真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

弥勒真経~二十二、緊(きびし)く三十六員の将(しょう)を領し 五百の霊官緊(すみや)かに跟(あと)に随(したが)う

2022-07-29 21:45:50 | 弥勒真経 解釈

三十六員の将とは正法を受けた者を守護する三十六部神であり、三十六天の星宿の霊神である。

霊官とは即ち仙官であり、霊神である。

三曹済度、白陽収圓の大使命を果たされるには救苦天尊の凡に降るのを待たなければならない。

その時には緊(きびし)く三十六天に居す諸々の猛将を帯同して世に降るのである。

文部掲諦の諸神・八大金剛・四位の菩薩、更に三十六星宿の猛将がこれに従っているのみならず、更に五百の霊神、仙官が周囲前後に従ってその命を聴き、その位を助け、その使命を果たすのである。

続く


性理題釋~ 四十五、真道を信ずるもの多からず

2022-07-29 21:29:54 | 性理題釋

四十五、真道を信ずるもの多からず

祖先の余徳がその一つであり、もう一つは自己の根基(こんき)がなければなりません。

縁ある者は、これを聞けば捨てず、縁なきものは、これを強いても行わぬのであります。

もし、仏根の人でなければ、機会があっても仏堂に入り難いのであります。

有徳の家では、すべて始めに修道の弟子として生まれるのであります。

これを一つの鉱山に譬海(たと)えて見ますと、金が大変多く含んでいるので、政府が特に人々に発掘することを勧めますが、無知な愚民は少しもこれに注意せず、岩の中にどうして真の金があるのだろうかと思うのであります。

しかし、智者は我先に鉱山に登り、政府の勧(すす)めを受けて発掘すれば、日に千金を掘り出して、忽(たちま)ちに巨富(きょふ)を致すのであります。

その後に愚民も真の金を確かめて知り、慌(あわ)てて発掘しようと致しますが、しかし時は既に晩(おそ)く、所有する金鉱は智者が開発尽くした後で、この時、愚民は悔(く)いると雖も、既に及ばぬのであります。

故に『縁あれば仏の出世に遇(あ)い縁なければ仏の涅槃(涅槃)に遇う』と申されました。

 註:涅槃とは渡す事を止むの意

続く


性理題釋~四十四、西天東土

2022-07-29 21:28:17 | 性理題釋

四十四、西天東土

西天の意義は、西方は五色の白色に属しているのを取ったのであります。

おおかた白色は色の原地でありまして、人の性の中は本来染まる所なきものであります。

一切の情や縁を所有するのは、皆後天の世俗をなすのであります。

そこで“存心養性(ぞんしんようせい)”の工夫を用いて、本原に返還しなければならぬのであります。

初めに何処(いずこ)より来るかを知って、亦そこへ帰っていかなければなりません。

地球上を東土と申すのでありますが、東土は元をなして春をなし、仁をなして能(よ)く万物を生むという意味であります。

世間に“東で作って西で成す”という説がありますが、これも亦この意味であります。

続く


天道推奨~(六)仏堂の役目と意義

2022-07-29 21:22:51 | 天道推奨

(六)仏堂の役目と意義

天道に於いて最も重んじている荷は、古来からの不立文字(ふりゅうもじ)心法であります。

この師資相承(ししそうじょう)の三宝得授(さんぽうとくじゅ)を行う儀式場が仏堂であります。

九分九厘まで天道の理を説明できても肝腎の秘伝は漏洩(漏らす)ことはできませんから、心有る人は仏堂に跪(ぬか)づいてこそ始めて神聖な法を得られるのであります。

仏堂の場所は本堂以外は殆ど各家庭に奉置(ほうち)され、二つの大きな御利益を齎(もた)らせて下さいます。

一つは衆生(ひとびと)を済度する一隻の法船としての役目を果たし、心から道を得たい方は此処(ここ)で荘厳(そうごん)なる儀式を挙行(きょこう)し、絶)た)ゆまない悪因果の輪廻に終止符を打って、自在の身にさせて下さいます。

もう一つは優先的にわれわれの家庭及び、隣近所を常に守護してくださる特典があり、一旦(いったん)、何か不祥事故が突発した場合には、未然に除去して頂けます。形式を重んじていませんので、堂内の装飾や設備は繫雑を(はん雑)を避けて簡素化されていますが、御降臨なされます神様は、無上最高の神、人類、万有、創造の神であらせられる、老〇(ラウム)様であります。

小さなわれわれの家庭一間にも斯様(かよう)な、至上無比の親神様をお祭り申し上げられますのも、時機に恵まれているからであります。

と云うのは、此の三宝は萬経(まんきょう)の中に蔵(かく)していない天機であって、授法(じゅほう)の感激的状景は未得道者の参列を許されません。人間だけではなく、われわれの肉眼に映らない一切の神格のない、気天神(きてんしん)や亡者霊、動物霊、畜生霊或いは邪神、邪霊の接近も拒絶しております。

仏堂で一番大事なのは、真ん中に安置申し上げているお天燈(ともしび)であります。

この天燈(おひかり)は、老〇(ラウム)様の御神体を象徴して普段は余り点(つ)けられません。

一度これを点(つ)けますと、忽ち、老〇(ラウム)様に通じる通天燈(つうてんとう)に変わります。

点灯中は、直径、百歩周辺には、神格の高い仙仏が常に固い守護陣となってくださいます。

例えば、弥勒仏、釈迦仏、孔子、老子、キリスト、マホメッド、観音様、達摩大師等の優れた神仏、聖者の方々であります。

これを見ましても、仏堂の持つべき意義と尊厳は実に甚大なものであることが分かります。

我々は毎日、このように堅固な保佑(ほゆう)の下に於いて、安心立命、無憂無愁(むゆうむしゅう)の生活が送られる訳であります。

仏堂の模様はわれわれが、勝手な創像(そうぞう)や設計に基づいて奉置(ほうち)するのではなく、すべて、老〇(ラウム)様のお指図に従うもので、弓長恩師(ゆみながおんし)又は子系師母(しけいしぼ)の御許可を受ければこそ効用と、霊験が得られるのであります。

開壇を許された幸運者は自動的に壇主となれます。開壇しなくとも特に熱心であり、且つその仏堂と縁故の有る人も壇主に任じられる場合があります。

勿論、壇主の資格者は、前世に数多くの積善と厚い祖先の余徳の然(しか)らしむ所であり、わけても佳(よ)い時期に世に生れ合わせた事に原因します。

人間界に一個所の仏堂を安置しますと必然的に、理天界に於いても高大な天院が設けられ、設壇者の不朽(ふきゅう)の號(ごう)も併せて白陽の青史に留まります。

従って挫折することなく、仏堂を何時までも保持できる人は、福が最も多い訳で洋々たる未来が約束されて目出度(めでた)い限りであります。

仏堂内は非常に静粛(せいしゅく)と清潔を重んじ、朝にお茶をお供えし、朝、晩に芳(かんば)しい、お香を献じて礼拝すればよいのであります。

平素、青果やお花、菓子類をお供えしてわれわれの真心を表せば結構であります。

献供(けんきょう)後のお茶や果物を御一家で召し上がりますと、言い知れない甘味、香味を味わうことができます。

老〇(ラウム)様や諸神聖の御恵みとわれわれの真心が加味されますから、一層、美味しく感じられ、心身の汚れと不純を一掃して下さる感が強いのであります。

憂欝(ゆううつ)や陰気に閉ざされている時は静かに仏堂にお這入(おは)りになって御覧なさい。

名状(めいじょう)し難い程の歓喜が生じ、すっかり爽快な気分に変わってしまいます。

不安や恐怖に取り憑(つ)かれた場合は天灯(ともしび)か祖師の顔をジッと仰いで御覧なさい。

間もなく落ち着きと勇気が得られることでありましょう。

雑念や煩悩に苦しまれている時等、暫く仏堂の前に跪着(ぬかづ)けば急(す)ぐにでも清静な心境となり、智慧心が湧いて問題は解決されます。

仏堂の持つ威光は冷淡の人を溶かし温和にし、無情残虐の人を化して慈悲仁愛に変わらせる程であります。

それは、偏(ひと)えに、老〇(ラウム)様の御神燈(ごしんとう)が有する摩訶不思議(まかふしぎ)の力の然(しか)らしめる所であり、一切の魔障(ましょう)と邪気を吹き飛ばして雲散霧消(うんさんむしょう)するもであります。

仏堂開設を所望(しょもう)の方は本堂へその旨、申し伝えれば適切なる指導を受けられるのであります。

実(げ)に縁は縁を結び、徳は徳を重ねて無限の進歩を遂げるものであります。

「若し成仏を想えば勤めて礼拝を要す。されば、常に聡明なる智慧心を持す。」(弥勒真経)