石原延啓 ブログ
seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 
 





タイ在住の友人がfacebookに貼付けていた写真。
白い車を押す人の左横を泳ぐものに注目。シャレにならん。
タイの洪水、トルコの地震や東日本大震災もそうだけれども、ここのところの世界中の天変地異はどうしたことか?
不安は尽きません。


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かえすがえすも残念だ、惜しい人を亡くした。
作家の隆慶一郎氏のこと。
もう一月以上も前になるけれども、夏前にコバちゃんから渡された隆慶一郎シリーズの目玉「花と炎の帝」を読み終えた。
主人公が八瀬童子だったり、かねてから興味があった後水尾天皇だったりするので期待が大きかったのだが、途中から超能力みたいなものがやたらと飛び交いだしてしまい、正直ちょっとなーと思っていた。
それでも下巻の終盤でそれなりに盛り上がったのだが、話は唐突に終わってしまう。
隆氏が病で倒れたのだ。そしてそのままこの作品は絶筆となった。

あーあと思いながら隆氏の担当編集者であった人のあとがきを読む。
そこで、うわーそこまで考えていたの!?と設定されていた物語の壮大さに舌を巻いた。
隆氏が裏日本史とでも言うべき中世の社会を放浪する非農業民の研究をする網野善彦の著作に小さくない影響を受けていたのは自明だが、実際にご自分でも「小説家はつくづく不勉強だった、歴史家に負けてたまるかと密かに敵愾心を燃やしている」と述べていたことを知り面白かった。

私たちがイメージする「日本国」というものは、教科書やアカデミズムからだけではなく、隆氏の作品のように実は大衆向けの作品などから多大な影響を受けて作られている。僕らの年代のほとんどの人たちの「幕末」や「明治」などのイメージが司馬遼太郎の著作から作られているというように、その時々の時勢、流行や歴史認識の積み重ねが私たちの頭の中に根付いていく。
だからこそ、娯楽歴史小説の新境地を開いた隆氏は希有な存在なのだ。

物語は主人公の八瀬童子の一人とシャムからきた呪術師との戦いの場で唐突に終わってしまうが、あとがきによれば、隆氏は未完の部分を天皇と日本文化についてきめ細かく描こうとしていたらしい。京都の地に花開いた華麗なる宮廷文化、のちに寛永文化と呼ばれるようになる建築、和歌、絵画、茶道、そして立花などなど。
嬉しいことに隆氏は特に立花に関心を示していたらしい。

師である小林秀雄の厳しい原稿の読み方に恐れを抱き60歳過ぎるまで小説を書けなかった隆氏が、実はこの「花と火の帝」という小説を通して「日本文化」について独自の検証したかった、少しでも師である小林に近づきたかったのではないかというあとがきには大変な興味をそそられた。完成させてあげたかったな~、いや完成作品を読ませて頂きたかったと切に思う。
私は中世(南北朝~室町時代)に成立した武道、能楽、華道、茶道が日本の文化の根幹を成していて、その独自性は日本独特の身体感覚から来ていると思っているのだが、隆氏の作品からはその臭いがぷんぷんする。江戸期に被差別化されていく中世の漂泊の人々が日本固有の文化の担い手であり、その頭領が天皇だったという図式は大変面白い。
 
少しテーマがそれるけれど、呪術を使った超能力合戦になってしまった本作ではあるけれども、作中における朝廷側と幕府側のせめぎ合いにはもの凄くリアリティがあった。著者は「徳川実誌」など膨大な資料を集めていたらしく、公家だの所司代だのの日記の引用が効いていた。どの時代にも凄まじい政治闘争があります。

著者は八瀬童子で呪術師である主人公を最後にはヒマラヤ、チベットまで行かせようとしていたらしい。個人的にここまで趣味があってしまうと不思議な縁すら感じてしまう。
物語の構成とか文体とか、突っ込みたくなるところ満載ではあるが、著者はそんなちんけなことよりも、自分の中から沸き起こってくる欲求に身を委ね、意図的に登場人物たちが勝手に暴れ回るような、ある意味粗くて生々しい文体をわざと使ったのではなかろうか。
なぜなら、一見整然としたイメージのある日本文化の根底にある生々しい身体の感覚にはそちらの方が近づけるのではないかと思ったのだろう。

もう20年も前に亡くなった方であるが、もう少し長生きして頂きたかったと思うのは私だけではあるまい。
今さらですが、合掌

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しばらくぽーっとしている間に99%のひとたちによる占拠しよう!運動が各地で大変なことになっているわ大佐が死亡してアラブの春満開だわで時代の大きなうねりを感じる今日この頃ですが、友人のアーティストから近況を伝えるメールあり。
彼は九州男児で剣道の有段者だが、たまたまあることをきっかけに311以前より脱原発の運動に緩やかに係わってきた。何でも飲み屋で元九電のオヤジと喧嘩したとかで怒ってました。以下

しかし面白い縮図ができてますね
俺的には、
推進派イコール 右派
反対派イコール 左派
的な

例えば俺は、原発はやっぱ
どう考えてもいらないけど右よりなんすね、
だから原発反対では話しが出来ても
それ以外の外交や政治の話しでは
話しがまったく合わない(笑

推進派は必ず外交、経済の話しで
原発の必要性をあげてくる
もう見事ですよ
あ、バスおります。

これって凄く良く分かる。
養老孟司も震災直後のアエラか何かで言っていたけれども、脱原発に関して言えば推進派はもちらん反対派の方にも責任があると。
何かこうどちらも極端で、どんな立場の人でも議論に参加出来るようなプラットホームがないんだよね。

少し違うけれど、数日前に小沢一郎が自由報道連盟だかなんだかの仕切りで記者会見をやっていた。
反原発報道で頑張ってたフリーのジャーナリストたちも議題が変わると何か違う。
彼らはなぜ小沢一郎を体制側論理の犠牲者、アメリカによる隷属から日本を解放する救世主のようにに見立てるのだろう?
小沢が理想と唱えた現在の二大政党が突出した状態が健全だと思わないし、それを生む小選挙区制にも多くの問題たあると思う。
今思えばかつての比例無き中選挙区制の方が党の決め事に捕われずに各候補者が自由に意見を言えていたような気がする。
オール オア ナッシンングではかえって民意を反映した議論の土俵を作りにくいし、長いものに巻かれる日本人には向いてないように思われる。
以前とは状況も変わったことですし。

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自分のブログですがメモ代わりに。。
少し前に立ち読みした雑誌だか何処かのウェブサイトだかで読んだのだが、幕末安政年間に天変地異(地震、津波、火事)が連発したのが幕府を弱体化させる大きな要因となったとあった。
勿論ペリーさん率いる黒船来航が大きな引き金になったのは違いないだろうが、実際に東北大震災を経験してみるとその打撃の大きさを想像できる。
(阪神大震災の翌年に東北大震災が起こり、その翌年に関東大震災が起ったとしたら、そりゃあ大変な騒ぎでしょう。)
歴史ものを読むと、どうしても政治的事象を時系列に並べて流れを汲み取ろうとしまいがちだけれども、一般の民衆の欲求の変遷による大きなパワーが流れの背景にあることを忘れると大切なことを見落とすかもしれない。天変地異も然り。
やはり網野善彦は既成の歴史研究に大きな一石を投じたと言える。

安政大地震や南海大地震など知識としてはあったのだけれども、それはそれとして自分の思考の外に放って置かれていた気がする。
伊達政宗も徳川家康に現在の宮城県へ領地を移されて、いざ領内経営に気合いを入れ始めた矢先に大津波を喰らって苦労した。
3月の震災は教科書で読んだ歴史に対しても異なる見方を持ち込ませるような大事件だった。


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今日は絵に描いたような幸福な家族の週末。
当初より天気が好ければ公園へピクニックにでも行くかあと話していたのだが、
家内の得た情報によると、どうも川崎市にある神奈川県立東高根森林公園というのが良いらしい。
って訳で即決して246を南下する。我が家から意外に近かったのもポイント高し。
ここは自然あり、芝生の広場あり、遊具ありで2歳&6歳の子供たちにとっては最高の場所だった。
売店がないのが不便と言えば不便だが、逆にゴミを出さずに美しい自然の景観を楽しむには都合良し。
生き物に興味を示し始めたチビが橋から身を乗り出して池の中の鯉やら鴨やらを眺めているのが微笑ましい。
遊歩道を歩いているとヘビまでニョロニョロ、最後にはヒモに繋がれ散歩している黒い豚まで現れて幸運を運ぶキャラの登場の連続に子供たちも大喜び。
~と思いきや、下の娘はブタさんにフゴフゴ鼻ハンコを押されて怖いと泣いておりましたわ。

帰りは途中尾山台の商店街に寄って外食。コインパーキングの番号までラッキー「7」で「なんて幸運な休日なの!」と家内も興奮。
チビはバタンキューしたけれど、飛び込みで入った焼き鳥屋でそぼろ丼を食べて大満足。
食後は良い雰囲気の八百屋に入ってフルーツを物色。
ここの店主が良く喋る親父で試食したぶどうの甘みについて騒いでいると「ぶどうを子供に食べさせるならば、種ありが良いよ。種無しは二度ホルモン剤につけるんだよ。言ってみればぶよぶよ大きくして病気状態にする。しかも実がはじけないように一週間くらい早摘みするから甘くない。女の子の初潮が昔より早くなってきてるのは巷でこういったホルモン剤を多く摂取してしまっているからなんだよ」と恐ろしい話をしだす。
更に親父曰く「あんたたちがキュウリだと思って食べているのは、本当はカボチャなんだよ」には私も口があんぐりで「はあ?どういうことっすか??」
「スーパーで売っているような今のキュウリはカボチャの苗に継ぎ木するのよ。そうすると実が多く取れる。そのかわりに皮が厚く中身が水っぽくなる」と言って売り物のキュウリを折って差し出す。食べてみるとこちらは皮が薄くて味が濃い。
知り合いのやるレストランで自這いキュウリが美味いと聞いたことがある旨を告げると「そりゃ美味いよ。うちも美味いものを食べてもらおうと色々とやってきたのよ。だけれど絶対に売れない。挙げ句の果てに消費者センターへひどいもの売ってるって訴えられちゃう。なぜかって?見慣れたものと違うからだよ!」
息子と私に「これも食べてみな」と差し出された極めて美味いトマトを頬張りながらいかにも現代の日本的な話だと思う。
家内の「行くわよ!」の一言に息子と共に首をすくめて店を出たが、ともかくまあ良い一日でした。

これがあたりまえと思わずに感謝しながら日々を送りたいものです。


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先週末に所用で真鶴まで赴く。
帰りに寄ったスーパーで発見したのが静岡茶入りの「しずおかコーラ」。
コーラ飴のコーラ味の最後にお茶の香りと渋みが残る不思議な味だが悪くなかった。
先週は急な冷え込みで風邪を引いたのか久しぶりに熱を出した。
何だかんだ言っていたら既に彼岸も過ぎて10月、すっかり秋ですなあ。

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