梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

慈悲の心!!

2012-10-04 22:44:21 | Weblog

今日は、地区自主防災組織の役員に出て頂き、自主防災組織の購入備品の台帳との照合など整理整頓を行いました。
止む得ず役員を引き受けなければならなくなりましたが、間もなく任期の二年も終了しますので引継ぎの準備も出来ました。

午後は、林道の整備が必要な現場に行くとともに、地主の了解を得るべくお願いをし要望に向けて取りまとめ中。
林業不振のこの時期に林道整備をし、復活に備えておきたいものです。

山に1人ではいると怖いです。
イノシシが掘り返した跡が随所にあり、鉢合わせしたらと思うと背筋が寒くなります。
幸い出くわす事もなく安堵しました。

菊谷先生の
【今日の仏語】は『慈悲』です。

私たち人間の慈悲の心は狭い相手にしかからないので『小慈悲』と説かれていることを
昨日に引き続き、お話しいたします。

【愛憎違順することは高峯岳山に異ならず】
という親鸞聖人の言葉があります。

「愛憎違順(あいぞういじゅん)」とは自分に従うものは愛して近づける。
自分と違うものは嫌って遠ざける。

【順】とは、「自分を評価してくれる人」
「認めてくれる人」「後押してくれる人」

こういう人は【愛】する
「良い人」
「好きな人」
「正しい人」
「正義の人」と評価する。

そんな好きな人が苦しんでいたら私たちは切なくなる、
何とかしてあげたい気持ちになります。

あるいはそんな人が幸せになったら私たちはうれしくなります。
心からおめでとうとよろこびます。

【違】とは、
「自分と違う人」
「自分のことを認めてくれない人」
「“何だ、お前いたんか?”と無視する人」

こういう人は【憎】む
「嫌いな人」
「悪い人」
「間違った人」
「あの人のせいで周りのみんなが迷惑している」
と言い出す。

自分にとって都合悪い存在だと、あの人がいると会社がだめになる、
チームが勝てなくなる、と持論を展開し始める。

そんな嫌いな人が苦しんでいても、切なくならない
助けたいという気持ちが起きない
「ほれ見たことか!」と喜ぶ心が出てくる
もっとひどい目にあったらいいのに、とさえ思う。

あるいはその嫌いな人が幸せになったらどうでしょう。
見てて気持ちよくない。
「なんでお前が幸せそうにしてるんだよ!」
と腹が立ってくる。

言うこと聞いてくれる、都合のいい人は、
山の頂のように、
どこどこまでも「好きっ!」
そんな人には慈悲の心がかかります。

言うこと聞いてくれない、都合の悪い人は、
谷の底のように、どこどこまでも「嫌いっ!」
そんな人にはどうにも慈悲の心が出てきません。

「高峰岳山(こうぶがくさん)」とは極端に山谷ハッキリした
反り立つ絶壁のような山のこと。

「親鸞の心は切り立った山谷のようになんて極端で浅ましいんだろう。
 差別なく接しなければならないのに、この心どうしたことか。

 情けないなあ。恥ずかしいなあ。」
と懺悔された歌です。
すべての人に平等に慈悲をもって接しよう
と努めた人にしかわからない悲痛な懺悔でしょう。