大船渡でのボランティア活動は、地元消防士の千葉さんやワンピース倶楽部の石鍋さん等が立ち上げた大船渡サポートネットワーク.センター(OSN・C)の指示を仰いで行ったが、初日に千葉さん等、件の消防士さんたちと意気投合してしまった経緯もあり、翌日は実際にどのような活動をしているか見てほしいということで、レントゲンヴェルケの池内さんと私は比較的人が入っていない陸前高田の気仙川上流の河原の捜索に同行することになった。
ヘルメットにライフジャケット、防塵マスク、グローブはもちろん肘当てにニーパットまで装着。昨日繰り返し聞かされた救自、救共、救公の基本を思い出し、迷惑は絶対にかけられないと緊張する。
ある消防士の話では、前日この場所の少し下流を捜索している時に一人の老人と出会い、話してみると、息子さんが行方不明でずっと探し続けているとのこと。涙ながらにお願いされた、何とか見つけ出してあげたい。
ここはそういう場所なのだ。
現場に向かう前に遺体安置所となっている体育館に立寄り全員で焼香をする。
安置されているご遺体は4~5体だったが、館の端には木製の棺桶が山積みされていた。。。
正直、あまりの重さに言葉も出ない。
実際にこの体育館も津波は直撃して数人の命を奪った。一階天井近くに残る泥水の痕が生々しい。
私は真摯に敬礼をする消防士の後ろ姿をぼーっと眺めていた。
この日入った河原はかなり上流になるが、遡上した津波が下流から大量の瓦礫を押し流してきていた。
震災より一月以上経っているので既に泥が固まり、地面から毛布一つ引きはがすのもそれなりに力がいる。
私たちが来た時はそういう細かいところで見落としがないかを念入りにチェックしていく段階になっていた訳だ。
これが震災直後であったらどうであったろうか?思わず身震いをせずにはいられない。
前日に遠目でみていた瓦礫に中に入ってみて感じたのは、ものに宿った記憶の生々しさといったところか。
遠景も凄まじいが、中に足を部見入れるとディテールが延々と物語を語りだすのだ。
そこにあるのはゴミではなく、ついこの前まで続いていた日常が突然抵抗しようのない圧倒的な暴力によって根こそぎ流されてきたものだった。
椅子、ソファー、カバンなどの日用品からサッカーボールやバットなどの遊具まで。
それ等の中でも泥まみれの写真とぬいぐるみや子供の遊具(私の子供のものと同じ室内用のジャングルジムの残骸には参った)には特に胸を痛めた。
緊張していたので1時間半の捜索はあっと言う間に終わる。
リーダーの早川さん曰く、川の中も湾内も地上と同じように瓦礫の山だと。
ここに流され引き込まれたら助からない。あまりに危険を伴うので水中の救助は滞っているのが現状らしい。
帰りに見た竹やぶでは引き波で竹が何本も倒されていた。
なんという自然の猛威だろう。
そして改めてボランティアの消防士たちの真摯で地味な活動に頭が下がった。
後はOSN・Cの拠点である福祉の里センターで救援物資の仕分けや、各避難所へお手伝い、更には突然に五月末に決まったアートイベントの場所確保に市役所や小学校を訪ねるなどに同行させてもらう。
今回の東北行で私が一番に感じたのは被災地における温度差。
確かに東北道は道路がデコボコだったけれども、一関ICを降りて走ってみると、あの地震から一月半経って、ほとんどその痕跡を見ることが出来なかった。
のどかで美しい春の東北の自然に包まれて震災も放射能も忘れてしまうほどだった。しかし津波にやられた場所に来ると一変し文字通り地獄絵と化す。
津波にやられなかっとしても日常はすぐにれるのか?
答えはもちろん否。
例えば家を失ったお隣さんを招いて炊き出しをするとする。
そのお米代、食事代は一切補償されはしない。
そこで一体誰が文句を言えるだろうか。
被災地には様々なストレスが連なっている。
もう一つ、温度差と言えば避難所について。
最期とその直前に訪ねた避難所のあまりの違いに愕然とさせられた話。
最終日に訪ねたある避難所では地元の保険会社に勤める若いサラリーマンが仕切っていた。彼曰く、今は本業が仕事にならないので、社長が来た時にボランティアをしばらく続けろと命令されたとか。さておき、をの避難所は本当に活気があった。
韓国から来たボランティアが辛くない韓国家庭料理を炊き出ししていたり、領事館の外国人がじいちゃんばあちゃんの前で弾き語りをしていたり。要は現場の裁量で判断していることが第一。救援物資の流通もマニュアルにとらわれずに他の避難所や団体とリンクしていると豊かになってくるようだ。直後に訪ねた別の避難所は役所から派遣された女性が受付をしていたが、そのあまりに排他的な姿勢はマニュアル以外のものを絶対に受け付けていない証であり、実際にその避難所の寒々とした雰囲気は前述の避難所の活気とあまりに落差があったように見受けられた。
被災地と我々の住む非・被災地とでの落差が大きいのは当然と言えば当然。
報道でみる被災地と実際に訪ねた被災地の温度差には驚かされる。
報道を通して得たイメージは、東北は全てがっつりやられている印象だが、
実際には東北の中でも、被災地の中に限っても大小無数の温度差があるのだ。
これは決して幸せな状況ではない。
もし現場に入れなくとも、非・被災地に住む私たちもまた「想像」しなければいけないと思う。