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[聖書における愛を表す語の変遷。沼野作成]

新約聖書が強調している「愛」という言葉は、興味ある変遷をたどっている。新約で新しい意味づけを受けた「アガペー」が、ラテン語で「カリタス」、ウィクリフの聖書(英語)「チャリティ」に引き継がれ、そして現代「love」に落ち着いている。ここで「チャリティ」という語がモルモン教会の用語に深く残っている。
[Charity never faileth. 扶助協会の標語]

[Gr agape → Lt caritas]



以下、順を追ってもう少し詳しく見てみると、まず新約聖書で「愛」という言葉は二つの場合に分けて使われている。一般的な暖かい配慮的愛情、友情を表す「フィリア」、そして尊重、崇敬の意が加わった、人から神への、また神から人への高次の愛「アガペー」である。(なお、もう一つ、情欲と結びつけられる肉体の愛「エロース」は新約聖書で使用されていない。)

[右端の I Cor 13章の変遷が分かりやすい。ラテン語カリタスが英語 charity に引き継がれているのが分かる。]

そのアガペーはラテン語ブルガタ聖書では「カリタス」に、そして時代が下ってウィクリフ聖書(1384)で「charite」となるが、charityの意味に変化が起こって「慈善」の意味で用いられるようになったのでティンダル聖書(1525)以降 love が使われるようになって今日に至っている。ただ、欽定訳聖書は charity を残している(ICor13)。

そしてモルモン書(モロナイ7:47)は「charity[和訳、慈愛]」を用い、「キリストの純粋な愛」と説明的に表現することによって継承している。表にすると次のようになる。

  agape → caritas → charity → love → "pure love of Christ"

[付記]
ヘブライ語聖書における「愛」を表す語彙。
1. אָהַב アーハブ、「・・に好感を抱く」、男女、親子、友人間など広範囲。レビ19:18など最も多い。
2. דּוּד ドゥードゥ、「心が暖まる、愛する」。使用頻度は多くない。雅歌 1:2 など。
3. חֶסֶד ヘセド、「いつくしみ」と訳される。「神の真実不変の愛」を表す(城崎進)。ホセア 2:19, 4:1など。ほかでは多くmercy (いつくしみ)と訳される。
 七十人訳には1番目のアーハブがギリシャ語アガペー(動詞、アガパオー)と訳され、まだ、新約のような使い分けはされていない。そして、ヘセドは「いつくしみ」「義」を意味するギリシャ語に訳されてアガペーにつながっていかない。
参考:日本基督教団出版局「旧約聖書略解」1957年。
Benjamin Davies ed. “Student’s Hebrew Lexicon, A Compendious and Complete Hebrew and Chaldee Lexicon to the Old Testament.” Kregel Publications, 1957  

参考
沼野治郎「Love の語義について」徳山大学論叢 21号 1984年。(同文、拙著「私が接した言葉とその文脈」徳山大学研究叢書17 1999年 所収)

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
旧約聖書の愛は? ()
2015-02-23 10:49:28
愛は、新約聖書だけに出てくる言葉ではないですね。
旧約聖書にも沢山「愛」と言う言葉が出てきます。

例えば、

レビ記の19章18節には「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言われていますし、同じ章の33節34節では、寄留の他国人も自分たちと同じように愛することを命じています。

申命記7章8節には「主の無償の愛」が書かれ、ホセアは、11章で「神が愛のひもで導いた」と言っています。

少し愛の形は違いますが、雅歌には男女の愛を思わせる「愛」の言葉が沢山出てきます。2章の「シャロンのばら、谷間のゆり・・」はそのまま口説き文句に使えそうな言葉が並んでいます。

出来れば、新約だけではなく、旧約にもさかのぼって「愛」と言う言葉の変遷も考察願います。
 
 
 
宿題提出 (NJ)
2015-02-25 22:49:39
簡単ですが、旧約聖書において、愛を表す言葉がどのようになっていたか、本文に[付記]として加えました。
 
 
 
神の愛~人の愛 (トマ2)
2015-03-15 16:44:23
愛と言っても「ピン」と来にくいのが現代人です。

神 の 愛・・・アガペー
親子の愛・・・ストルゲー
友  情・・・フィリア
男女の愛・・・エロス

上の4つの愛は異質です。変形などしていません!
 
 
 
イエス様の慈しみ (黄昏のマリア)
2015-03-17 11:56:11
日本人にとって、神の愛を意味する一番しっくりくる言葉は「いつくしみ」ではないかと思っています。または、慈悲。言葉って難しい。何かで、昔、聖書が言う「愛」を日本語に訳す時にそれに相当する言葉がなくて困ったという話を聞きました。GODにあたる言葉もなくて、初期イエズス会は「大日さま」と訳していたのだとか。私の知人にベトナムの方がいるのですが、彼女が母国語にはない言葉があるので日本語は難しいと話していたのを印象深く覚えています。
ところで、イエス様がペテロにむかって3度「あなたは私を愛しますか?」とお尋ねになるところがありますね。
日本語では3度ともに「愛しますか?」ですが、原典では少し違うようなのです。2度目までは、「アガペー」が使われています。そして記憶に間違いがなければそれに対してペテロは「フィリア」で答えた。3度目に「愛するか」と尋ねる時には、イエスは「フィリア」を使われた。なぜ「アガペー」ではないのか。ペテロはなぜ「アガペー」で答えなかったのか。
たしか曽野綾子さんの著作に載っていたかと・・・ギリシャ語の聖書を勉強されたそうで。記憶が古くて自信もないのに公の場でこんなことを書くのはどうかなと思うのですが、もし違っていたら、NJさん、フォローお願いできますか。
イエス様はペテロの心にある迷いを試されたのではないかと思います。曽野さんは、イエス様が「フィリア」を使われたのは、ペテロに対する思いやりだったと述べていますが、わたしもそこにイエス様のペテロに対する愛を感じます。だから、そのあとのペテロが形成されていったと。
わたしはどうかな。まだまだ、イエス様にむかって「アガペー」で答えられないです。
言葉の異質性というより、その気持ちがどのように変化していくのか、この4つの言葉から考えてみることができるのではと思いました。



 
 
 
アガペー=高次元の愛 - >愛 (NJ)
2015-03-17 19:05:28
コメントの投稿有難うございます。イエスがペテロに三度「わたしを愛するか」と尋ねられた場面はヨハネ21:17- に出ています。黄昏のマリアさんの記述の通りです。三度目にイエスが「フィレオ」(フィリアの動詞形)という言葉に変えて問われます。それについて、ベン・ウィザリントンという人は、イエスが優しく、気さくに親しい間柄をペテロに感じさせる言い方をされた、と言っています。

しかし、二つの語の間に違いはない、と言う人もいます。(”Restoration of Peter” From Wikipedia, the free encyclopedia)そう言えば、本当はイエスもペテロもギリシャ語ではなくアラム語で話していたはずですね。
 
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