アートの季節がやってきて、さぞかしブログの更新も進むかと思いきや、何だかおっくーで。その間150号(227 x 162 cm) のキャンバスを3枚張って、大きい作品の制作に取りかかりましたが、この大きさに取りかかるのは去年の夏以来で久しぶり。木枠を組んで綿布を張るのも一日がかり。ジェッソを一回塗るだけで1時間半かかる。日頃の運動不足を痛感してます。
アートフェアや展覧会のオープニングにちょこちょこ顔を出しておりましたが、アートフェア東京で旧知のアーティスト水野君と香港の画廊の天野喜孝さんのガッチャマンの作品の前でばったり会う。
平川さんのトークの時にもちらりと顔を見かけたのだが話せず終いだったので少し立ち話をした。彼はなかなかの論客でガッチャマンの作品を見ながら「アニメを模倣した作品が並ぶのを見て大御所(天野喜孝)がオリジナルを見せてやると腰を上げた。いや、それともシュミレーションアートをシュミレーションしているのか!?」などなど毒のあるユーモアの中に的を得た表現が多くて面白かった。その時の会話が印象的だったので彼のblogを覗いてみると、やはりアートに関する事柄を非常に論理的かつストレートに展開していて面白い。自分のblogのいい加減な書き込みを思い起こして反省してしまった。
彼の作品は自分の内面に蓄積されたドロドロしたものをストレートに出し切る傾向のものが多く、そのストレートさ故に情念的なイメージを受けていたが、ここまで論理的に物事を組み立てて考えられる人が真摯にあのような仕事に取り組んでいることにある意味感動をおぼえた。更に目指すところが熊谷守一が述べているなんでもない「石ころ」だという展開に興味をそそられた。
私も華道家の岡田幸三先生との出会いを通して、その中で先生のご自宅のお庭にあったあまりにも「なんでもなく」すっと立つ松を拝見して以来、自分の目指すべきところが果てしなく遠いところにあることに気づかされた。そこで「なんでもない」ってのは一体「なんなの?」というやり取りを水野君と始めたんだけれど、彼があまりにも鋭い論客なので、彼の言わんとすることをしっかりと理解する、さらには自分の意見を彼との共通言語を作りながら伝えていくという作業に取り組んでみた訳だが、近頃ボーッと生活していたせいか時間がかかってかかって。ごめん水野君。いずれにせよ、言葉で明確にしようとすると逆に逃げていってしまうようなことを言葉で考えるというのもまた勉強になります。作品を通してその領域にたどり着きたいというのが彼と共通するところなんだけれど、「その領域」がハッキリと分からない。だから作品を作っていくしかないってことなんだろうけどね。
写真は岡田先生から頂いた絵はがきの立花図と水野君の石のシリーズより。
水野亮HP>> http://www.drawinghell.com/index.html