野良耆の見聞記

いなか暮らしの野良着生活

古びていくものには味わいがある。そこに小さな歴史があるから・・・・・

天下の糸平

2020-03-14 | 石の構造物

2019年9月27日のブログに

「ラグビーと飯田の関係」を書きました。

その中で「天下の糸平」のことに触れました。

写真は飯田市桜町にある記念碑と案内板です。

ここは、飯田警察署の横ですが、田中家の敷地であったところです。

飯田では弘化二年(1845)から安政六年(1859)の14年間

(12歳から26歳)を過ごしたようです。

飯田の田中家は、兄の子である豊八が跡を継いだとあります。

それから、現在の警察署と飯田創造館の敷地は、元は飯田風越高校の

跡地ですが、この敷地は田中家が長野県に寄付した邸宅だったそうです。

もとに戻って

ラグビーを日本に伝えた田中銀之助は、

初代田中平八(天下の糸平)の孫にあたります。

初代平八と飯田の藍屋の田中保兵衛の娘「はる」の子が「とら」で、

この夫が、初代平八の母方の北村菊次郎で養子になる人です。

この長男が「田中銀之助」です。

初代平八は、慶応元年(1865)に田中和助の養女「だい」と結婚し、

6男3女があり、長男の洋之助が二代目田中平八となります。

三代目田中平八には、養子の田中菊次郎がなった。

右側が飯田警察署なので外しました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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