最近読んだある記事によれば、アメリカで近年現れた「プロセス神学」では、神は伝統的な全知全能の超越神ではなく、時間の流れの中で姿を変える、いわば成長する存在である、という。
同神学のキャサリン・ケラーによれば、救いは万能薬のようなものではなく、難問が起こっては立ち止まりそれに対処しては次に進むこと、と答えている。大変興味ある見方だと思う。(以上、「福音と世界」2017年㋆、吉松純「アメリカの神学」52頁)。
別の論者によると、「英哲学者ホワイトヘッドは人間と世界の『発展的動的性格』を強調し、その変化する世界との『交流』によって、神自身もまた発展する『過程』(プロセス)の中にあると捉えている」(広義昭、プロセス神学の神観 - 成長する神)。
LDS側では、1982年にサンストーンがプロセス哲学を取り上げ、1982、1984年にダイアログ誌が続いている。最近では、2004年にDan Wotherspoon が「モルモニズムとプロセス神学の対話」と題して会談を行っている。モルモニズムの考え方とプロセス神学の間には、類似点が指摘されているが、まだ十分な対話や研究がなされているわけではない。
ジョセフ・スミスがキングフォレット葬儀の時に語った説教を受け継ぐように、L.スノー大管長が「神はかつて人の如き存在で、人も神の如くならん」と述べたのは変化する神を思わせる。しかし、1980-81年に全知全能で不変の神という概念 / 神も進歩する、という違いをめぐって、BYU教授ユージン・イングランド(後者の考え)と使徒B.R.マッコンキ―(前者の考え)の間に厳しい書簡の交換があったことも考慮しなければならない。教会は公的には変化する神を認めていないのである。
(追って要約補足したいと思っています。)
LDSの刊行物に掲載された資料
1 フロイド・ロス、「プロセス哲学とモルモンの思想」(サンストーン誌1982年 1-2月)。[2017/07/24 追加。]
著者は元メソジスト。J.A.ウイッツオーの「理性的神学」とS. マクマリンの「モルモニズムの神学的基盤」に接したロスは、9つの点でモルモンの思想とホワイトヘッドの考えが共通しているという。例、科学との間に衝突はない、絶対論と距離を置く、理性主義、経験主義を重視する、神にも限界があり、周辺の他者と関係して存在する、宇宙の万物は神も含めて変化を遂げており、その過程にある(神は成長している)、英知・理性を強調する(宗教は単なる一通りの方式に堕してしまって、安逸な生活を飾りつけるものになってはならない)。なお、ホワイトヘッドは個性を持った人格神を受け入れることができない、と言う。[F.H.Rossは加州州立工科大学哲学教授]
ロスの記事に対してユタ大の哲学教授スターリング・マクマリンが、サンストーンの同じ号(7巻1号)に論評を寄せて次のように述べている。モルモンの神学は「過程の中にある実在」という概念に対してまだ十分練られているとは言えないが、ロス教授はモルモニズムを高めに評価してくれている。モルモンが「世界はまだ最終の状態になっていない」、「絶え間なく創造の過程にある」と受けとめているのは、最も興味深く魅力的な側面で、ロス教授がこの点に注目したのは、共感を覚える。教育のある末日聖徒はWilliam James の同様の思想に支えられてきた。また、「変動」、「時間と共に経過(プロセス)をたどるという概念」について、ヘーゲル、ダーウィン、J.デユーイから視野の成熟を得てきた。ただ、教会の中には反知性主義の傾向があって、つい伝統的な保守主義に傾き、一般的な会員について言えば絶対主義(全知全能、至高の神と言った思考)が優勢を占めているのが現状である。
つまり神と人間の関係を、人間から見た相対的な距離感で認識すると、人間側の意識が変化しているのだから神との関係が変化して見えますわね
それだから神が変化、あるいは成長して見えるって話なのでは?
ただ、まァ何と申しますか・・・最新の神学やら話題性のあるものをとか取り上げて、実はLDS側にも似た考え方がある的な発想はどうなのかなと
キングフォレット説教の意味は、「神(イエス)はかつて人の如き(状態であった)存在で、人も神の如く(昇栄の神)ならん」とも捕らえられますよね。 (後にどう解釈されたかが問題であって、そういうことならちっとも問題ではないでしょう)
天の父なる神こそが唯一神で、イエスキリストも聖霊も神の肩書きを持った唯一のお方で、サタンも唯一であり、昇栄の神々は神会に加わる第四の存在という理解でいいんじゃないですか?
主流のキリスト信仰では地獄というところはサタンと悪人の霊を閉じ込める狭い監獄のイメージであるのに対して、末日聖徒の地獄(第二の地獄)は外の暗闇という無限のイメージですよね。 サタンは国外追放ってことになってます。
それで昇栄の神はどこに新世界を創造するかと言えば、すでに確定された御国(日月星)の中のはずはなくて、地球に住みながら、外の暗闇(つまり外の暗闇)を開拓する使命を担う神々だということで、一応納得できるんじゃないですか。
サタンはこう言っていた。
「人の教えを集めた神の教えはここにあります」
またもや耳慣れない言葉が・・ありがとうございます。
コンサバ信仰のオムナイの認識ですと、当然父なる神は永遠に成長する。
「救いの教義」には普遍であり不変なはずの父なる神が何故成長するのか?という問いに簡潔に答えていました。
神は人の不死不滅と永遠の生命をもたらすことによって永遠に管理範囲を拡張・成長させる。つまり宇宙の膨張そのものが成長なのでしょうか。
一方不変なのはエロヒムは英知の段階からその人であって不変である。
つまり全ての霊は不変ではあるが、昇栄しないかぎり永遠の成長にも限界があるということでしょうか。