NJWindow(J)

モルモニズムの情報源、主要な主題を扱うサイト。目次を最新月1日に置きます。カテゴリー、本ブログ左下の検索も利用ください。

[ノート]「へブル人への手紙」著者は?

2019-11-06 22:47:36 | 聖書

  欽定訳ではこの書簡の冒頭(第一頁の表題)に「使徒パウロのへブル人への手紙」と記しているが、口語訳では著者名が書かれていない。新共同訳もJBS共同訳、NIV(新国際版)も同様。へブル書の著者については、パウロ説とそれに否定的な考え方とに分かれている。 

 末日聖徒は欽定訳に記されているように、パウロが著者であるという伝統的・保守的な立場に立っている*。しかし、末日聖徒でも研究者によって意見が異なっている。例えばリチャード・ロイド・アンダーソン(元BYU教授)はパウロが著者であるとしているのに対し、シドニー・B・スペリーは、パウロが著者であると信じたい、思想と教義はパウロによっているが、実際に筆を執ったのは彼ではない、と書いている。そして後述のオリゲネスがあの書簡を誰が書いたかは神のみぞ知る、と述べたのは正しいと思われるとも記している。(*「わたしに従ってきなさい」では、「パウロは少なくともこの手紙を書くのにかかわったということを末日聖徒は一般に認めている」と慎重な表現。) 

 古くは1940, 50年代にラッセル・B・スエンセンが著者は不明である、と教会の教科書に書いていて、最近ではトマス・ウェイメント(BYU教授)がヘブル書はパウロによるものではない、と明言している。 

 どうしてこのように意見が分かれるのか、その理由は二つあげられる。一方では、2世紀初期の異端モンタノス(無差別放縦な聖霊運動を助長)に警戒して、当時の教会が正典に含まれる文書を控え目にしたこと、へブル書に悔い改め不可能説(6:4-6。 一度光を受けて後、重大な罪を犯した者について)が読み取れることが敬遠されたと考えられる。

 他方では、へブル人への手紙は洗練されたギリシャ語で入念に推敲されていて、新約聖書中最上のギリシャ語による文学である。これはパウロの手紙とは見做せないという見方である。

[オリゲネスの肖像画]

 それで結論としては、2-3世紀の聖書学者オリゲネスに従って、「パウロの思想であるが、言葉と構文はこの使徒が語ったことを思い出して誰かが後に記したものだ、と見たい。・・この書簡を書いたのは誰か、本当は神のみが知っておられる」ということになるのだろう。(「 」はエウセビオス「教会史」VI25に収録されたオリゲネスの文。)

 [著者はプリスキラと示唆する本]

 

参考・Faucett, biblehub.com Hebrews の commentary

・Sidney B. Sperry, “Paul’s Life and Letters” 1955

・Russel B. Swensen, “The New Testament: The Acts and the Epistles” 1946, 1955

・岩隈直「新約ギリシャ語辞典」2008年、解説の頁

・榊原康夫「新約聖書の生い立ちと成立」1978年

 


最新の画像もっと見る

112 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヘブライ語原典説 (オムナイ)
2019-11-07 10:46:09
そうなんですね。パウロの書簡で唯一著者の名がないとか。

>へブル人への手紙は洗練されたギリシャ語で入念に推敲されていて、新約聖書中最上のギリシャ語による文学である。
>これはパウロの手紙とは見做せないという見方である。

単純に考えるとパウロがヘブル人へ母国語のヘブライ語で書いた。

それをギリシャ語にもっと堪能な翻訳者が丹念に訳した。のかも。
返信する
でもね~ ()
2019-11-08 09:29:51
>へブル書の著者については、パウロ説とそれに否定的な考え方とに分かれている。


でもね~・・ ジョセフスミスが、パウロが書いたって言っちゃてるのでね~

どうしますかね~
返信する
少々 調べてみたで御座候 (たまWEB)
2019-11-08 12:32:13
1611年版欽定訳では、’ヘブル人に向けたテモテの筆による、於いてイタリア’と但し書きあったとな・・英語ウィキ。
著者のauthorの古語auctorの慣用については、古典世界では、オリジナルの創始者・本当の権威者の名前を出して、実際に書いた人は別人(たとえば一番弟子とか?)というケースが多々あるんだそうな・・・

ジョセフの時代の欽定訳では、the epistle of paul the apostle to the hebrews / ヘブル人への使徒パウロの手紙 ですかねぇぇ、で、霊感訳だと、単にヘブル人への手紙になってますかぁ・・・

ジョセフの場合は、authorship/著者が誰かということには無頓着みたいな?著者がパウロだと断定したりのはなかったんでは・・・

「11:4 信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。

のところをジョセフは敷衍してアベルが天使となってパウロに訪れ様々教えたのでパウロが深い理解を持ったと教えてるようです。ここから著者が誰であったかの断定とは直には結びつかないんでしょうねぇぇ・・・
返信する
Re;少々 調べてみたで御座候 (オムナイ)
2019-11-08 14:42:19
>1611年版欽定訳では、’ヘブル人に向けたテモテの筆による、於いてイタリア’と但し書きあったとな・・英語ウィキ。

ムム。相変わらず素晴らしい検索能力と着眼。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A2%E3%83%86

『使徒行伝』によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人であった。
ーー
テモテが翻訳者?
返信する
古い記憶ですが ()
2019-11-08 15:44:23
>ジョセフの場合は、authorship/著者が誰かということには無頓着みたいな?著者がパウロだと断定したりのはなかったんでは・・・

私の記憶では、教会のテキストに、「ジョセフスミスがパウロが書いた」って言ってるから、それで良いんじゃないの・・・って書いてたと思うんですけど・・。

再確認しておきます。
返信する
Unknown (kizuka)
2019-11-10 21:41:42
ヘブル人への手紙がパウロの名を借りた別人が書いたものであったとして、それを主張することが許され受け入れられるのであれば、同様にモルモン書もモルモンやモロナイという架空の人物の名を借りたジョセフスミスが書いたもの、という理解も受け入れられるべきでは?
返信する
ジョセフの時代、モロナイはジョセフの他に (たまWEB)
2019-11-11 08:13:21
10数名訪れた(助けた、’夢で’も含めて)という話だにゃ・・・

マーティン・ハリス夫人の場合(『ジョセフ・スミス伝』ルーシー・マック・スミス著)
夫人がルーシー・マックに話したところによると、ジョセフに何か証拠が見れたら、ジョセフの言ってることを信じもし、翻訳の援助に応じてもいいと言ったその翌朝、夢で、人が現れて、預言者を信じないことを責められた後、信じる人になれと言われ金版を見せられたという。また、金版の詳細をも話し、その後実際28ドルを寄付したという話。

http://www.supportingevidences.net/lucy-harris/
https://www.livingheritagetours.com/moroni-appeared-to-17-different-people/

モルモン書創作説・偽典説では、予言者ジョセフに関し、将来的にどの程度、信じるほうに入るとされるのかそうでないのかは、ビミョウ?? ま、それぞれ自己の理想なりを追求していってということで・・・
返信する
著者はパウロ ()
2019-11-11 09:37:02
>ジョセフの場合は、authorship/著者が誰かということには無頓着みたいな?著者がパウロだと断定したりのはなかったんでは・・・

以前のインスティチュートのテキストでは、マッコンキーさんの著書を引用して、へブル人への手紙は、パウロが書いた物とジョセフスミスは理解し、何度かへブル人への手紙をパウロの言葉として引用していた。と書かれてました。

そこには、私たち(モルモン)は、預言者が居るので、この様な時に正しい理解が出来る。と言う趣旨の事が書いてあります。

>しかし、末日聖徒でも研究者によって意見が異なっている。

預言者の言葉を疑うなんて、末日聖徒としていかがなもんでしょうか?(笑)
返信する
Unknown (kizuka)
2019-11-11 12:24:51
>マーティン・ハリス夫人
200年前の暗示にかかりやすいおばさんが見た夢を持ち出して、信じる信じないをどうこう言われてもねぇ。

モルモン教会にもそういう感じで夢を見たと証を述べるひとはたくさんおりますが、私は一向に心が動かされません。
返信する
ジョセフの時代の信者さんたちで (たまWEB)
2019-11-11 12:43:07
社会階級・身分としては、大半農業従事者でしょうかね、高等教育を受けてたような人の中で、ニューヨーク東部とかで、改宗するケースはあんまりなかったんでしょう・・
ジョセフと同時代の会員では預言者といえばジョセフのことだけで、生ける預言者というのをはやらせたのは20世紀1920,30年代以降、ユタやカリフォルニアを越えて改宗者が世界に増えてきそうな時に指導の中心がユタ・ソルトレークにありというのを強調する意図があったんでしょうかね、改宗者の地域で勝手に独立などしないように(米国内では、LDS教会史見ると比較的分派発生が多かったことからも)・・・ジョセフ・F・スミス管長のテキストでは預言者・聖見者として管長を呼ぶことは勧められない、管長とだけ使いなさいみたいなんありましたな・・
F・スミス管長の言からしても、ジョセフの賜物と同じような賜物(聖見の石を使うなど)をその後では発揮してはいないんでしょう。
世界中の聖書学者さんの知見が増えても、ジョセフはどう言ったかみたいに比較する程度なんでしょう。そのうえで自分の意見を述べるみたいな。それからするとジョセフの記録・記事をマッコンキーさんを通してではなく直に接して判断できればいいんでしょうけど・・・英語の壁はあるでしょうし、ネットでも落穂拾いというか、偏りもあるだろうし・・・
今度のそのトマス・ウェイメント(BYU教授)氏の著作でも比較としてジョセフ訳も採用・活用してるんでしょうね・・・

「Even Elder Bruce R. McConkie, who strongly believed that Paul was the author of Hebrews, nevertheless felt that the doctrine and ideas expressed in it were ultimately more important than the issue of authorship. After strongly affirming that Paul was the author, he wrote: “However, the principles set forth in the Epistle are more important than the personage who recorded them; an understanding of the doctrines taught is of greater worth than a knowledge of their earthly authorship.” [73]

This study has demonstrated that (1) at the very least, according to Joseph Smith one specific idea in the epistle to the Hebrews came from Paul; (2) the differences in vocabulary, style, and organization from Paul’s other epistles do not preclude him from being the auctor; (3) even some General Authorities have used language that suggests their uncertainty about the authorship of Hebrews; and (4) the fact that modern prophets have often quoted and continue to teach the ideas expressed in Hebrews is ample support that the author was inspired by the Holy Ghost, and therefore the book is scripture, the “will of the Lord, the mind of the Lord, the word of the Lord, the voice of the Lord, and the power of God unto salvation” (D&C 68:4).

返信する

コメントを投稿