朝、ホッと一息ついて、去年の今頃は何をしていたのだろうと思って検索してみた。
便利なもので、すぐにその頃の記事が出てくる。
記憶というのは、確かに頭の中にあるのだが、それを引っ張り出すにはきっかけがいる。この場合は、「砥石」がキーワードのようだ。
実際に砥石を見るか、言葉に触れる機会がスイッチになって、その時の記憶がよみがえってくる。
思考とは一種の連想ゲームのようなものなのかも知れない。
思い続けないと忘れる。
忘れたら、そこに至るキーワードがなければたどりつかない。
大事なことは思い続けることなんだなあ。
思い続けることがけが自分をつくりあげていく道なのだ。
ふとそんなことを考えた朝でした。
1年前の記事↓
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2015-12-04 | 日記
面白い発見をした。
さびた包丁が出てきて、これを磨きこんでやろうと心に浮かんだ。
最近、心に浮かんだことを実践することが増えた。その一つがこれだったのだが、
そこに発見があったのだ。
家にあったちっさな研石でごしごしやるのだが、なかなか難しい。むらが出来て包丁はいつまでたってもピカピカ光らない、包丁の刃に意識を集中して、絵を描くより真剣にやってみるが、思うようにいかない。
一日5分と決めて、包丁研ぎを5日続けたらあらかたの錆は取れたが、イメージにある日本刀のようなものにならないのだ。
一週間続けてあきらめて研石を片付けていた時、意識がふと、その研石に向いたのだ。
で、驚いた。
それは、一週間使い込まれて、えぐられたように真ん中がへこんで、しかも全体に傾いてすり減っていた。まるで私の靴底のようにかたよっているのだ。
私の背中に電撃が走った。
俺は、刃をきれいに研ごうとしていた。それが間違っていたのだと分かったのだ。
やり方が逆だった!!
刃で研石を研ぐのだ。
私は鉛筆絵画の真髄をみたように、興奮した。そういうことだったのだ。
それから私は、研石の表面を真っ平らになるように、包丁の刃を使って研いで行った。
私の直観は真っ芯に触れたのだ。
包丁が光るようになった。自分の顔が写る。
意外なところに教えられることはあるものだ。
自分の心を研ぐということも、そこにつながる何かがあるかもしれない。
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はるひ美術館による北籔和展(ナウイズム)のご案内
2017/2/8~2/26
ブログ内の関連記事
今回は、ジャズサックス奏者のアート・ペッパーにかけてみました
数日以内にリンクをさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします
ART PEPPER。
横文字のだじゃれは初めてです^よ^
おかげさまで、当喫茶室にはじめてジャズが鳴り響きました。サックスの音よろしいな。
こんばんは!
砥石と包丁♪
今は、ハンド砥石を使用していますが、
以前は、長方形の砥石を使用しておりました。
自己流ですが、まず、砥石をお水で濡らします。
そして長方形の砥石を縦向きに置きます。
その砥石と十字になるように、
包丁を横向きに、刃は上側になるようにします。
その刃を軽く砥石に添え、砥石の上の方から、
手前に引くようにすーりすーりすーりと擦るのを繰り返すのですが、
ある程度すーりすーりしましたら、
今度は包丁の背を上側に、刃を内側になるようにしまして、
砥石にお水を軽く掛けまして、刃を軽く砥石に添え、
今度は適当に押したり引いたりすりすりします。
指に軽く当てて、研げてるかなって確認したり、
でも、このような動作って、
のしてんてんさんが気付かれましたように、見方を転じますと、
まるで、包丁で砥石を研いでいるようでもありますよ^ね^
つまり、
磨ぐ方は磨ぐと同時に磨がれている。
磨がれている方は磨がれいる同時に磨でいる。
ということでしょうか♪
この行動の関係って、
師弟関係、親子関係、
友人関係の切磋琢磨のようでもありますし、
いろいろな関係に当てはまりそうですね♪
物の見方って、固定観念にとらわれがちですけれど、
のしてんてんさんの逆転の発想には驚嘆!
この度もお勉強させていただきました。
いつも有り難うございます。
今宵もどうぞごゆっくりおやすみくださいませ☆
こちらののしてんてん絵画も力強いですね!
元気の根源気♪
宇宙元気を頂いています
感謝で^す^~☆
私の場合、偶然の発見だったのですが、まかこさんは技術として体験されていたのです^ね^
ところで、私が包丁から砥石に意識をむけたとき、とても驚いたのは、意識を逆の方向に向けたとき、突然新しいことが見えてくる。その意外性でした。
こんな見方が出来るんだ!という発見は、心をとても興奮させてくれるのです。
ところで、
砥ぐという記事に頂きました、まかこさんのコメントから、さらに私の想いが深まりました^よ^
私の心を納得させる、砥ぐという本当の意味を得た気がします。
これは是非皆様に紹介したい。
まかこ砥石とのしてんてん刀(あるいは逆かもしれませんが)の物語です。
まかこ砥石がのしてんてん刀を研いでくれたお話です。
ありがとうございます。
先にお礼を申し上げます^ね^
こんばんは!
私の研ぎ研ぎは技術と言いますより
適当な自己流で、のしてんてんさんの
必然的逆転の発想に触発されまして、
感動、表現させていただきましたので、恐縮で^す^;;
それよりも、のしてんてんさんが、
アクリル背景のスプレー窮地から、
鉛筆開眼に転じられました時の、逆転の発想!
背景の闇空間を、鉛筆一本無限大心で、
のしてんてん個性の心魂無心三昧で描かれることによって、
無心三昧空間から、自ずから描き出される
光の糸の顕現は、まことに神聖なる糸☆♪
まさにキャンバス空間の、
超ひも素粒子も輝いているのですよね♪
のしてんてんさんの転機である
あの光の糸は、
真実(神実)!超ひもの光響♪
感涙です☆
ゴッホの絵画からも感じていましたが、
あのえも言われぬ絵画の輝きは、
無心三昧空間からあふれる光響☆♪
超ひも素粒子の輝きでもあると確信いたしました。
私たち万物は
自身も宇宙空間であると
自覚さえすれば、
自身が奇跡渦のただなかにいることに
気付くのではないでしょうか ^ ^♪
勉強になります。
こちらこそ
ありがとうございます☆
なんだか砥がれているようです^ょ^♪
超ひも理論というのは、もの(粒子)が宇宙の最小単位という考え方から、
さらに小さなひものような運動が宇宙を宇宙を創っているというように、とらえ方を変えたのですね。
もちろん学術的な内容は理解できませんですが、その考え方、発想の方法は学べるわけです。
私の絵に現れるひも(糸)は、その発想が似ていて、そのおかげでより具体的に絵と付き合うことが出来るようになった。
これも砥石効果ですよ^ね^
最も大切なことは、片方だけではありえないことに気付かされたということ、
とてもありがたく思ています。
今日もいい一日をおおくりください。