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II 引用の四種(ミドラシュ的引用を含む)

2019-09-14 22:42:46 | モルモン教関連

  I に関連して、引照には並行する聖句が掲げられ、本文の聖句か引照された聖句のどちらかが引用していることが多いので、ここで引用の四つの種類を整理しておきたいと思う。

 1)まず、「単純な引用」がある。マタイ1:22はイザヤ7:14「おとめがみごもって・・」を引用していることが分かる。

 2)次に「鎖のように引用」する場合。ロマ9:25 はホセア、イザヤから順に引用している。

 3)また「混ぜこぜ引用」とでも言うべき形のものがある。例、ロマ3:10以降、「義人はひとりもいない」という箇所で、詩篇とイザヤ書が融合したような形で引用されている。

 4)そして「ミドラシュ(ユダヤ教の「釈義」)込みの引用」という種類がある。解釈の言葉を一緒に入れて、聖書の言葉を引いてくるのである。それは、単に繰り返すのではなく、新しい状況に応じて発展的、開発的であり、深化している。(この四種の引用について榊原康夫「聖書読解術」1970年を参考にした。)

 [BYU紀要 54:2, (2015年)「モルモンとミドラシュ」の記事を掲載 ]

 私はモルモン書にこの四番目の引用の形が何カ所かで見受けられるのではないかと思っている。いわば聖書の文の表現や言葉に触発されて、聖書の引用元とは異なる、いわば発展したメッセージが記されているのである。 

 例1 多く見られるイザヤ書の引用にまたその説明にミドラシュ的特徴が見える。

 例2 I コリント10:13 「耐えられないような試練・・」→ I N3:7「私は行って行なう」両方とも道が備えられている、という言葉が添えられる。

 例3 IIIN18:28, 29聖餐はふさわしくないまま・・ ← I コリ11:27-29 弁えないで食する者は・・

  例4 創6:3 「私の霊は長く人の間に・・ない」→ IIN26:11「主の御霊はいつでも・・ない」

 例5 BofMではないが、モーセ5:11 でエバはまだ書き記されていない聖典の知識(救いの計画)を持って語っている。

  ほかにも数多くあるが、例2-4は私が最近気づいたものである。

 

参考

・Avram R. Shannon, “Mormons and Midrash: On the Composition of Expansive Interpretation in Genesis Rabbah and the Book of Moses,” BYUStudies, 54:2. Avram R. Shannon is a recent PhD graduate from the Department of Near Eastern Languages and Cultures at The Ohio State University. 著者のアヴラハム・R・シャノンはオハイオ州立大学「近東の言語と文化」学部で博士課程を修了している。 

・Mark Thomas, “The Paper Plates of Laban.” Worlds Without End: A Mormon Studies Roundtable, posted Aug 12, 2019      

 


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64 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-09-17 07:27:29
モルモン書における聖書からの引用について質問させてください。第1ニーファイ20章から21章でイザヤ書の48章から49章にあたる部分が引用されています。

しかしイザヤ書40章以降はバビロン捕囚後の内容であって、39章までとは異なる人物(いわゆる第2イザヤ)によるものというのが聖書学上のほぼ常識的な見解です。

ですからリーハイ一行がバビロン捕囚以前にエルサレムを脱出したのであればこの引用はできるはずがないのです。

以前の記事でNJさんは「現在も過去においても、BYUの宗教学を担当する教授陣は皆、他州の神学部で学位を得ている。聖書学やキリスト教神学を修めないで、教壇に立つことはできない。」と記されましたが、こうした不整合に対してBYUの宗教学の教授はどう理解しているのでしょうか?

またLDS聖書研究同好会ではどう理解しているのでしょうか?

私はモルモン書がジョセフ・スミスによる創作と言う事実を受け入れるしかないと思います。そうではなくひたすら聖書に対するおかしな解釈を振り回して、モルモン書が正しいと思い込める屁理屈を作り上げ、それが研究結果だというのであれば実はその同好会は聖書を研究などしていないのではないかと思うのです。
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Unknown (Unknown)
2019-09-17 07:43:26
補足しますと、
1-39章までが第一イザヤでバビロン捕囚前、
40章-55章が第二イザヤでバビロン捕囚中、
56章以降が第三イザヤでバビロン捕囚からの解放後という内容です。

昨年、日曜学校教師として旧約聖書を教えたときにイザヤ書をよく読みましたが、たしかに内容からこの区分は適切です。そればかりかモルモン教会の日曜学校学習ガイドでもこの区分を意識して構成されていました。

そのため私のレッスン内では、イザヤ書が3つの時期に分けられること、その期間を一人の人物によるものと考えるには長すぎるので、イザヤ書は複数の人物によって書かれたと考えられていると生徒に伝えました。

LDS聖書研究会と名乗るからには少なくともこの程度のことは知った上で、どう理解しているのかを表明することは当然ではないかと思います。

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紀元前200年頃のクムラン教団や (たまWEB)
2019-09-17 21:45:35
新約でのイザヤ引用で、イザヤ以外に誰かが記したみたいなことは出てないというこっちゃなぁぁ・・・

マタイ12:17で イザヤ42:1-4を引用
マタイ8:16-17  イザヤ53:4
ヨハネ12:37-41  イザヤ53:1、6:10

学者さんの考え過ぎ・勇み足??!!
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Unknown (kizuka)
2019-09-17 22:31:59
そういう説を支持する人もいるようですが、それは書としてまとまった構成で写本が残っているという意味では?イザヤ書が一人の人物によって書かれたことを意味しない。聖書が編纂されたものであることを認めたくない原理主義的なバイアスがかかっていると思います。

イザヤ書は一人の人物によって書かれたと認めるには内容が期間的に長すぎます。Unknownさんが言うように聖書学者の大勢の見解を受け入れるしかないでしょうね。
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Unknown (たまWEB)
2019-09-18 02:44:26
8:17
これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。

イザヤによってとあるわけで、そのままとっていいんでは・・・学者さんの横車??

「のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスは,キュロスに関するイザヤの預言について何と述べていますか。

15 最後に,1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスの証言を考えてみましょう。ヨセフスによると,イザヤ書にあるキュロスに関する預言は西暦前8世紀に書かれただけでなく,キュロスもそれらの預言を知っていました。ヨセフスは,「キュロスは,[イザヤ]が210年前に残した預言の書を読んでこれらのことを知った」と書いています。ヨセフスによれば,キュロスはそうした預言を知っていたので,快くユダヤ人を故国に帰還させることまでしたのかもしれません。キュロスは「書かれたことをぜひ自分の力で実現させたいという思いにかられた」,とヨセフスは書いています。―「ユダヤ古代誌」(秦 剛平訳),第XI巻,i章,2節。

16 イザヤ書の後の部分でバビロンが優勢な強国として描かれているという批評家たちの主張について,どんなことが言えますか。・・・・

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102001021
第二イザヤを受け入れ始めた末日聖徒  モルモン教関連 / 2018-11-07 21:30:56

https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/b1038a93d334518c2e441b17c0e057ef
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第2イザヤとかって、神学者ベルンハルト・ドゥーム (たまWEB)
2019-09-18 03:29:33
(1847-1928)によって提唱されたのが始まりなんだろうかにゃ・・・注解書(1892)
Duhm イザヤ
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=Duhm%20%20%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4

たまWEB的にはヨセフスの話のほうが力強くせまってくる感じだにゃぁぁ・・・学者さん仲間ではお互い持ち上げて第2イザヤっていうことなんだろうけど・・・
やっぱり学者脳であればお互いピンとくるものがあるんだろにゃ、にゃ・・・
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Unknown (Unknown)
2019-09-18 10:00:37
たまWEBさんって、イザヤ書にしろユダヤ古代誌にしろちゃんと通して読んだことありますか? 

ネットでちょちょっと検索して気に入ったところだけ摘み上げて、会話のマウント取ろうとしてませんか?

私はずっと以前から第2イザヤ、第3イザヤの学説は知っていましたがどうしてそういう説が出てくるのかまでは分かりませんでした。昨年日曜学校教師としてイザヤ書をきちんと読み直し、内容の分析を紹介している資料などを踏まえた上で、別の作者と考えるのが妥当であるとの結論に至りました。

そもそも書の名前と作者が違うのはサムエル記だってそうでしょう。別におかしなことではありません。また列王記やサムエル記は上下に分かれているのにイザヤ書は分かれていないのは作者が同じだからだという人もいるようですが、それならバビロン捕囚の前から解放後まで何年あるか考えて欲しいですね。一人の人間でカバーできる期間ではないです。

きちんと聖書を読んだ上で聖書の内容から反論してくださいね。ユダヤ古代誌もちゃんと全巻揃えてくださいね。ネットで搔い摘んだ情報でドヤ顔しないでいただきたい。そういうことする人をもう一人知っておりますが・・・唾棄すべき行為だと思います。

きちんと研究している人たちを「学者脳」と揶揄するのはそれを超える成果を自分で積み上げてから言いなさい。陰謀論だの占星術だのイルミナティだのちゃんちゃらおかしいですわ、オカルト好きの小学生かと思います。
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なんといっても、やっぱ、神学界でも (たまWEB)
2019-09-18 10:14:07
大々先生・大先生・中先生・普通先生みたいな、系列・階層が出来てるんでは・・・大々・大先生の薫陶・洗礼を受け金科玉条として守り広めるという不文律を持った傘下団体みたいなのが日本の学者・神学者連かもね・・・そういう中で教授職とかにつけるみたいな?!

神学の四大・大々先生は・・・やっぱドイツですかねぇぇ・・・結社臭いな・・・

Julius Wellhausen (17 May 1844 – 7 January 1918)
Bernhard Duhm (1847-1928)
Ferdinand Christian Bauer (1792-1860)
David Friedrich Strauss (1808-1874)

それぞれ名前で検索しますと日本語ウィキに飛べそう・・
フリーメイソンの影響下かもな・・・理性至上主義?
まぁ、悪く言えば、反預言者、反啓示主義・・・現代のバアル司祭だったりしてな・・・?!
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うぅぅんん・・・ (たまWEB)
2019-09-18 10:28:26
「昨年日曜学校教師としてイザヤ書をきちんと読み直し、内容の分析を紹介している資料などを踏まえた上で、別の作者と考えるのが妥当であるとの結論に至りました。」
そして、それから、その至った結論について、神に祈ったところ正しいというような祈りの答え・個人的啓示を受けたということなんでしょうかね・・・

小学生脳的たまWEBとしては、モルモンの日曜学校先生ならば、やはり祈りや個人的啓示みたいな準備や経験はあるんだと思います・・・やっぱ、そのような答えを受けたと・・・

予言は将来のことで、末日をも見通し含んでるでしょうし・・・ヨセフスの話についてはどう思いますかしら??
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Unknown (Unknown)
2019-09-18 12:32:54
小学生脳的たまWEBさんへ

だからねぇ・・・イザヤ書をちゃんと通して読んだ上で反論しているんですか?

>それぞれ名前で検索しますと日本語ウィキに飛べそう・・
>フリーメイソンの影響下かもな・・・理性至上主義?

ネットでちゃちゃっと検索した中からご自分のお好きな陰謀論に合致した内容だけを信じ込んでいることが良く分かるご発言です。

>モルモンの日曜学校先生ならば、やはり祈りや個人的啓示みたいな準備や経験はあるんだと思います・・・やっぱ、そのような答えを受けたと・・・

祈りや個人的啓示の話ではありません。
イザヤ書が複数人によって書かれたのは合理的に説明が成り立つと言う話です。

あなただけでなく他のモルモン会員とも話していていつも感じることですが、モルモン教会員って聖書や教義に関してデタラメであってもなんでも「私たちはそう信じています」っていえば認められると思ってるようです。

聖書を読まず、インスティチュートの教材など教会発行の解説書を搔い摘んでその概念をぼんやり憶えているだけ。聖書本文は知らない、って人ばかりです。多分ですが、その方がお気楽にキリスト教を理解している気分になれるからでしょうね。そんなモルモン会員だからこそ、他の教会の不祥事を見つけたら嘲笑ったり、あてこすりを言ったりするのでしょう。そのくせキリスト教は愛を説いているのにモルモンを排斥するのはけしからん、などと心得違いな怒りを抱く会員もいる始末。

聖書を読まなくても、生ける預言者の言葉を総大会ビデオで居眠りしながら聞いていたからみたまを感じられるなんて言うならそれはもうキリスト教じゃない。
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