【毎日LIVE】7/2(土)22:00~生配信!!選挙特番!参政党公式YouTube
情報は変化を知る機会です。大きな変化を目の当たりにしているとき、転変天地も人々の動向も、みな道場における修道の糧ととらえなければなりません。
地球規模を鏡とした錬磨の機会です。時勢に応じて変化することに対して社会の紀律は「思い通り」でいいでしょうか。
仏教では、四弘誓願:衆生無辺誓願度(すべての衆生を悟らせよう),煩悩(ぼんのう)無量誓願断(すべての煩悩を断とう),法門無尽誓願学(仏法のすべてを学ぼう),仏道無上誓願成(無上の悟りに至ろう)という4種の誓いを建てました。
参照:tsurumi3776.sakura.ne.jp/b6-siguseigan.htm
スピリチャルメッセージは、人類が目指す「道徳的世界:弥勒世界」へ準備段階を誘導し、感覚的に未来を鳥瞰してきました。現在、スピリチャル世界でもまだ人類の覚醒状況は十分ではありません。
新コロナパンデミックのように、社会が「どんでん返し」して一旦落ち着きを取り戻すと考えている方もいるかもしれませんが、実際は自分の進む道が明確に明らかになる(確信が持つ)まで、まだまだ様々なハプニングが続きます。
なぜなら、人々の意識は閉じ込められていたため、どこが目標地点なのかまだ理解できないからです。「小さな光明」から始まるのは確かですが、理解していると考えるのは最も障害となる意識形態です。
もうお気づきのように、あなた自身が創造の原点だか、未詳のままでは、どこにいるのかさえ分かりません。今、現実の自分の都合よい奇跡が起こったから覚醒が進んでいると思うのは尚早です。
スピリチャルメッセージで「新しいステージの入り口に着いたばかり」あるいは「最高のものはまだこれから来る」と伝えているのは、聖書などでも伝承されてきた「虹の梯のたもとの黄金の壺」に至る物語を意味しています。
「思い通り」で理想の世界は実現するでしょうか。道場であるこの世界は、マクロ的に世界の状況を知る見識に基づきます。しかし「天命の性の一点の霊明」を具えていても、物欲や外界の牽引を受けやすい状態にあります。
したがって、これからの創造のために規矩が必要であり、それによって邪な偏向や頑空に陥らないようにしなければなりません。
過去の時代、仏教の基礎となっていた「四弘誓願」(新しい時代の四弘誓願は時代にあったものが降ろされています)を例に挙げましたが、そのほかにも重要な規矩が用意されています。
改革をするなら、根源創造主が主宰する仏規や宗旨から離れることはできません。覚醒し、さらに進化をし続けことは自己を切磋琢磨することであり、このことに正しく認識してほしいと思います。
新しい時代を創造するとは、時代の違いや、その場所や人々それぞれに異なった方法で導く必要があり、それであって初めて人々の才能・能力を活かすことを求められるからです。
人々を指導する立場の人は、根源創造主が降ろされた守るべき礼や守るべき規矩を原則通りに守り、決して捻じ曲げてはなりません。今回は人類史上嘗てない結実の時です。
各宗教や哲学・思想などを超越し「悟り・超生了死・解脱」によって地上天国を創造する時代、神々と共に人類が夢見てきた至極の時代が到来しているのです。
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Google 翻訳
では、次は何ですか?
ダウナーになるのは嫌いですが、次は本物の仕事だと思います。
まず第一に、私は、 無限の光の存在であることが私たちの性質、私たちの可能性、そして私たちの運命であると今でも信じていることを繰り返し述べさせていただきます 。肉質であろうとエーテル体であろうと、私たちが望むあらゆるレベルの密度で創造を体験することが本当に可能です。
私が変える必要があると思うのは、 プロセスに対する私たちの態度です。なぜなら、それは本当に重要なプロセスであり、最終目標ではないからです。
また、これまでに起こったことすべてが間違いだったとは思いません。私たちをこの場所に連れて行くことは完全に必要でした。今、私たちが銀河間コミュニティに生息する光の多密度の存在であるという私たちの意識に植え付けられたこの美しいビジョンがあります。このビジョンは、疑問を投げかけ、光を擁護し、慣習を探求し、反抗し、他の人に奉仕し、自分自身をより良くしようとしたすべての人によって植え付けられ、育まれてきました。
今、そのエネルギーの羅針盤を拡張して、ワンマインドのすべての 側面を含めることができ、何らかの方法で「低」または「地球」と判断されたために何も除外しないようにしましょう 。
私はいつもトップダウンモデルで神性について考えていました。上記のように、以下のように、など。創造のメカニズムの観点から、電気の原理(父、または精神)は、磁気の原理(母)が応答して形を成す意図を設定したように見えました。母が父のデザインに反応したこと。でも、「そもそも、父の意図に影響を与えたのは何ですか?」という問いかけを許した今、 根本的なのはフェミニンの願望だと思います。彼女 は創造の行為を鼓舞 します。
焦点を切り替える時が来ました。
そうする代わりに、
あなたの直感の知恵があなたを優しく動かすことを可能にします。
昇順ではなく、展開します。
以下のように、上記のように。
このメッセージに共鳴する場合、あなた自身の精神や神経系のトラウマや調節不全のビットがあなたから隠れているか、おそらくあなたに向かって叫んでいる可能性があると思われる場合は、体性体験をチェックすることを強くお勧めします。
私はSEプラクティショナーであり、ライトワーカーでもあります。クライアントとの私のセッションでは、私は人々がトラウマを再交渉するのを助けます。それはまた彼らの「より高い」自己が彼らの体に着陸することを可能にします。
私たちの多くは、私たちの使命を明確にした巨大な光の存在としてこの惑星にやって来ました……そして ワム! この場所の厳しさの衝撃と、ここにあるようなエネルギーと経験は、私たち自身の大部分をより細かい密度にすぐに後退させました。その場所から、私たちはここで私たちの小さな自分を助け、導くために最善を尽くしますが、トラウマを解決することは私たちのすべての自己が着陸するためのスペースを作ります。これは素晴らしいです。
トラウマに対処する方法はたくさんあります。身体ベースのものとそうでないものがあり、すべてが潜在的に有用です。あなたがトラウマサバイバーであり、あなたの体を感じることができ、そうすることをいとわないのであれば、体性体験が最善の方法だと思います。しかし、私の言葉を信じないでください。ピーター・レヴィン博士の本の1つ、たとえばWakingtheTigerやInaSpoken Voiceを読んで、 Irene の ビデオ とオンラインプログラムをチェックして、自分で決めてください(これらのリンクはすべてこの前半にあります)章、「トラウマによるプシュケの断片化」というタイトルのセクション)。
神経系が非常に混乱しているために体を感じることができない、または体を感じることができるかもしれないが、そこで時間を過ごすのは苦痛であり、古典的なSEにはまだ参加できませんが、利益を得ることができる人キャシー・カインの作品であるソマティック・プラクティスと呼ばれるソマティック・セラピーの形式から大きく、またはCBT(認知行動療法)に沿ったよりトップダウンのモデルを調査して、最初にいくつかのリソースを開発することができます。
あなたが実際に十分に規制され、トラウマのない珍しい存在の一人であるなら、あなた自身のユニークな目的を発見して生きることによって、奉仕し、他人の改善のためにあなたの贈り物を使うことがあなたの使命です。
あなたが何をしようとも、出発点はあなたの意図です。
自分のすべて に気づくかもしれないという意図を持って始めるなら 、自分を忘れたり隠したりして傷ついた可能性を和らげるなら、立つ力を見つけたらあなた自身の癒しの権利のために、あなたがあなたの欠陥を明らかにすることを許すなら、あなたの根底にある欲求が人類に奉仕することであるならば、それはあなたが最初にあなた自身に取り組む必要があることを意味するかもしれませんが、あなたは正しい方向に進んでいます方向。
今、4密度の現実での生活を体験できたとしても、そうではありません。
ええと、わかりました…..多分私は休暇を取るでしょう、しかしそれから私はこの厄介な古い3Dの世界にすぐに戻ってきます。
ほら、第3密度の本当の可能性と魔法はほとんど忘れられています。
はい、これは現在の作業ですが、これは潜在的に可能な限り最も楽しい振動体験の1つでもあります。私たちは、影響を受けて3番目の密度を経験してから長い間、それを忘れてしまいました。運用高密度グループ意識!つまり、寛容、思いやり、自由、愛、自分自身の向上、他者への奉仕、そして私たち全員が創造主であるという知識に基づく集合意識です。
それは母の夢です、少なくともそれは彼女が私にささやくものです。
彼女は、意識によって文字通り変容する能力を持っている、密集した、肉付きの良い、個性的な存在は、最初からのアイデアだったと私に言います。私たちのこの形而上学的な体は 、 はるか昔に、生命の最初の爆発を煽った可能性と希望です。
3番目の密度はそれほど固定されて不変である必要はありません。私たちは社会としてそれがそうであることに同意しただけです。
エルフやユニコーン、牧神やサテュロス、その他のあらゆる種類の魔法の生き物の伝説があるのには理由があります。これらは他の種族や世界の遺伝的記憶であり、密度の3番目のレベルでの形態変化が可能だった古代の記憶です。 。
欲望によって形作られた生きている庭と樫の森の夢。インテリジェントな魚と踊る石。
GrexAbl#x!への旅行のために、そしてマティーニを飲むためにそこに着いたら、光に変わる能力。肉付きの良いつま先をエイリアンの海岸の柔らかく官能的な砂に掘ります。
それはすべてオプションを持つことです。それは、私にとっては自由です。
それが私の母が私にささやく夢です
私が地球に横たわったとき、
空に片耳で
もう一方はしっかりと地面に押し付けられました。
だから今、あなたは私が同意していないニューエイジのテキストの無数のボリュームについて疑問に思うかもしれません。私はプレアデスやアンドロメダンよりも賢明だと主張していますか?天使たちはそれを間違っていますか?Sphere Being Allianceは惑わされていますか?
答えはノー、イエス、そして多分です。
これらの情報源からの多くの情報は、私たちの相互接続、無限の自由と恵みの存在である可能性、お互いを愛し、親切にする必要性、広大で普遍的なコミュニティのメンバーとしての私たちの場所の点で正しいです。そして、私たちが大きな変化の時代にいるという事実。私が言っているのは、アセンションの方法と理由が時代遅れであり、破棄する必要があるということです。
それらの本は、マヤのシステムで、2012年12月21日に終了した最後のエネルギーサイクルの間に書かれました。この日付はまた、多かれ少なかれユガとして知られているヴェーダの周期と一致し、それはまた、私たちの太陽系が銀河の回転周期の新しいエネルギー領域に移動したことを示しました。 。
この最後のサイクルは、私たちが男性的なエネルギーに支配されてきた期間でした。その間に表現され、伝えられたアイデアのほとんどは、男性が支配するエネルギーが促進すると考えている、上向きと下向き、高振動と低振動のようなものによって色付けされました。フェミニンが優勢になるこの新しい時代に入ると、新しい情報がより広く利用できるようになり始めたのは今だけです。
また、私が前に言ったように、非常に多くのニューエイジの資料は、陰謀団によって生み出された巧妙に作られた、非常に卑劣な偽情報です。
私は3D地球上で肉付きの良い人間であり、耳を地面に向けることができます。トラウマと3密度を処理する方法に関するこの新しい情報は、他のよりエーテル的な存在よりも利用できる可能性があります。このレベルの現実についてすでに何らかの判断を下している可能性があり、計画が変更されたというメッセージを聞か ない 傾向が あります。
私たちが銀河系の友人から受け取ったメッセージの多くは、 彼らの時代に刺激的で有効だった と思いますが、そのパラダイムを発展させるプロセスは、以前に考えられていたものとは異なる必要があります。現在の有効なSBAからのメッセージでさえ、私たちが上昇するために最初に何が起こる必要があるかを理解しているという点で、単に不完全です。
新しい黄金時代の誕生の苦痛があり、そのいくつかはすでに経験しています 。 津波、経済崩壊、病気、気候変動、戦争など。カーペットが下から引き出されている間、陰謀団が蹴り、叫び、そして不聖な生活を続けているので、しばらく続く世界でいくつかの重要なドラマがあるかもしれません。
しかし、最終的には、私たちがこの惑星で素晴らしく調和のとれた時間に向かっていることを知っているのは、私の確固たる信念と根性です。ある程度の理解に達した人間が、もはや上昇して逃げるのを見るのではなく、内側に向きを変えて自分自身を調べる時。そして、彼らが真に拡張性のある自己調節自律神経系を発達させ、魂の断片化の多くを再統合した場合、彼らは彼らのユニークで神聖な目的を何でも生きることによって、自分よりも幸運でなく、十分に調節されていない他の人に手を差し伸べ、助けますかもしれません。
現在自分自身を「非常にスピリチュアル」だと思っている人は、私が話している可能性のいくつかに自分自身を開放することを許すならば、彼らが実際に何であるかが深く凍結されているか、深く切り離されているか、または世界の「より低い」性質。
妻と電話代について話し合ったり、隣の部屋で子供たちがハンバーガー、フライドポテト、ビールを楽しんだりしながら、アセンドできるなら、私のゲストになりましょう。言い換えれば、あなたが密集した、物質的な、乱雑で、光沢のある世界に完全に従事している間にあなたの振動意識を拡大することができれば、すごいです!頑張れ!しかし 、 あなたはどうしますか?
忘れがちですが
私たちがここに来てここにいること、
今、この時間と場所で。
第7章 真の学問と学の階級
學問の道は極めて広泛(こうはん)で奥深く、一生かかっても極めつくされるものではありません。
これを会得するのに、平易な物もあれば困難なものもあり、滑らかなものもあれば険しいものもあります。
何れも努力を必要としないものはありません。
學問は人に及ばないものであるが、又人より失い易いものであります。
ちょうど逆水に船を漕(こ)ぐようで、進まなければ即ち後退してしまいます。
限度が無いから自分の程度が分かりません。
學問は真理に近づく道でありますから分野や性質が違っても完成への到達点は一つであります。
人によって道程の差異はあっても、極めるのに純粋性がなければなりません。
頭脳・性別によって早晩の別はあっても、熱意が欠ければ不可能です。
孟子は「学問への道は放蕩化(ほうとうか)・散漫化した心を収めることに外ならない。」といわれました。堕落・怠惰(たいだ)した心に鞭を加えて、奸巧(かんこう:ずるがしこい)なく精勤し完成にいそしむことです。いかなる道であっても、習い學ばなければ成就できません。
老子は、「わたしは聖人ではない、學んで知ったのである。」といわれました。
孔子は、「わたしは、生まれながらにして道を知り物識りになったのではない、ただ古の道を好んで黽勉(勉強)怠らずして、ついに求め得ただけのものである。」また、「わたしは、何でも知っていると人は思っているらしいが、別に何でも知っている訳ではない。
ただ、どんなに卑しいつまらぬ人でも誠意をもって聞く時、袋の底を叩いて中のものをすべて外に出し尽くすように、その善悪・陰陽・因果その他何でも両端から説き質して本当のことを懇切に教える。
それで教えを受けた人にとって、私は何事も知り尽くしているように見えるかも知れないが、ただ自分としての誠意をもって教えているだけである。」と謙遜されました。
學問の大事は博く学ぶのと、深く思考することです。
大事なことを忘れず、変わらない熱意をもって追求して已まず、積極的に勉強して気を散らさず、日々発奮して気を換えてなりません。
何れの學問を極めるにしても、自己完成の學を好むものにして始めて出来るものです。
顔回(孔子の弟子)の「學を好み、怒りを遷さず、過ちを再びとしない」態度は典型的であります。
一人一人の霊気によって頭脳も違います。
これを孔子は、人間の天禀(てんぴん)には四通りの等差がある。
第一は、生まれながらにしてあらゆる徳義を知り尽くしている者があるが、これが最上級である。(恐らくは聖人がこれに当る)
第二は、学びてこれを知る者が次であり、
第三は、初めは學に心坐さず、いよいよ行き詰まって困ったあげくに苦しみ苦労して学んでやっとわかる者はその次であり、
第四に、行き詰まって困りながらも学ぶことを知らず、苦しんで学んでも大事なことの分からない人、学ぶ気のない人は、更にその下である。
と、四段階に別けて論じられました。
學問は中道の道に達してこそ円熟が得られます。
中道の道に反した學問の存在はあり得ません。
孔子は、子路に六言六蔽を引用し學問の重要性を説かれました。
つまり學には仁、知、信、直、勇、剛の六つの徳目があり、學を好まない為に生ずる六つの弊害が起こることを知らしめたのであります。
一、仁徳・美徳を好むことは極めてよいことであるが、學をこのことをしないと、愚の弊害に陥り陳腐(ちんぷ)します。
お人好しの行き過ぎは愚かであり、人に欺かれます。
愛着に溺れると反って人間を害毒します。
二、知を好んで、それと共に學をしてよく磨くことをしなければ、空想・妄想家になり、一人合点して取り留めのないことを考えます。行いに締りがなく、ただ徒に高きに馳せ、広きを喜ぶ弊害に陥ります。
三、信を好んで學を好まないと條理を弁えず、真実の信を弁えなければ、只徒に盲信してその言葉を守り、間違った約束を守って悪い仲間に落ち入り、物事を傷り害う弊害に陥ります。
四、直を好んで學を好まないと、人間を相手にして人間以上のものを求め、相手に無理を強要し、相手を生かさずに傷つけ責めるのを急ぐあまり、狭くてゆとりのない窮屈な弊害に陥ります。
五、勇を好んで學を好まないと、物事の道理が分からなくなり、乱暴・我儘になります。
徒に人に加える方面にのみ働くから、その末は、叛乱さえも起こすに至る弊害に陥ります。
六、剛を好んで學を好まないと、物事の道理が分からず偏見・狂気になり、落着するところを失って、徒に力を振り回す狂者の弊害に陥ります。
要するに六者は美徳ではあるが、その美徳を全うする為には、広い見識を立てる為の學が必要であることを教えたものであります。
これによっても如何に學問を積むことが肝要であるかが想像されましょう。
學問家とは、傲慢(ごうまん)・不遜(ふそん)の態度をさしているのではなく、學問臭いところがないのが真の學問であります。學の階級は継ぎの五通りの段階に区別されます。
すなわち変化學、認識學、治平學、理数學、性心學であります。
これを説明しますと、
一、変化學
これは、通常の社会人が知っている狭義的な変化學ではなく、極めて広い範囲の意味を含んでいます。
すなわち神から与えられた宇宙・万象すべての物質が人間の頭脳の機知変化によって一つの物体、一種の利用価値のあるものに創り出されることを変化學といいます。
自然的形体から人為的加工体に造り換える學問であります。
一脚の机をもって例えると、机の本質も元は樹木で、人間の加工によって変化したものであります。
茶碗の元は粘土であり泥であったが、人間の手によって型作られ、それを炉に入れ焼かれることによって成り立ったものであります。
一組の機械も同じことで、元はただの鉄や鋼にすぎませんが、人間の精密な研究と努力とによって組み立てられたものであります。
数種の物質を応用加工して一個の生産機に造り換えるには、多大の精神力と代価を払わなければなりません。
数多い試験と失敗を繰り返してから漸く成功します。
また、性能の低いものから性能の高いものへ、粗末劣悪の品質から優良精密の品質へと改革・改良していくには相当の努力を必要とします。
生産の遅い、旧い悪い形のものから理想的な新しい良い型のものへと造り換え、自動大量生産化していく、これらの能力を有している人を発明家、又は學士・博士とも言います。
工学、農学、建築、物理、化学などはこの中に含まれます。
士とは、成功者対する美称であり、學とは、浅きから深きへ、悪しきものから好きものへ、不理想から理想へ、工夫改善することで、博とは広く見聞や研究をされた意味を表します。
二、認識學
これも広義的に説く認識學であります。
すなわち宇宙間、上は日・月・星座星雲の天体から、下は河川・山岳・海洋の一切、中は動物・植物・鉱物の動・不動の形物に至るまで如何なる品名と性質を有しているか、その形態の状態とによって、どの地方に生産・発生されるか、どうして始まり、どのような経過を辿り、如何なる結果に終わるかなどを詳細に解明する學問であります。
また、天地・気候・年代・潮流とどんな連携をもっているかが認識でき、そして人間に有効であるか否か、応用できるか否かなどを見極める學問です。
一つの薬物がどれ位病体・病状に影響するか、薬効の正確な判断は難しいことであります。
一つの薬品が化合して何種もの物品の製造に役立つかを知ることも容易なことではありません。
生物・天文・歴史・地理・考古・医学等はこの中に含まれることになります。
これらの能力を有している人を見聞家と称し、あるいは博士とも言います。
三、治平學
これは、徳を以て世の中を和合させ、統治する學であります。
我々によって発明・製造された一切のものは、人類が享受する為に為されたはずであり、人々の便宜を図り、人々の幸せを思うがために尽くされたものであります。
例えば花壇を造園するのも、人々に鑑賞させ楽しませるが為であり、一つの機械を発明するのも、我々に利用させ生活をより良く向上させるが為で、飛行機・気車・電車・船舶・自動車等の発明も、目的は人間の心を快適にさせ満足させるが為に追求されているに他なりません。
人間最大の希望は永遠に争いのない、苦のない、不便のない、太平の幸福にあります。
人間の本質は、決してそれを悪用して人類滅亡や幸福を脅かすことなく、又不幸、貧困、戦乱、災禍のない理想的な世界の実現を希望しています。
しかし、有史以来の世界は、時には乱れ、時には治まり、不正常であります。
人類の熱望するところの幸福の為には、昔から沢山の立派な英雄・豪傑(ごうけつ)や政治家が現れて暴虐(ぼうぎゃく)を除き、善良な民を安護してきました。
禍や災難を治めて平和たらしめ、天下の同胞が一方の塗炭(とたん)の苦しみから解脱せしめ、不安恐懼(ふあんきょうく)のない安居楽業(あんきょらくぎょう)の生活を享受させました。
範囲の広い幸福を計った人ほど人から崇拝敬慕され、これらの能力を有している人を治平家、または英雄と称されます。文学・教育・法曹・政治・経済等はこの中に含まれます。
四、理数學
この理数學も現代社会の知っているところの狭義的なものではありません。
広義的理数學は、天地の開闢を知り、日月の盈虧を計り、陰陽の消長、寒暑の往来、世道潮流の変化、時運の変遷を理数の上から計算して悟得する學問のことであります。
人心の善悪を弁別でき、時勢の推移を見通し、事の成敗、過去・現在・未来を的確に判断・計議できる能力を有している人を知識家と称し、また賢人とも称されます。
易学・哲学・心理学・預言者などはこの中に含まれます。
五、性心學
この性心學も現代社会で知っている所の性心學ではなく、むしろ現代社会の知らない性心學であります。
これは、先天・後天の在り方、宇宙森羅万象を含む一切の有形無形のものの創造理を悟り、それに通ずる學であります。
すべての物体は、この定理・定数の範囲から出ません。
物事の終始本末を悟り、万古不易の真理を定義し、由来と未来の理を確立して人類を苦の因果の梱縛から脱せられる法を参悟する學であります。
霊の浄化、心の洗浄法を会得することは至難の業であります。
どんなことでも、根本原理を追求して至らねばなりません。
この原理は、千秋万古を経て真であり、常に不変の存在であり、如何に攻撃打倒しようとしても不動体であり、どんな強力な力でも覆すことはできません。
この真理を求め、これを掌握し、大霊に融合する「道」を得た人、それに到達した人こそ最高の學を修得する人と言えます。
前記の仕事を為し得られる人、または、これらの能力を有している人を知慧者と称し、あるいは聖人とも称されます。
神學・宗教學はこの中に含まれ、老子・孔子・釈迦・観音菩薩・達磨大師・キリスト・マホメッドなどはこの域に達せられた方々であります。
我々が学んでいる「道」は、すなわち性心學であり、最高位にあたる貴い存在であり、學の五階級の中でも第一等に算えられますが、さらに性心學は五段階に別けられます。
粗理(そり)・細理(さいり)・微理(びり)・玄理(げんり)・妙理(みょうり)
等であります。
【粗理】=あらいり
聖人は、幽玄なる奥理を人に説明するのに、人によって法を説く関係上、 普通一般の人に説くのを主旨とされています。
これは、因果応報の的確と、宿業罪業の報復を「瓜の種には瓜の実、豆の種には豆の実」と述べられています。
すなわち善を為せば善の果を得られ、清白の行いがあれば清白の報いがあり、時期が到来すれば必ずその報いが来るという平易な理であります。
一般人はこのような啓発によれば一番目覚め易いからであります。
【細理】=こまかいり
聖人が程度のやや高い知識層に説く主旨であります。聖人は、人々に道徳・倫理の根本を教え、義理と人情の必要を説き、禮教・仁愛の大事を納得させました。
社会は、天下の人の社会であって、自分1個人の社会ではないから、相互の親愛がなければなりません。
だから生きている以上は、人を愛し、世間の危機を救い、己の態度と行為を正しくし、意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斎へ、国を治め、天下を平和にする順序を明らかに知り、対人関係に必要な孝・梯・忠・信・禮・義・廉・恥を具備することを教え、人格・教養・道徳を円満に修める為、必要な理を教えるものであります。
【微理】=かすかなり
聖人が程度の一番高い知識層に説く主旨であります。
聖人は、聖書・経典を根本にして宣揚し、人々に聖人と凡人、仙人と俗人、仏と衆生の元は完全に一体であり、同様であることを示した理であります。
我々の元は一様に、天地創造神・造物主から賦与された霊を持ち、父母から生育された身体を有し、天地から扶養されて生活していますが、ただここに迷いと悟りによって天淵との差に別れてゆくのであります。
この理をいち早く悟ることを教えたのが微理であります。
もし、明師から真傳心法の伝授を受けることができれば、人々は皆聖賢仙佛に成れましょう。
ただ、切実な決心があるか否かによって分別されていくだけであります。
この理を悟って偉大なる決意を持てば、万古流傳の名声を獲得できることは言うまでもありません。
【玄理】=おくふかいり
博く千経萬典を覧て、自己の真霊をますます深い玄理に結びつけて、日夜修行煉磨することであり、自己の霊光をいよいよ純熟に仕上げてゆくのを参玄と言います。
【妙理】=たえなるり
ここに到達した人は、もう一宗一派の所説に偏狭することはありません。
最高の真理を掌握し、態度は超然として深い妙理のみを悟得師、自分の真なる智慧を発揮して不変不易の理想境界へ至ろうとします。
これを「妙を悟る」といいます。
まず、妙を悟ってこそ「道の真諦」を発揮でき、輪廻と煩悩、因果と恐懼を脱れて人々に人生の最高幸福を悟らしめることができます。
この工夫に到達できる人の學は最高至極と言えます。
以上が性心學を区分けしても説明であり、学の大切を述べた論説であります。
理論上,學問の根幹をなしているものであります。
よろしく御精進を望みます。
続く
妄語戒(二)
十一、妄語戒は比較的戒律を行持しがたいです。
平常の話の中で、人の自尊心を傷つけたり、人を怒らせたり、うそ、偽りを言ってはいけません。
くれぐれも他人の夫婦の和を破壊してはいけません。
夫婦の事は当事者同志のことです。
干渉してはいけません。
そうしないと運が悪くなります。
舌はできるだけ内に収め、外に放ってはいけません。
人に益を与える「善なる心の言葉」や「益を潤す言葉」をたくさん話すことです。
十二、常に他人を毀謗しないよい言葉を話せば、広く善縁を結ぶことができます。
十三、次のいくつかは口によってお金を儲けます。
修行人はこれらに従事しないことです。
(1)弁護士、検察官…古人は「一世話役人になったら九世にわたって牛になる。」と言います。
この職業に従事する人は往々にして一言で人の生死を判定するので、客観的、又公平にあるかを注意し、賄賂の行為があってはいけません。
もし権勢によって是非を判断するなら容易に人命をいい加減に扱うようになります。
(2)占い師…占い師は常に「あなたがもしこれこれのようにしなかったら、これこれのような結果にあうでしょう。」というような話をしますが、これは「悪口」です。
この種の仕事をしている人は、話すことを婉曲にして、客観的に忠告することがよいです。
(3)風水師…容易に「もしあなたが修めなければ何年後にはこのようになります。」のような決定的言い方をし、他人を傷つけます。
(4)道士…祖先が亡くなった時、道士に法律を頼み祖先を超渡します。
もし彼が本当に超渡できるなら、閻羅王は彼に対して容赦するでしょうか。
三世因果の業力をどうやって清算するのでしょうか。
ゆえにこれは習慣、風俗で、人々を安心させるだけに過ぎません。
もしお経を読むなら持斎し、修行している方に来てもらう事です。
もし持斎をしていない人は自分の罪業が山ほどあり、自分を渡す事ができないのにどうして他人を超渡することができるでしょうか。
十四、三世に渡り妄語を行なわなければ、舌の先は鼻に触れることができます。
舌が赤くつややかで唇の厚い人は比較的人情味があり、親切です。
女性の門歯が幅広く厚いなら夫を助け、家の財産を守ることができます。
歯に隙間があると財産を浪費します。
歯が鼠のようだと心機が多いです。
歯が長短出入りがあってふぞろいなのは前世にたくさん妄語を言ったからです。
女性の声がかん高いのは猛々しく狂暴であり、声が低く沈んでいるのは事がうまく運びません。
女性の声が柔和であると一生涯福報があり高貴です。
眉毛が目をおおっていれば家族の庇護を受け又後代を庇護することができます。
十五、修道人は占いをせず、而して命を運転します。
命運がよくなくても、改造することができます。
命運を改造するには心を改造することから開始します。
たた外相(例えば紋眉のたぐい)をかえても効果はないのです。
顔形がきれいでなく、はっきりと話ができず、口才なくても、もし妄語戒を守ることが出来れば、将来間違いなく話がうまくなります。
十六、清口は素食を食べるだけではありません。
素食を食べることを「斎食する」と言います。
清口は悪口を言わず、両舌をせず、綺語はいわず、妄言をしないことです。
十七、男性は「三字経」を口に出してはいけません。
女性は夫を罵ったり、子供を叱ったりする時には限度があります。聞くにたえない言葉で罵ってはいけません。
十八、他人が家庭問題で悩んでいる時に、その人に離婚を勧めたりその人を刺激することを言ってはいけません。
もしこれが原因でその人が自殺したら、妄語戒を犯しただけではなく殺戒も犯したことになります。
十九、衆生を救うため、あるいはその人の煩悩を除くために善意の噓は犯すうちに入りません。
二十、修行人は悪口(人を罵ったり、低俗な言い方をしたり、耳触りな話し方や、三字経のようなもの)から遠く離れるべきです。
人の心を乱し、悩ませる言葉(他人の心をかき乱し、その人の魂の抜けたような状態にさせる言葉)や事を壊す言葉やその人を苦しめる言葉(人に苦しみを与える言葉)から遠く離れるべきです。
続く