
高齢化が進み、認知症に対する不安も強くなってると思います。
でも、その実態はそあまり知られていないと思います。私が知らなかっただけかも、
でも、それぞれ症例が違うこと、度合いも違います。ですから、説明はとても難しい、理解しにくい事。
と、思っています。
でも、少し話をします。苦手な方はスルーしてください。でも、これだけは聞いて、
認知症の家族の介護をしてる人に、「怒らないで」とか、「優しくして」なんて簡単に言わないで、、
怒りたくって怒ってるんじゃないと思います。
許容量いっぱい我慢して、爆発してしまうのだと思います。
ですから、そう言う前に、その方の辛さ苦痛に耳を傾けてあげて、癒してあげて
それが出来ないのなら、、何も言わないで、 と、さえ思うのです。
ハハ(姑)の場合、耳も遠く、認知の所為で理解力も落ちています。
言葉の通じない(意思疎通の出来ない)、見えるものが違うようです。
出来るだけ、何とかハハ(姑)の言葉を行動を理解しようとしますが、とても難しい。
日々、見ている(観察している)私たちでさえ、何をしたいのか?何が不安なのか?判りません。
ですから、何が起こるか判らない、何をするか判らない。とてもストレスが溜まります。
だからと言って、怒鳴ったり暴力をしても良いというのじゃありません。
大変ね。」「頑張ってるね。」って、いつも私に下さる励ましの言葉をその方にも掛けてあげてください。
それだけで、とても救われるのです。
さて、ここからが本題です。
ハハ(姑)は、「電話をかけてきたか?」の問い合わせの電話をよくかけてきました。
それを口実に何か頼みごと?でしたが、そうじゃないと思うことが、、増えてきました。
「何処からだろう?」と、あちこちに掛けて尋ねます。
用事があればまた掛かってくると言っても納得せず、親戚や友人に、電話します。
なので、ナンバーディスプレーを付けて見ました。
ところが、それの見方が判らない(忘れた)と言って、呼び出されます。
行ってみると、着信は遥か以前のものしかありません。そう言うと、「あんたじゃ、判らん」と、納得しません。
こちらも、ムッとして帰ってきていましたが、それが幻覚、幻聴だったのですね。
ハハ(姑)は、「聞き違いじゃないですか?」は、受け入れません。これも認知症の症状のようです。
よく認知症の人に、【否定をしないこと】と言われますが、その意味が判りませんでした。
どう対処すれば?でした。だって、電話は掛かっていないのですから、、
少し馴れた今、「何処からでしょうねー?私も判らないんですよ。」もしくは、
「おばあちゃん、心当たり無いですか?考えてみて、」と、下駄を預けます。
すると、私に向けられていた質問が自分で考えるうちに、、、解決してるようです。
ハハ(姑)の症状を理解するには、観察すること、慣れと諦めが必要です。
これにはこちらにも時間と忍耐が必要です。
ですが、症状はそれを待ってくれずに進みます。 次々に新しい問題、機能の衰えが起きてきます。
ずっと以前は、間違いを認めませんでした。間違った・失敗した。に、理由を作っていました。
そのうち、失敗した時、「ボケてきたよ」って、言うようになりました。以前は、「え?!」でしたが、
「そんなこと無いですよ。」「シッカリしてるじゃないですか」 と、言うと安心した顔をします。
否定して欲しいのだとわかってきました。
今、ハハ(姑)は、そんな風に取り繕うこともなくなりました。
認知症の症状、一つだけ書きました。羅列しても、とても理解できないことが多いと思います。
もし、同じような環境にあって、吐き出したい何かをお持ちの方、ここでどうぞ、、
自分が潰れたら、みんなが潰れる、だから、気晴らしをしながら、頑張りましょう~~ この記事は、以前に書きかけていたものです。
その後すぐ、気持ちに余裕が無くなり、書けなくなりました。今、少し落ち着いて、改めて加筆修正しました。
その間のことを、少し書いて行きたいと思っています。
その辛さ苦しさは、はたから見ているだけでは判りません。
え、経験が無いだろうって。。。
いえ、この年まで生きていれば、形は違っても何かしら経験しているものです。
何も出来ないけれど、応援してます。
個人的にも、愚痴聞きますよ。
介護してくれる人の気持ちを学習させてもらってます。思っていることはどんどん書いてください。勉強になります。
寄り添いすぎないことが、私のハハ(姑)との付き合い方です。
それでも、つい愚痴になります。
エヘ^^よろしくお願いします。
と、書き始めました。暫くお付き合いください。
初めてコメントさせて頂きます。
私も姑と36年間同居 平成16年に85歳で亡くなりました。
75歳位から認知度が進み、最後は私の顔も分からなくなりました。認知度5度の重度でした。
おっしゃる通り介護を実際にした人でないと、その大変さが理解できないと思います。
マニュアル通りには行きません。何度も私の方が挫けそうになり、倒れる寸前でした。
プロの介護士でさえ、時々 怒鳴ったり、暴力を振るって問題になってますが、
良いとは言いませんが、気持ちがわかるような気がします。
益して、家族だとよけいに感情移入して、何とか理解しようと焦ります。
姑は息を引き取る前に私に「有難う」と言いました。それが救いです。
普段は絶対にお礼を言わない人でしたので驚きました。
どうぞ、のん太様のお身体 充分にお気を付け下さいね。
実は認知症の人を地域で見守ろう、というような講座に行って、修了証みたいなものをもらいました。
そのときの講師の話が>「怒らないで」とか、「優しくして」…だったので反発しました。ウソだと思いましたが、実際にお母さんを看ている女性だったので複雑な思いでしたね。
キケ・マンかと思ったら黄ケマンで、先日の紫と対になっていたんですね。ふふ。
私は姑の介護中だったので時々会いに行くだけでしたが、同居していた兄夫婦の苦労は大変なものでした。
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
最後は3人の子供(リンたち)に看取られて、自宅での大往生でした。
ショートステイなどを利用してもらい、息抜きされますように。
キケマン、こちらにはありません。
私が気が付かないだけかも知れませんが。
我が母は要介護1で施設でお世話になっていますが
のん太さんのようにいっしょに暮して姑として
お世話をされるのは実際 大変なことと思います。
たくさん書いてください じっくり読みます。
まだ介護保険制度が出来て間もない頃の事で
認知症についての知識をまるで持ち合わせていませんでした
足腰内臓元気だったので徘徊がひどかったです
きっと不安で動かずにはいられなかったんだろうと
今になって思い至ります^^;
家族が怒るのは半分はボケているという事を
認めたくないという気持ちもあります
だってマダラボケ程度ならこちらも父がボケたとは
認めたくないですもんね
亡くなって10年近く経ちますけれど 今でもふと思い出して
なぜあの時ああして上げられなかったのかとか
こうしてあげたらよかったのにとか いたたまれない気持ちになります^^;
介護者こそ心身ともに健康でなければいけないなと思いましたよ・・・
私は過ぎた事なのでいいのですが現在進行形の人は
不安だしストレスは溜まるしで苦しいと思います
私の経験の範囲ならお答えも出来ますので色々聞かせてくださいね
わたしも 13,4年前に 父に腹が立ち 瞬間につい大きな声を出したものです。
度重なる大病を繰り返すうちにいろいろ学び そういうことはなくなっても
私は「また大きな声を出しそう」 父は「また娘が大きな声を出してなじる」とおそれ
お互いに 接触をひかえ すれ違うとき ものもいわないことが多いです。
ふたりの間を行き来する高齢の母も かわいそうです。
家によって みんな違います。
でも みんな悩み 疲れています。
のん太さんの体験や思うこと たくさん聴かせてもらいたいです。