石原延啓 ブログ

seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 

大船渡行き

2011-04-28 19:05:05 | Weblog


月曜日に東北大震災に見舞われた大船渡にボランティアで入り、昨日遅くに帰宅。
今回はご本人のご実家も被災されたワンピース倶楽部の石鍋さんの呼びかけもあり実現した。
アーティストとして現地で何が起っているか知らなければならないと思いつつも、
自分個人が現地で被災した方々に一体何ができるのか?それはただの野次馬だろう、という葛藤があり躊躇。
しかし、石鍋さんの「報道だけでは復旧すればいずれ忘れられてしまう。今、現地で何が起っているかを実際に見て欲しい。
とにかく思い切って来て下さい」という言葉に後押しされて東北へ向かう。

かつて何度か訪れた東北行では白河の関を越えると空気が妙に澄んできて「ああ、陸の奥に足を踏み入れた」と思ったもの。
しかし今回は突然東北道の路面がデコボコしだしたことに気づかされた。
仙台を過ぎると道路と道路を繋いだ部分が盛り上がり、ちょっとしたジェットコースター気分を味あわされる。
まだ全線開通して間もないから2車線のうちひとつを工事している箇所も沢山。
あと、自衛隊の車と物資を輸送する大型のトラックも多く目についたかな。
ジェットコースターのモワンを繰り返した後、東北道を一関インターで降りて国道を気仙沼、大船渡方面へ向かう。
スーパーも開いているしライフラインも戻っているので食事等の心配はないとのことだが、途中念のために最低限の食料や水を購入。
ところどころで壁が崩れたり道路の補修工事が見とめられるものの、目立った異常はないように見える。
道中の牧場や満開の桜をみていると、あまりののどかな風景に本来の目的を忘れて観光気分になってしまう。

石鍋さんからは住所と大まかなアクセスしか聞いていなかったので、7年前のボロカーナビに従い車を進めると、
いよいよ気仙沼、陸前高田、大船渡などの地名を見つけ緊張する。
すると遠目にいきなりオレンジ色に錆び付いた鉄骨の瓦礫が目に入ってきた。
後で聞いた話では、気仙沼では大きな火事があったとのこと。
火事後の鉄骨は塩気にさらされてすぐに錆びが来てしまうらしい。

時刻は5時を過ぎて自衛隊の車が続々と引き上げてくる。
その量に事態の深刻さを垣間みるが、道に不案内な私はともかく先を急いだ。
明らかに水が来たと思われる地域を通り抜けるとすぐに、国道は山へ登ってゆく。
気づくといつのまにか車は私だけになっていた。
ボロカーナビはこの先通行止めを標すが、対向車が来るのを頼りにとりあえず進んでみる。
そして陸前高田に入り、開けてきた風景に私は絶句させられた。

大きな建物のない陸前高田の津波被災地は広大な更地になっていた。
そこら中に転がる車は破壊されつくして原型を留めていない。
全てが徹底的に流された彼の地では人の姿は見とめられずに、カラスやカモメが空中に円を描いていた。
私は何となく疫病で亡くなられた人が打ち捨てられた日本の中世の河原を思い起こす。
これはもはや現実の世界ではなく、死の世界との境界に足を踏み入れているのは間違いないと思った。

カーナビが標す湾を横切る大橋は津波で見事に寸断され、それを避けて車を奥へ進めても川を越えて向こう岸へ渡れそうにない。
心細くなりつつも他の車が瓦礫を無理矢理寄せて出来た一方通行路を行くのについていくと、上流で大船渡側に渡る事ができた。
高台から大船渡の湾を見下ろす石鍋さんの山荘につくとあまりに美しい風景に驚かされた。
被災した場所まではかなりの距離があり、これから見ることになる惨状などは想像できぬ絶景。
そうこうするうちに石鍋さんたちが戻って合流し、一緒に大船渡の被災エリアへ向かう。

大船渡の被災状況は陸前高田とはまた違って瓦礫の山、山、山。
昭和35年に石鍋さんのお父様が設立した産婦人科の病院を見る。
「これは2階部分だけれど、あそこに見える線路の向こう側から流されてきたのよ」
という言葉に思わず息を飲んだ。 

(写真右部分が被災した石鍋さんのお父様の病院。瓦礫の奥では例年と変わらずに桜が美しい花を咲かせている。)

孫さん、凄すぎ

2011-04-21 11:15:50 | Weblog


http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042001000927.html

孫さん、凄すぎ。
100億とか生涯賃金全部寄附にも驚かされたけれど、この脱原発財団も凄い。
国民の気持ちを一番分かっているのではないかい?しかも行動早過ぎ。
佐野某とかの突っ込み本じゃなくて、いずれ偉人として伝記になっちゃうかもしれない。
それに比べて今の政府はなあ。。。

越中正人 展「Individuals」

2011-04-18 21:18:36 | Weblog


4/15
久しぶりにオープニングへ。
越中正人「Individuals」@ nca 
http://www.nca-g.com/
フライヤーではタイトルと画像が結びつかなかったのだけれども、ある日作家がキャンプで焚火をした時に火の粉と星の光が重なって見えた時に受けたインスピレーションから作品化されたもの。
身近な場所で燃える火の粉と遠く何万光年も離れた場所で燃える恒星とが同じ画面上で出会う。
個と集合体というのが越中君の継続したテーマということだけれども、難しい話はともかく、重なり合った二つの異なるイメージが奏でる流動性は今までに見たことのないものであるし、何よりも火の粉を写真に撮ってクローズアップするとこんな姿をしていたのか!?と驚かされる。
火とか星とかを見ているだけで思わず自己の存在について考えさせられてしまうのは人の常だけれども、越中君もまた己の内面へと掘り下げてゆくタイプの作家なのだろう。

個と集合体というテーマで思い浮かぶのはやはり被災した東北地方。
「津波てんでんこ」という言葉があるとニュースで聞いた。
三陸で地震がきたら家族バラバラでも逃げなければ津波にやられるという意味らしい。
が、実際には家族揃って車で逃げ遅れた方もいたり、一度避難したにもかかかわらず近所の人を助けようと戻って亡くなられた方も多かったと聞く。
家族や村という単位もまた「個人」とは別の「個」のあり方かもしれない。
いずれにせよ、あの大津波を前にすれば人間のありようなど木の葉のように翻弄されるしかない。
逆に東京などでは核家族化が進み近所付き合いも少ないので、もしもの災害時にどれだけ地域毎の助け合いが出来るか、コミュニティの再編は課題だろう。

たくましく復興する地元の様子を伝えるニュースに感動しつつ、まだまだ劣悪で不便な環境に身を置く方々が多いようだ。
一日も早く被災地の皆様が本当に癒されることを祈らずにはいられない。

昭和16年夏の敗戦

2011-04-15 14:39:07 | Weblog



猪瀬直樹著「日本人はなぜ戦争をしたか~昭和16年夏の敗戦」を読み終える。
人に勧められて少し前に読み始めたのだが、とぎれとぎれになっていたもの。
思うところあって昨日より残り半分を一気に読破。
面白かった。
太平洋戦争開戦前夜、平均33歳のエリートたちが霞ヶ関に集められた。
「内閣総力戦研究所」
昭和16年夏、研究生たちによって組織された模擬内閣によるシュミレーションの結果は日米戦必敗だった。
そして現実の日本国政府は泥沼の太平洋戦争へと突入していく。

私が決定的に村上春樹ファンになったのは「ねじまき鳥クロニコル」からなのだけれども、彼はこの作品に関してのインタビュー等の中でよく
「実は私たち日本人はノモンハンの頃から少しも変わっていないのではないか」というようなことを述べていたように思う。
猪瀬さんの「昭和16年夏の敗戦」を読み終えてまず感じたのはそういったところ。
「実は私たち日本人は太平洋戦争に突入した頃から少しも変わっていないのではないか」
今の政府、経産省、東電、マスメディア、そして私たち国民すべてを思い浮かべてそう思う。

すでにぼやんと存在している結論に対して辻褄を合わせていく姿勢。
著者は作中「決断の内容より、”全員一致”の方が大切だったとみるよりほかなく、これがいま欧米で注目されている日本的意思決定システムの内実であることを忘れてはならない」と述べている。

興味を引かれたのが東条英機の人物像。
狂信的な好戦家で日本を太平洋戦争に導いてしまった人物という印象が強かったけれども、意外にも作中では何とか戦争を避けようとしている。
但し、ポイントは特に強い思想や決断力を持つリーダーではなく、組織の中にあって初めて機能する優秀な官僚であったということか。
そういった人物が派閥のごたごたの間隙をぬってたまたま首相になってしまう。

疑問を持つ人間は多けれど、ずるずると来てしまった日本の原子力政策もまた似たようなものではないかと勘ぐってしまう。
いまの内閣もまたずるずる行きそうで怖い。
憲法の構造上の問題で軍部の暴走を許したように、自ら辞めることのない菅政権をこのまま許してしまって本当に良いのだろうか?
ノンポリ石原も疑問に思ってしまう訳であります。
ちなみに経産省の知り合いの方曰く、上から何も情報が降りてこないらしい。
他所の省庁でどんな対策を打っているかを新聞で知る始末だとか。
政治主導を叫ぶのは勝手ですが、せめて事務次官会議をやって組織をたばねてほしいところ。
委員会ばかり沢山作っても船頭多くしてなんたらかんたらだと思う。

いずれにせよ「日本人はなぜ戦争をしたか~昭和16年夏の敗戦」は近代史を知るという観点だけではなく、「今」の日本を知る上でもお勧め。

対岸の火事

2011-04-14 16:07:24 | Weblog



本棚で資料を探していて村上春樹著「神の子どもたちはみな踊る」を見つけた。
阪神淡路大震災に触発されて書かれた短編集なので10年ぶりにざっと読んでみる。

ここで改めて自分の立場を考えてみると、
不謹慎と受け取る人もいるかもしれないけれども、被災地は対岸の火事である。
被災地の方々の経験や悲嘆、現在の苦労はとても想像できないし、当然代わってあげることなんてできやしない。
佐々木俊尚氏「震災キュレーション」に引用されていた、肉親が被災された人の日記を読んでみても、どうしても被災地との距離感によって温度差が出てしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20110407001402
http://anond.hatelabo.jp/20110411010953

「神の子は。。。」に直接被災した人物は登場しない、現在の私と同じく「対岸の火事」を眺める立場から書かれた小説だった。
だからかえってこの一月の私の感じていたもやもや感がそのまま具現化されているようにさえ思われた。

今回(そして阪神淡路)の大震災に際しては「対岸の火事」を眺める立場の人々でさえ、ニュースやネットを通して日常をあまりに超越した現実(リアリティ)に直面することで「このようなことはいつでも実際に自分の身の上に起こりうることなのだ」と実感させられ、自分の中で何かが変わってしまったように思う。

先日も引用したけれどSBIホールディングスCEOの北尾さんのブログによると、
今年の干支は「辛卯。」字義に鑑みれば、これまで地下に伏在してきたエネルギーが色々な矛盾、抑圧を排除して敢然として上に発現する年。過去手がつけられなかった分まで大がかりな新陳代謝を進め、閉塞を打ち破り、新たな発展へ向かう年とある。
これは実際に起った地震、あるいは変化せざるを得なくなった社会構造だけではなく、日本に生きている私たちひとりひとりの心のうちについても述べられているように思えてしまうのは私だけか。。。

私は被災された方々の体験を記したものを多く読んだ訳ではないので、心のうちの傷を推し量るすべもないが、家内がテレビで見聞きした話をふたつほど。
これは東北地方大震災前のテレビらしいけれど、子供の頃に阪神淡路大震災を経験して孤児となった女性が幸せな結婚して妊娠。出産にあたり、その不安から震災時の記憶がフラッシュバックして亡くなった母親を求め泣き叫んだという。無事出産されたらしいけれども、同じく被災した経験を持つご主人も辛いご様子だったらしい。
もうひとつは幼年時に阪神淡路で被災した後、成人して東京で働いている青年の話。先日の地震でビルが大いに揺れて全ての記憶が一度によみがえり、恐怖におののき、子供に戻って泣き叫んでしまったという話。
どちらもむべなるかな、心に負った傷の深さが伺い知れる。
そうそう、以前mixiでライブで読んでいたアルテイシアさんという方の人気のブログ「59番目のプロポース」があった。
その後美術出版社より単行本として出版されてドラマ化されて藤原紀香と陣内智則が結婚する縁となったラ物語で、阪神淡路の震災の描写もあった記憶あり。
話は基本的にコメディ風のラブストーリー(実話)なんだけれど、同時に主人公の女性が負っていたかなり複雑なトラウマが徐々に癒されていく話でもあった。
それには相手の男性が持つ無条件に全てを受け入れる優しさと強さが必要だった。


現実の私は相変わらず対岸にいて義援金と救援物資を送ることしかできないことを申し訳なく思う。
しかし何か力になりたいと思う。

「ネット規制強化は誤報」について思う

2011-04-13 11:54:19 | Weblog



今回の震災にあたり、ダウンしてしまい機能しなかった電話回線に対し、被災者の安否に関してtwitterが通信機能として大きな役割を果たしたと言われている。
また、政府や東電、大手メディアによる情報の隠蔽が噂される原発問題に関しても、情報の取捨選択を間違えなければ詳細な情報を早く得る事が出来るように思う。
私は今までほとんど全くtwitterなるものを利用してこなかった。
しかし度々送られてくる原発危機を叫ぶチェーンメールに煽られ不安にさせられたこともあり、twitterを通しても情報収集してみた。
twitterのヘビーユーザーの友人に聞いて、まず彼がフォローしている何人かの人を教えてもらう。
さらに友人曰く「まず50人くらいフォローして、うざいのを切り捨てつつ入れ替えていく」とのこと。
そうしてみた結果、大体マスメディアの報道よりも1週間は先行して原発の状況を把握できていたような気がする。

但し、情報の早さが売りということでガセネタの拡散もまた多い。
例えば、昨日twitterを通して見つけた
「菅政権、震災のドサクサの中でネット規制強化法案を閣議決定」という記事。
http://newscatch.net/dqnplus/1302511053/
なにぃ!これは由々しきことですぞ!皆が大騒ぎしているのももっともな話だとソースを探ってみれば週刊ポストのみ。
う~ん、こんな大切なニュースの出所がポストだけって、ホントかいな??
結局は3/11(午前中、震災前)に閣議決定した刑法改正関連法案(下記参照)を誤読したものらしい。
サーバのデータを押収する際の手続を整備するためのものだそうだ。
http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji12_00025.html
辛口で有名な「切り込み隊長のブログ」と事の推移のまとめ
http://t.co/0vGFtz9
http://togetter.com/li/122776

典型的なデマの拡散の例と言えるのでユーザーとしては注意したいところ。
ところで以上の流れを確認できたのもまたtwitter。
「キュレーションの時代」の著者・佐々木俊尚さんという方。
http://www.facebook.com/pressajp
個人的には佐々木氏の情報はエキセントリックになりがちな今の世相の中で安定しているように思う。
毎朝更新される「震災キュレーション」は評判らしい。

もっとも、上記に出てくる切り込み隊長氏も何度か誤報を指摘されていたりと、情報というのは常に正しいとは限らない。
また、有名な人、人気のある人に影響されやすい。自分の考えに近い人たちのみの意見をフォローする傾向になる。
結局最後の判断は自分、自分で自分の得た情報をキュレーションして結論を導きだすしかない訳だ。
もちろん、その結論には自分で責任を負う。

余談になるが、統一地方選投票日前日にもtwitter内でひどい誤報が拡散していた。
twitterはそういうプラットフォームだと理解しているけれども、昨今言われているインターネット投票だけは止めた方が良いと思った。
有権者の一票は自分たちの生活がかかった「血」の一票、自ら時間を割いて投票所に足を運ぶべき。
利便性のみで判断してはならない。
多忙な方、体の不自由な方には事前投票等で対処できると思う。
風評に煽られその場で安易にネット投票ではなく、もう一度候補者を検証して熟慮の上、せっかくの休日だけれどもきちんと時間をつくり、
めったに会わぬ近所の人と挨拶をかわしながら投票所へ足を運ぶべき。
そういうフィジカルな部分、手間をかけた重みのある感覚というのは大切だと思う。

ソウルマッコリ

2011-04-12 11:20:37 | Weblog


そういえば、先日イトーヨーカドーでソウルマッコリを発見!
韓国滞在時に一番好きだったブランドなので狂喜する。
本来はペットボトル入りで発酵し続けている為に飛行機で持ち帰ろうとすると噴いてしまう。
これは缶入りなので発酵は止まっている。
あの発酵による微炭酸の味わいからは少し落ちるけれど、それでも美味しい~。
但し、価格は韓国では500mlペットボトルで100円を切ったから、せめて200円は切って欲しいです。

波分神社

2011-04-11 20:13:02 | Weblog



仙台で被災した画商のSさんから電話あり。
先日の余震でまたまた片付けのやり直しとボヤいておられた。
政府もそうだが、地元の国会議員や県会議員の顔が見えない、現地がどうなっているか見にもこないとご立腹だ。
被災地に本当に何が必要かを見極め、復旧の行程を発表して安心させて欲しいとのことだった。

震災後に電話で話すのは数回目だが、話題はやはり震災関係になってしまう。
もし三陸自動車道の工事がもう少し進んでいれば、もっと多くの人の命が救われたのではないかという言葉が印象的だった。
今回の津波では高速道路が防波堤の役割を果たしたとSさんは言う。
また、逃げ遅れた人が工事中の高架に登って何とか難を逃れることが出来たとか。
さらに興味深いのが仙台市若林区荒浜地区(凄い名前だ)の波分神社の話。
今から1100年前、時は平安時代の西暦869年に貞観地震の時に津波がこの地を取り巻くように押し寄せたという。
白馬にまたがった海神が波を南北に分けて静めたという伝説だが、先人はここまで波が来るということを神話と共に神社を祀ることで残したのだろう。
実際にSさんの高齢の知人がここまで逃げたのだが水は来なかった。
そして仙台東部道路が防波堤になって水の侵入を防ぐ助けになったという。

Sさんは元気な方なので逆にこちらが励まされたりしてしまった。
ただ被災地では、今までは必死で命からがら逃げだせたという安堵感があったが、これからは肉親や家、仕事を失った方々など、徐々に現実に向かい合わざるを得なくなる。大変です、と漏らしていた。

Sさんと会話した後に地震で棚から落ちて割れた縄文土器の修復方法についてアート業界のお助け屋、テクニシャンの親父さんに電話。
自然に話は原発へ。
「放射能?こんなんで大騒ぎしとったら、ワシら広島の人間はどうなる?
残留放射能なんてバンバン残ってたはずでしょう。そこで生まれ育ったけれど、何ともなかったよ。
原発周辺はキツいけれど、東京でガタガタ騒ぐ必要はないよ」
とぴしゃり。こういうタフ(それでもって緻密)なオヤジと話すと妙に安心する。
「原爆を落とされた後80年、放射能は消えないと言われたけれど、20年で木も生えたし。
モニタリングの数値なんて無かったしね。ワシの髪は薄くなってきたけれど、それは齢のせい。」
と落ちがつく。

もちろん安心は出来ないけれど、むやみに騒がず事の推移を見守ろうと思う。
被災地のことを思うと、より冷静な判断が必要。
但し、政府や東電にはもっと情報の開示を要求すべきかな。

神秘の国ニッポン

2011-04-07 13:53:06 | Weblog



被災地や原発関連のニュースの合間にポツリと相撲協会八百長関連の記事を発見。
あーそんなこともあったなあ、なになに20人を解雇?それでハイおしまいか、
相撲界ってのは一般の社会から随分と感覚のずれた特殊な世界だよなあ、と私たちは思う。
しかし、今回の原発の問題に於ける東電や政府、保安院、さらにはマスメディアの対応を外国人から見てみたら
「日本ってのは世界的なスタンダードから随分ずれた特殊な国だなあ」と思うらしい。
実は世界の人たちから見ると、私たちはあの訳分からんと思っていた相撲協会と何ら変わるところがないんじゃないか。。。
夜中に風呂に入りながらふと思った次第。

以下友人がブログに貼付けていた、汚染された水の排出をめぐる東電の会見(4/5)の様子。

http://www.youtube.com/watch?v=ctLG-kB8UDE&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=u_o3egdbv_g&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=5_0o8EDx4zM&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=sXhKhx2bEic&feature=player_embedded

http://soichiro.posterous.com/48551810