明治時代に行われた神仏分離によって
廃寺となった神宮寺の跡にある石仏です。
どちらかというと墓石が多いのですが。
場所は鳩ケ嶺八幡宮の隣にあります。
ここは看板のように八幡町が管理しているところです。
中心にあったのが「開山塔」ですが
残念ながら造立は不明です。
2016年8月14日の「毘沙門堂の如意輪」で書きましたが、
安養寺のこの毘沙門堂は明治11年(1878)に
この神宮寺から移転されたたてものです。
ゆえに瓦には、松尾地区で使われている「三つ亀甲」が残っています。
明治時代に行われた神仏分離によって
廃寺となった神宮寺の跡にある石仏です。
どちらかというと墓石が多いのですが。
場所は鳩ケ嶺八幡宮の隣にあります。
ここは看板のように八幡町が管理しているところです。
中心にあったのが「開山塔」ですが
残念ながら造立は不明です。
2016年8月14日の「毘沙門堂の如意輪」で書きましたが、
安養寺のこの毘沙門堂は明治11年(1878)に
この神宮寺から移転されたたてものです。
ゆえに瓦には、松尾地区で使われている「三つ亀甲」が残っています。