いよいよ「神嶽山神苑(かんたけやましんえん)」に入苑しました。
「浄め土」は、振り子で観るとプラス50になります。
「難波の小池」の先は、こんもりとした古墳のようになっています。
私達は、こちらにご挨拶してから、お庭に向かいました。
ここでは、常設展示と別に展示が変わるようで、今回は「神社と震災」となっていました。
中に入ると、真ん中に常設になっている「キトラ古墳」の星宿図は天井にあり、いわゆる四神が守っている平安京の様子になっています。
私は「方徳資料館」を調べていて、やっぱりと思った文章に出会いました。
説明文には、1569年に小田原攻めの時に奉納された物と書かれています。
私は知りませんでしたが、翌年の1月15日に「丹沢地震」という大きな余震があって、寒川神社もまた被害を受けていたようです。
しばらくまったりした後に、お庭を歩いて楽しみました。
写真は、「茶屋和楽亭」をお庭から見た物です。
もう、何度か私は行っていますが、ブログ読者のKさんのお陰様でここに入ることが出来ています。
「神嶽山神苑」の土は、入口のところで求めることが出来るのですが、Kさんは熱海の「nona house」のプレ•オープンに合わせて寒川神社と同じ折り方の色とりどりの折り紙で「浄め土」を沢山贈ってくださいました。
ありがたいことですね。
「浄め土」は、振り子で観るとプラス50になります。
いらしたお客様達にお渡しして喜んでいただいています。
入ってすぐの手水舎です。
この奥にある池は、「難波の小池」と言って撮影禁止となっています。
丁度、本殿の裏側の場所ですね。
空はいつもの日輪が出ていました。
「難波の小池」の先は、こんもりとした古墳のようになっています。
私達は、こちらにご挨拶してから、お庭に向かいました。
こちらの水の流れは、いつ見ても美しいです。
一番奥にある「方徳資料館」に行きました。
ここでは、常設展示と別に展示が変わるようで、今回は「神社と震災」となっていました。
最初に行った5年前の2019年の展示は、「キトラ古墳」との繋がりのことだったので、私は本当に衝撃を受けました。
✩寒川神社に行きました その3
中に入ると、真ん中に常設になっている「キトラ古墳」の星宿図は天井にあり、いわゆる四神が守っている平安京の様子になっています。
私は「方徳資料館」を調べていて、やっぱりと思った文章に出会いました。
副館長の方がご案内している文章で、一部を抜粋します。
寒川神社の起源は定かではない。
何を祀っているのかも明確ではなく、方位除信仰がいつ頃から、どのような理由で始まったのかも今のところ不明である。
由緒ある神社ではあるが、同時に謎の多い神社でもある。
そもそも、寒川神社に限らず、関東方面の方位除信仰の歴史はよくわかっていない。
関西ではキトラ古墳の壁画に見られるように、古墳時代にすでに方位除信仰があったことが判明している。
さらに、平安京は風水に基づき都市計画が立てられており、神社も方位的に意味ある位置に建てられた。
やっぱり寒川神社は、謎の神社だったようですね。
私は常設にある「武田信玄の兜」の前に立って見ていました。
説明文には、1569年に小田原攻めの時に奉納された物と書かれています。
私は以前から気が付いていましたが、Iさんは初めて気が付いたようで、やっぱり恵林寺に一緒に行ったJさんと来たのも、意味があったのだと思いました。
「神社と震災」については、関東大震災から昨年が100年というタイミングだったので、その時の寒川神社の復興についての展示でした。
私は知りませんでしたが、翌年の1月15日に「丹沢地震」という大きな余震があって、寒川神社もまた被害を受けていたようです。
全部が復興したのは、昭和6年(1931年)で、8年もの歳月だったのですね。
私達は、「方徳資料館」の手前にある「茶屋和楽亭」で、Iさんに抹茶をご馳走していただきました。
しばらくまったりした後に、お庭を歩いて楽しみました。
写真は、「茶屋和楽亭」をお庭から見た物です。
続きます。
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