
もう一週間以上前になるのだけれども、やっぺし祭りで一緒だった遠藤一郎君が30歳前後のアーティストたちに東北の現状を報告するという会合に同席させてもらう機会を得た。そして311今回の東北大震災についてそれぞれが何を感じているか、アーティストとして何ができるのかを皆で話し合った。
彼らは既に各所で活躍中なだけあって、震災をかなり深いところで受け止めていてとても繊細に自分の心情を語った。
若いアーティストたちの感性に触れ、彼らと比べると自分は何とステレオタイプな受けて取り方をしているのだろうと思う。
世代の違いからなのか、それとも彼らはアーティストとして純粋に「個」として未曾有の事件を受けとめているからだろうか、うまく言えないのだけれどもとても興味深い。
柄に似合わす人に内緒でガテン系のボランティアに入ったクールなビデオアーティスト、コミュニケーション系ですぐにも被災地入りしそうなタイプでありがなら何故か関西を原チャリで放浪しているアーティスト、初めてアートが何を出来るのかを真剣に考えたと涙ながらに吐露するアーティスト(彼は震災二週間後には被災地入りした)。。。誰よりも素早く現地に入り被災地の方々と交流している活動家系の遠藤君みたいなタイプもいる。
十人十色で当然。
ただ確実に言えるのは我々は千年に一度の震災、そして原発という現実を前にしているということ。
ここでかつてアジアから奇跡を起こした日本人がどんなアクションを起こすのか?世界中が固唾を飲んで見守っているところだろう。
私たちアーティストには今感じていることが風化してしまう前にあるがままに感じた事柄を率直に表現して後世に残す義務があると思う。
えらい昔の話になりますが千年前の貞観の大津波の後に清少納言のお父さんが歌に詠んでいる。
契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山波こさじとは
この歌が詠まれたのは大津波の百年後。
当時、東北の大災害が人々の間で伝わって、熟成された情報が京の都でアートになるのに百年の月日を費やしている訳だ。
当時の情報の伝達するスピードを考えればむべなるかな。
そして今年私たちはほぼリアルタイムでその衝撃的映像を目にした。
現代に於いては一般人でさえ世界の裏側の悲劇まで抱え込まねばならないほど世界が狭くなり、逆に人々の対応のやり方もまた多様化複雑化してきている。
私が「私」であるため、今ここで何をすべきかを考えさせられた二ヶ月であった。