かえすがえすも残念だ、惜しい人を亡くした。
作家の隆慶一郎氏のこと。
もう一月以上も前になるけれども、夏前にコバちゃんから渡された隆慶一郎シリーズの目玉「花と炎の帝」を読み終えた。
主人公が八瀬童子だったり、かねてから興味があった後水尾天皇だったりするので期待が大きかったのだが、途中から超能力みたいなものがやたらと飛び交いだしてしまい、正直ちょっとなーと思っていた。
それでも下巻の終盤でそれなりに盛り上がったのだが、話は唐突に終わってしまう。
隆氏が病で倒れたのだ。そしてそのままこの作品は絶筆となった。
あーあと思いながら隆氏の担当編集者であった人のあとがきを読む。
そこで、うわーそこまで考えていたの!?と設定されていた物語の壮大さに舌を巻いた。
隆氏が裏日本史とでも言うべき中世の社会を放浪する非農業民の研究をする網野善彦の著作に小さくない影響を受けていたのは自明だが、実際にご自分でも「小説家はつくづく不勉強だった、歴史家に負けてたまるかと密かに敵愾心を燃やしている」と述べていたことを知り面白かった。
私たちがイメージする「日本国」というものは、教科書やアカデミズムからだけではなく、隆氏の作品のように実は大衆向けの作品などから多大な影響を受けて作られている。僕らの年代のほとんどの人たちの「幕末」や「明治」などのイメージが司馬遼太郎の著作から作られているというように、その時々の時勢、流行や歴史認識の積み重ねが私たちの頭の中に根付いていく。
だからこそ、娯楽歴史小説の新境地を開いた隆氏は希有な存在なのだ。
物語は主人公の八瀬童子の一人とシャムからきた呪術師との戦いの場で唐突に終わってしまうが、あとがきによれば、隆氏は未完の部分を天皇と日本文化についてきめ細かく描こうとしていたらしい。京都の地に花開いた華麗なる宮廷文化、のちに寛永文化と呼ばれるようになる建築、和歌、絵画、茶道、そして立花などなど。
嬉しいことに隆氏は特に立花に関心を示していたらしい。
師である小林秀雄の厳しい原稿の読み方に恐れを抱き60歳過ぎるまで小説を書けなかった隆氏が、実はこの「花と火の帝」という小説を通して「日本文化」について独自の検証したかった、少しでも師である小林に近づきたかったのではないかというあとがきには大変な興味をそそられた。完成させてあげたかったな~、いや完成作品を読ませて頂きたかったと切に思う。
私は中世(南北朝~室町時代)に成立した武道、能楽、華道、茶道が日本の文化の根幹を成していて、その独自性は日本独特の身体感覚から来ていると思っているのだが、隆氏の作品からはその臭いがぷんぷんする。江戸期に被差別化されていく中世の漂泊の人々が日本固有の文化の担い手であり、その頭領が天皇だったという図式は大変面白い。
少しテーマがそれるけれど、呪術を使った超能力合戦になってしまった本作ではあるけれども、作中における朝廷側と幕府側のせめぎ合いにはもの凄くリアリティがあった。著者は「徳川実誌」など膨大な資料を集めていたらしく、公家だの所司代だのの日記の引用が効いていた。どの時代にも凄まじい政治闘争があります。
著者は八瀬童子で呪術師である主人公を最後にはヒマラヤ、チベットまで行かせようとしていたらしい。個人的にここまで趣味があってしまうと不思議な縁すら感じてしまう。
物語の構成とか文体とか、突っ込みたくなるところ満載ではあるが、著者はそんなちんけなことよりも、自分の中から沸き起こってくる欲求に身を委ね、意図的に登場人物たちが勝手に暴れ回るような、ある意味粗くて生々しい文体をわざと使ったのではなかろうか。
なぜなら、一見整然としたイメージのある日本文化の根底にある生々しい身体の感覚にはそちらの方が近づけるのではないかと思ったのだろう。
もう20年も前に亡くなった方であるが、もう少し長生きして頂きたかったと思うのは私だけではあるまい。
今さらですが、合掌