今朝は霜が降りて寒い朝でした。
随分前から河辺地域のゲートボール大会で応援出場を依頼されていましたので、参加してきました。
桜が咲いているコートを寒そうに横切る参加者。
皆さん、朝刊を読むとき今日の運勢欄ご覧になっています。
私は必ず見ています。
一瞬、今日は良い日だと喜んだり、今日は自重しなくてはと思ったりします。
それも、ただ一瞬で忘れてしまいます。
さて今日は、区長としての最後のオツトメ地区集会に帰らなくては、副区長2年区長2年長かったです。31日まで何もありませんよう祈ります。
さて、久しぶりに菊谷先生の仏語、人権教育でも六曜等迷信ですので気にしないようにご指導いただきますが、葬儀は友引を遠慮しますし、祝い事はなれば大安を選ばれます。
行政書士の仕事でも、契約日は必ず大安の日を希望される方もあります。
すべて日々の心がけですね。
【今日の仏語】は『日々是好日』です。
「今日は大安吉日だ」とか、
「今日仏滅だからやめておこう」とか、
日の善悪がよく問題にされます。
「恋人にふられた~。やっぱり仏滅だからだ」
そんな人がありますが、
それはその日が悪いのではなくて、
恋人にふられてしまうような原因をつくった過去の言動の数々、
その過去の日々こそ真に反省すべき【悪い日々】だった、
ということでしょう。
だいたい日の善悪のせいにしていたら、
恋人に振られるような原因を作った己の言動を
省みることができないではないですか。
大根が出てきたのは
大根の種をまいたから。
己のまいた種を改められなければ
今後も大根ばかりが
畑には生えてくるでしょう。
大学合格を喜んでいる人に
「やっぱり大安だったからだよ。」
と言ってくる人もないでしょう。
その日、不合格で失意のどん底の人にとっても
大安吉日なのですから。
その日が良かったからではありません。
合格までの日々のこつこつした努力が、実ったのです。
様々な誘惑に打ちかって
勉強してきた日々が【良い日】だった、
ということでしょう。
『如来の法の中に吉日良辰をえらぶことなし』
(涅槃経)
「仏教は日の善悪を論じない」
とお釈迦様が仰せです。
そして『日々是好日』
良い日になるか、悪い日になるか、
日々の心がけが決めるのだと
仏教では一貫して教えられています。
自分の今後の人生設計も
この軸から始めなければ、と思いますし、
苦難のときも
いや苦難のときこそ、
すべて己の心がけにかかっていると自覚していきたいところです。