ひもと螺旋のイメージで描いた作品
この作品はのしてんてん絵画として、行き詰っていた作品でした。
意識が先行して、画面をち密に描こうとすればするだけ、作品が小さくまとまってしまうと言えばいいのでしょうか、
論理的な要素が強すぎて、一つの限界を感じていた作品です。
行き着いて究極に来たら忘れ物に気が付いた感の作品で、私の中ではこれ以上手の施しようのない悔しい駄作としてアトリエに置いたままでした。
何かが足りない。動きがない。
螺旋の、波の運動を描きたかったのに、描いている最中には、あれだけ自在に動いていた螺旋なのに、画面に定着してしまうと動かない寂しい絵になってしまいました。
けれども私の意識の中には、いまだに生きいきと動いているこんな(と言っても皆様には見えませんが)世界がある。
ただそれを表現出来ないで中途で固まったまま動けなかったのです。
ところが、
壁に裏向けて置いていた作品を再び目にしたとき、明らかに私の意識は変わっていました。
それをどう表現したらいいのか、言葉では難しいのですが、行き詰って息詰まっていた意識が動き始めたのです。
龍が踊っていました。
箱のまわりの死んだような闇の空間は龍の棲家だったのです。
どん詰まり感がウキウキ感に変わって、空間に遊ぶ龍の姿に見飽きることがありません。創作のもっとも深い至福感が龍と共にやってきました。
私はごく自然に龍を描きはじめました。ただ見たままを描けばよかったのです。
それがこの絵↓
ようやくやって来てくれたのしてんてん龍。
何よりそのおかげで、螺旋が動きはじめました。物質と空間を取り結ぶ大きな円相の流れが見えるようになったのです。
こんな書き方はNGだとは分かっていますが、一観客としての目から、解放された自分の気分をあえてかいてみました。
---------------------------------------------------
お正月というとんでもない会期で行う邂逅展ですが、奈良まちにある大きな画廊です。一つの展示室に11人の作家が、思い思いに自分の個展を同時開催する。そんな新しい試みでもあります。
私は龍の成長過程をそのまま展示いたします。
雑談に来ました。
螺旋の絵、見せていただいた覚えがあります。
他の螺旋の絵と一緒だったかと。
動きが感じられ、小学生むっちゃん的感想として『あ、面白い』と言った覚えがあります。
だけど寂しい絵、かもしれませんね、おっしゃる通り。
『修羅の絵』と呼んでいらっしゃった、箱の上の苦悩するひも、のイメージがからんでいたのでしょうか?
龍が螺旋を見つめると、急に楽しそうな絵になりますね🎵
思い詰めた感じが和らぐ、という雰囲気に。
実は私、昨日の午前中から午後にかけ、ここしばらく苦しんでいた短編を何とか形にしました。
サアこれから推敲だー、と思っていましたら、ワープロさんがプチンとお亡くなりになってしまいました(苦笑)。
ワープロでは限界だと思ってノートパソコンを買ったのは確かですが、まだウチには届いておりませんし、何よりたった今書いた短編はワープロのメモリにしか残っておりません。
泣く泣く同じメーカー同じ型番の、故障予防を施した物をネットオークションで見つけ、入札しました。
パソコンが思ったよりも安く買えてホクホクしておりましたのに、結局予算通りの出費になり、主婦としてはがっかりです(笑)。
ワープロさん最後の抵抗?
それとも最後の仕事として、書きかけの短編が脱稿するまで待っててくれた?
いつお亡くなりになってもおかしくない、遣い倒したワープロさんでした。
寿命だったのでしょう。
今までありがとう、rupoさん👏。
おめでとうございます☆♪
螺旋の絵画はもともと、
のしてんてん龍の棲家だったのです^ね^♪
ついにのしてんてん五次元宇宙と
のしてんてん宇宙龍との
☆熱気融合合致☆
まるで苦行から棲家に
無事帰還ののしてんてん龍♪
螺旋は宇宙龍動エネルギーの
シンボルのようですね☆
永久の円相螺旋旋回乱舞に
のしてんてん龍の宇宙旋回乱舞!
五次元宇宙未知領域創造の
☆龍気の祭典☆
始まりました^ね^!
言葉にすると、なにやかや理屈だらけになってしまうのですが、結局絵としていいかどうか。
理屈なく絵の中にはいれて、不満を覚えず心が自由に遊べる空間と心地よい緊張感が伝わってくるかどうか。
ようはいつまでも飽きないで見ていられる絵。そんな絵が理想なのです。
その意味でこの絵は螺旋と箱の形には満足できる緊張感がありますが、それを取り巻く空間がどう描いても面白くない。
これ以上手の施しようがない作品(私の限界)だったのです。
こんな駄作がたくさんあります。
もしかしたら龍が助けてくれるかもしれません。
それにしても、ワープロ君よく頑張りましたね。
むっちゃんの物語の生き証人、ぁあるいは同志。
感謝して弔ってあげて下さい。
本当に、もともとのしてんてん龍の棲家だったのかも知れません。
とにかく自然体で描き続けて行きますね。
いつも応援ありがとうございます。
こうした”再加筆的な書き方”、のしてんてん様ご本人は良しとはしないようですが
「鉛筆のみで書く、のしてんてん絵画でないとできない絵画の形」
として、一個人としては魅力的に想いました。
不思議なもので…絵はここまで自然に楽しくうごきだすものなのですね。
良いものを見せていただき、ありがとうございます!今後も楽しませていただきます!!
それが正しいのか、画力の低下による逃げ道なのか、自分では全く分かりませんけれど、
はっきり言えることが一つだけあります。
それが私に生まれた龍のイメージです。
この龍が、私の作品の中にどんどん入っていく。それが作品を次々壊して行っているのか、新しいよりよきものを生み出す力なのか、今のところ分かりません。
そして、進むしかない自分がいる。
うまく言えませんが、そんな心境です。
折師さんの感性から見て、そのように感想頂けることはとてもうれしいことです。
ありがとうございま^す^