石原延啓 ブログ
seeking deer man

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金曜日、水球の五輪予選を観戦する。
私は二流にも届かないプレーヤーだったけれども、かつて青春を賭けたスポーツだ。
同期の主将だった友人が主催者側にいた縁で重い腰の私ですが新習志野の千葉国際総合水泳場まで足を運ぶ。
この大会にロンドン五輪出場がかかっていたが前日のカザフスタン戦の敗戦で夢はついえてしまった。
それでもこのレベルの試合を観る、もとい水球の試合を観る機会なんぞは滅多に無いので思う存分楽しんだ。
久しぶりに観る本格的な水球競技でしたが、確かに選手も大型化して以前よりもレベルが上がっているように感じた。
ただし、相手のCF、CBが強くて攻めきれなかった、守りきれなかった。
前日の敗戦で気落ちしていたかな~。キーパーが当たりまくっていただけに残念!
聞くところによるとテレビニュースなどでも取り上げられていたらしく、会場には多数の人が訪れていた。
これを機会に競技人口が増えて、益々の強化が進むことを切に望む次第。
ハードだけれども、とても面白いスポーツですよ。



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映画監督のテオ・アンゲロプロスがギリシャで映画撮影中に交通事故で亡くなられたそうだ。
アメリカ映画を観て育った私はどうしてもテンポの早いシーンの連続に慣れてしまっていた。
その後ピーター・グリーナウェイにはまりフランス映画なども好んで観るようになってから初めてアンゲロプロスの「ユリシースの瞳」のビデオを借りた。
もう20年近く前の話。
うつらうつら眠りそうになりながら3日かけて観終えたが、えらく感動したものだ。
こう言っては怒られてしまうかもしれないけれど、だらだらだらだら時間をかけて観て初めて伝わる事もある。
今となってはストーリーもほとんど忘れてしまったけれど、ハーヴェイ・カイテルの独り語りの長回しの背景なんて、ほんと何処にでもあるような薄汚れた景色で「何でまた?」と思ったものだ。
だからこそあの巨大なレーニンの像が河を運ばれて行く強烈なシーンが今でも忘れずに目に浮かぶのか。
薄明かりを持った人々が川岸からそれを静かに眺めていたのだが、あの空気は何であったのだろうか。
過ぎ去った時間に対する鎮魂とでも言うべきか、映画というメディアの持つ力、奥の深さを教えてもらった監督でありました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌

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打合せで代官山へ行く。
そこで、この先(ヒルサイドテラス)に出来た新しいツタヤが凄いから見てから帰ると良いよと勧められた。
世界最先端の本屋とはどんなもんかいのうと訪れてみると、確かにこれは凄い。
木調モダンのインテリアにアート作品がちりばめられ、最上階のカフェなんぞはクラブのVIPルームのようであった。
本屋も貸しCDのコーナーもおしゃれに整理されていて情報を探す機能も充実している。
万年質ケースにはやられました。
しかし、多分自分がほとんど都心に出かけない田舎者の中年だってこともあるんだろうけれど、ここまでひとつところに情報が集約されていると何だか落ち着かないんだよねえ。
かつて飲んだ帰りに青山ブックセンターで立ち読みしまっくてへろへろになったものだけれども、個人的にはここまで至れり尽くせりだと何だか構えてしまう。
本屋で喫茶するっていうのは多分バーンズアンドノーブルあたりが最初にやったのだと思うけれども、さてこのツタヤの新しい試みはトレンドになるだろうか。


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先週の金曜日は久しぶりに美術館をハシゴ。
まず、汐留ミュージアムで考現学者(?)今和次郎展のオープニングへ。
今まで知らなかった人だが、デザインを勉強した後に考古学ならぬ、現代風俗の研究にハマって考現学なるものをつくった。
展示の中で関東大震災後にアーティスト仲間を集めて看板を描く会社を設立して街の復興に現場レベルでしたという説明を読んで、先の震災後のアーティスト・遠藤一郎君の活動を思い出した。時代を隔ててもアクティビストとしてのアーティストの本能的な活動に差異がないことを知り、新鮮な驚きだった。
ちなみに路上で人々を観察するにあたり、対象になる人たちに怪しまれないように(?)常にジャンパーを着用するようになったそうな。
学生食堂の茶碗の傷まで丁寧に調べて統計までとっているのが可笑しかった。

続いて六本木移動して森美術館へ。会期終了間際のメタボリズム展にかけ込む。
力の入った見応えのある展覧会。
都市は有機的に変化していくという日本の建築家たちによるムーブメントの特集なのだが、時は高度経済成長真っただ中の日本。
随所に見られる「昭和」のモダンはどことなく懐かしく、内容に目新しいものはなかったけれども、第二次大戦後の復興を背景とした「時代」のパワーに圧倒された。
かつて年長者から「あ~東京オリンピックを知らないんだ~」と言われ、「え~万博へ連れて行ってもらえなかったんだ?」と同情された世代の私だが、こういう視点で昭和を振り返ってみると感じることが多々ある。

1970年の大阪万博は昭和のモダニズムのピークだったと思うが、以前に作曲家の湯浅譲二さんが戦後に現れた各界のクリエイティブな才能が万博を境にどんどん商業主義へと取り込まれていったとお話していたのを思い出す。
図らずも田中角栄著作「列島改造論」が展示されていたけれど、建築家もまた都市計画やコミュニティーを真剣に考える立場の人は少数になり、箱もの行政やゼネコンデベロッパーへと取り込まれていったそうだ。

偶然に出口付近で館長の南条さんとお目にかかり上記のような内容の話をすると、
「万博以降に今までは商売にならなかったコンセプトやイメージやクリエイティビティなんかを扱う新しいビジネスが生まれたんだよ。電通なんかが巨大になったのもその後だよ。」おっしゃっる。
「それにしてもメタボリズムだなんだというけれど、最後に(岡本)太郎さんのアート(太陽の塔)が全部もってっちゃった」と私が言うと
「そうなんだよ。でも今の日本のアートがあのどでかい天井に穴を開けることが出来ると思うかい?残念ながら成熟しすぎた今の日本では無理だろうねえ。社会にまだまだ荒削りなパワーがある中国とかなら可能だろうけれども。」と嘆かれていた。
坂の上の雲じゃないけれども、もはや上を向いて歩いてばかりいられない時代を私たちは生きている。

付録の展示、ツァン キンワーの刺激的なテキストを使った映像のインスタレーションも文字というものが本来もっている「目で認識する」という機能を再認識するような展示で面白かった。

翌日は友人たちが横浜中華街で学生時代から続けている新年会に行くと元土佐ノ海の立川親方がいるではないか!
年に6場所取り組み90番は多すぎるんじゃないか?という私の質問に対して「横綱クラスの力士には消化相撲がおおすぎるかもしれませんね。あと、さすがに昔みたいに年に20日だけではファンから忘れられてしまう。年4場所で一場所20番くらい取るというのもありかもしれませんね。」という意見は新鮮だったわ~。
とにかく優しく賢くハンサム(顔が小さい)な親方でした。長年の相撲ファン、石原感激。


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年末、息子に付き合って3D映画怪物君を観る。
「俺は、カイブツクンだ、怪物ぅランドの王子だぞ~」ではなく、
「かーいかいかい、かーいかいかい」という主題歌にまず違和感を感じた。
しかし思いの外楽しんでしまって不覚ながら思わず目頭が熱くなるシーンも。
嵐の大野君(怪物君)の「我がままってのはな~、自分やりたい事に筋を通して責任を持つってことなんだよう!」というセリフに共感。

大掃除の合間に読んだ週間新潮新年合併号の吉本隆明の原発エッセーから思う事あり。
氏は意外にも人類の文明の進歩の証としての原子力の技術を諦めるべきではないとの見解だそうだ。
震災後のメディア等の感情的な反応は第二次大戦後の日本を思い出させるとのこと。
私個人的には原子力なんかは無いに越した事はないと思うのだけれども、周辺住民の方々の安全確保を確認の上、東北の復興を第一に考えるべきと思っているので、まず反原発ありきの立場ではない。
そこでの吉本氏は各個人の生まれや経験を背景にした「ぶれない」元個人の意見を重要視すべしという意見には考えさせられた。
自分ももっと勉強して揺るぎない意見を持たねばと思った次第。

そうこうするうちに年が緩やかに明けました。
今年は自宅で年越し。初詣は近所の神社へ赴く。
意外にも人出が多いが、それでも地元の氏神様はうんとのどかだ。
慌ただしい年の瀬とはうって変わってしんと静まり返った街を歩くのは心地よい。
本当に垢が洗い落とされて自分がリセットされたようで、日本人に生まれて良かったとつくづく思う。

年始は絵に描いたような寝正月。
元旦の天皇杯サッカーに始まり定番の箱根駅伝をだらだらと観賞。
やっかいなことに昨年大ヒットしたらしい「マルモのおきて」までまとめて再放送していて子供たちがチャンネルを取り合う。
その中で主人公が「家族ってのは、離れて暮らしていても一緒なんだ。好き嫌いでばらばらになるほど甘めーもんじゃないんだよ」というセリフに陰ながら私は思わずほろりとしてしまった。

今年は喪中なので年末年始のご挨拶を控えさせて頂いておりますが、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


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