梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

人生絶望なし!!!

2012-10-30 14:44:11 | Weblog
 寒い、暑い、眠たい、疲れた、いろんな言い訳で、漫然と無為な日々を過ごしている私は、如何にもったいない人生を送っているのだろうか。

ヘレン・ケラー以上の中村久子女史のこと本日まで知らなかったこと恥じています。

「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」
                       中村久子

かつて来日したヘレン・ケラーが対面後、「私より不幸で、私より偉大な人」と口にした
彼女の生涯とはどのようなものだったのでしょうか。
       
その少女の足に突然の激痛が走ったのは3歳の冬である。
病院での診断は突発性脱疽。肉が焼け骨が腐る難病で、
切断しないと命が危ないという。

診断通りだった。
それから間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、手首からボロっともげ落ちた。

悲嘆の底で両親は手術を決意する。
少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされた。
少女は達磨娘と言われるようになった。

少女7歳の時に父が死亡。

そして9歳になった頃、それまで少女を舐めるように可愛がっていた母が一変する。
猛烈な訓練を始めるのだ。

手足のない少女に着物を与え、
「ほどいてみよ」
「鋏の使い方を考えよ」
「針に糸を通してみよ」。
できないとご飯を食べさせてもらえない。

少女は必死だった。
小刀を口にくわえて鉛筆を削る。
口で字を書く。
歯と唇を動かし肘から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。
その糸を舌でクルッと回し玉結びにする。

文字通りの血が滲む努力。
それができるようになったのは12歳の終わり頃だった。

ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやった。
その着物は唾でベトベトだった。

それでも幼友達は大喜びだったが、その母親は「汚い」と川に放り捨てた。

それを聞いた少女は、「いつかは濡れていない着物を縫ってみせる」と奮い立った。
少女が濡れていない単衣一枚を仕立て上げたのは、15歳の時だった。

この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのである。

その人の名は中村久子。
後年、彼女はこう述べている。

「両手両足を切り落とされたこの体こそが、人間としてどう生きるかを教えてくれた
 最高最大の先生であった」

 
そうしてこう断言する。

「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」

『致知』2012年11月号
               特集「総リード」より

山鳥坂ダム建設濃厚

2012-10-30 10:23:35 | Weblog
建設予定地、岩谷地区の皆さんの顔に笑顔が戻ってきたようです。
車で離合しても、昨日までとは違ったように感じるのは私だけでは無いと思います。

民主党政権になった3年前、土地買収契約を目の前にして、突然の山鳥坂ダム建設の凍結、途方にくれられていた建設予定地の皆さんにとっては、昨日の「建設の是非を聞く「検討の場」のダム建設が他の代替案と比べて最も有利とする評価結果は、待ちに待った嬉しいニュースです。

八ツ場ダム等、これまでに国交相の判断が示された国直轄6事業で各整備局の方針が変更されたケースは無いことから、山鳥坂ダムの凍結解除が濃厚と・・・。

建設予定地の岩谷地区、そのダム奥の河辺地区、30年にわたり山鳥坂ダム建設に翻弄され続けて、うんざりしていました。

12月大洲市議会、ダム建設反対の立場の皆さんにとっては、格好の質問となるでしょうが?。

30年間に亘って、翻弄され続けてきた岩谷地区、河辺地区にも目を向けて頂きたいものです。