真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【Ray:宇宙創成以来の両性具有ドラコニア種族が人間に進化して行く物語!】【マッドフラッド】レムリアとムー カニバリズムによるヨーロッパの侵略 歴史学者たちが話したがらない事実

2023-11-01 21:49:52 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

Ray:海から来た渡来人神武天皇は、日本に寄生した種族!? 日本酒は支配層の飲み物。

【マッドフラッド】レムリアとムー カニバリズムによるヨーロッパの侵略 歴史学者たちが話したがらない事実


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伝承されてきた「空」の秘密、それは道すなわち真理の轍(わだち)

2023-11-01 19:26:54 | 道すなわち真理

縄文時代の「十字架」

ご承知の通り、歴史は為政者による権力維持のための創作がほとんどです。
その歴史に隠されていた真実が般若心経の「色即是空・空即是色」です。
この「空」の意味は、神道はもとより世界の宗教に様々な表現で伝えられています。

身近なところでは、諏訪大社より格が上である「八剣神社」の御神体が〝鉢を伏せたような形で、神主が毎年一枚の布(御衾)をかぶせる神事があり、何千年も続けているので御神体自体とても重く、しかも宮司でさえ中身が何なのかわからない”と言われていました。

出雲大社の御神体もしかり、何が依代なのかは謎となっています。
御神体は封印されていて、その正体は分からないというのです。
宮司も「御衾(おふすま)が丁重にかけられており、その中を伺い見ることはできない」と著書にあらわしています。

日本の大社と言われる神社は勿論、日本神道の神髄は「神仏習合」の謎として歴史が経過してきています。

謎になった理由の一つは、「天命」にあります。
古来為政者にとって「権力の象徴」は天命があるかどうかであったため、天命が遷ったことは歴史上決して表沙汰にされることはありません。

そこで為政者は天命があったかのように形象あるもので装うのが常でした。
天皇の権威を象徴する三種の神器などが歴史をゆがめてきた原因でした。

謎の二つ目は、八百万の神々がこの天に従って国体を護持し続けてきたことによります。

八百万の神々には、「天命」は開示されていませんが、天意を汲んで和を以って人心が按配されるよう、御神体は封印されていても、天命という神聖な世界があることを「一子相伝(親から子へ)」で代々伝承されて来ていました。

しかし、明治維新前後して、古来のほとんどの「一子相伝」の神事は、73代目にして絶たれています。※ 諏訪の守矢神社も73代目で絶たれています。

ここで般若心経の「色即是空・空即是色」と神道の関係を紐解きます。

天命が遷る前、本来の神道は、「皇統」が担っていました。
この皇統の形象を継承したのが、後の天皇制でした。

天皇制の初代は神武天皇とされていますが、国の成り立ちや皇統や天皇制についてこれを覆すたくさんの古史古伝(上記・竹内文書・日月神示…などなど)が遺されております。

皇統の時代は天命である「空」の「隠微な道」を伝承するのが神聖な役割で、宮殿や厳かな儀式は一切なく、名も知れない存在がこの聖なる天命を継承していました。

この「空」の秘密は、紀元前1000年前ごろから、聖人と言われた老子(道教)・孔子・孟子(儒教)・釈迦(仏教)、そしてキリスト(キリスト教)・マホメッド(イスラム教)に伝承されました。

達磨大師が開祖である禅宗の「達磨の四諦句」では、

一、教外別伝(教えの外に別に伝える)

二、不立文字(ふりゅうもんじ:文字にあらわさない) 

三、直指人心(じきしにんしん:直接人の心を指す) 

四、見性成仏(けんしょうじょうぶつ:性〔仏性〕を見て仏〔悟った者〕となる) 

つまり、その秘密は、禅宗の教えにもない、文字(経典)にも著わされていない、心の有りどころを明師が直接指でさす、それによって仏性を悟り成仏できる。
という宗旨のものです。

神武天皇より350年前、インドから訪れた釈迦が梵珠山で修行し、晩年この地を再び訪れ生涯を終えたとう青森に釈迦の墓があります。

また同じ青森にキリストの墓、能登にモーゼの墓があるのは、彼らがこの道を求め来日し、皇統の下で修道し、道を得て天命を担い、それぞれの国に道を弘め、そして役目を終えて日本に帰還してきたためです。

特に、モーゼは諏訪とゆかりが深く、諏訪大社を建てたのはモーゼだとされています。

境内の奥にその痕跡が遺されています。

古来から、神殿は人々が神に近づくために、神聖な儀式に参加し、主たる神に従う決意を深めるために参入する場所として建立されてきました。

  ※Ray:今日、仏堂(聖所)は世界中に建立されています。

紀元前10世紀ソロモン王が建設した神殿(ソロモン神殿)をはじめ、日本も紀元5百年頃からはじまって、全国に2万社をこえる諏訪大社が建てられました。

諏訪大社の守矢神社では明治4年までアブラハムと息子イサクの神事が行われていましたが、天皇制に影響するため廃仏毀釈と同時に廃止されました。

また、諏訪大社の祭神「御左口神」も謎になっています。右があれば左があるように、陽から陰への移行を示し、陰の「口」は「空」であることを伝承してきました。

この「口」は、老子の道徳経では「玄牝之門」と記されています。玄なる牝の門、すなわちこの世の現象を生み出す門で、玄妙な赤子を生む女性の性器のような神聖処として伝承されてきました。

「空」の中に「妙」あり、すべてを創造する力、すなわち根源創造主の分け御霊画あり、それを発揮するには「進化の轍に入る儀式、すなわち天命を授かる神儀」があります。それが人類5000年の念願だったのです。

天皇や皇帝が権力に汚れたため、天命が宗教(道教・儒教・仏教・キリスト教・イスラム教)に秘められ、修道することでその境地に到達できる道がひらかれるようになりました。

つまり、天皇や皇帝の神権が師儒(道教・儒教)・僧侶(仏教)・牧師(キリスト教)・ラビ(イスラム教)などで修道し道を修めた聖人に遷ったわけです。

そして、さらに明治維新のころ宗教も権力にまみれ退廃し、神権は秘かに火宅(一般庶民)に遷されました。 

青陽期~紅陽期~白陽期と時代が流れ、現在は人類は白陽期の始まりになりました。
しかし、堕落した民心のままでは、この聖なる道を得て極楽浄土に入ることは赦されません。

そこで天の恩恵によって、青陽期(水の劫災)9劫~紅陽期(火の劫災)18劫~白陽期(風の劫災)81劫の劫災があり、合計108の劫災を経験し、人々の心の汚れが清められるよう諮られています。

今回の新コロナウイルスは、白陽期10800年の始まりの「風」の劫災です。
スペイン風邪・エイズ・サーズ・鳥インフルエンザなど多くの劫災が蔓延し人類一人ひとりの叡智が試されています。

時代は、人々の心を封印し悪習を植え付けてきました。

師が言われました「誤った事を改めれば好い」のであると、歴史は為政者の権威を象徴するために作られてきました。

2022年、旧い時代の過ちを正し、覚醒の糧にする時に至りました。

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Ray:上図のソロモン神殿図は、御柱祭りで、山から降ろして川で禊をした後、最寄りの神社の四方に建てられますが、その神社の拝殿がソロモン神殿にあたります。

契約の箱を配するなど神事が決められていますが、実際に「契約の箱」は東北のある県にあります。

古代に遡ると、その時の約束の地は「竪琴」の印象のある諏訪湖、そして罪のある状態のままで永遠の命を得てしまわないように命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いています。

諏訪大社には毎年炎神社から火が届けられています。

これらの神事は新しい時代を迎えるための伝承です。

根本の「根源創造主の降臨と道すなわち真理」が公開され、究極の「禊」が「修道」という規範で享けられています。

神の約束はすでに成就されています。

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師曰く~マクロの視点とミクロの観点

2023-11-01 19:18:19 | 師尊老大人・月慧師母

「すべての事象に神が宿る」という伝承は、今回の新コロナウイルスのパンデミックでも証明されました。

ウイルスやワクチンという物質(生命体)ばかりか、ロックダウンなどの感染予防策は、世界をひっくり返しました。

まだ、始まったばかりですが、2022年は「マクロの視点とミクロの観点で真相をはっきり見極める」機会です。

現代物理学の発見は「物質の本質はエネルギーである」、それが私たちの心念系統であると言う事が証明されていることです。

アインシュタインの人類に対する最大の貢献は、物質はエネルギーの一つの形式にすぎず、世界中の万事万物はみなエネルギーによって形成されていることを明らかにした点です。

心念は宇宙最大の力量(パワー)である!このことを科学が証明しています。

我の心は即ち宇宙であり、宇宙すなわち我の心であり、心は一面の鏡で、心に何かを想えば、鏡の中にその相が現れます。

マクロの視点とは、大きな範囲で宇宙全体を見ることです。そうすると宇宙の外に、また別の宇宙があり、それが無限に続き、その大きさも無限であることに気づきます。

世界観とは外在の世界をすべて含み、本質上において霊魂と聖霊を信仰することです。

精神は物質と分離させる事はできず、現実の世界もまた幻想の世界から切り離すことはできません。

世界全体が一つの神聖な空間を擁しており、人類を超越した力がこの世界の内外を運作し、大自然と人類社会に対して影響を与えています。

人類はこの動態宇宙の一分子であると自認していますが、しかしながら、人類以外にも、まだとても多くの目に見えると目には見えない力量と実体が存在しています。

特に現在社会は国際化し、世界の大きな潮流は融合に向かっていて、私たちは私心を捨て、世俗を超え、国を超え、単位を超え、個体を超えて、各種の種族、文化、宗教、習俗と融合し、そして各々の国や地域で、点と線と面において、互いに信じ互いに諒し、互いに支え合って賢なる才能ある人を育成することで、ともに一体観、全体観、大同観に入って行きます。

ミクロの観点とは、小さい範囲から宇宙万物を観ることで、宇宙万物を組成している物質が、細胞から染色体、分子、原子、電子、陽子、粒子、クオーツ等など無限小の基本単位に至っており、更には人の隠微な心念なども、その小ささはこれ以上分けることができないほどであるのを発見するでしょう。

人身は宇宙の縮図であり、人心はまるで一つの小天地のようであります。

現在は人工知能を使った製品が次から次へと生み出されています。

無人機、無人車は日を追う毎に普遍的となり多くの仕事はロボットに取って代わられました。

或いは翼を挿して空を飛び、両輪を足で踏んで各地を旅します。

インターネットの発達により人類の生活は大きく変化し、時空は大いに縮小しました。

仮想現実(バーチャルリアリティー)が入り乱れて、真と仮は見分け難く、昔日の神話の多くはすでに実現しています。

「すべての事象に神が宿る」

あなたにとって自らの心念を見極めやすいように事態は尽くされています。

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十大願~五、欺師滅祖:先師を欺(あざむ)き

2023-11-01 19:14:12 | 十大願

欺人欺己難欺天 人を欺き己を欺けれど天は欺き難し

師尊妙道須持堅 師尊の妙道を須(すべか)らく持堅(じけん)せよ

滅却三心飛四相 三心を滅却して四相を飛ばし

祖顕佛法共収圓 祖の仏法顕れて共に収圓

解:

人を欺き、自分を欺くことは誰にもできます。

だが天を欺くことはできません。

上天が欺けられるならば、天律という言葉はどこからくるのでしょう。

そして世の中はどうなるのでしょうか。

また自分を欺くということは、自分の良心を欺くことです。

だが誰も知らないと思っても、自分の良心は知っています。

次に師尊様の妙道は、上天の命を受けて伝えられているので、これを堅く保持しなければなりません。

そして過去の心、現在の心、未来の心も、きれいさっぱりと清くして、私と云う相、人と云う対相(君と云う相)、衆生(ひとびと)と云う相、長活(ながい)きというこの四相も吹き飛ばして、温かい心で触れ合い、眞正(ほんとう)の世界平和を築くのです。

将来弥勒祖師が現身佛として顕れた時は、まさに世界大同の世の中です。

それで修行者の知る可きは、

一、明師の一指(いっし)を受けて開かずの扉が啓(ひら)き、生死の超脱ができ、閻魔王(閻魔王)の管轄(管轄)を受けずに浄土に往生(おうじょう)できるのは、明師の浩大(こうだい)な恩澤(おんたく)であり、この御恩に報いるには、『師の心を体とし、師の訓「教え」を尊(たうと)び、師の行いを效(なら)い、師の志を継ぎ、師の道を行い、師の愿を担い、師の意を発揮する』そして、心心相印(しんしんあいいん)じて、この偉大な事業を(普渡)を完成するのが、眞正(ほんとう)の師を尊ぶことです。

道を重んずるとは、なにごとも公を重んじ、私事は軽く見て自分は犠牲にしても道の為に、衆生の為にと、決して利己的にならないのです。

二、犯しやすい缺点(けってん)

1,師を尊ばず:修道は謙遜を学ばなければなりません。自ら上を侮(あなど)り、師を謗(そし)り、師の心を体(さと)らず、師の訓(おしえ)に随(したが)わず、師の志を継がないなどは、師を尊んでいないのです。

2,道を重んぜず:試練に絶えられずに、道を謗り、或いは事業がスムウスにいかずに、或いは病を患いては神を謗り、道のせいにするなどや、天命に背き、または人情にからんだ修行などは、みな道を重んじていないのです。

三、師を尊ぶと道を重んずるは離れられません。それは道は師によって伝えられているので、どうして尊ばずにいられましょう。

師の本意は道を伝える為である故、どうして道を重んじずにいられましょう。もし只、重んずるに偏(かた)むけば、相に執(とら)われて人情となり、若し道を重んずるに偏むき、明師の指点が無ければ則(すなわ)ち容易に頑空(がんくう)に落ち、虚妄(きょもう)となります。故に師を尊び道を重んずるは一体です。故に決して先師を欺いてはなりません。

続く


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弥勒真経~十六、老〇真言呪(しんごんじゅ)を降す 心を用いて持念せば神通あり

2023-11-01 19:12:59 | 弥勒真経 解釈

真言呪とは一念すれば神通ある言葉であり、人身にとっては枢軸(すうじく)であり、法門においては極である。

天道は三期の世に公にされたが、実に老〇(ラウム)の降下し給うところのである。

わけてもその中の一つの真言咒(無字真経)は非常な霊験(霊言)がある。

この経は口授(こうじゅ)によるもので、平常、念じ書くことを許されないが、生命にかかわる危険事が身辺に起こった時に一度念ずるや三界のすべての神霊が全てこれを知り、三天の仏聖ことごとくこれに応じて庇護(ひご)に臨(のぞ)まれる。

老〇(ラウム)は原子を守るによき真言咒を降し伝えたが得た者は一旦(いったん)の時に真心を持って用いるべきである。

心を用いて持念することに二つある。

一つは黙して常に心霊の中において固く持して念ずるのと、危機一髪の時に声を出して念ずるのとある。

何れとも神霊に通達し、仙仏に透徹 (とうてつ)して大いなる守護がある。

又、妙智慧(みょうちえ)をますます増長させることができる。あらゆる経典に中に載っていない経文であり、文字に書き表すことができず、口伝によってのみ受け継がれいる。

常に経典に比すべ気もなき、教外別伝(きょうげべつでん)の真言咒である。

続く


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