飯田市の来迎寺の石仏です。
前回に続いての五輪塔の話です。
来迎寺の石仏の造立などに関することは
飯田市教育委員会発行の「飯田市の石造文化財」を
参考にして記載しています。
その中に赤垣源蔵の父母の五輪塔があると記載されています。
これがそうです。
赤垣源蔵は赤穂浪士四十七士の一人です。
以前にこのブログでも触れましたが、
源蔵の生誕の地と言われる場所が飯田市にあります。
飯田藩主の脇坂氏は、
寛文十二年(1672)に龍野藩主として転封しています。
寛文九年(1669)に生まれた源蔵は龍野に行き、
龍野脇坂藩から赤穂浅野藩に移ったと言われています。
歴史としては詳細は不明にようですが。
五輪塔に戻すと、
寛文四年、寛永十七年と刻まれているようで、
寛文九年の生誕年より前の年号が刻まれており、
詳しくはわかりません。
五輪塔の横にあった
天和三年(1683)の名号塔です。
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