真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

Rayの呟き~悪習慣を見極める 

2022-07-17 23:02:45 | Rayの呟き

悪習慣というのは、それがどのようなもので、どう正すべきかと考えはじめますと、たちまち迷路に入ってしまいます。

正しい念、正しい意を保ち良き習慣を為すには、次のような時にどう意識するかで決まります。

人間の根本的な欲望を凌駕することがすべてに通じます。

まず、空腹時に空腹を思わない。

空腹の痛みは飢餓の仕業です。

※食べ物をむさぼり食う「餓鬼」のすがたは、食べても食べても満たされることのないすがたでもある。そのことが、「飢餓状況」にあるという

             餓鬼の姿

その証に多食は腹痛を伴います。

目で食べ、舌で食べ、念で食べることを日常としています。

これがまさに悪習慣です。

この欲が生ずるのは、まさに「飢餓(きが)の魔(魔性の別人格)」によるものです。

目、耳、舌を正しく用いることは正しい念にあります。

悪習は、自分の敵手にして大敵です。

引き下がって懈怠(おこたる)すれば、それはもう自暴自棄の兆しとなります。

一刹那(瞬間)に怎麼(そもそもの意)の結果を生じます。

もし退縮すれば、数多の六賊を忽ちに生じて、錯誤、妄動の原因を為すことは明白です。

六賊~眼・耳・鼻・舌・身・意の(六の感覚器官)を賊に喩えたもの。六根は色・声・香・味・触・法の外賊をいざない、貧・瞋・痴のの内賊を働かせる媒介となるところからいう。

飴一粒、菓子一片、茶水一杯を侮るのは、餓鬼の謀り事です。

天下を揺るがすほどの一穴です。

微細に観極めて、正意を決して断ずるべきです。

悪習慣を改める極意は瞬間にあります。

一刹那(瞬間)に怎麼(そもそもの意)の結果を生じます。

悪習慣をあらためるために学ぶことは、これからは特にたくさんありますが、時は今(身体を得てこの世にいる僅かなとき)しかありません。

眠るという習慣を遠ざけ、学ぶために眠らないようにする、いわゆる不眠を無理なく実践することが悪習慣の根を絶つための極意です。

眠気の正体は一般俗的であり、賊(五賊)にその因があります。

※  五賊:喜・怒・哀・楽・慾を言います。五賊は五徳(仁・義・礼・智・信)を制して屈服させる因となります。

眠気をもよおす因には、腹を満たすことが第一にあり、体を暖めることが第二、五賊を戒めるために足を暖めることは必ず避けるべきです。

常に心を正位に置き、回光返照するのは、不眠を目的とするためです。

※修道は必ず回光返照しなければなりません。外に向かっていた思いの向きを内に回すことを回光返照といいます。内の自分の心地を照らしながら外の劫難因縁を照らすと自ら大慚愧の心生じます。

妄想や妄念を生ずると、おのずと姿勢が悪くなります。

ただちに転念して、もし臥せても心身の正位は変わらないようにします。

すなわち諸作(何かをする)を為す場合に一瞬とも投げやりにしないことです。

物を投げ捨てたり、事を急ぎ済ませたりせず、ゆっくりした動作をするようにします。

もし、邪念が混じり心に焦りがあるのは、すでに正気に欠けています。

多言、妄言、虚言に(常に)意識があるのは、すべての元凶で誤りはさらに極大になります。

悪習慣を改めるため、身を修めたいと言いながらこのようであれば、恥を知らない大恥です。

小さいことから大きく崩れ、小と思うものは実に大きいものです。

眠るのは、意を失います。

不眠は浩然の気を養う根源にして、そのように無意、無念、無想にして天人合一の機会を得ることができます。

※  浩然の気~眠ることによって失う「意」は、意識のことで日常茶飯のことですが、眠らない状態で正位を整えて、意も無く、念も無く、想も無い境地、その超脱した境地が得られる、段階的な気で、元気(3次元)・精気(4~5次元)・神気(7次元以上)の最上の神気をいいます。

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道と教(宗教)とはどうちがうのか

2022-07-17 22:57:40 | 道すなわち真理

孔子・中庸:天の命ずるこれ性と謂い、性の率いるこれ道と謂い、道を修めるこれ教えと謂う。道は須臾も離れるべからざるなり。離れるべきは道にあらざるなり。

道は性理の本体で真理です。これを人に与えれば性(霊)となります。故に「性理」または「良心」とも言います。

この性理は私たちの先天的(生まれる前からのもの)根本で、生命の大本です。人は誰でも皆これを受けてこの世に生まれ、またそれぞれの因果や性理に応じて死にいたります。

このように生と死は必ず経由する路であり、古来最も神秘的なこの「性理真伝」を文字で書や経典などには書きあらわさず、口頭で授けられ「以心伝心」のうちに伝えられてきました。

そして、唯一絶対の造物主の天命により、この世に降りてこの道を伝えるために来た者は、たとえ仙佛、聖人といえども、この機密をもらすことは決して許されませんでした。

そして、儒教の四書五経、仏教の金剛経、老子五千言の道徳経・清浄経・黄庭経などのところどころにこの証を秘蔵し、それとなく読む者に暗示を与えてきました。
時の実りによって、老子には元始(ゲンシ)、孔子には項屣(コウモ)、釈迦には燃燈佛(ネントウブツ)が法灯を伝授しました。このように天命を受けた明師が降臨して、この道を伝えてきました。

それに対し教は、道の伝授により、道より発生したところの法と行事によって人々を教化する行為です。道が主体で教は功用になります。樹木にたとえればその根元が道、枝葉が教です。いわゆる五教(仏教・儒教・道教・キリスト教・回教)は皆この道から発生したものです。

儒 教 存心養性 執中貫一  (一を貫く)       忠恕    聖(ひじり)

仏 教 明心見性 万法帰一(一に帰す) 慈悲  仏(ほとけ)

道 教 修心煉性 抱元守一  (一を守る)  感応 神仙(せんぶつ)

耶蘇教    洗心移性  黙祷親一  (一に親しむ)博愛 神(かみ)

回 教 堅心定性 清真返一 (一に返す)   清真 僕(しもべ)

※日本伝承の 一厘の仕組み、〇チョンも同じ道の心印です。

このように五教の起源と宗旨は同一です。この「一」は、「道」であり「真理」であり、孔子はこれを「吾が道は一をもって之を貫く」と言われました。

教は善行を奨励し、修養して徳を積み、出世(社会を離れ)して修行を極め、道を得るための準備をする段階です。道は教の真髄で、道を得ることより師の指示・伝導を直接得ることができ真の人として進化に万全の備えをすることができます。

孔子の弟子の子貢が「孔先生の文章や学問は学ぶことができましたが、先生の性と道に関して学ぶことができなかった」と謂っています。前者は教であり、後者は道のことです。

これが道と教の相違点であり、教は何時でも授けられますが、道は非常時(歴史的な節目)でなければ授けられません。

道は時には隠れ、時には顕現するものです。それは、道は時に応じ世にくだり(興り)人を選んで伝授するからです。

教はどんな時代でもあります。道が伝えられない時でも教は存在し、道が盛んに興るときでも教はやはり存在しています。

その理由は、教は人道の基本を強化するものであり、なるがゆえに道は教を離れることはなく、教もまた道を離れることはありません。

なぜなら道がもし教を離れれば、教が道から離脱し、異端邪説に走ってしまうからです。

道を信奉すれば、生死を超越して、輪廻を離脱し、西方極楽に登り、あらゆる災難を避け、恨仇を解消し、罪を消滅し、運命を改善して果報が得られます。

故に古人が「天上天下を通じ唯一道のみ最も尊し」と言われたのも決して虚言ではありません。

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性理題釋~三十五、法 船

2022-07-17 22:54:37 | 性理題釋

三十五、法 船

法船(ほうせん)とは一つの名詞であり、喩(たと)えた言葉であります。

その実際は道を言うのでありまして、無形無象でありますから肉眼で見られるものではありません。

人々は世の中に於いて、酔うが如く生き、夢の如く死して(酔生夢死)四生六道を輪廻してやまず、種々の関係を造り、種々の果報を受けて、波に随(したが)い波に逐(お)われるようにして終わることが出来ず、解脱するのに法門なく、万状の苦痛を受けるので、これを苦海と申すのであります。

修道する事により、即ち世界を虚(むな)しい花と見なし、富貴は泡影(ほういん)の如くし、妻子の情愛は枷(かせ)と鎖(くさり)のように思って、心の障礙(障害)をなくし、かかわりをなくしてゆくならば、この境地が苦海の中で法船に乗った事になるのであります。

続く


弥勒真経~十二、西来(せいらい)の白陽子(はくようし)を認識すべし されば卿児鉄(きょうじてつ)を点じ化して金と為す

2022-07-17 22:52:14 | 弥勒真経 解釈

白陽子とは弥勒祖師の事である。理天西方から運に応じて三期白陽に収圓(しゅうえん)の天事を掌(つかさど)る人(弥勒祖師)が来臨(らいりん)したことを認識することができる者は、慧眼(えげん)の備わっている明哲な人と称することができる。

郷児(きょうじ)とは原子のことである。

鉄とは迷昧(めいまい)な衆生の心の例えである。

天性が気質性・習性に囚(と)らわれ、物欲に蔽(おお)われて迷わされた状態を鉄に準(なぞら)えている。

即ち鉄の如き愚かなる心を持った人はなかなか点じ化しがたい。

金とは先天性であり、即ち金剛の霊性である。

今、三期に命(めい)を奉じて収圓に来られた白陽子(弥勒祖師)の神通は弘大(こうだい)であり、その有する所の法力は無辺(むへん)である。

よく愚昧(ぐまい)の人を指点(してん)し、醒(めざ)め化して金剛不壊(こんごうふえ)の姿に返ることができるのである。

続く


本Blogの掲載内容を「道すなわち真理」に関するものに特化します!

2022-07-17 15:34:11 | Rayの呟き

いつもご高覧いただきありがとうございます。

今日から本Blogの掲載内容を「道すなわち真理」に関するものに特化させていただきます。

テレビや新聞を観る人がいなくなってゆくように、旧い時代が過ぎ去り、ネット社会もより真実を求めるようになると思います。

人類の歴史や生活も、嘱隷社会から道徳規範を重んじた神殿文明に移行して行きます。

日本に於いても50年ほど前から本格的に道の伝承がはじまり、弥勒時代の基盤は築かれてきました。

掲載している「性理題釋」や「天道の淵源」なども時に応じて解説を加え、よりわかりやすくして行くことに勤めたいと存じます。

今後は求道までの天の仕組みもご案内する予定です。

なお、世界の金融・統治は、弥勒世界を支える仕組みですので、BPPF(ベネフッシャリー・パーソナル・ペンション・ファンド)は成果が上がるまでご報告させていただきます。

感謝慈悲