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ウィーンから日本への帰国直前にレジデンスの階下のギャラリースペースに壁画を描く小さなプロジェクトが決まった。
チェコから戻り作業を終えると、ヤンが「せっかくノブが描いてくれたのだから、身内で簡単に食事でもするかあ」と言って帰国前日にパーティーをセッティングしてくれた。
そもそもは、偶然パーティーで会ったデビッドを通してfea - forum experimentelle architekturのディレクター・ヤン・タボール教授を紹介され、お互いの仕事について話し合いの機会を作ろうといいながら結局帰国10日前にミーティングが実現した。建築の研究者であり数々の展覧会をキュレーションしてきたヤンは共産主義下のチェコからオーストリアに移民したハートのあるおっちゃんだ。
ヤン達は第二次世界大戦後、政治が建築に与えた影響をリサーチしていて、いずれ展覧会にするために世界各国の資料を集めている。
日本についても調べているので意見を聞かせてよということで、まずざっと選んだ写真を見せてもらう。やはり主に安保闘争や学生運動の写真が中心だったけれども、映画のスチール写真も含まれている。現代劇の黒沢映画中心に溝口、小津の作品がパラパラある。

その中では「ヒロシマ・モナムール」(Hiroshima, mon amour)という未見の日仏合作映画が目についた。被爆地広島を舞台に第二次世界大戦により心に傷をもつ日仏の男女が織りなすドラマを描いた日仏合作映画らしいのだが、当時の街の風景や市民の姿が多く映し出されているらしく興味深い。)
ここで右翼の代表格である三島由起夫の写真が多く含まれているので理由を質問してみた。
ヤンは英語がほとんど出来ないのでデビッドを通してコミュニケーションしていたのだが、どうもカフカの評論「反抗的人間」における共産主義批判と三島の姿勢との間の関連性などに興味を持っているようだった。なるほどチェコ出身の人だからね。
私の方は相変わらず鹿男について話す。
原始の神話の中では神も人も動物も相互に変身可能で対等な関係であったこと。ウィーン滞在にあたってキリスト教やハプスブルグ家についてリサーチしてきたが、実際に目にしたのはその下に潜む自然に密接した土着的な精神性などなど。
結果、突然にインスティテューションの展示スペースに何か描いてよ、となった次第。折しも木製の住宅建築のリサーチ(上記の政治と建築のプロジェクトとは別)が進行中で、コンセプトとしても違和感がなかったからかもしれない。過去の展示物はそのままに、展覧会の度にギャラリースペースを作品やらリサーチで埋めていき、スペース自体をコラージュで覆い尽くすというコンセプトらしい。その先駆けになるのは光栄だ。
当日は身内だけのささやかなディナーのはずが、いつのまにか「HOLZBAUEN(木の家)」という展覧会のオープニングになっていてビックリ。そういえば昼間にヤンがごそごそ机を動かしたり、釘うったりしてたわ。メインの建築家はチェコ在住で不在だったが、別の壁画を描いたアーティストや建築写真のコーディネーターなどグループ展の参加者の他、MQのディレクター・ウォルダーさんやらSecessionのディレクターまで来ていて慌てた。ヤンはウィーンでとても顔が広い人だという話は本当だった。
滞在中に出来た友人たちも来てくれて嬉しかった。ネイサン、シギータ、フーベルト夫妻、エリザベス、アンナ、デービッド、マルチナ、大変お世話になりました。たまたまフランスから来ていたスカルも顔を出してくれた。皆さんありがとうございました!
パーティー後、写真を撮りに階下へ降りるとヤンが仕事をしていた。最後はヤンには親戚の叔父さんのような親密な感情を抱くようになっていたのでハグして別れる。いつでも戻ってこいとほおをつねられた感触が忘れられない。
パッキングは徹夜だったけれど、本当に充実したウィーン滞在でした。