石原延啓 ブログ

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浪分神社、再び

2011-06-17 11:47:35 | Weblog


6/1
深酒した翌日は台風一過の晴天、Sさんに仙台の被災地を案内してもらう。
まず度々話題に出ていた浪分神社を訪ねる。
写真で見ていた通り決して古い社殿ではないし、元ある場所からこの地へ移されたのもそんなに昔のことではないとの話だった。
帰京後再度ウェブを調べて分かったのだけれども、この神社の由来は平安時代の貞観大津波ではなく、江戸時代初期のものだった。
以下毎日新聞とある人のブログより

●東日本大震災:「伝説」の神社、脚光 仙台・浪分神社、江戸時代も今回も津波免れる

江戸時代に津波被害を免れたことにちなんで命名されたといわれる、仙台市若林区霞目(かすみのめ)2の「浪分(なみわけ)神社」が脚光を浴びている。
宮司がいない小さな神社だが、震災以降はインターネットなどで関心が高まり、参拝者が訪れている。【伊藤一郎】
地元の言い伝えによると、神社は江戸時代の元禄16(1703)年、海から約5キロの地点にほこらが建てられ、「稲荷(いなり)神社」として信仰を集めた。天保6(1835)年に発生した津波は目前まで迫ったが不思議と南北に分かれ、のみ込まれなかった。そこから「浪分神社」と呼ばれるようになった。
この津波と冷害による飢饉(ききん)を鎮めるため、約500メートル内陸の現在地に移されたとされる。今回の震災では、波が分かれたと伝わる元の場所にも、現在地にも津波は到達しなかった。
参拝に訪れた仙台市宮城野区の団体職員、磯田淳さん(50)は「今まで存在に気づかなかった。先人が名称に託した意味を大事にしていく必要がある」と語った。
現在、神社を管理している霞目町内会の荒神暁会長(67)は「興味を持たれた方からの問い合わせもあるので、説明看板を立てることを検討している」と話している。
毎日新聞 2011年5月20日 東京夕刊

●浪分神社[なみわけじんじゃ](霞目)
元来は元禄16年(1703)に霞目の八瀬川に建てられた稲荷社だったが、天保6年(1835)に現在地に移されて浪分神社という名になった。
七郷一帯は標高が低く、昔から津波や洪水の被害が大きかった。
慶長16年(1611)の慶長大津波では霞目まで水が押し寄せ、1700人を越える死者を出している。
天保期に、慶長の大津波が二つに分かれて引いた場所に稲荷社を移し、津波よけの神社とした。
この神社には、白馬にまたがった海神が大津波を南北に分けて鎮めたという伝説がある。

~ということでした。
諸説あるようだが、慶長の大津波は被害が大きく、仙台に移ったばかりの伊達政宗は始めたばかりの領内経営に大打撃を受けたらしい。
天保6年にも実際にここら辺りまで津波が来たらしいので、津波の要注意ラインであることは間違いなさそうだ。但し、仙台東部道路が防波堤の役割を果たさなければ、あるいは今回は危なかったかもしれない。

興味深かったのは拝殿の後ろ、本殿の軒下に石製の祠が置いてあったこと。
この祠が妙に存在感がある。
Sさん曰く実はこの祠が本来のもので、ご神体だけ本殿に入れて、石製で重すぎる祠を仕方なしに軒下に置いたものではないかと。。。
石の祠も珍しいのだが、Sさんによれば、例えば川が氾濫するような地域では水神を祀るためのものとして稀に見られるそうだ。
水が来ても重みで流されないからではないだろうかとのこと。

次に被害の大きかった荒浜地区や名取川沿岸部に向かうが予想通り深刻な被害を被っており、未だ通行止で作業中であった。
遠目で見ても残った家々の一階部は全て浸水している跡が見受けられた。
先にも書いたけれど、今回の津波で仙台東部道路が果たした防波堤の役割は大きい。道路の海側内陸側とでは雲泥の差だ。
ここに登って何を逃れた人々も多かったと聞く。今後東北の復興に際して役立てて欲しいものである。

道中自分が今渡っているのが震災当日にテレビ中継で観た「あの」橋であることに気づく。
家屋や車、ビニールハウスなど全てを飲み込んで津波が押し寄せた。逃げ惑う車と迫り来る濁流を前にこの橋で停車したトレーラーの上で呆然と立ち尽くす一人のお巡りさん。
この方は助かったのだが、その恐怖はいかばかりであっただろう。

16年前に「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う! 」という本を書かれた飯沼勇義さんという方が、当時の浅野知事へ新たな防波堤の設置など、津波対策を強化するように陳情したということが話題になっているらしい。
その時は全く無視されたらしいが、今回の経験は後世にきちんと伝えていかなければならないだろう。

昼食後にSさんに別れを告げて東京へ向かう。
元気そうなSさんと会えた喜びとともに、今回の東北行では原発の問題と切り離して東北の現状を観ることとなった。
一月前とは問題点が推移してきている。
原発の問題も深刻だ。
私たちは東北の復興という問題も忘れずに総合的に対処していかねばならない。

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