319cc24dad342cb7d
 
アメリカでは(公式もしくは指導者たちは)どちらの意味で読んでいるのでしょうか?
 
禁断の実が甘く命の木は苦い
禁断の実が苦く命の木は甘い
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-27 06:57:11
新unknownさんへ

元祖unknownです。
神殿で行われるエンダウメントの中で、イブが善悪を知る木の実を食べて、アダムにも食べさせようとする場面がありますがそこで彼女が何と言ったかがヒントになると思います。

ちなみに天地創造の順番にも注意していると興味深い発見があります。あ、でも私がエンダウメントを受けた頃とは内容が違って老いるかも知れませんねぇ・・・。私ら首チョンパ世代なので。
 
 
 
彼女の言葉を信じるのか? ()
2019-03-27 09:43:07
>神殿で行われるエンダウメントの中で、イブが善悪を知る木の実を食べて、アダムにも食べさせようとする場面がありますがそこで彼女が何と言ったかがヒントになると思います。

女性に限らない事ですが、「あそこのスイーツすっごく美味しいのよ!」なんて言葉を信じて、食いに行くと、そうでもない事が多い。

そもそも、イブは自分が先に食ってしまって、自分だけ罰を受けるのが嫌でアダムに勧めたのかもしれない。
そんな状況の女性の言葉に、どれほどの真実味が有るのか?

それと、以前の論議でも書きましたが、命の木の実は、人類の誰も食ってないのですから、甘いも苦いも知りようがない。

禁断の実も、食ったのは、イブとアダムの二人だけですから、二人の主観による判定でしかない。

当時は、木の実の甘さを測る糖度計も無かったしね。

現在の果実が甘いのは、品種改良によるもので、もともとはそんなに甘くなかった。
私が植えてる苺も酸っぱいばかりで、甘くない。
苗を買って来て、植えれば甘い果実が食べられるというほど、果実栽培は「甘くない」

どちらの木の実も、今の日本人が食べれば、不味いと思います。

客観的事実の確認は無理かと思います。
 
 
 
人間は神になる!? (オムナイ)
2019-03-27 10:02:55
>信仰者は死なないとか、死んでも生き返るとか言うんですが、そこに何の保証もない。

最近NHKで再放送されていたんですが。
思わぬ形で福千年や昇栄はやってくるかも。。

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/10/1018.html

歴史と宗教が複雑に絡み合う国、イスラエル。
ハラリさんはこの地で、人類の歴史や未来を考え続けています。
タイトル、「ホモ・デウス」に込められたメッセージとは?

ユヴァル・ノア・ハラリ氏
「ホモ・デウスは神の人、神聖な人という意味です。
ラテン語でホモは人類、デウスは神。
今人類は、神へとアップグレードしているのです。」

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/3115510/index.html

全世界1000万部を超え、ビル・ゲイツやザッカーバーグらも絶賛する驚異的ベストセラー「サピエンス全史」。AIやVR、ゲノム編集や人体拡張技術が席巻する未来を大胆に予測した新作「ホモ・デウス」。
ーーー

興味深かったのは「人間は宗教・国家・通貨などのフィクション(実体のない事)を信じる事で繁栄してきたという部分。

 
 
 
Unknown (kizuka)
2019-03-27 11:38:35
福千年とか本気で信じているのは末日聖徒かアメリカ南部のキリスト教原理主義者だけでしょう。この2団体は最近仲が良いらしいですね。同性愛者を罪人呼ばわりしたり、進学校で化論ばかり教えるな創造論も教えろとか要求したり。極めつけは中東情勢が危機的になると福千年が近いとおおはしゃぎ。現地では大勢死んでいるのに。
誰かさんの言葉を借りて言いますが、こういう宗派は危ない団体ですぅ。
 
 
 
千年王国の理解の違い (オムナイ)
2019-03-27 19:02:07
Webを見習って漂流中。ごめんですぅ。

仲良くできそうな考え方です。

https://shikaoichurch.com/2017/11/30/millenarianism/

リベラルな自由主義的立場のクリスチャンは、人間は、完全な存在に近づいてくと考え、社会の変革によって、世界はやがて、理想世界になると訴えました。
教会の使命は、戦争や貧困、差別といった、社会的悪と戦って、理想世界を実現することとされたのです。
・・
保守派もリベラル派も、自らの正しさを訴えれば訴えるほど、それぞれに排他性を強め、対立の溝を深めていくばかりなのではないでしょうか。

・・
世界の回復は、神ご自身がなされることですから、クリスチャンがなすべきことは、ただ、福音を伝えることだけだということになります。

神が、救われるべき人を必ず救ってくださると信頼し、聖書をよく理解し、理性的に解き明かし、福音を宣言していく。本当に喜んで行っているのか。信仰の原点に立てば、ことの本質だけが問われます。

 
 
 
修正 (オムナイ)
2019-03-27 19:03:10
Webさんを見習って漂流中。ごめんですぅ。

です。

申し訳ない。
 
 
 
さん くん 殿 様 ちゃん 無しで (たまWEB)
2019-03-27 21:24:35
慣れてる感じかも・・英語とかで、そういうの無いじゃないすかぁぁ・・・

教会は 唯一まことの教会であった時期もありましたぁぁ・・・1831・11・1
「30 また、これらの戒めを与えられた人々もこの教会の基礎を据える力と、暗黒から、また暗闇から、全地の面に唯一まことの生ける教会をもたらす力を持てるようにするためであった。教会について言えば、主なるわたしはこれを心から喜んでいる。しかし、それは全体について言うのであって、一人一人を指すのではない。」(1章)

1832・9・22 しかし罪の宣告を受けてしまいましたぁぁ、宣告は取り消されてないとされてます。伝道の条件つきで赦しの状態を保てそうかもの教会となったのでしたぁぁ・・・
「54 また、不信仰のために、また自分の受けたものを軽々しく扱ったために、あなたがたの思いは過去に暗くなることがあった。
55 この虚栄と不信仰は全教会に罪の宣告を招いた。
56 この罪の宣告はシオンの子ら、まことにすべての者のうえにある。
57 彼らが悔い改めて、新しい聖約、すなわち『モルモン書』と、わたしが彼らに与えた以前の戒めを思い起こし、そしてただ口にするだけでなく、わたしが記してきたものに従って行動するまで、彼らは依然としてこの罪の宣告の下にある。
・・・
わたしの言葉、すなわちわたしの声を今聞いているあなたがたに言う。あなたがたはこれらのものを受け入れるならば、幸いである。
61 わたしはあなたがたの罪を赦して、この戒めを与えるからである。すなわち、あなたがたは、あなたがたに知らされたこれらのことを世のすべての人に証するために、厳粛に、また祈りの精神をもって、あなたがたの思いを確固としていなさい。
62 あなたがたは全世界に出て行きなさい。また、あなたがたはどこでも自分の行けない所に証を送り、それがあなたがたから全世界のすべての造られたものに伝わるようにしなさい。
63 わたしの使徒たちに言ったように、わたしはあなたがたに言う。あなたがたはわたしの使徒、すなわち神の大祭司だからである。あなたがたは、父がわたしに与えてくださった者である。あなたがたはわたしの友である。
64 それゆえ、わたしの使徒たちに言ったように、もう一度あなたがたに言う。あなたがたの言葉を信じて、罪の赦しのために水でバプテスマを受ける者は皆、聖霊を受けるであろう。 」(84章)

宣教中心の教会ですね・・・他、たとえば、貧しい者がいないみたいなシオン社会は、二の次、三の次・・・というこっちゃな・・・
 
 
 
Re;さん くん 殿 様 ちゃん 無しで (オムナイ)
2019-03-27 21:59:19
thank you Web!

>教会は 唯一まことの教会であった時期もありましたぁぁ

なんちゃって。とは言えオムナイは預言者ですからぁ。

今でも末日聖徒イエス・キリスト教会こそ「唯一まことの教会」と信じてますけどね。

カトリックも本音ではそう思ってるらしいし、他の宗教もそう信じている分には良いと思うんです。

それでも互いに相手を排除・批判しない姿勢ってそんな難しい?
と思います。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-28 01:24:53
>教会は 唯一まことの教会であった時期もありましたぁぁ

それな!

教会は、生ける予言者の啓示よって導かれている時期もありましたぁぁ

教会は、天父とイエス・キリストと聖霊が別々の存在の時期もありましたぁぁ

教会は、会員が昇栄してそれぞれの宇宙を支配する神々となる時期もありましたぁぁ

なんてことを言う時期が来ると思います。

ま、それはおいといて結局モルモン書の翻訳はダメダメってことでよろしいんですかな?第2ニーファイ9章6節はヒドイですね。NJさんんも黙り込んじゃったし・・・

わたしたちは正確に翻訳されている限り聖書は神の言葉であると信じる。ならばわたしたちは正確に翻訳されていない平成版のモルモン書は神の言葉であると信じない、ってことでOKですかぁぁ?
 
 
 
おそらくはぁぁぁぁ~~~ (たまWEB)
2019-03-28 07:34:08
”64 それゆえ、わたしの使徒たちに言ったように、もう一度あなたがたに言う。あなたがたの言葉を信じて、罪の赦しのために水でバプテスマを受ける者は皆、聖霊を受けるであろう。”

今日も改宗者がみたまを受けて改宗してきますように、言葉・特にモルモン書を含め(モロナイ10)を通じてですね、つぅぅことからしますればね、モルモン書は有効なんでしょうねぇぇ、聖文としてですね・・・
2ニファイ9:6は改宗した人がどうとるかですかねぇぇ、つぅぅことはぁぁ、究極各人各様みたいな、2万人教会員として正確には2万様の解答ありぃぃみたいな?!

モルモン書に沿ったほぼ完璧な教会に近くなるのは、宣告が取り下げられてですね、やはり将来の、そのミズーリ・ジャクソン郡にシオンが築かれる時なんでしょうかねぇぇ~~その時は、ほら、ほら、あの、日の栄えの律法とかで、物を分かち合ってのあれがありましたよねぇ ・・
今日ぃの教会は、財政とかって開示しないですよね、幹部の子弟はBYU学費無料とか、10%がBYUとかに・・・貧しい人の助けが10%の目的とかって創世記(ジョセフ訳)にあったりで、そのへん定義が、1830年代のウエブスター辞書のinterest?!だったかの定義とかぁ、最初のビショップの、ほら、ほら、あの、あの、書簡の10%の定義とかぁ、ほら、あれね、あれ、あれ、とかさぁ、ともかく、将来的にはねぇぇ、大鉈がふらわれるみたいな??!!・・・紙幣もいつか紙くずに??みたいな・・・将来、どうなっていくのかぁぁ ・・・????

 
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