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静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元という考え方について(認識論)5

2023-04-30 | 5次元宇宙に生きる(心)

のしてんてん とまらないカリントウ  キャンバスに鉛筆

 

 

 

 

空間は認識できるのでしょうか

空間それだけを考えてみてもつかみ取る手がかりはありませんね。

空間は物があって初めて、その周辺にある空白を認識できるだけです。

太陽や月が空に浮かんでいるのを見ても何の不思議も感じませんが

自分が浮かんでいると考えると奇妙な感じがしますね。

しかし今や私達は宇宙空間に飛び出し

遊泳する人の姿を見ています。

地上に立っているのも

地球の引力に引き寄せられているだけだと

科学が教えてくれるのです。

 

そんな時代に

私達の意識が変わらないのは何故なのでしょう。

それはおそらく空間を認識する能力が

十分に成長していないからだと思うのです。

しかし

空を知る手がかりがあるのです

空の秘密が役立つことを

願って書きます

 

五次元(新たな認識能力について)

第五章 空間の秘密

(空間は認識できないのか)

試してみたらすぐにわかることだが

私達は、空間だけをとらえて認識することが出来ない。

それは物質を認識するための背景として、理解するしかなく、

空間とは何もないもの、無という感覚でとらえるしかなかったのである。

 

(空間とはエネルギー)

しかし近年、科学は空間の研究を深め、その実態を見極めようとしているように思えるのだ。

空間は何もないのではない。

それはエネルギーの存在する場であると考えるようになったと私には思える。

極端に言えば、空間とはエネルギーの姿形だと言えるのである。

 

例えば

太陽と地球の間にある空間は

太陽の引力と地球の遠心力の合成したエネルギーの表れと言っていいし、

私の周りを取りまく空間は、

私の肉体がちょうどこの形状で安定するエネルギーで満たされていると考えられるのである。

上の図は素粒子のスケールで観た私の姿である

小さな黒い点が素粒子を表しているのだが、重要なのは白地である。

図の白地とは素粒子を浮かべている空間なのである。

この天文学的数字の数だけある素粒子が、てんでばらばらに動いたら

決して私の身体は形成されることがないだろう。

すべての素粒子が連携して私をつくっている

この言いようのない感動と感謝と、不思議。いったい誰がと言いたくなる。

それは空間の力以外に考えようもないのである。

素粒子と素粒子の間にあるエネルギー関係が安定して初めて私の身体はこの形を保っているのだ。

空間はまさに私を作り上げるエネルギーそのものなのである。

それだけではないだろう。

身体のみならず、心を作る思考や感じるすべてが空間のエネルギーであることは疑いようもないのだ。

私達が日々感じる感覚や感性に基づいている心の実感は空の波動だったのである。

 

(空間は本当に認識できないのか)

空間の中に物質が存在する。

五次元の考え方は、スケールの概念を使って空間を主人公(認識主体)にすることである。

すると最後まで煮え切らない感覚が残っていた。

それは素粒子を浮かべている空間と地球を浮かべている空間は本当に一つなのか?ということだ。

その疑問がなかなか解けないにも関わらず、私は「空間は一つ」という考えを持っていた。

そこからこんなちぐはぐな解釈をするしかなかったのである。

すなわち、

空間は物質とは違って、スケールの影響を受けない存在だと考えたのである。

空間は一つの存在だから大きい世界とか小さな世界など、わからなくてもそれ以上詮索する必要はないと思っていたのだ。

そうすると空間とは神であるというのと同じで、分からないことを意識しないで納得するしかない。

それは結局、空の秘密を解き明かすことにはならないのである。

人間は本当に空を認識できないのか。

(認識とは人間の行為である。つまり空を認識出来たら、空を人間のレベルにまで引き寄せられるのである)

 

(空の秘密はエネルギーにある)

光明が見えたのは空間はエネルギーの場であるという考えが心に沁み込んできた時であった。

エネルギーを波動に置き換えると

空間の中で波は自由自在に足したり分けたりできる。

すると、一つの波を二つにしたり、複数の波を一つにしたりが自由にできるということなのである。

 

波には長さと振り幅がある。

波長と振幅によって波は特定されるということだ。

つまり、空間 = エネルギー = 波 = 波長・・・と考えていけば空間もまたスケールの影響を受けることになるのである。

 

分かりやすく言えば、

素粒子が浮かんでいる空間と地球が浮かんでいる空間は、

波長のスケールが異なっているということなのである。

地上から見上げる宇宙空間と、私の身体を作っている素粒子宇宙の空間の対比は

地球:素粒子(10の22乗:1)となり

体内の波長の10の22乗倍もある波長の波が地球を支えていることになるのである。

(10の22乗はイメージを掴むため、地球と原子の比率を計算した私の超概算)

 

スケールの概念から言えば、当然この波長は永遠に長短の両極端に向かって行き、無限の彼方に伸びていくのである。

これがスケール軸と呼んでいる実際の見え方と言っていいのである。

下図の極大・極小は、(時間と同じく)無限に続く

 

(それでも空間は一つである秘密)

空間もまたスケールの影響を受けるのなら、

空間のとらえ方は変わるのかということなのだが、

ありがたいことに決してそうはならない。

空は、唯一の存在でなければこの世界は成り立たないのである。

議論がもう一度戻るように見えるが、

実はそうではないのだ。

むしろこのことによって、空間の秘密がより身近になるのである。

 

(認識される空間)

空間はエネルギーそのものである。

その秘密を波動で観るとよくわかってくるのだ。

仮に空間の最大値(空)があると考えると、

それは宗教的には大日如来という言葉がふさわしいだろうか。

(もちろんここはあなたの思う最大値で構わない)

するとこんな式が成り立つのだ。

(自分)+(他分)=(大日如来)

この式はいかなる(自分)が存在しても常に成り立つのである。

さらに

空を(自分)だと意識することによって、

(自分)と(他分)の間を区切る壁は存在しないことに気づかされる。

空を(自分)と(他分)に分けることはできないのだ。

(自分)と(他分)の区別がつかなくなると、さらに深い認識が生まれるだろう。

すなわち

私は大日如来そのもののエネルギーだと言っても間違いではなくなる。

私はその存在を自分自身の感性で自分のごとく受け取ることが出来るということなのだ。

 

(空間認識と神)

生きとし生きるもの内には大日如来が臨在するという空海の教えがあるそうだが、

空間を、エネルギーと理解するなら

五次元思考は空海と同じ答を導くことになる。

 

認識されない空間は

私達には表現しえない実在である。

神という言葉は、とりあえず知りがたい存在を知らないままに指し示す。

空海の大日如来もまた神に等しいのかもしれない。

しかし、

空をエネルギーとみることで、知りえない空を認識することが出来る。

人間の知恵にとらえられる空ということが出来るだろう。

五次元思考は決して完全とは言わないが、

人間が今よりさらに一歩神に近づくことになるということである。

 

次回予告

(第六章 認識論としての空体と身体)

 

五次元とは世界を知るために

有用と思われる五つの概念を提案したものです。

これは人間が認識できるであろう世界の大きさの限界を探求するもので

物理学や宗教学とは違った、凡庸な人間のための認識論です。

認識論である以上、その骨格は

認識主体(私)による世界認識なのです。

そして一つの常識が覆されます。

それは何なのか

次回をお楽しみください。

 


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