数日前のことですが、野原岳という宮古島でも標高が高い(と言っても100m+αくらいですが・・・)
所を走っていました。 ここには航空自衛隊の宮古島分屯基地があり、北朝鮮のミサイル発射事件の時、
迎撃ミサイルPAC3が配備された場所です。
そのすぐそばに”野原岳の霊石”と書かれた看板がありました。
「なんじゃろかいな?」と矢印をたどっていくと、次のようなコメント文がありました。
以前に紹介しましたが、宮古島の歴史は13世紀以前は記録がないのです。 14世紀になって初めて
”みやこ(じん)”という記録が中国の文献に出てきました。 その時は木板に文字が書かれていて、
それを渡して会話をしていた(中国人に宮古の言葉がわかる人がいた)とのことですので、単に記録
が腐って残らなかったという意味です。
ですから、この文面の通り、14世紀には沖縄本島などとすでに多くの交流があったことは事実だと
思います。 ではこの霊石を、
どアップで、
うーん・・・たしかに当時としてはこんな円柱を仕上げるのに苦労はしたでしょうが、そんなに
堅くない琉球石灰岩ならば容易に加工できそうなもの。 霊石といううたい文句ですが、やや肩す
かしを受けた感が・・・・・
今年のブログネタはこれでおしまい。 皆様、よいお年をお迎えください。
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