石原延啓 ブログ

seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 

聖地チベット展

2009-09-29 14:12:59 | Weblog


友人でニューヨーク在住の画家、藤田理麻さんからお怒りのメールあり。
何でも今度上野で始まった展覧会がポタラ宮殿の仏像を展示しているのも関わらず、かつてそこに誰が住んでいたのか、ダライラマのダの字も無い展覧会だとのこと。そして理麻さんの友人が抗議に行って主催者に取材したところ、なんと主催者(実行委員会長)が「我々は、チベット人というものは存在せず、チベット族だと思っている」と発言したとのこと。これはさすがにひどい。
チベット人の方々やそれを支援している理麻さんのお怒りもごもっともだろう。
少し調べてみたところ、主催者のひとつ大広(件の発言の実行委員長もここの人)は中国に支社を創って大々的に業務を展開していこうとしている広告業務の会社だから、何と言われようが厚顔を決め込んで中国寄りの立場をとるのは当然だろう。
人権よりもお金、人道主義よりも資本主義。我々が生きているグローバニズムのひとつの象徴的な出来事と言える。
里麻さんは怒り心頭で展覧会を成功させちゃダメ!と怒っていらっしゃったが、逆に皆さんが頑張って抗議していることで人権問題に疎い呑気な我々日本人が少しでもチベットの問題について知ることができるのであれば、日本での今後の運動の広がりを見据えてむしろメリットになると言えるかもしれない。
むしろここで、私は同じ主催者に名を連ねる朝日新聞とTBSがこの件に関してどういった見解を持っているのかに興味がある。
同じ文句を言うならば両社に対して行った方がより効果的なのではなかろうか。過去に日本が中国に侵略したということと同様に、当然中国は現在チベットに侵略し占領していることになる。人権問題にうるさいメディアが無視を決め込むのならば、それはそれで大きな問題と言えるだろう。東アジア共同体も結構だが、これから先私たち日本人はよりシビアな現実に向かい合う必要性にせまられるかもしれない。それにしても明日は我が身みたいなことにならなきゃいいけれど。。。

聖地チベット展>http://www.seichi-tibet.jp/
「チベット族」発言>http://www.youtube.com/watch?v=bQN1ykiJo4I
内覧会記事>http://news.livedoor.com/article/detail/4357988/
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 声明>http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/090928_appeal.html

バスキアか!?(親バカ日記)

2009-09-14 12:17:08 | Weblog


週末は息子がアトリエに来て久しぶりにお絵描きの「パパ先生」教室を実施。
とはいっても画材を用意して自由に描かせるだけで何を教える訳でもない。
アトリエならば汚しても大丈夫。ママに古着を着せられ送り出された息子は絵具でお絵描きをやる気マンマンだ。
今回は大きな段ボールを用意して、アクリル絵具を4色選ばせる。最初にクレヨンで大まかに描きたいものを描いてから絵具を使うということと、筆を筆洗い用バケツを色ごとに分けて濁らないようにすることのみ指示をした。以後2時間集中して描き続けて出来上がったのが写真の作品です。
途中で「休むか?」「何か飲むか?」という父親の声もはねつけて、何かブツブツ言いながら延々と絵を描き続ける息子には驚かされた。
私は4歳である今の段階では決して「上手な絵」を描いて欲しくないと思っている。それよりも彼が抱えている「ワンダー(不思議)」な世界をどんどんどんどん広く、強くしていって欲しいと願う。大人が言う「上手」、大人が求める「正解」に答えなくてはいけない時期、環境は必ず訪れてしまう。なればこそ、今は今しかできないことをやらせてあげたいと思う次第。
息子のブツブツに耳を傾けてみると、絵のディテールのひとつひとつには全てお話(意味)がある。絵を描きながらそれがどんどん広がっていくのが分かる。
アートの世界でもナラティブの重要性が問われたりするけれど、頭でうんうん考えてもなかなか上手くいかない私より息子の方が良い絵を描くなあと少しへこんだ。
終了後「(自分も)パパみたい(なアーティスト)になっちゃった」嬉しそうに語る息子にホロリとさせられた。もちろん帰りの車内ではバタンキューでした。

尾崎豊と芥川賞

2009-09-07 11:16:58 | Weblog


今読み始めた本が面白くて垂涎ものだ。能の研究で有名らしい松岡心平という人の著作「宴の身体」というもので、網野史観を能を中心とした中世の芸能に絞って研究したような内容で時宗と佐々木道誉との関係とか稚児の聖性と世阿弥の芸の身体論とか、連歌を催した枝垂桜と一揆の時に纏う箕笠との比較などなど、痺れてしまう。まあこれは後日どこかで述べさせて頂くとして、それに関連して芸能関係の何だかをネットで調べている途中になぜだかリンクしたyoutubeで五輪真弓の「恋人よ」を聞いてえらく感動した。これに味を占めてここ数日間は仕事の合間に昔の歌謡曲を調べて聴くのにはまってしまった。それ等の中で19歳時の尾崎豊「I love you」の動画がとても印象深かった。

私はほぼ同世代だったからか当時若者の教祖と称された尾崎豊に対してはどうも冷めた目で見てしまいほとんど聴く機会を持たなかった。しかしこの歳になって改めて客観的に聴き直してみると、彼のあまりに率直な表現の仕方に素直に心を揺さぶられた。同時に、ああこんなに繊細だったら本当にしんどかっただろうなと思うし、抜き身の刀でそこらをぶらぶら歩いているみたいで回りも本人もさぞかし大変だったことだろう。
彼の歌を聴いていると頻繁に「自由」という言葉が使われていることに気づく。何かしら抑圧されているものから解放されたいという思いは誰もが経験する十代共通の命題なんだろうけれど、この歳になってみると十代の頃感じていた「自由」と現在の自分が感じる「自由」とではその意味合いが随分と違ってきた気がする。

件の「宴の身体」の前に文芸春秋に掲載されていた今度の芥川賞受賞作「終の住処」を読む。著者の磯崎憲一郎さんは三井物産のエリートサラリーマン(次長)ということで話題にもなったが、尾崎豊が生きていたら丁度同じ歳だ。作品に対する論評はともかくとして、私が興味を引かれたのはインタビューの中で作者が作品について語っている中の「どんなに性格や価値観が違っていて理解しあえない相手でも、長年一緒に生活したり仕事したりすると、その過ごした時間の方が重たくなる」という一節だ。
40を過ぎてみると自分もそれなりに生きてきたと思うし、尾崎が叫んで訴えたように自分に誠実にキラキラと生きてこれなかったなあと後ろめたく思うようなこともさすがにない。また、磯崎氏が言うように積み上げられた現実の日常生活に自身のアイデンティティを求める姿勢もわからないではない。

ここで私はかつて何度かお仕事を手伝わせて頂いた華道家の岡田幸三先生を思い出す。
先生は既に数年前鬼籍に入られたが、長年の間池坊の重鎮として責務を果たされてきた後、晩年は流派を離れて自由に活動されていた。確かな技術と、あらゆる古典に精通した知識に裏付けられた先生の創造の魂は自由奔放に飛翔していた。いつも泉のようにアイディアが湧き出てくるのには感嘆させられたものだ。
押しつぶされそうになるような伝統の重みと対峙しつつ、80を前にしたお年でも尚岡田先生の精神は本当に自由であられた。そして尾崎が今生きていたらどんな詩を歌ったのだろうか。やはり自分を取り囲もうとする何かから逃れようともがき苦しんでいただろうか。あるいは自ら積み上げた経験から実社会と折り合いをつけて新たな世界観を聴衆に聴かせてくれただろうか。残念ながら彼は若くして夭折してしまい若々しい歌声と伝説だけが残ったけれど、それもまたありか。

尾崎豊(19才)「I love you」>>http://www.youtube.com/watch?v=YubE1GVWPy4&feature=related