
魔 性
ヴェゴジュの顔は怒りのために膨れ上がって歪み、赤さを通り過ぎて紫色に腫れ上がっているように見えた。
「早く歩くんだ。」図書館を出ると、ヴェゴジュはしきりに悪態をついて三人をせかした。それとは対照的に、三人の男は口数が少なかった。しかしその分、残忍さが体の中からにじみ出て来るように思われた。三人は全身が黒ずくめだった。顔にまで黒いマスクを被っていてその表情は見えなかった。そのマスクから狂気を帯びた目が怪しく光っているのだ。カルパコ達は小刻みに身を震わせていた。足がふらつき、山道にかかってからは、石ころにつまずいて転んでは、乱暴に綱を引き上げられて立たされるのだった。エグマは耐え切れずに泣き出した。
「うるさい。」
「静かにしろ、刺し殺されたいか。」重く冷たい男の声だった。それは脅しではない強引な殺気が感じられた。エグマは恐ろしさのあまり、泣くことも出来なかった。一人は抜き身の短刀を振りかざし、先頭に立って道をふさぐ小枝を払ったりしていた。もう一人はツルハシを肩に担いでいた。一番後ろの男はスコップを杖の代わりにして歩いていた。ヴェゴジュは中程にいて絶えず何かをつぶやいていた。
「許さんぞ。許さんぞ。グッグワーッ。」
ヴェゴジュの言葉に、奇妙な音が交ざっていた。
「殺してやる。グッグワーッ。殺してやる。」
カルパコはその音に気づいた。それはあの書庫の壁の中から聞こえた声とそっくりだったのだ。何だこれは。カルパコは背筋が凍り付くように感じた。
「畜生、まだ着かんのか。グッグワーッ!」ヴェゴジュが苛立って叫んだ。
「すぐそこです。」短刀を持った男が言った。
「そうか、思う存分切り刻んでやろうぞ。グッグワーッ。思い知るがよい。」
やがてうっそうと茂った木立の中に、わずかに広がった山肌が見えた。カルパコ達はその広場に投げ捨てられるように突き転がされた。
「どうしようと言うんだ。」カルパコが叫んだ。
「ひゃっひゃっひゃっ、楽しませてもらうのさ。一人ずつここで死んでもらうのだ。指を一本ずつ切り刻んでやるからな。グッグワーッ。人が苦しむのを見るのは最高じゃてひゃっひゃっひゃっ。」
「いやよ、帰して、死にたくないんだから。」エグマは叫んだ。
「一番うるさい奴から、楽しませてもらおうか。グッグワーッ。」ヴェゴジュはエグマの顔をつかんで自分の方に向けて笑った。その笑い顔はこの世の者とは思えない恐ろしい表情だった。
「止めろ、エグマに手を出すな。」ダルカンが叫んだ。
「ギギギギ、悔しいか。見ているがいい。」
ヴェゴジュは男達に合図を送った。ツルハシとスコップをもった男はその場で穴を掘り始めた。短刀を持った男は、エグマを縛っていたロープを切った。
「その短刀をよこせ。ギギギギ。楽しく切り刻んでやるぞよ。ギギギギ。」
「やめてお願い。」
「やめるんだ、この化け物。」ダルカンが叫んだ。
「やるんだったら俺が先だ。」
カルパコが縛られたまま突進しようと走った。しかしそれはすぐに男に取り押さえられて殴りつけられた。二人の男は地面に素早く穴を掘り進め、素早く三人が横たわって入れるほどの大きな穴を掘った。
「何の穴か分かるだろうギギギギ。」
ヴェゴジュはおぞましい笑い声を上げた。男がエグマを背後でがっしり捕まえた。
「指を出せ。グッグワーッ。」
男がエグマの手を差し上げた。
「いやーっ」エグマが悲鳴を上げた。
ヴェゴジュが短刀を振り上げた。その時、闇の中から石つぶてが飛んで来てヴェゴジュの手を直撃した。手に持った短刀が弾き飛ばされた。
「な、何だ!」
辺りを見回すヴェゴジュの顔に二投目の石が当たった。
「グワーッ!」ヴェゴジュは額を押さえてうずくまった。
「何者だ。」
スコップをもった男が飛んで来た石の方向にスコップを槍のように投げた。スコップが闇の向こうの茂みに消えてその後ろの木の幹に突き刺さった。同時に茂みから大きな男が飛び出して来て、先端に石の塊をくくりつけた紐を振り下ろした。たくましい体をした、口に髭を蓄えた男、バックルパーが突然そこに現れたのだ。バックルパーの振り下ろした石はスコップをもっていた男の脳天を直撃した、ギエッ、男はのけ反って倒れた。そしてそのまま自分が掘った穴の中に転げ込んだ。次の瞬間バックルパーは、石をくくりつけた紐を横に払った。その紐がツルハシ男の足をかすめた。男は空に跳躍して石をかわし、ツルハシを天高く振り上げた。
「シャッ!」
男はそのままバックルパーに向かってツルハシを振り降ろした。バックルパーは横に転げてその攻撃を交わした。同時に紐を横に振った。ガツッ何かが折れるような音がして紐の先にくくりつけられた石が男の脇腹にめり込んだ。
「ギャッ、」男は腹を抱えて地面に倒れ込んだ。
バックルパーが起き上がった所に三番目の男が蹴りを入れた。その足がバックルパーの右腕をかすめた。服が破れ、腕から血が流れ出した。
「ちっ、」
バックルパーは身を引き、相手と間合いを取って紐を左手でぐるぐる回し始めた。二人はにらみ合ったまま動けなかった。黒いマスクから異様な目が光った。
そのとき、闇から小さな女の子が飛び出して来た。にらみ合った二人の横を、素早くすり抜け、地面に落ちている短刀をつかんだ。そしてそのままカルパコとダルカンの転がっている場所に走り寄った。
「カルパコ、大丈夫。」
「エミー、どうしてここに。」
「説明は後よ。」
エミーはそう言うと、短刀でカルパコとダルカンを縛っているロープを切った。
「ありがとうエミー。助かった。」
「助かったよ。」ダルカンはそういう間もなく、エグマに駆け寄り、助け起こした。
「エミーとエグマはここにいろ。」カルパコは二人を安全な場所に座らせ、黒ずくめの男に立ち向かおうとした。
バックルパーと男はにらみ合ったまま動かなかった。カルパコとダルカンはその男の背後に回った。
「ちっ、」
男は大きく横にとんだ。そしてそのまま木の枝に飛び乗り、跳躍して梢の茂みに消えた。しばらく様子を伺っていたバックルパーは紐を納めて子供達に駆け寄った。
「怪我はないか。」
「おじさん。」エグマが泣きながらしがみついて来た。
「さあ、もう大丈夫だ。」
「危ないところでした。」カルパコとダルカンはバックルパーに礼を言って頭を下げた。 「無事でよかった。」
「さあ。帰りましょう。」エミーがエグマを介抱しながら言った。
「この男達はどうします。」ダルカンが言った。
「なに、放っておけば自分で気がついて何とかするだろうよ。」
二人の男は倒れたままだった。ヴェゴジュが頭を抱えうめいていた。
「怖かった。」エグマはまだ震えていた。バックルパーの大きな腕がエグマの体を抱いた。バックルパーの体温が伝わると、エグマの震えは少しずつ収まって来た。
「一体あれは何だったのだろう。」カルパコが言った。
「あれとは何だね。」バックルパーが訊いた。
「ヴェゴジュはまるで魔物が乗り移ったように見えました。」ダルカンが答えた。
「魔物だと?」
「図書館の地下室で、奇妙な声を聞きました。それと同じ声をヴェゴジュも発して、まるで悪魔のような顔をしていました。」
「私も、ヴェゴジュが悪魔に見えたわ。怖かった。あの顔と声は今思い出してもぞっとするわ。」エグマは自分で自分の体を抱いた。
「ヴェゴジュの魔性が姿を現したのかもしれない。間に合ってよかった。」
「バック、腕から血が出てるわ。」エミーがびっくりして言った。
「かすり傷だ、たいしたことはない。」バックルパーは血の付いた腕を押さえながら言った。
「これで縛って。」エグマがハンカチを取り出してバックルパーの腕の血を止めようとした。
「ありがとう、エグマ。」
「本当に殺される所だったわ。おじさんとエミーが来てくれなかったらと思うと、ゾーッとするわ。」
「でもよかった、本当に間に合って。」
「ありがとう。」
「さあ、山を下りるぞ。」バックルパーは子供達に言った。バックルパーはヴェゴジュ達がもっていたランプをすべて取り上げて子供達に持たせた。山を下り町に入ると、子供達はホッとして、まだ賑わっている広場の石畳の上に座り込んでしまった。
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