きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

既読の既読 2015.02.02

2015-02-02 23:54:56 | 日記
白山羊さんからお手紙着いた 黒山羊さんたら読まずに食べた 仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙の御用事なあに?

 平成生まれの若者にはとても想像だにできない気の長い話だろうが、かつては文通というものがあった。手紙を書いて投函する。それが相手に届き、読んだ相手が返事を書いてその手紙が配達されるのを待つ。早くても数日はかかる。今ならSNSでほぼリアルタイムでメッセージが届き返信も帰ってくるというのに。

 携帯電話でメールをするようになると手紙よりは早いが、それでも当然時間差はあり、簡単なあいさつ程度にしたって早くても数分以上はかかるし、少々長めの文章や、込み入った内容を送れば数時間とかいうことだってあるし、そもそもメールが届いたことにすぐには気づかないことだってある。

 今はラ○ンやメッ○ンジャーなどというアプリがあり、届くのも早いし、相手が送ったメールやメッセージを見たかどうかも分かるようになって便利なような便利でないような。ツイッターで誰かが呟いていたように、寧ろ時間がかかる手紙やメールならまだ届いてないのかも、まだ気づかずにいて見てないのかもと都合よく解釈もできたが、「既読」なり「開封済み」なりが付いてしまえば言い逃れは出来ない。所謂「既読スルー」ということになり、確信犯だとばれてしまう。

 今日の自分のツイートにも書いたことなのだが、「既読の既読」というのがあったら、などと考えてみた。少々ややこしい話になるので、面倒だと思われる方はここでドロップアウトして頂いて一向に構わない。さして重要でもない戯言に付き合ってやろうという奇特な方がいらっしゃるかどうかわからないが、話を先に進めてみよう。

 ある人物が誰かにメッセージを送るとする。仮に送り手を白山羊さん、受け手を黒山羊さんと呼ぶことにする。
白山羊さんがメッセージを送る。
すると黒山羊さんのスマホがキンコンとなって着信のお知らせが表示される。
黒山羊さんがアプリを起動させて、白山羊さんからのメッセージを見る。
白山羊さんのスマホのディスプレイには「既読」の文字が表示されて、白山羊さんは黒山羊さんがメッセージを見たことを知る。
黒山羊さんが返信をしなければ、「既読」のついた白山羊さんのメッセージでトークは終了になる訳である。

 少し時間を巻き戻してみよう。
白山羊さんがメッセージを送ったあと、すぐに黒山羊さんがメッセージを見なかった場合、白山羊さん側には何も起こらない。
逆に言えば、例え「既読」が付いていたとしても、黒山羊さんから返信がない限り、白山羊さんのスマホにキンコンとお知らせが来るわけではないので、白山羊さんのディスプレイに「既読」が表示されるのを確認しないまま白山羊さんがウインドウを閉じてしまえば、白山羊さんには黒山羊さんにメッセージが届いたかどうかを知る術はない。黒山羊さんが「未読」なのか「既読スルー」なのかは白山羊さんが知ろうとしない限りわからないということだ
忙しくて見てないのか、見たけれど返信する気がないのか、知る由もないということなのである。

 問題はここからなのである。
白山羊さんが黒山羊さんに送ったメッセージを黒山羊さんが見て「既読」がついているにもかかわらず白山羊さんはそれを確認していない、ということを黒山羊さんもまた知らない。
黒山羊さんにしてみれば、お知らせが来てメッセージを開封したら、当然白山羊さんのディスプレイには「既読」がついているはずだということは想像できるが、黒山羊さんの「既読」を白山羊さんが確認したというお知らせもまた来ない訳で、つまりは黒山羊さんが白山羊さんからのメッセージを見たことを白山羊さんが知っているかどうかは黒山羊さんにはわからないのだ。
白山羊さんが黒山羊さんの既読を心待ちにしているのか、言いっぱなし送りっぱなしで終わって構わないと思っているのか、知る由もないということなのである。

 だから黒山羊さんの「既読」を白山羊さんが視認したという、言うなれば「既読の既読」みたいなものが在れば、白山羊さんのメッセージを黒山羊さんはちゃんと受け取ったことが白山羊さんに伝わったと黒山羊さんにも確認できる。
逆に言えば、もしも「既読の既読」というものがあったとして、「既読の既読」がつかないということは即ち、白山羊さんにとっては、メッセージを送るだけで、それを黒山羊さんが読もうが読むまいが、未読だろうが既読スルーだろうがどちらでもいいことなのだ

 何でそんなややこしいことを考えたのかというと、白山羊さんが黒山羊さんに恋する乙女だったら、と想像して頂くとわかりやすいかも知れない。
度々ソースがツイッターで恐縮だが、男にとってメールというのは連絡手段であり、女にとってはコミュニケーションツール。男にとって恋愛は生活の一部に過ぎないが、女にとっては恋愛は生活の全てである。

 白山羊さんは日々の何気ない話題で黒山羊さんに絡みたがる。
「ねえ、聞いて。今日こんな面白いことがあったのよ。」「ちょっと悩みがあるの。相談に乗って。」
内容は何でもいい。白山羊さんが話し掛けて、黒山羊さんが返事をしてくれる。どんな返事でもいい。返事がもらえるなら。
しかしそれは黒山羊さんにとっては迷惑ではないか。ウザい女だと思われてないかしら。嫌われてしまうかしら。
白山羊さんは素っ気ない黒山羊さんに急に不安になる。
単に仕事が忙しくて疲れているのかも知れないし、体調が良くないのかも知れない。
短いメールの言葉だけでは黒山羊さんの本音は測り知れない。
だからちょっと遠慮しよう。用もないのに無駄話をしてはいけないんだわ。
一応はそう考えてみる。確かに大事な用事がある訳でも急ぐ話でもない。だったら止めておこう。
いろいろ思い悩む。そのうち段々マイナス思考になってくる。
もう嫌いになったのかしら。別れようと思っているのかも知れない。このまま自然消滅になればいいって考えていたらどうしよう。
そして白山羊さんはふと思う。
黒山羊さんが何か言って来られるまで黙って待っているつもりだったけど、以前のようにさりげなく話し掛けてみよう。
返事なんて要らない。無視されても構わない。
そして白山羊さんは前述の「既読の既読」について考える。
もしも黒山羊さんの「既読」を確認しないままずっとアプリを起動させずにいたらいつかは気にして黒山羊さんから返信が来るかしら、なんてあざとい気持ちは微塵もない。
いつか終わりは来るものだとしたら、それが今ではないとどうして言える?
だったら言いたいことは言いたい時に言っておかなきゃ後悔するでしょ。
それが黒山羊さんにとってどうでもいいことだとしても、内容以前に開けてみる気にさえならなかったとしても、それでいい。
ただ心の何処かで少しだけ、気にかけてくれたら嬉しいのにと思っている。
ちょっとだけ黒山羊さんを傷つけてみたいような意地悪な気持ちがある。
だけどそれも全て一人相撲で、黒山羊さんははなから相手にしていないのかも知れないし、そうだとしてもそれでいい。

 なまじ「既読」などと言うものが在るために振り回される白山羊さんの乙女心。
ふとそんな妄想がどんどんエスカレートしてしまったのである。

 因みに自分は話の終わりのきっかけを作るのが下手である。なので大抵は自分のメッセージに対する相手の「既読」で終わる。友達でも家族でもほぼそんな感じである。どうしていいかわからないとスタンプでも貼り付けてお茶を濁すことも多い。
長文、脱線、挙句終わりのタイミングがわからない。最悪である。こうして一方通行の勝手なおしゃべりをしている方が断然気が楽である。
皆それほど深くものを考えてやっている訳ではないのかも知れないが、つくづく自分で嫌になる。
それも妙なナルシズムのなせる業なのかも知れないが。