リベラルな末日聖徒から尊敬されていた故ユージン・イングランドは、口述資料で次のように語っている。ダイアログ誌発刊に当たって、当時スタンフォード大学の教授であったヘンリー・B・アイリング(現副管長)から助言を求めた。教授は「君のしようとしていることは素晴らしいと思う。教会はそれを必要としているし、主も望んでおられると思う。しかし、教会幹部の中には懸念する人(特に義理の叔父に当たるS.W.キンボール)がいるだろうから、私は関係しないでおきたい」と語ったという。
そして、この部分で次のように補足している。アイリングは同様のことを沼野治郎にも語っていた。沼野は日本語で民(みん)の側からモルモンフォーラムという定期刊行物を出した人物である。1980年代後半、沼野がアイリングに助言を求めたところ、ダイアログ誌が発刊された時にも同様に助言を求められたことに触れ、「私はこのことについて奨励することも止めた方がいいとも言わない」、ただ「ジーン・イングランドの姿勢に倣って行くようにして欲しい」と勧めた。
この2番目の段落は、イングランドがインタビューに答えた時に触れた部分で、彼にとってはヘンリー・B・アイリングが自分の信仰の姿勢(スタンス)やダイアログ誌の編集・刊行を好意的に見ていたことを示すと受けとめられ、心強く思ったに違いない。東洋の端で行われた小さな会話がE.イングランドを少しでも支えたかもしれないと思うと大変光栄に思う。
Source:
Devery S. Anderson, “A History of Dialogue, Part One: The Early Years, 1965-1971” Dialogue, Vol. 32, No. 2, Summer 1999, p. 23, note 42. 引用は “A Mormon Japanese Reader’s Digest,” Sunstone 19 (December 1996) : 58.
そ・そうなんですね。
実は幹部も極東のリベラルLDS開拓者に気がついていたんですね。
アイリング副館長の息子さんが伝道部会長として赴任している時お父様の話が時折聞かれました。
懐の深さを感じるお話が多かったように思います。
末日聖徒とは何か、ジョセフスミスが何者で、モルモン書とは何であるかという説明は、教会幹部が使命として日ごろ行うものであるが、いくつかの事実を根拠に反モルモンが味噌くそにけなすものですし、教会員でない第三者(世俗)は訳がわからなくなって、偏見を持ったり誤解してしまう傾向があるので、教会の腰巾着ではとても言えないような解説や意見などを沼野さんやイングランド氏のように世俗に向かって大胆に納得しやすくかつ敵対的でなく述べてくれるリベラルの存在はありがたいのかもしれません。
それはしかし、ジョセフ存命中であれば、そう言えるんでしょうが、(教義と聖約66、67 当時最も教育のあったマクレリン使徒の例 https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%AA%E3%83%B3%20%E4%BD%BF%E5%BE%92 )
現今、学者マインドの人たちからは議論の種は尽きない一方、肝心の天よりのつながり、たとえば、その聖見の石ですかぁぁ、それを使える指導者ってまずいないんでしょうし、信仰によってしか教会は維持できないという面があるんでしょうね・・・たとえば啓示に対する信仰みたいな・・・論議で教会の方針が変わってしまう?!
まぁ、教会幹部、そのへんは慎重になるんでしょう・・・
先日日曜学校の中で、教会が設立された当時の状況について教師が話していたのですが。
憶測するに、教会が始まった当初は、ジョセフスミスが、絶対的な「教祖」と言う存在でもなかったのでは?と思います。
色々な宗派から、入って来た会員は、それぞれの教義解釈を持って居て、ジョセフは、そのすり合わせに苦労していたようです。
ジョセフが「こうです」と言っても、すぐに全員が納得し従うような状況ではなかったと思われます。
太っ腹と言うより、論議を重ねてすり合わせをしないと、教会が存続できなかったのじゃないですかね。
・・・
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=rough%20rolling%20stone%20joseph
もっと辛らつな文章が並んでいるのかと思ったら、創作であろうという軸はぶれないものの、それは表面上のことであって、信仰上の価値ある存在だという認識であって、むしろ擁護的な分析であったので、少し安心できました。
モルモン書が儀典にしてある理由は、単なる一介の青年の聖書解釈本や当教会教義説明書、あるいは天からの示現で教えてもらったケースとは違い、翻訳したのだということで、内部からここがおかしいだの変えた方が良いだのと批判されることから免れるためで、申命記が創作された目的も同じと指摘されている。
モルモン書の三人の弟子が不死となった理由も説明されており、なるほどと思わせるものがありました。
預言者の石の使用方法については、皆で大いに議論させ、預言者が一定の結論に達した後に、石を使ってYESかNOかを神託して、それをもって主の回答としていたのかも知れません。
古代のウリムトミムもそのような使われ方であったらしい。
ここに掲載された拙著へのコメントを7/8ブログ記事の方に加えさせていただきました。
これは現在もそうだと思います。
全員一致の原則が当初からあたんでしょうね。
インステの資料かジョセフ・スミスの教えにも使徒の一部が賛成しないので結論が先送りされた的な記述がありました。
民主主義の基本は議論だといいますが、末日聖徒のシステムもそうなんでしょうね。
役員会は激論あたりまえで良いのでしょう。
日本では事なかれ主義的なので議論に至らず会長の思いがそのまま通っているような気がします。故に愚痴る会員も多いのかも。
議論の果てに結審した事柄については、意見が異なっていても協力して実行する。
ジョセフは自分が啓示を受けた決まりごとに従っただけだと思います。
>民主主義の基本は議論だといいますが、末日聖徒のシステムもそうなんでしょうね。
現実は、民主主義の基本は多数決になってますよね。
末日聖徒は支持の挙手で常に全会一致。
あれ? 国民から常に100%の支持を受けている指導者って言えば・・・
モーセの時代から、民衆は指導者に文句を言うのは当たり前です。
サウロが王になった時の約束事を見れば、為政者と民衆との関係はよく分かります。
ジョセフスミスの場合で言えば、当時なんとかジョセフは会員の期待に応えていたのでしょう。
その後、民衆はプラットよりもヤングを支持した。
裏にどの様な政権争いが有ろうとも、結果が全てですから。
ただ、民衆の支持を得られなくなった政権は崩壊する。
ひょっとして、神とは民衆の事?
いや、そんなに偉くはない・・・。
支部長が右腕・左上の家臣に意見を言わせ、ヨッシャ!裁定を下す。
こうしよう。的な。
鶴の一声的会議が多かったですね。
都会のワードに出てくると全ての役員が一致して初めて採決できる。
と強調されました。
特に預言者達や使徒達は徹底されていて、故に一夫多妻や黒人の神権の改訂が遅れたのかもと思います。
それは悪い面ばかりではない。
LGBTの問題もいずれは解決するでしょうが足の早すぎる改革は良いことばかりとは思えません。
教会内の意志が成熟するまでは拙速な方針転換はするべきではないと思います。
>教会内の意志が成熟するまでは拙速な方針転換はするべきではないと思います。
生ける預言者が神から直接の啓示を受け、この世の標準より徳高いはずの民が、世間より一歩も二歩も遅れてますです、ハイ。
まァでも地元の教会を何とか良くしようと純真な気持ちで頑張ってる会員もいるんだろうけどね。私も昔はそうだったのよ。
しかしある時、知ってしまったんだよねェ、地元の支部長が『人数が増えないし、もう閉鎖したい』とステーク会長に相談していたこと。
ステーク会長は『そんなこと言わずもうちょっと頑張ってみたら?』と何年も励ましていたそうですが・・・とうとう閉鎖して統廃合されちゃったのね、私のユニット。
そんなこと、私は一言も相談もされなかったし、聞かされてもいなかったけど・・・なんだかなァ・・・酷い裏切りだよねェ。
神権体制だの民主的だの言う前にやることあるでしょ?って思うね。
それ以来「教会?勝手に好きにやってよ」って感じ。ああ、私の心を預けるべきところじゃなかったんだなァって。