三十六、宗教はすべて法船や否や
現在道門(宗教)が甚だ多いが、これらはすべてを法船ということは出来ません。
然るに法船でないと言うけれども、大体の道門(宗教)は皆人に好い事を学ぶことを教えています。
参禅し打坐するもの、誦経(しょうきょう)し念仏するもの、又刀を持ち槍を弄(もてあそ)ぶもの、法を受持し呪文(じゅもん)を念ずるもの等、その名目は極めて多いのであるが、これを総括して言えば、正邪両途に外なりません。
『正門を探し当てれば仏祖となり、正門を探し当てざれば空(むな)しい煩悩なり』俗に申しますが、ただ人々各々の眼力と福徳の如何を見る外はありません。
故に孔子様は『博く之を学び、審(つまび)らかに之を問い、慎んで之を思い、明らかに之を弁(べん)じ、篤(あつ)く之を行う』と申されました。
続く