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あの頃、こんな事がありました。

2012-05-14 19:32:29 | 沖縄本島にて

 沖縄に住んでいる人にはわかりますが、沖縄県庁向かいにデパートリウボウを中心とした複合施設「パレットくもじ」があります。 その4階に「那覇市歴史博物館」があります。 那覇市と書いてありますので、那覇の歴史やイベント・常設展(尚家の歴史・所蔵品など)を行っています。

 

 今年は沖縄復帰40年にあたりますので、現在、こんなイベントを行っています。

 私は復帰してから5年後に沖縄に行きましたので、インフラ整備真っ最中でしたが、もちろん「本土並み」ではありませんでした。 今は国際通りでスナップを撮っても沖縄と信じてくれないような内地そのものの風景でしすが、当時は「どう見ても本土とはぜんぜん違う」というイメージでした。

 

 学生の私として2つのイベントがイメージに残っています。1つが「沖縄海洋博後」と「交通方向変更(7・3・0運動)」です。

 これは沖縄海洋博グッズですが、まだ沖縄に行っていないときでしたので、全くわかりません。 でも・・・2~3年前におつりに海洋博記念の百円玉が混じっていたのにはびっくりしました。 すぐどっかに行っちゃったけど・・・・

 そして、海洋博記念公園の周りにはつぶれたホテル・民宿がたくさんあったのを覚えています。 ドタバタ工事でクーラ-なしでオープンしたホテルやプレハブを組み立てた民宿など慌てて作ってオープンし、博覧会が終わって客が激減したためつぶれたという構図です。 会場施設を含めて建設工事はほとんど内地業者。日本に復帰したから工事するには「建設業法」・「建築法」に従わなければならないので、復帰直後の沖縄の建設業者にそれをマネしろと行っても無理な話。 急いで開催する必要があったのか? 何か悲喜劇をあらわしたイベントのように思えます。

 上の写真には海洋博の目玉「アクアポリス」が写っています。 海上都市をイメージした可動式半潜水型施設です。 博覧会後に沖縄県に払い下げられましたが、入場収益に対して維持管理費が重荷になり、修繕が進まず立入りが危険となったため、平成5年(1993年)閉鎖。 7年間放置され平成12年(2000年)売却され、上海に曳航され、解体されました。 昭和50年(1975年)に123億円かけて作られ、25年後に1400万円でスクラップとして売却されたのです。 ちなみに貧乏学生には入場料が高かったため、私は1回も入ったことがありませんでした

 

 もう1つのイベント、7・3・0運動は印象深いです。 昭和53年(1978年)県になったけど右側通行だった1つの国を1日で左側通行にするという大イベント。 世界でも類を見ない大型社会交通変更とも言えます。 当日は海外からも多くの人が見物に来ていました。

7・3・0運動のポスター??? 実を言いますと、このポスター全然覚えていません。 こんなの町中で張っていたのかな。 それよりも私にとっての7・3・0ポスターは、やっぱこれでしょう。

 「みんなでスタート7・3・0」右側通行から左側通行に変わるデザインの両サイドはポッチマーク。 ノーブラというやつですね-。 当時の「週刊プレーボーイ」でも取り上げられました。 明るく健康的で胸ポッチのエロっぽさ(そう書いてあったかな?) 「このポスターを作ったのは警察、沖縄県警察です」と書いていたのははっきりと覚えています。 このポスターは貼ったらすぐ横から取られていったそうです。 私も1枚持っていましたが、いつの間にか行方不明に・・・おそらく後輩の誰かが持ち出した(パクッた)と思います。 7・3・0運動のTVCMでもこの子が登場していた(さすがにこの過激なタンクトップ姿ではなかった)がしゃべる口の動きと台詞がうまくあっていない(口パクっぽい)ので、ハーフの子だと思っていたけど、日本人だったみたいです。 名前は「五十嵐元子(いがらしもとこ)」21歳だったそうです。・・・??? 私と同じ歳・・・

 あー・・・34年前にはこういう出来事があったんだなあ。

 

 

 

  

 


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1 コメント

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復帰40年を迎えて (うめっこ)
2012-05-15 18:38:41
自分の人生と重ね合わせ感慨深いものがあります。
これからも、沖縄からの発信を楽しみにしています。
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