4月30日に、Tさんから📩がきました。
先程、岩村城に行ってきました。
心配していた天気も良かったです。
岩村城へ行く時のナビが前回と違う道を案内され、途中「大正村」に立ち寄りました。
たまたま、氏神さまと同じ八王子神社があったので行ってみました。
知らずに行ったのですが
遠山家の産土神でした。
不思議な縁ですね。
その後に岩村城に行き、教えて頂いた岩にお酒と少しお供えをしました。
写真を送らせて頂きます。
Tさん一家は、なぜかナビに導かれて寄っていたらしいのですが、私は「大正村」を知らなかったので、調べてみました。
正確には「日本大正村」というらしく、恵那市明智町にある、大正時代の街並みを残した施設のようで「鬼滅の刃」の舞台が大正時代なので、最近人気が出たみたいです。
そこの奥に八王子神社はあるのですが、町名でわかるように、明智光秀の生誕地でもあるようです。
画像は、お借りしました。
そして、岩村城を建てた遠山氏は、大元の岩村遠山家で、そこから分かれた沢山の分家があり、明智遠山家がこの地にいたようですね。
八王子神社は、平安時代からある古社のようですが、戦乱で焼け落ちてしまい、やはり明智遠山家が再建したそうです。
ちなみに「遠山の金さん」は、明智遠山家の子孫のようですよ。
4月30日に、Tさんはご家族4人皆様で出掛けていたようで、岩の写真が送られてきました。
清々しい天気ですね。
前回に出てきた、おつやの方の前世を持っていると言われたお嬢様が、言われたように背丈ほどのところに「女城主」のお酒を掛けていますが、白くボワッとした物が見えています。
そして、次の日におつやさんが話してきました。
つやです。
昨日は、ありがとうございました。
岩を教えてくれたので、酒といなり(寿司)を持って来てくれました。
◯◯が写っている写真に私が写っていますよ。
高い位置に掛けてくれたので、、、
通じたことが嬉しいです。
岩村城は、遠山家が建てたのですからね。
大変な工事でしたよ。
私は、おつやさんが「いなり(寿司)」と言ったので、Tさんが送ってくれた写真を見直しました。
確かに「いなり寿司」をお供えしていたので、嬉しかったのかと思いました。
千葉神社で話してきた千葉氏の祖である「平 忠常」のことも今回の「おつやの方」のことも私は知りませんでしたが、歴史のページの中では大事な人だったのだと思います。
神様達は、よく「スミで消された」と表現しますが、忘れないで欲しいというページなのだということでしょう。
岩村城は標高が高い場所に建てられた山城で岐阜城と同じように攻めにくいお城だったようで、おつやさんが言うように大変な
工事だったのだと思います。
恵那市岩村町のお店や家ののれんには、その家のおかみさんの名前が書いてあるそうで、おつやの方は、女城主として町の人達に慕われていたのでしょうね。
2月12日のセッションからのお話しでした。
嫁いで恵那市に住んでおります。
岩村城、おつやさんの事を記事にして頂きありがとうございます⭐️
初めまして、コメントありがとうございます。
セッションからのまさかの展開でした。
本当に知らないことは多いのだなと、つくづく思います。
恵那市の方達は、おつやの方を大事にしているのだと、調べて思いました。
戦争は、いつの世も酷いことの連続ですね。