男が前を通り過ぎようとしたとき、私は軽い会釈をして伊藤整の生家のことを聞いてみた。
「家はもうないがね、その文学碑ならこの上だ。」
彼は今しがた私が歩いて来た道を指して言った。私が、そこから来たのだが判らなかったと言うと男はさらに詳しく説明してくれた。彼が指さすところに、ちょうどタクシーが止まった道路があり、そこに電柱が立っていた。その電柱から左へ、つまり小樽の方向に戻って4本目の電柱のある辺りだということだった。要するにタクシーは目的地を100mほど行き過ぎていたことになる。運転手はそれに気付かなかったのだ。
「忍路はここから見てどのあたりでしょう?」
海には余市の方向にいくつも半島が突き出していて、忍路はおそらく一番手前の犬が顎をつきだして寝そべっているような形をした半島に違いないと見当をつけていたのだが、確かめるためにそう聞いてみた。
彼は私のスケッチブックを取り上げ、達者なラフスケッチを描いて見せた。そして忍路だけではなく、蘭島や余市までスケッチを示しながら教えるのだった。その手は節くれだっており、漁師なのか礒の香りがかすかに鼻腔をついた。
私は礼を言い、伊藤整について何か話が聞けないかとさらに訊ねて見たが、文学碑のほかはあまり知らないと言い残して側道に入って行った。
下りて来た雪の斜面は、国道から見上げると下りてきたときよりも急な勾配に見え、もう一度難儀をして雪の斜面を登る勇気も出なかったので、私は半分伊藤整の文学碑は諦めて国道を遡って歩き出した。
ところがいくらも行かないうちに、国道から右手の斜面の上に石碑らしい褐色をした石の頭部がわずかに覗いている場所が目に入ってきた。
そこはつい今しがた教えられた通りの場所で、伊藤整の文学碑に間違いなかった。
HPのしてんてん
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