のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

五次元と人間存在 16

2022-05-30 | 5次元宇宙に生きる(神)

この字は何と読むの?

よく尋ねられることがある

決まって私は、

自分の造語で誰にも読めない文字なのです

と応えてきた。

 

それは本当のことだから

決して間違いではない。

しかし本当は

答えになっていないのだ。

それをそのままにしていたのは

ズバリ適した言葉が見当たらないこともあったのだが

へたな説明をして絵の意味を曖昧にしたくなかったというのが本当のところだ。

 

尼信会館の二人展は

大きくきれいな会場が、ありがたいことに自分の世界に

充分な表現のできる空間を与えてくれたのである

その空間に

ストレスなく展開できた作品たちに囲まれて

私は自分の作品でありながら

はじめて出合う感覚を味わい

会場で日々成長している

実感を覚えているのだ

 

そしてこの作品に対する問いの答えが

はじめて私の納得できる言葉で

生まれて来たのだ。

 

すなわちそれが

宇宙語

と言う答えなのだ。

 

描いたものは卵の殻なのだが、

その抜け殻の内側に現われた奇妙な文字のようなもの

それこそ宇宙語と呼ぶにふさわしいのだ。

 

なぜなら

卵の殻に守られた

白みと黄みの体液が

ある日殻を割って

ヒヨコになる

決して

間違った生物が

現われることはないのである

つまり

その事実を保証する宇宙のシステムが働いて

人間の想像も出来ない

過程を経ながら

体液が

口ばしや羽根に変わって行く

その個体を作るシステム

それが宇宙語なのである

 

尼信会館の四面を飾る作品

 

命の輪廻

 宇宙モデル  +  宇宙の風景 

心の輪廻

 

を眺めていて突然やって来た言葉が

私を納得させてくれたのだ

 

それは私を通してやって来た

宇宙語に他ならない

誰にも

私にも読めない文字と言葉

 

それは

科学でいう

統一理論であり

般若心経のいわゆる

般若波羅蜜多

なのである

 

宇宙語と言う

たった一つの閃きが

世界を変えることがある

そう思えるのだ。

 

 

いよいよ最終週となりました

のしてんてんのベストの展示を

この機会に是非ともご鑑賞ください。

同時に二人展の

ハーモニーを

楽しんで頂ければ幸いです。


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8 コメント

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Unknown (桂蓮)
2022-06-11 07:28:20
ごめんなさい!


と謝罪したいのは
昔、展示会に行って私がつべこべ言ったことへの
4年遅れのことばなのです。

というのは、先週の土曜、初めて舞台に立って
5分15秒バレエのソローを踊りました。
終わって、現在の金曜まで
考えに考え、分析したのです。
舞台終えて帰宅する車の中で
全てのアティースト達の作品を思い出しました。
その中で真っ先に、思ったのは
のしてんてんさんの龍だったのです。
一筆一筆描いていた時間が突然、
いっぺんに胸を打撃しました。

なのに、私は頭越しであれやこれやと
気軽に薄ペラな感想をぶつけたのでしたね。

なのに、それらを飲んでくださって
いまになって、のしてんてんさんのこころの広さを感じました。

舞台を終えて、人々は称賛し
認めてくれましたけど、
私はそれが本当にうるさかったです。

本当の声が聞きたかっただけでしたが、
ある人が帰りに、眼まで真剣にして
良かったと言ってくれました。

人の批判、称賛、解釈
私はそれに左右されまいとつっぱっているのですが、
いずれは丸呑みしなきゃと思ってはいます。


でも不思議でしたね。
私は正確に踊ることを目標に頑張ったのでしたが、
人々は美しかったと言ってのです。
へえ?とおもいましたけどね。

自分の作品を人の目にさらけ出す!
のしてんてんさんはもう何十年も続けているのですね。


気楽にあれこれ批判、判断した私を許してくださいね。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-06-11 09:45:20
銀座の雑踏でお互いに姿を見つけたときの喜びはいまだ私の心の中に浮かんできます。

その時は言わなかったのですが、私が感じた真っ先の印象は硬さでした。硬派と言えばいいのでしょうか。

あの時
私はあなたの感想を丸呑みにしたのではありません^よ^

感謝して、私の思い至らなかった世界観を自分の居心地のいい場所に取り入れたのです。
ですから、ごめんなさいは180度違うのです。

今、あなたの硬さを言える時が来たのを感じます。
貴方の努力がそこまで上り詰めたのだと思うのです。

貴方が薄っぺらな感想と思っていることを、私がどんな言葉に翻訳したかわかりますか。
私に向けられた言葉は、私からは決して見られない風景なのです。私はその風景を自分の窓から見ません。それはあまりにももったいないことです。
そうなんです、私は翻訳などしません。自分の殻から出て味わうのです。するとその味わいはすべて私の世界の中で花開きます。

私があなたに感じてきた硬さというのは、まさにこの殻のことです。その殻は自分自身を追い詰め、更なる殻を築き始めます。薄っぺらと見ないで、その中に身を投じて自分を眺めたら、おそらくわかると思います。

人々の賞賛を、自分の家から出てその場所に飛び込んでみるのです。するとうるさいと思っていたことが、どれだけのびやかに見えることでしょう。うるさいのはあなたの殻、その硬さだったことが今こそわかるはずです。

ですから、丸呑みなんてとんでもない誤解なのです。
丸呑みするというのはあなたの殻の硬さが言わせている言葉なのですよ。

自分を人の目の前にさらけだす華やかな体験に心より祝福いたします。

自分の作品を人の目の前にさらけ出すというのは、自分の中身を見せるということではありません。
自分の見えない部分を、たくさんの人々の目で見てもらい、新しい気付きを頂くということなんですね。ですからどんな感想も、自分の殻を通したら台無しです。すべて有難く受け取ったらいいのですね。

初公演成功、おめでとうございます。
返信する
Unknown (桂蓮)
2022-06-13 12:42:20
のしてんてんさんからのコメント返しはいつも
ガチンときたり
感動したり、感激したりする部分もあれば
がっかりする部分もありますが、
気持ちに嘘が無い証だから
それはありがたく受け止めておきます。

私が硬い、自分の硬い殻の中にある、視野は
そうですね、他人しか言えないことですよね。

まあ、その硬い殻からいつかは脱皮できる日がくるのですかね。
他人からは私もエゴが強い、硬いと見えるのですかね。仕方ない。


舞台に立った時、私のようにズバズバ言ってくれる人がいたら、いいのになーと思ったことあります。
みんな優しいことしか言わないから
本当のことが分からないし、
当たり前のことしか言わないから
実際、何が起こっているのかも分からないし。


バレエはやるべきことと正確さが大事だから
自分というは舞にあってはいけないのです。
バレエをやっているのは
そのエゴや自分を無くせるからやっているのですけどね。

私に気持ち的に正直に応えてくださって
ほっとしています。
裏切り感まったくないです。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-06-13 20:57:58
ごめんなさい!

私も謝罪をしなければなりませんね。
桂蓮さんのことを、断定的に感想を述べたことについてです。

でもそれを気持ちに嘘がない証しと、とらえて頂いて嬉しいです。

私の桂蓮さんへの感じ方に間違いはなかったと思えて嬉しいのですね。

どんな時でも自分を高みに引き上げて行こうとする桂蓮さんの真摯な姿です。

私も作家ですから、面と向かってみな
当たり障りのない優しいことを言うというのはよく分かります。そう言う人はみな優しい人たちですよね。
もちろん中には褒め殺しのように、人の才能を茶化すような人もいることは承知していますけれどね。

一方、
辛辣なことを言う人は
①私に悪意を持っている人か、②自分の知識をひけらかそうとする人か、もしくは③私を心から伸ばしてやろうと思っている人くらいしかありませんね。

後はみな無関心という大海にいる人々です。

こうして見ると、表現(想像)者に対して言葉で返ってくる人の数は極めて少ないのですね。

それだけに表現者にとっては、とても貴重な、ありがたいことだと私は思うのです。

そして最も重要なことは、そんな寄せられる意見の中から、③を見出すことだと私は痛感しております。師匠の言葉ですね。

私は修行時代、随分よそ見をして師匠に叱られました。師匠だけでなく他に良い意見があればそれも加えていいだろうという、欲張りで浅はかな考えです。

そのことに気付いてから、私は師匠以外の称賛も批判も一切聞かなくなりました。すべて愛想よく受け流すのです。不要の対立は自分の精進の妨げにしかなりませんから平和主義を貫きました。

桂蓮さんの言うように、自分のことは分かりません。ならば分かる人に託すしかない。複数ではなく、その人にすべてを託せる人。つまり師匠にだけ目を向けて、師匠にほめられるためだけに絵を描き続けました。

様々な生き方はありますが、私はそれがよかったと思っています。

前回言った、自分の窓の例えは、自分の窓からではなく相手を師匠の目で見るということなのです。

参考になるか分かりませんが、私のたわごとです。
返信する
Unknown (桂蓮)
2022-06-14 08:41:23
あらまーやっと通じた感のお返事があって、
もうがっかり感飛んでしまいましたよ。

のしてんてんさんは人に教えてやる、みたいな態度があって
それにガチンときたりしますが、
それも、自他に対して嘘を嫌うからでしょうね。

私も嘘をついて平和を保つなら
もう離れることを選びます。
嘘で繋ぐ関係なら
嘘で崩れますからね。

気持ちに嘘をつくのは
事実に嘘をつくより厄介ですよね。
面倒極まりますよね。

私に残っている数少ない知人は
私の正直さを克服?できた人達です。
離れていく人はそれがガチンゴチンときたでしょうね。


のしてんてんさんについていく人達は
はい、学びますから、わかりましたよ!という感じの人が多いでしょうね。
もう分かりました、まったく、と思いながら
今度はなに?なに?
宇宙の説教か?とブログ開いて
やはり、また他の次元か?と
フームフームして
そうかねーみたいなー

私やのしてんてんさんは
嘘をつかないことで被る問題を背負っていく人達なんでしょうね。

のしてんてんさんの師匠さんは
きっと、本当に厳しい方だろうなーと思います。

私のバレエ先生はそれができなくて
私が、あなたは鬼にならなきゃいけないのよ!と
怒り口調で話しても
まあねーと
もう優しいすぎるのです。
しかも私の初舞台後に、銀のネックレスまでプレゼントしてくれましたしね。

でもその優しい先生が私を変えましたしね。

とにかく、気分的に拡散された感じになりました。
開放的な返信、ありがとうございます。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-06-15 21:31:50
正直に言いますとね、私についてくる人など一人もいません。
仮についてくる人がいたら、私はびっくりしますし、その時はその人の誤りを諭すことが出来ると思います。
人は誰もが、個として存在しているのですから、誰かについて行くのではなく、己を確立して己の道を行くのが大切だと言いたいからです。

私が説教くさいと思われる人が多いいことは承知していますが、それが説教ではなく、個を生きる上での宇宙の真理に対する私の体験を語っているだけなのだという説明はあえてしていません。

説教くさいと本当に考える人は、説明するまでもなく近づいてきません。それでいいのですね。最初から依存の性質を持っている人は五次元には向きません。
なぜなら五次元は、絶対個に生きることで初めて宇宙と一体になる考え方ですから。

これは人の良し悪しを言っているのではなく、人の在り方は多元的であって、それでいいと思っている私の対応です。

師匠の話しで言えば、バレエの師匠さんもまた素晴らしい方だとおもいますね 。

私の師とは対照的に見えますが、全く同質ではないかと勝手に思いました。

何より個を大切にしてくれる人ではないでしょうか。

私の師の厳しさは、一見独善的な指導のように見えましたが、実は最も個を大切に活かそうとする方だと理解したとき、その一瞬で私は師に帰依していました。
あまたある宗教には一切帰依出来ない私がです。
返信する
Unknown (桂蓮)
2022-06-16 14:03:04
そう言えば、私が本当に師だと思って、感じて、認めた先生は亡くなりましたね。
大学での恩師だったのです。

私は人の死について冷たい態度持ちですが、
あの恩師が亡くなった時、
本当の他人の死を受けるしんどさが分かりました。

父が死んでいたことを戸籍で確認した時も
何も感じなかったのにね。

あの恩師が亡くなって
心をおく場所も無くなったので、
心の芯も無くなりました。

師は死んでも師のままだとか言われるとそうかも知れませんが、
過去のまま、ですからね。

その面、のしてんてんさまは
心の芯の面では私より太いかもですね。


ついてくる人がいないと言われてショックですね。
私からみるといろんな人が弟子になるために
競い合う感じですけどね。

芸術家としては子の確立が
芯みたいな感じでしょうけど、

正直、個人的に
私は自分の個人が面倒くさいのです。
疲れましたしね。

だからバレエやってるのです。
個があってはいけないからです。
厳しいロシアバレエに惹かれて
まあーバレエは毎日研究したり、勉強してますね。

無我とか仏教的な自我思想も
私は面倒くさいです。
悟りも面倒だし、

ただ、自分が面倒くさ極まる、それだけです。

なのに、のしてんてんさんから
個、自分のフィルターとか言われてた時に
本当に嫌でしたね。

私は嫌な時はその気持が無くなるまで
言いません。

今になって言うのは
舞台練習をしてた時に
私は嫌だと思っていたのに
それに縛られていたことがわかったからです。
それもあって
芸術について理解できたのもあって
コメントする気になったのもあります。

とにかく、正直な想いを私なんかに言ってくださって
なんていうか、救われました。

みんな、計算しますからね。
もうその打算的な言動にうんざりですが、
運良く、私はそんな人達と会わなくていい立場になりましたからね。

人は人から学びません。
それをやっと学びました。

空間感覚は、そうですねー
教えられるものでないですね。

舞台にあがったことが無い人に
人の目線はああだ、こうだと言っても
考えてしまい、それでお終いですしね。
返信する
桂蓮様 (のしてんてん)
2022-06-17 09:14:55
おはようございます。そちらは夜になりましたか。二つの個の位置を意識したら、なんとなく新しい感覚が生まれますね。
その間に地球がある。そう思うと、地球大の感覚になれます。すると地球が浮かんでいる宇宙空間と自分の意識が同化して、自分が無限のひろがりである理解と体験に包まれるんです。ただ在るという至福感です。
この体験は、私と言う絶対個のものであって、他の誰にも分かりませんし、分かち合うことも出来ないのですね。

それゆえ、仮に私についてくるという人が現われたら、私は真っ先にその人の「ついて行きたい」という思い自体の誤りを指摘するしかないのです。
理由は簡単です。私以外に私はいないということです。これが絶対個というものですね。
「それなのに私についていきたいというあなたは、自分をお留守にして私になりたいと思っている。それが大きな誤りなのですよ。」とね。
つまり私達は永遠に一人だということを共に理解するしかない訳です。

ついてくる人が多くなっていけば、それはどこにでもある宗教と同じですね。私はそんなことを望みませんし、理想を聞かれれば、共に進むということ以外にありえません。

私の体験によれば、桂蓮さんが面倒だと感じる自我と言うのは、本当の自我ではない気がします。

本当の自我なら、つまり絶対個の体験なら、めんどくさい感覚はありませんし、何よりこの桂蓮さんのメッセージから流れてくるような穏やかな本質こそ自我だと気付いて行くはずです。

桂蓮さんがおっしゃるように、それに気付いたからこそ書けたこのメールではないでしょうか。

私が長く提唱している五次元と言うのは、共に歩む個が共有できる新しいスケールの概念というのがありますよ。その概念を使って自分や宇宙を語り合いませんかと言うメッセージの発信なのです。

つまり、ついてくる人たち(私の発信を説教ととらえる意識)とは共有できないのですね。

個を貫けば全体に到達する。私にはそれ以外に考えられないのです。

「人は人から学びません。
それをやっと学びました。」

心をこめて拍手をおくりたいで^す^
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