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第二イザヤを受け入れ始めた末日聖徒

2018-11-07 21:30:56 | モルモン教関連

イザヤ書は66章からなり、預言者イザヤは4代の王の時代、40年間にわたって活動したとされる。しかし、記載された文に表れる人名や、前提と見受けられる歴史的背景などから、研究者は1-39章と40章以降の2つに分けられると見る。その執筆者を第一イザヤと第二イザヤと呼んでいる。(さらに56-66章を第三イザヤとする考え方もある。)

古くは1966年、ヒュー・ニブレーが教会の月刊エラ誌9月号に、イザヤの弟子が記録を継承・編集して残し、さらにその弟子が同じようにした、と図を添えて説明していた。第二、第三イザヤの存在を支持する文面に読めた。そして最近ではグレゴリー・プリンスがサンストーンシンポジウム2018年で、第二イザヤ(Deutero-Isaiah) の存在を前提とする発言をしている。

ほかに比較的最近の例では、暫く前から注目していたグラント・ハーディが間接的で控え目な表現ながら、聖書学者たちの長年にわたる詳細な資料分析(イザヤ書が複数の著者によって書かれたという共通認識)を尊重すべきであると述べている(2010年)。またデビッド・ボコボイが2016年に、今や保守的であった福音主義派でさえイザヤ書40-66章が元来のイザヤ以外の執筆者によって書かれたことを認めるようになっている、それは第二イザヤの存在を支持する根拠が反論の余地がないものだからである、末日聖徒を含めて保守的な群れも受け入れるよう適応すべき時が来ている、と記事をインターネット上のサイトに寄せた。

従来、末日聖徒を含めて保守的な、福音派ないし根本主義的な教会は、イザヤ書が一人の預言者(紀元前8世紀)によって書かれたと考えていた。44:28, 45:1にペルシャ王国のクロス(紀元前6世紀。新共同訳ではキュロス)が出てきて、時代錯誤の記載となるが、霊感によって将来の受膏者(牧者、油注がれた人。新共同訳)の果たす役割を予見できたのだとしていた。この問題は第二イザヤを想定することで解決できる。

ボコボイは次のような根拠によって、第二イザヤを想定する方が理に適うと言う。、イザヤが預言し始めた頃、エルサレムは安泰な町であった(31:5-9)。それが40章に入って急に捕囚の民(紀元前6世紀)の記述に転換する。、第二イザヤは、エレミヤ書、哀歌、その他捕囚後の文書から強い影響を受けている。例、50:1はエレミヤ3:8から。、アラム語の影響。40章以降、アラム語の影響が濃厚である。ユダヤ人はこの時期、ヘブライ語ではなくアラム語を話していた。、捕囚後のヘブライ語の使用。言語は年月の経過とともに変化するが、イザヤ40-66章には捕囚期および捕囚から帰還後に現れたヘブライ語が多く見られる。学者は言語の特徴を見て、書かれた時代を特定できる。

日本の女子パウロ会の記者は、「イザヤ書を読んでいくと、40章からは雰囲気も歴史的な背景も異なっているのに気づきます」と述べ、分かりやすい表を掲げている。以上、イザヤ書の時代背景や構成(特に第二イザヤの存在)、誰を対象としたか、預言のテーマなどを知ると理解の助けとなると思って書いた次第である。

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なお、モルモン書にイザヤ書40章以降から引用されていることが、大きな問題となっている。事実、引用された大部分が40章以降である。そのことについてボコボイは、一つの答え方は、「なぜ捕囚後の内容がモルモン書にあるのか分からない。ただ、この書物によって自分が神とつながっていると感じることは確かである」と言うか、もう一つは、モルモン書が古代文書から普通の意味の翻訳が行なわれたというより、ジョセフ・スミスを通して啓示によってもたらされた宗教書であることを認め、イザヤ書40-66章を含めて預言者がミドラシュ*的な取り組み行なったと理解すればよいのではないか、と提案する。(*ミドラシュはユダヤ教ラビが聖書などを注釈すること )。

(デビッド・ボコボイはヘブライ語聖書と古代近東の分野で博士号を取得し、ユタ州立大学で聖書とユダヤ教学をオンラインで教える教授。)

 

[www.preceptaustin.org  Jensen's Survey]

 

参考:

・関根正雄訳「イザヤ書上」、「イザヤ書下」岩波文庫, 1965年

・沼野治郎「モルモン経に引用されたイザヤ書と編集者の役割」モルモンフォーラム3号(1989年 春季)H.ニブレーの図を含む。

・Grant Hardy, “Understanding The Book of Mormon: A Reader’s Guide” 2010.

・David Bokovoy, “The Truthfulness of Deutero-Isaiah: A Response to Kent Jackson

https://rationalfaiths.com/truthfulness-deutero-isaiah-response-kent-jackson-part-2/ 

https://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_Isaiah.php

・Earl M. Wonderli, "An Imperfect Book." 2013.



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36 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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そういう問題では・・・ ()
2018-11-09 15:34:14
>「なぜ捕囚後の内容がモルモン書にあるのか分からない。ただ、この書物によって自分が神とつながっていると感じることは確かである」

なんか奥歯にゴミが詰まってるよな~

もっと素直にならないと
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Unknown (教会員R)
2018-11-09 16:43:03
末日聖徒が第二イザヤを認め始めるということは、モルモン書をJSの啓示の書であると再定義することに他ならない。

JSの時代はアメリカ原住民は移民クリスチャンから動物のごとく非人道的に扱われて土地を奪われ生活の糧を荒らされて大量に死んでいってましたから、14歳のJSは生のキリスト教のやり方には反感を抱いていたのでしょう。

モルモン書の当初の目的は、集合の地におけるアメリカの原住民をイスラエルの子孫と位置づけ信じさせることで、白人クリスチャンを人道的に改革させることと、生の聖書ではインデアンたちが拒絶するのは無理もないので、そこで受け入れやすくするための緩衝材の聖典としてモルモン書(JSによるイザヤ書の解き明かし)を必要としたと考えられます。

同時にインデアンたちに自分たちが迫害される理由を物語り形式で提示することで彼らを謙遜にさせ、もっと建設的な関係を結ぼうという意味もあったのでしょう。

結果については、インデアンの改宗はそれほどうまくいかなかったかも知れないが、理想的とは言えないけれども聖徒たちにはある程度の効果(抑止力)はあったと思われます。 

モルモン書に学問的な価値があるならば、内容ではなく(現にモルモン書自身が内容に学問的価値はないと明言しています)、そのテキストが出てきた動機(神話の導入による白人とインデアンの和解の試み)にあるのでしょう。

肝心なことは、そのJSの試みが神の意思の反映であったと信仰することが、従来の主張を捨てて第二イザヤを受け入れ始めた末日聖徒の今後の課題になっていきそうです。
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お二人に (NJ)
2018-11-09 22:02:09
豚さんへ

 ボコボイの一つ目の答えは、信仰の篤い教徒が答えるとしたら、こうなるだろうかと、成り代わって書いているので、まどろっこしい表現に聞こえるのだと思います。(私の訳のせいかもしれませんが。)彼の本心の答えはもちろん、二つ目の方です。

教会員R さんへ

 初めて接する答えで卓見であると思います。考え付いたことがありませんでした。深い。この再定義、大変注目に値します。(一体Rさんはどなたなのでしょう!)
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Unknown (教会員R)
2018-11-10 01:03:18
NJさん、

私はぱっとしない、ただの一教会員です。批判精神は人より強くてモルモンの異端者だと自分でも分かっていながら、教会員との付き合いは私にとってやはり大切で、教会内で重鎮の保守的な人ともめるのも困るので、身分を明かすのはご勘弁下さい。

初めて接する答えで卓見とのことですが、本当にちらっとでも考えつかなったのでしょうか。

JSの正義感が強くて大胆でどっちかというと人道的に優しい人柄、アメリカにおけるクリスチャンたちの黒歴史、こじれきっていた原住民とクリスチャンたちとの信頼関係。

そして極めつけは古文書の翻訳という手法を取るにせよ、わざわざ周囲の反発が分かっているネイティブアメリカンを持ち出さずとも、啓示によって現在のような洗練された聖書解釈の教会はいくらでも作れたのに何故リスクを取ったのかという疑問。 

すべての状況証拠が、モルモン書の動機がクリスチャンと原住民との和解であったと告げているとしか思えないのです。

本来なら歴史資料で裏付けるべきなのでしょうが、JSにはネイティブアメリカンの友人がいたらしい以外、例によって見つかりません。教会はモルモン書の動機はもっと大きいと宣伝している手前、教会は都合の悪い資料は出さないでしょうし、出すとしても何年もかかることでしょう。 

もしも裏付け資料が見つかったら論文ものだと思います。
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Unknown (Unknown)
2018-11-10 01:14:04
私は先週の日曜学校でイザヤ書を教えたのですが、
「イザヤ書は大きく3つに分けられます。39章までがバビロン捕囚以前、40章から53章までがバビロン捕囚の間、54章以降が捕囚から帰ってきて新たなエルサレムを再建するそれぞれの時代の民に向けての預言者の言葉」と説明しちゃいましたよ。

もちろん同じように日曜学校教師であるNJさんも説明されたんですよね?

これってちょっと検索すれば見つけられる常識レベルなのですが、LDS教会の資料(インスティテュート)などでは説明を避けていますね。

やはりこれに触れてしまうと、なぜバビロン捕囚前にアメリカに渡ったニーファイの民がそれを引用できるのかという矛盾にぶち当たるからでしょうか・・・?

イザヤ書を理解するにはモルモン書を参考にすることだと会員たちは言いますが、実はモルモン書の存在がイザヤ書の理解を一番妨げているのでは?

教会の資料ではイザヤ書(およびその他の部分でも)について、これはキリストの予言である、これは末日に関する予言である、と説明しているのですが、それは正しい理解と言えないと思います。

まず当時のユダヤ人たちに対して預言者が何を伝えたかったのかを理解することこそ、古代から伝わる書物に対するリスペクトなのではないかと。その上でイザヤ書の中にはキリストへの予見がある、末日の人間へのメッセージが読み取れると解釈するのもありでしょう。

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好きこそものの上手・・・ (たまWEB)
2018-11-10 21:41:29
うぅぅんん、好きな事柄を追求していって、研究なりなんなり、到達していったところへの確信とかって、大きな意味合いで、それぞれの天命、天職をまっとうしつつあるといったことになるのかなと・・・
ボコヴォイさんにしても、第二イザヤということで予言者ジョセフの教えと齟齬をきたすことになっても、それはそれでね、どちらがどうというよりは、天命の先にはさらなる展開というのが見えてるのかもっすね・・・・
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=bokovoy%20%20lds
キリスト信じての(2ニファイ33:10)学問・研究、自由に束縛されず究めて各自天職まっとうするみたいな、そういうことなんでしょう・・・
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一応、英文、護教の貼りますと・・・ (たまWEB)
2018-11-11 08:25:44
"The second example is the Dead Sea Scrolls. Two of the best known texts of Isaiah found at Qumran are the Great Isaiah Scroll and the St. Mark’s Isaiah Scroll. The former is in the Shrine of the Book in Jerusalem (and is referred to as 1QIsb) and the latter is in St. Mark’s Monastery in Israel (and is referred to as 1QIsa). Both of these texts are over 2000 years old, having been dated to around 200 BC, and yet the difference between the Qumran Isaiah texts and the Hebrew text upon which our modern Bibles (i.e. the King James Version) is based are almost non-existent. This indicates that the tradition of treating Isaiah as a single book dates back at least to 200 BC. Keep in mind that this was only about 300 years after the return from Babylon, so the minor changes (such as the insertion of the name of Cyrus for the messianic reference-if that’s what happened) must have happened shortly after the Jews returned from Babylon in the middle of the 5th century BC.

Another argument against the Deutero-Isaiah theory is that it is not consistent. Take, for instance, the reference to Isaiah’s son in Isaiah 7:3 (Proto-Isaiah): Shear-Jashub. The names Isaiah used were highly symbolic, and this son’s name means “a remnant shall return.” As this clearly refers to (among other things) to the Jews returning from Babylon, why isn’t it considered part of Deutero-Isaiah? The answer, of course, is that Isaiah spoke in apocalyptic terms, and this fits into the same apocalyptic pattern as chapters 40-66.

As Gileadi explains,

An Entity Synthesis. A common error of scholars is to interpret prophecies about figures or entities featured in the Book of Isaiah on the basis of historical facts. The only valid basis for interpreting such prophecies, however, is not to read into them historical data, but simply to view the book’s entities as they appear in the text; what matters is not the historical facts surrounding Isaianic entities, but the way they are characterized in the book. The characterization of Isaianic entities, which centres on three pairs of major figures, is generally a blend of things historical and things not historical, and consequently its intention is not to depict entities as purely historical.

With regard to Assyria, for example, it is significant that the Book of Isaiah deals with an Assyrian Invasion (see 5:25-29; 7:17-20; 8:7-8, etc.) but not with an Assyrian Exile, although both were major events of Isaiah’s day. For the theme of Israel’s Exile, where apparent in the Book of Isaiah, occurs throughout as a presupposition, being nowhere explicitly predicted. Moreover, whereas the Assyrian Invasion of Israel represented a historical ....
"
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URLは・・・ (たまWEB)
2018-11-11 08:27:41
https://www.fairmormon.org/archive/publications/deutero-isaiah-in-the-book-of-mormon

https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%22avraham%20gileadi%22%20isaiah%20deutero

返信する
ギレアデ  構成分析 (たまWEB)
2018-11-12 07:42:05
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/8a8c61348bc62732a60a465a6ab6360d
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ものみの塔での 一人説解説より (たまWEB)
2018-11-12 09:03:09
”4 死海文書による証拠も考えてみましょう。その古代文書の中には,イエスの時代以前に書かれたものが少なくありません。「イザヤ書写本」として知られるイザヤの巻き物は西暦前2世紀のもので,40章以降を書いたのはデウテロ・イザヤであるという批評家たちの主張を退ける証拠を提出しています。どのようにでしょうか。この古代文書の中で,現在第40章として知られる部分は,ある欄の最後の行から始まっており,その最初の一文は次の欄で終わっています。明らかに写字生は,唱えられている筆者の交替や,イザヤ書の分断がその箇所で生じていることなどは,意識していませんでした。

15 1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスは,キュロスに関するイザヤの預言について何と述べていますか。

15 最後に,1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスの証言を考えてみましょう。ヨセフスによると,イザヤ書にあるキュロスに関する預言は西暦前8世紀に書かれただけでなく,キュロスもそれらの預言を知っていました。ヨセフスは,「キュロスは,[イザヤ]が210年前に残した預言の書を読んでこれらのことを知った」と書いています。ヨセフスによれば,キュロスはそうした預言を知っていたので,快くユダヤ人を故国に帰還させることまでしたのかもしれません。キュロスは「書かれたことをぜひ自分の力で実現させたいという思いにかられた」,とヨセフスは書いています。―「ユダヤ古代誌」(秦 剛平訳),第XI巻,i章,2節。

16 イザヤ書の後の部分でバビロンが優勢な強国として描かれているという批評家たちの主張について,どんなことが言えますか。・・・・

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102001021
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