2019年9月27日のブログに
「ラグビーと飯田の関係」を書きました。
その中で「天下の糸平」のことに触れました。
写真は飯田市桜町にある記念碑と案内板です。
ここは、飯田警察署の横ですが、田中家の敷地であったところです。
飯田では弘化二年(1845)から安政六年(1859)の14年間
(12歳から26歳)を過ごしたようです。
飯田の田中家は、兄の子である豊八が跡を継いだとあります。
それから、現在の警察署と飯田創造館の敷地は、元は飯田風越高校の
跡地ですが、この敷地は田中家が長野県に寄付した邸宅だったそうです。
もとに戻って
ラグビーを日本に伝えた田中銀之助は、
初代田中平八(天下の糸平)の孫にあたります。
初代平八と飯田の藍屋の田中保兵衛の娘「はる」の子が「とら」で、
この夫が、初代平八の母方の北村菊次郎で養子になる人です。
この長男が「田中銀之助」です。
初代平八は、慶応元年(1865)に田中和助の養女「だい」と結婚し、
6男3女があり、長男の洋之助が二代目田中平八となります。
三代目田中平八には、養子の田中菊次郎がなった。
右側が飯田警察署なので外しました。
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