次のような両極の大会(conference)も開催されている。
1 FAIR 大会 (Foundation for Apologetic Information
& Research 擁護的情報研究機関) 2007/8/2-3 ユタ州サン
ディで。今年度の趣旨「情報、解答提供」。主な発表者 テ
リル・ギヴェンズ、ブレーク・オストラーなど。年次大会は
第八回目。www.fairlds.org
2 元モルモン派大会 (Exmormon Foundation Conference)
2007/10/12-14 ソルトレークシティ エンバシー・スイーツ
ホテル。今年度のテーマ「過渡期 -- モルモン後の生活への
鍵を解く」。主な発表者 パトリックユタ大学教授など。
過去何回か行っているが記録が残っているのは ’05年から。
昨年250人参加。www.exmormonfoundation.org
いずれも公開で、参加料を払えば出席できる。この種の催し
は多くの学会と同じ体裁で、主旨は違っても知性と友好的雰
囲気が感じられ、多くの参加者が集まり学び楽しんでいる様
子である。日本でも小規模であってもこの種の催しが開催さ
れ、同じ状況にある人々が交流できればよいのではないかと
常々思っている。
1 FAIR 大会 (Foundation for Apologetic Information
& Research 擁護的情報研究機関) 2007/8/2-3 ユタ州サン
ディで。今年度の趣旨「情報、解答提供」。主な発表者 テ
リル・ギヴェンズ、ブレーク・オストラーなど。年次大会は
第八回目。www.fairlds.org
2 元モルモン派大会 (Exmormon Foundation Conference)
2007/10/12-14 ソルトレークシティ エンバシー・スイーツ
ホテル。今年度のテーマ「過渡期 -- モルモン後の生活への
鍵を解く」。主な発表者 パトリックユタ大学教授など。
過去何回か行っているが記録が残っているのは ’05年から。
昨年250人参加。www.exmormonfoundation.org
いずれも公開で、参加料を払えば出席できる。この種の催し
は多くの学会と同じ体裁で、主旨は違っても知性と友好的雰
囲気が感じられ、多くの参加者が集まり学び楽しんでいる様
子である。日本でも小規模であってもこの種の催しが開催さ
れ、同じ状況にある人々が交流できればよいのではないかと
常々思っている。
初めて投稿します。
偶然このブログを見つけました。
実は高校生のころ家にあったモルモンフォーラムの愛読者でした。
また十数年ぶりにその続きを読むことができた気持ちです。
おおよその年齢がバレましたが私は典型的なモルモン2世です。
帰還宣教師で家庭があり教会に熱心に集っています。こどもの頃プロボに住んでいたことがあってWasatch山脈は子供の頃の原風景のひとつです。
愛読者といってもフォーラム誌の細かい内容は覚えていなくて、ただ沼野兄弟が教会の意味を読み替えることが理解できず反感を感じていたことを覚えています。
今ではその「反感」に「共感」も加わったことが自分のなかでの大きな変化かと思います。
もし沼野兄弟が正しければ(例えばモルモン書はジョセフ・スミスによる霊的な創作である)それはとても「怖ろしいこと」に思えるのですが…。
仮にモルモン書(聖書)がフィクションであるならその意味はどこにあるのかと考えます。
とても難しいです。
フィクションという言葉が意味することも難しいです。
生意気なことを言うのを許してください。
沼野兄弟のモルモン書理解とブログ上での通して見える言動は一致してない気がします。
聖典を霊的なフィクションと思いながらも、そうであって欲しくないと思っているように見えるのですが。
私は自分の「確信」の説明ができないことが「不安」なので、いつも「怖ろしい」考えと格闘しています。
ヤコブのように格闘が終わればいいなと何時も思っています。
これからもブログを楽しみにしています。
このブログにようこそ。「モルモンフォーラムの続き」のようだと書いていただきました。書き手の私も実はそのような気持ちで取り組んでいます。
「子供の頃プロボに住んでいて、Wasatch山脈が子供の頃の原風景」とは、何かWasatchさんが身近な存在に思われます。時々BYUに戻って、Timpagonos 山や大学から見えるRock Canyon(?)を見るととても懐かしく昔に戻ったような気がします。
「モルモン書がジョセフ・スミスによる霊的な創作であるとすれば、とても怖ろしいこと。」「仮にモルモン書、聖書がフィクションであるならその意味はどこにあるのか、とても難しい。」
その通りです。多くのクリスチャンがまた末日聖徒が悩み苦しみ、それぞれの生き方を模索してきたわけです。(当ブログ’06/2/10 「私の宗教上の姿勢」、’06/3/1 「神学者 (Robert M. Price)がみた聖書の読み方」参照)。
沼野の「モルモン書理解とブログ上で見える言動は一致してない」については、上の「姿勢」に書いたとおりで、自分の中にあるいろいろな層が表面化するとき矛盾として現れています。未だに ambivalent な感情を持ち続けています。
今後も時折お立ち寄りください。