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にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

師走の意味、ついたちの語源

2010-12-07 06:20:00 | 日本語学
2005/12/01 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>ことばの知恵の輪「ついたち、とおか、はつか、みそか」
 
12月1日は、師走ついたち。あっというまに十日(とおか)二十日(はつか)が過ぎていく。一年さいごの大晦日(おおみそか大三十日)まで、駆け足。早い!
 忙しい12月ではありますが、日本語トリビアをひとつ。

 日付を教わった留学生からの質問。二つ→ふつか、三つ→三日、四つ→四日です。ひとつ→ひとか?ひつか?いいえ、ついたち。なぜ、最初の日は、ついたちなの?

 大学後期10月から日本語学習を始めた留学生達、一日に4~5時間の日本語授業を週に5日受け、8週間で160時間日本語を学んだところ。まだまだヨチヨチ歩きの、おぼつかない足取りです。
 日本語集中コース初級は、5ヶ月間で約300時間の日本語授業を受け、修了となります。

 300時間の外国語授業、日本の中学校英語授業に換算すると、3年間分にあたります。
 日本人中学生が3年間かけて習う英語と同じ分量の日本語を、5ヶ月で詰め込むのです。
 この「日本語集中コース」を担当するようになって、10年になります。

 学生は博士課程修士課程へ進学する大学院の院生研究生たち。5ヶ月で3年分を詰め込む「シンカンセン授業」にも耐えて、熱心に日本語を吸収する。ま、教える教師がいいからですね、、、、ってことはありませんで、国費奨学金を受けている優秀な学生が集まっているからです。

 日本語ゼロスタートの留学生にとって、日本語の日付の言い方も、関門のひとつ。
 月の言い方は、注意さえすればなんとかなる。4月を「よんがつ」「よがつ」と言ったり、9月を「きゅうがつ」と言ったりする間違いを訂正して、「4月はよんがつじゃ、ありません。しがつですよ。9月はくがつ」と、練習れんしゅう。

 次ぎに日付の言い方。学生にとっては、物の数え方が「ひとつ、ふたつ~」の和語と「いち、に、さん~」の、中国語由来の数え方の二種類あるのだけでも、たいへん。それに、日付の特別な言い方が加わります。

 英語圏の学生や、外国語教育としてインドヨーロッパ語系の言語しか習ったことがない学生。英語では、「one two three~ 」の基数と「first second  third~」の序数を覚えれば、日付もOK。

 ところが、日本語では日付は特別な言い方を用いる。「12月いちにち、12月ににち、12月さんにち」と言えません。
 まず「ひとつ、ふたつ、みっつ~」の言い方を復習する。「1=ひ、2=ふ、3=み、4=よ~」を思い出させて、「日」を「か」と読む読み方をインストール。
 2日は、「ふつ+か→ふつか」。3日は、「みつ+か→みっか」。4日は「よつ+か→よっか」。5日「いつ+か→いつか」。
 促音(つまる音)、小さい「っ」になるところ、注意。

 でも、6日は「むつ+か」が「むつか」にならず、「むいか」に変化するし、「なな+か」は「ななか」ではなくて「なのか」、「やつ+か」は「ようか」になるので、ややこしい。
 「ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここのか、とおか」お経のように唱えて暗記させる。

 あるとき、言葉の規則、音のルールに注意深い学生が、日付のルール違反に気づいた。「二日から十日までは、ひづけに『か』がつくのに、1日目は、『か』がつかない。どうして?『ひとか』か『ひつか』になるはずなのに」

 この疑問を、日本語教育研究の日本人学生に、出題しました。
 こういう質問が留学生から出たとき、答えられますか?「なんでもいいから、とにかく覚えろ」という返事をする先生もいますし、「さあ、なんでついたちだけ、ちがうんでしょうね。日本語はいろいろだわね」という先生もいます。
 でも、正解を答えてあげられれば、留学生は日本語によりいっそう興味を感じて、勉強に熱がはいると思うよ。

 正解。「ついたち」は「つきたち=月+立ち」から変化したことば。日本語音声ルールでいう音便です。(この場合は「イおんびん」)
 新しい月が、この日に立ち上がる。

 旧暦(太陰暦)のこよみでは、「ついたち」が新月(朔月)の日。文字どおり、新しいお月様が空に立ち上がるのが見える日だった。
 新月から15日に満月になり、また月が欠けていく。月の満ち欠けによって、月日の移り変わりを知った。

 「This first day , the new month stands up.」 Month は、つき→つい、Standing up は、たち」と、言ってあげると、留学生の印象にも残り、覚えやすくなります。

 日本人学生たち、たいていは「なんで、ついたちっていうか、初めて知った」と言う。
 「どんなトリビアも、日本語教師の知恵袋に入れておこうね。日本語学習者からどういう思いがけない質問が飛び出すかわからない。
 なんでもかんでも知っておいてソンはありません。」

 さて、師走ついたち、ふつかと過ぎ去りまして、十日(とおか)二十日(はつか)三十日(みそか)もすぐに。大三十日(大晦日)まで、カレンダーは駆け足です。<おわり>


語異論>このアマ

2010-11-18 10:01:00 | 日本語学
2008/01/16
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>阿魔(1)ねぇ、彼女ぉ~

 日本語教育では、最初の表現として「わたしは○○です。○○からきました。どうぞよろしくおねがいします」という自己紹介文を教えることが多い。

 自己紹介の口がまわるようになったあと、「あなた」という「相手へ呼びかける語」を導入するときは、注意が必要です。

 日本語の「話し手聞き手をさししめす名詞」は、英語などインドヨーロッパ語系の人称代名詞とはちがうのだ、ということを頭においた上で、日本語教師は「わたし」「あなた」を教えていきます。

 「あなた=You」ではない、ということを最初に頭に植え付けておかないと、だれに対してでも「あなた」をつかってしまう。
 現代日本語では、目上の人に「あなた」をつかうと、失礼だと感じる人もいる。待遇表現の基本です。

 平社員が、カバン持ちをしようとして、社長に向かって「あなたのカバン、私が持ちましょう」なんて言ったら、もう、出世は見込めないでしょう。 

 話し手をさししめす名詞(自称)と、聞き手を指し示す名詞(対称)、話し手聞き手以外の人をさししめす名詞(他称)

 日本語の自称対称他称は、「代名詞」ではないので、話し相手に向かって「ねぇ、僕、名前なんて言うの」とたずねることも、「ねぇ、彼女ぉ、どっから来たの」と、誘いかけることもできます。

 小さな男の子に向かって「僕、名前は?」と言ったとき、「僕」とは、話し手ではなく、聞き手のことを指し示しています。話し手自身の名前を聞いているのではありません。
 「What's my name?」と、聞いているのではなく、相手の名を聞いているのです。

 もし、英語で「Where did she come ? 彼女はどこから来ましたか」と、たずねたら、そう質問された人は、「she彼女」は、質問されている自分自身をさししめしているとは、絶対に思わない。だれか、別の人のことをたずねていると思うしょう。

 でも、日本語では「ねぇ、彼女ぉ」と呼びかけられた人は、自分に関心を示した相手に「あたしぃ?ふふ、どっから来たと思う、あててみて」なんて、反応を返します。

 日本語の「会話に登場する人をさししめす名詞」は、実にさまざまなものがありますが、そのなかでも、「相手を敬う呼びかけ語」「目下への呼びかけ語」「相手を低めて呼びかける語」など、待遇表現があります。

 「僕」というのは、昔は、「あなたの下僕としての自分」という遜(へりくだ)った意味だったのに、やがて語の価値が上昇して「一般的な若い男性が用いる自称」となった語、というお話を何度かしてきました。

 自分ではなく、相手を指し示す語にも、「相手を敬う言い方」「貶める言い方」が多数あります。

<つづく>
02:09 コメント(6) 編集 ページのトップへ
2008年01月17日


ぽかぽか春庭「ちょっとぉ、あなた~」
2008/01/17
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>阿魔(2)ちょっとぉ、あなた~
 
 おもに男性が用いる聞き手を貶めていうときの「聞き手をさししめす名詞」、いろいろあります。ケンカのときなどによく使います。「テメ~この野郎!」とか、「キサマ~、ふざけんなヨ!」とか。

 「テメー」は「手前」から、「おのれ~」は「己」から。
 もとは、自称の遜った言い方だった「手前」を、相手をさししめす言葉として用いることによって「おとしめる言い方」になったものです。

 「テメー、この野郎」と、言われたほうは、言っている人が謙遜して自分のことを表現しているとは思わず、ケンカを売られていると理解する。

 「オメー」は「御前」から、「きさま~」は「貴様」が、もとになっていますが、最初は御前も貴様も、相手を敬う対称(二人称)でした。
 時代が下るうちに語の価値がさがって、蔑称になったものです。

 社長に向かって「キサマ、明日のスケジュールあいてる?」と、平社員が言ったら、クビですね。

 「あなた」も、最初は「彼方(あなた)=遠くのほう」という意味でした。
 「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」という翻訳詩にある「山のあなた」は、「山のむこうの方」という意味。
 「あなた」は「こなた(こちら側、こちらの方)」と、対をなす語。「あなた」「そなた」「こなた」がセットになっています。

 相手に呼びかけるために「あなた」を使うのは、「近づいてお話するのがはばかられる高貴なお方に、遠くのほうからお話する」という気持ちがあるから、「あなた」だった。
 しかし、現在では、「あなた」が「遠くの方」を表していた、という意識も薄れました。

 妻が夫に向かって「ねぇ、あなた~」と、呼びかけたとき、「近づいてお話しするのがはばかられるお方」とは、思っていない。すぐ近くに寄り添っている人に「あなた」とよびかける。

 相手に対して「御前」と呼びかけた「オマエ」の語の価値が下がって、現代語では決して目上の人に「オマエはさぁ」などと話しかけるのができないように、「あなた」は、目上の人には使えない。

 親しい女性に呼びかける語もさまざま。
 見知らぬ女性へ、「あなたのことを私は知らないけれど、第三者として認識し、あなたのことを認めています」という意識をもったとき、「ねぇ、彼女ぉ」と、聞き手に対して、他称をもちいて呼びかける。

 自分にとって、「親しい存在だ」と感じていることをあらわすために、価値の下がった対称を用いることもあります。
 夫が妻にむかって「おまえ」と呼びかけるのは、「身分が下の者への呼びかけ」というより「親しさの表現」と考えてよいでしょう。

 ただし、妻が夫に向かって「おまえ、今日会社やすむのかぃ」と、聞いたりする家庭はあまりないのかも。
 いくら親しさを表現したくても、現代社会の待遇関係で、妻が夫を「おまえ」「オメー」と、呼んでいる夫婦、標準語では言いにくい。

 方言で、妻が夫に「おめー」と言える地方の方、ご連絡ください。「御前様」という敬意を含んでいた呼びかけの意識が残っている地帯だと思います。

 ウェブ友牧野光永氏からの「日本語質問」を受けました。
 春庭掲示板からの転載です。

================
「阿魔」 mackychan (2008-01-13 20:34:48)
 某AV雑誌のコラム用に1本、ある思い出話を書いたのですが。
21歳の頃・・・映画館でアルバイトしていた時期ね。
大学生アルバイトAくんが高校生アルバイトBちゃんに、冗談で
「このアマー!」
と、口癖のようにいっていました。

Bちゃん、このアマの意味が分からなかった。
でもいい気分がしなかったようで、Bちゃんは不機嫌な顔で「まっき~さん、アマってどういう意味?」

いまではもっと上手い説明が出来ると思うんだけど、モゴモゴと要領を得ない説明を繰り返し、「結局、悪い意味なんだね」と。ま、間違った理解ではなかったんだけど。
辞書的な説明でなく、春さん流の解説を聞いてみたいです。
===============

 はい、お答えします。
 春庭語彙論「阿魔」について。

<つづく>
07:18 コメント(10) 編集 ページのトップへ
2008年01月18日


ぽかぽか春庭「このアマぁ」
2008/01/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>阿魔(3)このアマぁ 

「Re:阿魔」 haruniwa(2008-01-14 07:12:42 )

 女性へ呼びかけるときの「アマ」について。

 「尼」と、「海女」のどちらをもとにしているのか、はっきりした語彙的な変遷史は、だれかが研究しているのかもしれないけれど、広辞苑は「尼」→「女性を低めていうことば」としている。

 春庭語彙論では、「ビクニ比丘女」としての「尼アマ」→「色を売って歩く、歩き比丘女」→「乞食、売春をする女」→「蔑称としての女・アマ」です。
 以下、「ビクニ」と「アマ」が歴史変遷のなかで、どのような意味とイメージで流通してきたかを、仏教伝来から江戸時代まで、俯瞰します。

1)サンスクリット語の「ビクシュニーbhiksuni」が、音訳漢語「比丘女(ビクニ)」になった。仏教伝来とともに、比丘女という語が日本語に入ってきた。
 ビクシュニーの意訳漢語は「乞士女」「除女」「薫女」
 意味は、「如来に法をもとめ、世人に食を求めて修行をする女」→「乞食(こつじき)をする者」

2)サンスクリット語のamba(母)を音訳して「アマ」
 日本語では、「アマ」は、「母」という意味ではなく、比丘女の別名として「尼アマ」「尼僧にそう」となった。

3)中世以降、熊野に詣で、仏法を絵や音楽で勧めながら歩いた尼。「歌比丘尼」「勧進比丘尼」「熊野比丘尼」などとも呼んだ。
 仏法を絵や歌で広めることが芸能化し、鎌倉・室町時代、尼姿で諸国を遊行した一種の芸人をアマと呼んだ。絵解(えとき)比丘尼・小歌比丘尼、小歌アマなど。
 
4)科負比丘尼(とがおいびくに)・屁負比丘尼について。
 科負比丘尼とは、人々の罪や汚れを代理として請け負い、諸国を経巡る比丘尼のこと。
 人の罪を我が身に「かさぶた」や「めしい(盲)」として引き受ける存在。そのひとりとして、「和泉式部=かさぶた式部」などがおり、人々の帰依を受けた。
 かさぶた式部も、聖性と賤性の両義を身につけて諸国を流浪した。

5)江戸時代になると、絵解き尼、小歌尼などが俗化し、尼姿の下級の売女を「アマ」と呼んだ。

 この俗化した下級の売女「アマ」が、女性の蔑称として「このアマッ~」などの現代語に連なっています。

 男性が女性を指し示して、知りあいなどに向かって「このアマッチョはさぁ、おれのスケなんだよ」なんて、得意ぶって言うのは、自分の「所有している女」をおとしめて表現することによって、女性への支配感をあらわにしている、というのが、フェミニズム的語彙論の解釈です。
 
 まっき~さんのアルバイト同僚大学生Aくんが、女子高校生Bちゃんに「このアマ」と呼びかけていたのは、「あんたを自分の支配下におきたい」という、年上大学生の年齢意識、「女性を自分より格下にみたい」という性差意識、そしてなによりも、Bちゃんに対する「あんたのことを親しい女性と思っているよ」という甘えた意識がないまぜになって、「このアマ~」という発言になったのだと想像します。

 「男に支配されたくないフェミニスト」に向かって「このアマ~」なんぞと、呼びかけると、ぶっとばされますのでご注意ください。

 以上、春庭のよくわかる日本語語彙論「アマの語源」講座でした。

<おわり>


語彙論>湯たんぽ&フェチ&モボモガ

2010-11-14 17:09:00 | 日本語学
2008/02/28
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>外来語番外編(1)ユウタンポ抱いてコウ・ツェー・ホー・ダン・クァイ(過則勿憚改)

 1月2月に掲載した「てれすこ・外来語カタカナ語のはなし」にいただいた感想コメント、ご質問にお答えする「春庭ニッポニアニッポン語教室」です。

 いつもコメントありがとうございます。
 寄せられたコメントにひとつひとつお答えすることを、春庭さぼっております。すみません。日記コメントや足跡コメントをお寄せくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
 また、コメントは随時引用させていただいております。ありがとうございます。

 これから、3回にわたって、コメントをいただいた方の掲示板などに書き込みした、春庭返信の再録を掲載します。
 全部のコメントに返信できなくて、申し訳ないのですが、皆様からの反響を励みにしておりますので、どうぞこれからも忌憚のないご意見をお寄せくださいますように、お願い申し上げます。

 さて、私も未熟者なので、不適切な言葉遣いなど、気にさわることを知らぬ間に書き込みしていることがあるかと存じます。
 どうぞ、春庭をばっさり切る前に、どしどし文句をつけてくださいませ。
 ご指摘くだされば、春庭、「過則勿憚改」です。

 中国語ふう読み方だと「コウ・ツェー・ホー・ダン・クァイ」読み下し文では「あやまちてはすなはちあらたむるにはばかることなかれ」
 現代日本語でいうなら「失敗したら、遠慮なくやりおなおせばよい」
 若者ことばなら、「ヘマかましても、ソッコーチェンジで、マジOKっす」

 「てれすこ」を書き始めてからの1月2月、寒かったですね。
 そんなとき、あるとうれしいのが湯タンポ。ぽかぽかとあたたまってきます。寒波襲来なのに石油値上げで、今年の冬「復活大活躍」したのがユタンポでした。

 「湯たんぽ」をなぜ「ユタンポ」というのか、というsumitomoさんのご質問にお答えした春庭回答の再録です。sumitomoさん 掲示板に掲載。
 「ユタンポと妻と猫なら猫と寝よ」(詠み人知らず)

haruniwa  (2008-02-02 19:30:18 )
 ユタンポの元の語は、「タンポ」。中国語です。
 唐時代の陶器製の湯たんぽなどが残されています。
 タンは湯のこと、ポは「婆=妻」のこと。

 湯を入れた妻のようにあったかいもの、妻の代わりに抱いて寝ることから湯婆(タンポ)になりました。
 中国語では、「湯婆子タンポジ(tangpozi)」「湯婆タンポtangpo)」と呼ばれました。

 「たんぽ」という中国語の意味がわからなくなったあと、日本語の「湯ゆ」が付け加えられてゆたんぽになりました。

<つづく>
10:21 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2008年02月29日


ぽかぽか春庭「フェチ・フェティッシュ・フェティシズム」
2008/02/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>外来語番外編(2)フェチ・フェティッシュ・フェティシズム

投稿者:mackychan
(アダルトチルドレン誤用への抗議は)自分にとっての、フェティッシュみたいなものかな。まぁフェチという略語となって浸透したわけだけれども。異常性愛を指すわけだから、抗議がほとんどなかったのは、たぶんあれですよ、はい!ぼくは変態です!というようなものだから。だからこそ自分は、手をあげてしかもでかい声で主張するわけで笑 (2008 2/18 7:43)
=================

春庭返信(2008-02-18 11:35:18 )
1)フェチは、今や、完全に「日本語カタカナ語」です。だから、若い女の子が「あたし、テディベア・フェチなの」と言っても「オレはさあ、トンコツフェチだから、もう、醤油ラーメンとかは食えねぇ」と言っても、目くじらたてず、「そうなんだ、そんなに好きなのね」というくらいで返してやりましょう。
 「おっぱいフェチ」「太股フェチ」なんぞ、「あ、そこが好きなのね」で、かわしてかまわない。

2)もともとのフェティッシュfetichesは、民族宗教学・文化人類学の用語です。呪術に用いる呪物や護符(feticoフェティソ)が基本の語。
 宗教的な対象として物を崇拝することがフェティッシュなので、日本の仏教で仏像を拝んだり、剣と玉と鏡を「三種の神器」とあがめたりするのも、フェティッシュであり、日本の天皇は、宗教学的には立派な「フェティッシュ諸神の崇拝者」となります。

 (神社やお寺で売っている「お守り」、交通安全とか学業成就、縁結びなんかのお守りも「護符フェティソ」を信じている、という意味では、日本人ほとんどがフェティスト。出産まえに安産のお守りを贈ったり、受験の子の鞄に合格祈願のお守りを入れたりするのは、フェティソに願いをこめているのですから。)

3)フランスの思想家ド・ブロスが1760年「Du culte des dieux fetices」を出版し、フェティシズムという用語を用いました。呪物崇拝信仰をフェティシズムと定義しました。

4)カール・マルクス(1818~1883)は、『経済学・哲学草稿』のなかで、貨幣自体が神のように資本社会に君臨し人間関係を貨幣が支配することを批判し、『資本論(1867)』に「商品の物神的性格とその秘密」の章で「商品」が利用するためではなく、人々のあこがれや崇拝の気分を生み出すことに着目し、マルクスの「フェティシズム論(物神崇拝論)」を論じました。

5)1887年に心理学者A・ビネー(1857~1911)がはじめて、肌着、靴など本来性的な対象ではない物に性的興奮をおこす変態的性欲に対して「フェティシズム」という用語を用いました。

6)精神医学でいうフェティシズムは、変態性欲、性的倒錯、性的対象の歪曲、を指し、この性的傾向によって社会的職業的な差別や生活上の障害や苦痛を伴う場合をさす。

7)まっき~さんの用語フェティシュの場合、「変態性欲」をさして使いたいとすると、(6)を指し示しているのだと思いますが、まっき~さんが自分自身を「足フェティッシュ」を自称したいなら、それは、(1)の小僧どもが言う「フェチ」とあまり変わらない使用になります。

 性心理学用語での「足フェティッシュ」なら、足のみに性欲を感じ、女性の体全体にはまったく興味がない、女性そのものを性の対象とすることはできない、ことを意味します。

 足だけを性の対象として射精に至ることができる、または、足だけを鑑賞して性的欲求を満足させることができる、という人がフェティストになります。
 全的存在として女性を愛することのできるまっき~さんんは、その意味ではフェティストではないですね。

8)単なる性的好みにすぎない傾向を「おっぱいフェチ」「足首フェチ」などと呼ぶことに関して、まっき~さんは反対しておられるのだろうと推察しますが、日本語カタカナ語としての「フェチ」は、変態性欲嗜好を表すのではなく、たんに「とっても好き」程度の性的好み、日常生活の嗜好をあらわしているにすぎないと、解釈できます。
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mackychan
シナリオのコンクールに出品する後輩の作品を読んで、「流行語だけは考え直したほうがいい。生き残るか死んでいるか、分からないんだから」という忠告を忘れないけれど、基本的にはどんどん生まれ死んでいく言葉の世界を楽しみたいとは思っています。ただフェチだけは別、ということでね。死守したかったなぁ、最後の(?)砦だったのになぁといまでも悔しいこの感情って、なんなのでしょう?笑(2008-02-19 05:35:43)
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 <つづく>

2008/03/01
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>外来語番外編(3)ポストモダンのモボとモガ

 再び荷を積み直す、再び弾を詰め直す「reload」。
 積み直されたもの、再登載されたもの「リローディッド」

 まっき~さんが、映画のタイトル「マトリックス・リローディッド」を紹介してくれました。映画のタイトルですから、リローディッドが一般に日常語として会話でつかわれるほど普及することはないでしょう。理由のひとつは、リローテッド「Reloaded」という発音が、言いにくいからです。

 耳にした音をそのままカタカナ表記する、といっても、日本語の音韻体系に合うように取り入れる結果、カタカナ語は「英語などの外国語とは異なる日本語」です。
 「リ」は「Re=再び」で、「ローディド」は、「loaded=積み直された、弾丸を込めなおした」

 意味が伝わるとか伝わらないとかいう以前に「Re」と「lo」、RもLも両方をラ行の「り」「ら」で発音するのは、日本語の特徴。だからカタカナで書く「リローディッド」は、意味わかんなくても日本語です。

 「レーゾーコ」に比べると言いにくいリフリジェレーターも、使われなかったことからみて、言いにくい「リローデッド」がこれから日本語に定着する可能性は低いと思われます。

 でも、最近の映画タイトル、カタカナ表記が多くなったので、リローデッドだけでなく、ずいぶんと、見知らぬ英単語を覚えるきっかけになっています。
 『ボーン・アルティメイタム』が、公開されて、「アルティメイタムUltimatum=最後通牒」という意味だと知りました。

投稿者:mackychan  
広まりそうになくても、使いたくなるカタカナっていうのはありますよね。少し前まではポストモダンとか、えれー格好いいと思ってました、その程度の男です自分は笑 (2008 2/7 8:9 )
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春庭返信(2008-02-18 11:46:24 )

 「ポスト・モダン」も、ひところの「現代思想最前線」の地位から脱落して久しいですが、出始めのころの勢いっていったら、快進撃でしたものね。
 そう、「えれーカッコよく」思えました。

 もし「ポスト・モダン」が、「近代の後」「近代後期」「後期の近代」などと翻訳されていたら、これほど思想業界を席巻することはできなかったかもしれません。(ここ、思想界ではなくて、思想業界、ね)

 逆に、後期印象派の絵画が日本に紹介されたとき、ゴッホ、ゴーギャンやセザンヌの絵を「ポスト・インプレッショニズム」とカタカナ語で呼んだなら、これほどゴッホファン、セザンヌ好きが多くなることはなかったかも。
 Post-Impressionism という語は、「印象派の後」「印象派が終わった後に出てきた一派」という意味です。

 「印象派がおわったあとの一派」だと、なんだか「残り物の寄り集まり」みたいですものね。実際に「ポスト・インプレッショニズム」ってのは、それぞれが勝手に描いていて、グループとしてまとまったアートシーン・ムーブメントではありませんでした。
 でも、「後期印象派」というまとまった呼び名を与えられたことで、日本の私たちにとっては、それこそ「あとあとも印象に残る」効果がありました。

 「近代の後」「近代後の時代」というように翻訳されずに、そのままカタカナで導入された「ポスト・モダン」には、ことばだけのイメージでいうなら「近代の超克」をなしえるかのような響きがありました。

 モダン(近代)の最先端をいくファッショナブルな男女として、「モダンボーイ・モダンガール」、略して「モボ・モガ」たちが、近代都市を闊歩した時代がありました。

 「モダン」の受容が、一般大衆にとっては、「服装ファッションの目新しさ」と受け止められたからこそ、「モボ・モガ」が誕生したのでした。

 でも、ポストモダンがはやっても、「ポスモボ」「ポスモガ」は残念ながら登場しませんでした。
 ポストモダンは、ニューアカ(新アカデミズム)言説の流行にはなりましたが、一般大衆のファッション用語にまで取り入れられる前にすたれました。

 私たちは、ポストモダンというのが、どんなことを言い表しているのかわからないからこそ、なにか新しげな、時代を一新するかも知れないような目新しさを感じたのです。
 実際には、モダン(近代産業社会・資本社会)の積み直し(リローディッド)を成し遂げるのは、容易なことではありません。

<おわり>

音節と文字 いろは歌バリエーション

2010-10-17 13:20:00 | 日本語学
2011/01/26
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(1)鳥鳴く声す夢さませ

 日本語学や日本語音声学の授業で、春庭が日本語音節の話をするときに毎回出すクイズがあります。学生に日本語の音節に気づかせるためのクイズです。カフェコラムでもたびたび同様の出題をしているから、またあれか、と思いつつよんで下さい。今回の目玉は、春庭が作った「新作いろは歌」です。

 問題「以下の詩句を読み、かつ音読して、日本語の発音について気づいたことを述べよ」
鳥啼く声す 夢覚せ/見よ明け渡る 東を/空色栄えて 沖つ辺に/帆船群れ居ぬ 靄の中
とりなくこゑす ゆめさませ /みよあけわたる ひんがしを/そらいろはえて おきつべに/ほふねむれゐぬ もやのうち

声に出して読んでも、何も気づけない人にヒント
「いろは歌」
いろは歌を知らない人に、さらなるヒント
色は匂へど 散りぬるを/我が世誰ぞ 常ならん/有為の奥山 今日越えて/浅き夢見じ 酔ひもせず
いろはにほへと ちりぬるを/わかよたれそ つねならむ/うゐのおくやま けふこえて/あさきゆめみし ゑひもせす

さらなるヒント 「あめつちの詞」
「天地星空 山川峰谷 雲霧室苔 人犬上末 硫黄猿榎枝馴居」
あめつちほしそら やまかはみねたに くもきりむろこけ ひといぬうへすゑ ゆわさるおふせよ えのえをなれいて

解答
 「鳥なく声す」は明治時代の公募によって作成された「現代いろは歌」です。
「いろは歌」は平安初期に成立した「47の仮名文字を一度だけつかって作られた詩句」のうち、もっとも広く知られたものです。
 いろは歌では「え」「ゑ」、「い」「ゐ」の仮名文字が表記されていることから、「e」「we」、「i」「wi」の発音が別々であったこと、「お」「を」のふたつの仮名文字があることから「o」「wo」の発音が別々であったことがわかります。
 「あめつちの詞」は、いろは歌成立以前に用いられていた仮名文字練習用の歌です。時代が古いので、「え」が2度出てきます。これは、古代の発音では、「e」「ye」を区別していたことを表しています。

 日本語の発音は「子音」+「母音」を一組として発声されます。これを開音節といいます。
 開音節ひとつにひとつの文字があてられています。これを音節文字といいます。この音節文字は漢字から作られ、漢字の一部分をとったものを片仮名、漢字の草書をさらに簡略にした字を平仮名と呼びます。

 平仮名の手習いのために作られたのが、あめつちの詞やいろは歌です。
 いつの時代にもこの「日本語の仮名を一度だけつかって作る詩句」に挑戦する人がいて、傑作も数多く生み出されてきました。

<つづく>
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2011年01月28日


ぽかぽか春庭「闇夜へ消えた骨無しソロモン」
2011/01/28
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(2)闇夜へ消えた骨無しソロモン

 日本語音声学の授業で、これらの「いろは歌」のいくつかを紹介して世界の言語からみて、日本語は音節数が少ない言葉であること、115というごく少ない音節を用いて森羅万象を表す単語が成立すること、などを解説します。

 私自身は「いろは歌」を作ってみたことはなかったのですが、2010年後期クラスの中に、「自分もいろは歌を作ってみた」と、メールレポートに書いてきた学生がいました。
 こばやし君の作、ふたつ。
 闇夜へ消えた骨なしソロモンは、我と姫に荒らさせて、王家ゆかりの古く濃い真土を盗む
 やみよへ きえた ほねなし そろもんは われと ひめに あらさせて おうけゆかりの ふるく こい まつちを ぬすむ

姫は三重県へ移る。世話焼きな姉からの細く良い竿と濡れた百合を澄まして風呂に持ち込む ひめは みえけんへ うつる せわやきな あねからの ほそくよい さおと ぬれた ゆりを すまして ふろにもちこむ

 なるほど、ちゃんと意味の通ったいろは歌になっています。「闇夜へ」は、ソロモン王の時代の墓盗人の物語を思い浮かべることができるし、「姫は三重県へ」は、姉から世話して貰ったモノを持ち込んだ風呂場の光景が浮かびます。え?「細く良い竿と濡れた百合」って、もしかして何かの比喩になってる?と、授業中にコバヤシ君に尋ねることはしませんでした。ただ、単語をを並べてみたらこうなっただけでしょう。

 こばやし君は、「いろは歌を作るコツ」も発表しました。この「コツ」の説明で、「日本語学」も受講したこばやし君は、品詞についての春庭講義をよく覚えていることもわかりました。
1) よく使われる助詞「は」「か(が)」「を」「の」「に」はとっておく。
2) 動詞の終止「る」、中止「て」過去「た」もとっておく
3) 形容詞の終止「い」中止「く」もとっておく
4) それ以外の仮名を組み合わせて単語をつくり、それを並べて意味が通るようにする。

 私は、自分で回文を作りますが、いろは歌を作ったことがなかったのでいたく感心し、「日本語のモーラ」についての発表もよい出来で欠席なしだったコバヤシ君には「A+」の成績をつけました。
 「A+(優)」の成績をあげたコバヤシ君の気持ち、舞い上がっているでしょう。親御さんにもよい成績を自慢したいでしょうね。コバヤシ君に「いろは歌作るコツ」を教わったので、初めて春庭作のいろは歌を試みました。先生に「優」を貰って親に披露しているコバヤシ君のようすを詠みました。ゑとゐは抜かしたので、ちと難しい。
 
 「誉められ舞い上がる気持ち、察したよ 品述べて 優増え、胸張り親に「見ろ」と、消せぬ名を濃く添わす」
 ほめられ、まいあがるきもち、さつしたよ ひんのべて ゆう ふえ むね はり おやに みろと けせぬ なを こく そわす

 どうも、コバヤシ君の作品のほうが、一枚上手です。まだまだいろは歌修行中の春庭ですが、頭の体操になりました。皆様も、惚け防止頭の体操として、ぜひいろは歌に挑戦してみて下さい。
 春庭の「いろは歌」蘊蓄はこちらに。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongoiroha0603a.htm

<つづく>
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2011年01月29日


ぽかぽか春庭「舞姫を森鴎外は捨てゆきぬ」
2011/01/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(3)舞姫を森鴎外は捨てゆきぬ 

 春庭第2作目のいろは歌。
 色とりどりの衣装をつけた舞姫が部屋の中に立ち、熱に浮かれて歌って行く様子です。平安文学に出てくる五節の舞姫を想像するもよし、江戸の浮世で舞う浮かれ女を連想してもよし。

 花の輪で、青白緑紫も 匂ほふ舞姫 部屋立ちぬ 為せる 熱よぞ 浮かれ世間を行く声す
 はなの わて あお しろ みとり むらさきも にほふ まいひめ へや たちぬ なせる ねつよそ うかれせけんを ゆくこえす 

 ちょっと上手くなってきたので、調子にのってきました。
 舞姫という語が出てきたので、森鴎外を連想して、第3作。擬古文で書かれた明治文学の香りがします。と、思ったけれど、最後のつじつま合わせアナグラムがちと苦しい。擬古文がそうであるように、仮名遣いがでたらめになっています。

 捨てられたエリスは寝つけぬ夜を地図をながめて過ごします。日本の地図はまっさらなまま、二人を隔てる国境を越えて恋人のいる地へ分け入ることもできません。

舞姫を 森鴎外は 捨て行きぬ ゑくぼへ 涙の跡 誘ふ 夜 寝れやせん 白地図に 越え分けらむ
まゐひめを もりおうがいは すてゆきぬ  ゑくぼへ なみだの あと さそふ よる ねれやせん しろちづに こえわけらむ  

 鴎外を追ってたった一人で船旅を続けて、ドイツから日本までやってきたエリス。
 エリス=アリス・ヴィーゲルト説もあり、エリスのモデルに定説はありません。エリス=アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルトという説もNHKドキュメンタリーで知られるようになりました。この説では、実在のエリスは、ドイツに戻って結婚しました。生存している孫の証言では、エリスは若き日の恋人森林太郎のことは一言も語らなかったそうです。エリスの孫の話は、NHK「鴎外の恋人~百二十年後の真実~」というドキュメンタリーで放送されました。

エリスのモデルとなった女性の本名が、「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」だというのも、鴎外は、次女に杏奴(あんぬ)、三男に類(るい)という名をつけたことからも納得されます。母に引き裂かれた初恋の人を、どうしても忘れることができなかったのでしょうね。家督を弟にゆずって、異国の地からやってきた恋人と結婚する道もありえたのに、恋よりも母親をとった明治の男、森鴎外。捨てられたエリスが幸福な生涯をおくったのだろうと推測できて、ちょっとは鴎外を許してもいいかって気分になりました。

 エリスのモデルとなった女性の名前を書き残さなかった鴎外。名前を伝えるのはなかなか難しい。古代の「いろはうた」は作者が伝わっていません。
 しかし、近世以降では作者名も伝わっています。
 江戸時代に作られた「いろは歌」
「藤尾勾當の歌」、正月に歌うにふさわしい、めでたそうな歌。
春頃植えし相生の 根松行くゑ匂ふなり 齢を末や重ねらむ 君も千歳ぞめでたけれ
(はるごろうえしあいおゐの ねまつゆくゑにほふなり よわひをすへやかさねらむ きみもちとせぞめでたけれ)

 細井廣澤による「君臣歌」。こちらも君臣一族栄える目出度い歌。
君臣親子夫婦に兄弟群れぬ 井鑿り田植えて末繁る 天地栄え世を侘びそ 舟の櫓縄
(きみまくら おやこいもせにえとむれぬ ゐほりたうえてすゑしげる あめつちさかえよをわびそ ふねのろなは)

「五言律詩体 寒梅」
えならぬ香り閨訪れ 池は鴛鴦 庭の梅 色添ふ朝 粉雪散る宵 まだ鶯 見えもせで
(えならぬかほりねやおとづれ ゐけはおし にわのむめ いろそふあさ こゆきちるよべ まだうぐひす みえもせで)

 江戸期国文学の大家、本居宣長の「田植歌」。(宣長の息子は、ぽかぽか春庭が名を借りている本居春庭です)。お父さんの宣長さんは、国学の大家。「もののあはれ」や「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」と日本の心を詠んだ宣長さん、いろは歌でもさすがに「稲よ真穂に栄えぬ」と、目出度そうに詠んでいます。田植えときの雨乞いに使えそうな寿歌です。
 雨降れば堰ぜきを越ゆる水分けて 諸人康く下り立ち 植ゑしその群苗 稲よ真穂に栄えぬ
(あめふればゐぜきをこゆるみづわけて もろひとやすくおりたち うゑしそのむらなへ いなよまほにさかえぬ)

<つづく>
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2011年01月30日


ぽかぽか春庭「粗朶火燃え散る 囲炉裡辺に」
2011/01/30
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(4)粗朶火燃え散る 囲炉裡辺に

 明治時代に「萬朝報」が行った「現代いろは歌」公募には1万首もの応募があったそうです。そのうちの優秀作第一席が埼玉県児玉郡青柳村・坂本百治郎の作った「鳥鳴く声す」です。坂本百次郎は数学教師だったそうで、アナグラムを考えるのが得意だったのかもしれません。「とりなくこえす」は、小学校の壁にも張り出されて、児童が「ひらがな」を覚えるために教育用としても使われたそうです。

「鳥啼く声す 夢覚せ 見よ明け渡る東を 空色栄えて沖つ辺に 帆船群れ居ぬ 靄の中」という1位に対して、第19席になったのは、「粗朶火燃え散る」の歌。「鳥鳴く声す」が、明治の世にふさわしい勇ましくて明るい雰囲気を出しているのに対して、「粗朶火燃え散る」は、世の文明開化のかけ声とは裏腹な明治の庶民の現実を歌い、身に染みます。実際の社会はこのようなものだったのでしょうけれど、第1席に比べると19席とは評価が低い。私は、「粗朶火燃え散る」のほうが詩情があっていいように思います。明治の貧窮問答歌といった趣です。

粗朶火燃え散る 囲炉裡辺に 賤の夜寒を 嘆く見ゆ 女子弟飢ゑて 顔痩せぬ 哀れ着寝ん藁衾
そたびもえちる ゐろりべに しづのよさむを なげくみゆ めこおとうゑて かほやせぬ あはれきいねん わらぶすま   

 18席となったのは、東京・萬年昭明の作。「あめつちの詞」のように、名詞を並べるタイプで、氏姓を並べています。明治の世になって、民百姓も苗字をつけることになった社会を詠んでいます。

八十氏増して、大江・布留・櫻井・權田・長谷・楡木・餌守・犬飼・根津・夢野・小室・和気など算み能へず
(やそうじまして、おほえ ふる さくらい ごんだ はせ にれぎ ゑもり いぬかひ ねづ ゆめの をむろ わけなどよみあへず)

1952(昭和27)年に週刊朝日が公募した「新いろは歌」。明治の和歌調文語体に比べて、口語体の「いろは」が増えていきます。戦後復興に燃える明るい歌が多くなっています。

「ビールを飲めば」(大阪府貝塚市・西本翔蔵)
ビールをぐっと飲み干せば 青いロマンス胸に燃え 歌声柔わし霧濡れて 幸夢かなへ夜更け空
びゐるをぐつとのみほせば あおいろまんすむねにもえ うたごゑやわしきりぬれて さちゆめかなへよふけぞら       

「夢を語らん」(東京都・露木竹夫)  
笑くぼせつない君とゐる 優しさより添ふ胸の間に 日ごろ思へば忘れ得ぬ 夢を語らんうちあけて
ゑくぼせつないきみとゐる やさしさよりそふむねのまに ひごろおもへばわすれえぬ ゆめをかたらんうちあけて

「花売娘」(徳島・宇山千代枝)
ネオン揺れる頃笑って 今日街にゐた花売娘 青い瞳燃え やさしの靨へ風そよぎぬ
(ねおんゆれるころわらって けふまちにゐたはなうりむすめ あをいひとみもえ やさしのゑくぼへかぜそよぎぬ)

「ああ広島」(宮城・中川弘)敗戦後7年目に、平和を願う心が表されています。
あはれわが夜毎夢見る 失せ亡ぶ邑の衢や 末思ひ冱えゐて寝ぬに な作りそ原子兵器を
(あはれわがよごとゆめみる うせほろぶむらのちまたや すゑおもひさえゐていぬに なつくりそげんしへいきを)

 まあ、どれもなんて上手なんでしょう。日本語の言葉遊び、奥が深いです。

<つづく>
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2011年01月31日


ぽかぽか春庭「日本の言葉遊びや知恵選ぶ」
2011/01/31
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>いろは歌再び(日本語音節と音節文字)(5)日本の言葉遊びや知恵選ぶ

 昭和のいろは歌つづき。
「新『濡燕』」(茨城・西浦紫峰)
お江戸街唄風そよろ 青柳けぶりほんに澄む 三味の音締へつばくらも 恋ゆゑ濡れてゐるわいな
(おえどまちうたかぜそよろ あをやぎけぶりほんにすむ さみのねじめへつばくらも こひゆゑぬれてゐるわいな)

「勧進帳」(滋賀・石川芳雄)1952年に、ようやく占領下から独立した日本、伝統の勧進帳も上演できるようになりました。
源九郎義経ぞ 早めて参る安宅関 弁慶ほろり声を呑む 落ち得ぬわれに夕陽さす
(みなもとくらうよしつねぞ はやめてまゐるあたかせき べんけいほろりこゑをのむ おちえぬわれにゆふひさす)

「盆踊り」(福井県・巌教也) 
今宵寝られじ 盆踊り おけさ揃へや 輪も丸く 粋な浴衣の娘笑み 笛に合わせつ手打ちゐぬ
こよひねられじ ぼんをどり おけさそろへや わもまるく いきなゆかたのむすめゑみ ふえにあわせつてうちゐぬ

「名画礼賛」(東京・島しげる)
セザンヌ ゴオグ モネエ マチス ユトリロ ピカソ ターナの景色に余は惚れて 平和生む絵をみつめゐる
(せざんぬ ごおぐ もねえ まちす ゆとりろ ぴかそ たあなのけしきによはほれて へいわうむゑをみつめゐる)

 昭和41年の週刊読売が公募した新「いろは歌」。
「水無月」(東京・西紋士郎)
去年植ゑし花紫陽花よ 梅雨やまず縁の傍に 今日開き濡れて色めく 面輪折り見せねと賞むる
(こぞうゑしはなあぢさゐよ つゆやまずえんのかたへに けふひらきぬれていろめく おもわをりみせねとほむる)

「雪の花嫁」(奈良・久保道夫)
雪のふるさとお嫁入り 田舎畦道 馬連れて 藁屋根を抜け田圃越え 葉末に白く陽も添へむ
(ゆきのふるさとおよめいり ゐなかあぜみち うまつれて わらやねをぬけたんぼこえ はずゑにしろくひもそへむ)

「芭蕉」(東京・塚本春雄)
名も不易 奥の細道 馬と絵師 座寄せ和す囲炉裏 旅に病んで眠らぬを あはれ何処へ夢駈ける
(なもふえき おくのほそみち うまとゑし ざよせわすゐろり たびにやんでねむらぬを あはれいづこへゆめかける)

 では、最後に、春庭第4作。お題は「新作いろは歌を詠む」
日本の言葉遊びや 知恵選ぶ 色受けゐれる 句を詠みぬ 仮名文字 溜させ 胸へ揺りて 置き回す
にっぽんのことばあそびや ちゑ えらぶ いろうけゐれる くをよみぬ かなもじ ためさせ むねへ ゆりて おきまわす        

 いかがでしょうか。世に流布する傑作「いろは歌」の見事な出来に比べると、春庭作はちと見劣りがしますが、回文を作るのもいろは歌を作るのも、お金のいらない頭の体操。これで惚け防止ができると思えば、日本語のことば遊び、なぞかけでも川柳でも、どんどん挑戦してみてください。

 なぞかけ、ととのいました!「いろは歌とかけまして、正月に一滴のビールも屠蘇も飲まず、ことば遊びですごした春庭と解く」その心は「ゑひもせす 酔いもせず」
 あ、あのですね。いろは歌の最後は、「あさきゆめみし ゑひもせす」なのでして、と、なぞかけの心を解説する野暮天。つまり「ゑひもせす」は、これで「日本語いろは」はおしまい、ってことで、、、、

<おわり>

語彙論>新語旧語死語生き語

2010-09-27 00:09:00 | 日本語学

2010/05/21
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>新語旧語死語生き語(1)ぐいち

 ネット散歩、日本中どこにでも飛んでいけます。散歩をしていると、関東で生まれ育った私にはお初のいろいろな地方のことばを知ることができます。昔は方言研究者が家々を回って集めた地方のことばを、東京に居ながらにして読むことができ、楽しみも大いに広がりました。「専門用語」も、ネット散歩でおべんきょうできます。
 建築が専門の方のサイトで左官用語の「しっくい引き物」なんて言葉にであいました。

 「彼岸の入り」に対して彼岸のおわりの日を「はしりくち」と呼ぶ地方もあると知ったのも、ネット散歩中のどなたかの日記によってなのですが、2005年3月25日に、「はしりくち」という言葉を新しく知ったと書いているのに、どなたの日記で知ったのか書いてありません。5年前のことですが、誰の日記に書いてあった言葉だったかもうすっかり忘れてしまいました。

 「ぐいち」ということばをmomosuke2seiさんの2010年2月20日のカフェ日記で知りました。モモスケママさんが、子供の頃につかっていた「ぐいち」と言う言葉を広辞苑でひいてみたら、ちゃんと載っていた、という日記です。
 私にとっては、初めて見る言葉なので、私も広辞苑を引きました。

 「手元にあった広辞苑」と書きたいところですが、正確には「足下にあった広辞苑」です。重たい辞書なので、本箱の下のほうに置いといたら、どんどん増える駄本が本箱の前に積み上がっていって、広辞苑が取り出せなくなってしまいました。それで、本箱に戻さずに重たい辞書を椅子の下に置いておくことになった。足下においといた広辞苑、漏水事故のとき、椅子の下にあったので、びしょぬれにはならず、表紙は湿気ってぶよぶよになったけれど、中はまだ読めるので、部屋片づけをして本箱に戻しました。

 広辞苑「ぐいち【五一】ばくちで采の目の五と一がでること。たがいちがい」
 大辞林には用例まで載っていました。「(1)博打(ばくち)で、さいころの五の目と一の目。(2)〔さいころの目は五と一が向かい合っていないことから〕食い違っていること。ちぐはぐなこと。「ぐいちに生えたが歯違ふの歯の見所/浄瑠璃・菅原」

 関西では、ものごとがぴったり合わずにくいちがいが起こることを「ぐいちやワァ」などと表現するようです。関西弁のコーナーでの解説。「ぐいち」は「位置がずれてはまっている様子。掛け違え。「釦(ぼたん)がぐいち」、「歯がぐいち」などと使う。
 金型を扱う業界での専門用語としては、成形品に段差ができ、製品が食い違うことを言うのだそうです。ゴム金型で食いきりがずれてしまうなど。
 
 「ぐいち」の語源をいくつかの辞書はさいころの目の「五一」だとしているのですが、金型業界の用語解説では「くいちがい」の略語が「ぐいち」だとしています。
 広辞苑といえども、語源に関してはまちがいが多いことを、ことばの達人柳瀬尚紀『広辞苑を読む』で知りました。「ぐいち」のような方言や職人言葉などだと、広辞苑だとてあてにはならず、「五一」という語源が正しいかどうかは、わかりません。

 さて、「ぐいち」の語を調べて、これから先にどんな知らない日本語に出会えるやら、老い先短いとはいえ、まだまだ私の辞書に新語は増える。脳内土蔵には、まだまだ本棚があります。脳内漏水により、本がぐずぐずになってしまうかどうかは、先のことゆえわかりませんが。

 ちなみに、死語に対して「生き語」なんてことばはありません。今生きて使われていることばを「なま語」と言ってみたかったのですが、生ビール、生足、生会話(メールやチャットでなく、実際に会っての会話)など「生なま」の台頭著しい昨今、死語の対義語は何がいいでしょうか。

<つづく>
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2010年05月22日


ぽかぽか春庭「よい一墻を」
2010/05/22
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>新語旧語死語生き語(2)よい一墻を

 新学期が始まって、4月からの出講大学、国立2校、私立3校になりました。毎日日替わりでキャンパスを駆けめぐることになります。国立大で留学生に教えるのは、日本語初級文型教科書。私立大留学生に中級作文。私立大日本人学生に日本語学概論。日本語統語論語彙論から社会言語学まで広く、というか何でもアリの日本語学です。

 私の日本語力、教師として教えるに足る語彙を持っていると自負していますけれど、自分では使ったことのない熟語がメール中にあったりするとびっくりします。
 育児休暇をとるというお知らせのメールに「なにかとご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかご海容ください」という結語があり、「海容」が実際に手紙の中で用いられているのを初めて見ました。私自身は使ったことはなくとも、海容なら、意味も読み方もわかる。
 同期生からメールをもらい、その結語に「ではどうぞよい一墻を」とあったので、目を丸くしました。「一墻」というのは、読み方も意味もわかりませんでした。
 
 辞書を見ても意味が出ていないので、発信者へ返信のついでに、意味を尋ねました。日本語教師、知らないことを恥とせず、わからないことをそのままにすることを恥とせよ、の精神です。
======
メール末尾のご挨拶に「ではどうぞよい一墻を」と書いてありました。「一墻」なんていう語をはじめて見て、どうも浅学非才の身、吝嗇のショクに土偏で「墻」、「いっしょく」と音読みするのか「ひとがき」と訓読みするのかも知らず、意味もわからず、辞書ひいちゃいました。角川漢和辞典、大修館現代漢和、三省堂漢辞海には「墻」が搭載されておらず、小学館現代漢語辞典にのみ「牆」の異体字として搭載されておりました。
発音は漢音ではショウ、意味は「垣根」とわかりましたが、「一牆」となると、どのような意味になるのか、私手持ちの辞書には載っておりません。お教えいただければ、今後の学習の励みにもいたしますので、よろしくお願いいたします。
=======
 メール返事によると、「ただの誤変換!」
 「ではどうぞよい一週間を」のつもりで書いたら、なぜか「一墻を」となったのですって。
 字引辞典を引くのが好きだから、あれこれ探ってついにわからず、けっきょくは誤変換とわかった、という検索の結果でした。「牆」などという漢字が存在することだけでもわかって、「日本語教師、なんでも調べて損はない」と思うことにいたしましょう。
 では、みなさまにおかれましても、どうぞよい一墻を。

<つづく>
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2010年05月23日


ぽかぽか春庭「四葉胡瓜と紅娘」
2010/05/23
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>新語旧語死語生き語(3)四葉胡瓜と紅娘

 哲学者の廣松渉の本を読んでいるとやたらに見たこともない熟語が出てきます。「旧来の発想法の地平そのものを剔扶(てっけつ)し」とか「形而学上悖理(けいじがくじょうはいり)」とか。悖理は背理とどう違うのかと思ったら同じだったし、内容自体もなんだか小難しくてさっぱり理解できない。
 「廣松の本、むずかしくてわかりません」と嘆いたら、退官を迎えた教授「ああ、あの人は衒学趣味で、やさしく書けば誰でもわかるようなことをやたらにわかりにくく難しく書くのが趣味なんだから、わからなくてもよろしい。ああいう文体読まされて難しそうで高級そうなこと書いていると思いこむのは愚の骨頂」とおっしゃる。

 それを聞いて「なあんだ、やっぱりそれでいいんだ」と安心しました。「赤信号、みんなで渡れば恐くない」を廣松式にいうと「世界の共同主観的存在構造における現象的世界の四肢的存在構造」ってなるんです。あ、ちょっと違うか。もう、私には牆、墻、かきね、、、、の世界です。

 私は、難しいことをより難しく書くのより、難しいことも中学生にもわかるように書く人が好きです。とは言うものの、私が「中学生にもわかるように書いた」つもりの授業レジュメの中の熟語、漢字検定2級に出てくる熟語より難しいのは使わないと決めているのに、昨今の南瓜頭大学生たち、まあ、読めないこと。「南瓜」だって読めないんだから。きっと彼らは私が廣松の熟語使いに頭を悩ませたように、「読めネー、イミ、ワカンネー」と思っているのだろう。ただし、私は読めない漢字があれば辞書を引き、検索するけれど、彼らは「ワカンネー」で終わり。

 ホームセンターでパート勤務している方のサイトに書いてあった「園芸の苗を買いに来たお客さんが「四つ葉のキュウリ」が欲しいと注文したけれど、四つ葉キュウリって何のこと?」、さあ、何でしょう。私は双葉の時期をすぎて四つ葉になった頃の苗と推察したのですが。検索してみると「四葉(スーヨー)キュウリ。本葉が4枚付いた頃から実がなるのでこの名があるんですって。

 「美味で有名な白イボ系キュウリ。普通の白イボキュウリの1.5倍ぐらいの大きなキュウリです。イボとシワが多く見た目が悪い上に鮮度落ちが早いのですが、歯切れが良く漬物にもむきます。四川キュウリは、四葉キュウリの改良型。大きさは普通の白イボキュウリと同じぐらいですが、 四葉と同様にシワが多い。美味です。」
 と、わかりました。へぇ~、四葉キュウリ、鮮度落ちが早くても、味がいいなら、自家用で食べる人にはぴったりの品種。私も食べたいです。
 四葉キュウリは、よくしゃべるオウムとの会話が楽しいので読みに行くパロットさんの日記で知りました。

 蝶のコレクターにとって、新種の蝶の標本を手に入ったらうれしくてならないように、切手収集家が稀少品をオークションで競り落としたときのように、「ことば採集家」は、今まで知らなかった言葉に出会うと、うきうきして脳内土蔵に収集します。でも、私の脳内土蔵はしっかりしまっておくには不向きなようで、集めた言葉はぽろぽろとこぼれ落ちてしまいます。

 「Qさま」という漢字を中心としたクイズ番組で、よく、知らない読み方や熟語に出会います。そのときは「へぇ!そういう読み方だったんだ」と感心するのですが、テレビで知ったことはたいてい翌週には忘れてしまう。「これ、同じ問題を前に見たね。答えなんだっけ。忘れちゃったね」と、私同様物覚えの悪い娘息子とワイワイ言いながら、何度でも同じクイズを楽しめる。「平成教育委員会」などでも同じです。

 先週の「Qさま」で漢字検定1級の問題から、「紅娘」をなんと読むか、というのがありました。漢検1級問題は当て字や、生活に必要のない熟字訓や訓読みが多いので、学生には、「社会生活では準1級までの字が読めればOK、1級問題は漢字オタクの趣味の世界」と言ってあります。
 「紅娘」の読み方がわからなくて、答えを知って「へぇ!」と思ったのですが、これも来週には忘れているかも。ただし、私の主張では「教育漢字(約千字。小学校6年生までに習う)以外の漢語にはふりがなをつけよ!」ですから、忘れてもOKです。

 「紅娘」の読み方は、「てんとうむし」でした。私は「天道虫」という漢字しか知らなかった。中国語では「瓢虫」なので、辞書によってはテントウ虫の漢字として「天道虫、瓢虫、紅娘」の三つがでています。
 さて、来月はどんな言葉に出会えるでしょうか。

<おわり>

語彙論>アジサイをめぐって

2010-09-13 05:36:00 | 日本語学
2010/07/02
ポカポカ春庭言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(1)紫陽花公園

 今年は2月の母の命日にも、4月の姉の命日にも菩提寺へ来られなかったので、6月29日に義叔母の葬儀に出たあと、午後、両親と姉が眠るお墓に行ってお参りをしました。
 墓参をすませ、「紫陽花公園」を妹と散歩しました。紫陽花公園は、菩提寺のすぐ近くにあります。
 朝、激しい雨が降ったあとなので、川沿いの公園は日が差していれば湯気の立ち上るのが見えるのではないかと思うくらい、強い湿気に満ちていました。

 妹は、こどものころ同級の男の子たちが小野池という溜め池でよく釣りをして遊んでいるのを、女の子のグループと遊びながら見ていた、ということですが、そのころ小野池はうっそうとした山の中の、薄暗くちょっと不気味な雰囲気の溜め池でした。今から150年ほど前、天保年間に当地の名主であった小野沢平左衛門が農業用水として構築したと言われる人工湖です。池では鯉の養殖などが行われていたので、子供が釣りをすると叱られる場所だったのですが、大人の目を盗んで釣りをするのが男の子たちの楽しみだったのです。 今では「市民の釣り場」として公開され、池の北側の川沿いの一帯が紫陽花公園として整備されています。

 テレビの「季節便り」などにもこの紫陽花公園が登場することが増え、観光客も多くなったというのに、地元の妹は「子供の頃はよく遊びに来たのに、公園になってからは、来たことなかった」というので、いっしょに散歩したのです。

 近くには観光バスが2台来ていて、「中高年バスハイキング」という趣の人々がバスから降り立ち、添乗員に率いられてぞろぞろ公園に入ってきます。
 「市の花」も紫陽花に指定され、特に「アナベル」と名付けられている真っ白な紫陽花が有名なようです。公園以外に、市内の道の脇にもアナベルがたくさん植えられていました。アナベルはアメリカ原産で、薄緑から真っ白まで、小鞠型の美しい花が見られます。
 アナベルの写真をリンク。
http://annabelle.at.webry.info/200606/article_15.html

 公園内の石碑には、芭蕉が紫陽花を詠んだ句と万葉集の中の橘諸兄のアジサイの歌が刻まれていました。
 芭蕉の句。紫陽花や帷子時の薄浅黄(あじさいや かたびらどきの うすあさぎ)
 橘諸兄の歌。あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ(万20-4448)

 以下、2004年7月13~21日に、カフェ春庭コラムに掲載した「アジサイ色」を再録します。
================
2004/07/13の再録
 都内花名所のうち、アジサイなら白山神社、小石川植物園によくでかける。
 JR王子駅のホームからながめることができる飛鳥山公園は、江戸時代から桜の名所であるが、アジサイも美しい。
 7月11日の朝も、飛鳥山公園のアジサイを見ることができた。盛りのころに比べると、やや色の種類が少なくなった気がするが、まだ十分に観賞にたえる花が残っている。

 いつもホームや電車からながめるだけだったが、今年は初めて、「飛鳥の小径」を歩いてみた。1ヶ月前の6月5日のこと。
 王子駅で下車。高度成長期以前の雰囲気を残す「さくら新道飲食街」をぬけて、飛鳥山公園の崖下を歩く。飛鳥山公園とJR線路の間の小径、「飛鳥の小径」

 アジサイの時期以外では、付近の住民が通り抜けるだけで、通行人は少ないのだが、アジサイが盛りの間は、写真を撮っている人がたくさん。
 三脚のわきを通るにも声かけ道をゆずりあってすり抜ける、ちいさな通り抜けの道。 青い花、ピンクの花、紫の花、ガクアジサイ。様々な色合いを楽しめる。

<つづく>
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2010年07月03日


ぽかぽか春庭「オタクサ」
2010/07/03
ポカポカ春庭言海漂流葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(2)オタクサ

2004年07月14日の再録
 アジサイの花言葉。「強い愛情」「元気な女性」などのほか「移り気」もあるのは、ひとつの株の花でも、ときには青い花だったり、ときにはピンクになったり、土壌の組成によって、色が変わるため。土壌が酸性かアルカリ性かによってさまざまな色をみせる。

 アジサイ(ホンアジサイ)のラテン学名は、Hydrangea macrophylla。ハイドランジアは水、マクロフィアは容器の意味。たっぷりと水を含んだ、雨の季節にふさわしい名前に思う。
 私が使っている『原色牧野日本植物図鑑』の記述では、Hydrangea macrophyllaはガクアジサイの学名。花が手まり状になるアジサイの学名はHydrangea macrophylla Seringe var.otakusa ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ)となっている。
 現在の植物学では、オタクサの名は除かれているそうだが、在野の植物学者として独自の研究を続けた牧野は、「オタクサ」を削ってしまいたくなかったのだろう。

 「 ハイドランジア・マクロフィア・ヴァル・オタクサ」この学名の最後の「オタクサ」は、ヨーロッパにこの花を紹介したシーボルトの日本人妻の名前「お滝さん(楠本滝)」にちなんでつけられたもの。
 シーボルトは医師として江戸末期の長崎のオランダ商館で働いていた。
 シーボルトは、長崎から「日本植物図」を植物学者・ツッカリーニに送った。あじさいの発見者は「ツッカリーニとシーボルト」となっている。

 当時ヨーロッパでは博物学が盛んであり、各国は競って世界各地の植物を蒐集研究していた。世界各地にいた探検家、学者、商人まで、新種の発見に夢中になり、本国へ標本や精密な植物図譜を送付した。新種の植物は「植民地から金を生み出す木」でもあった。
 日本のあじさいが西洋植物学研究者に知られるようになったのは、江戸末期からだが、あじさいは古来から日本の地に咲いていた。日本原産の花。東京や伊豆などで、野生種のあじさいが発見されている。

 奈良時代のあじさいが、万葉集にうたわれている。
 万葉集の編集者とされる大伴家持の歌。あじさいは「味狭藍」と表記されている。(巻四 773)

「言問はぬ木すら味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に詐かヘけり(こととわぬ きすらあじさい もろとらが ねりのむらとに あざむかえりけり)大伴家持」
 物を言わない木にさえも、アジサイの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手管に長けた諸弟の言うことに、私は簡単に騙されてしまいました。

 以下、アジサイの漢字表記について検証する。現在、アジサイは熟字訓として「紫陽花」という表記が定着している。万葉集に記された万葉仮名表記「味狭藍」や「安治佐為」という表記から「紫陽花」という表記に変わったのは、平安時代以後のことになる。

<つづく>
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2010年07月04日


ぽかぽか春庭「あじさいの漢字表記」
2010/07/04
ポカポカ春庭言海漂流記葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(3)あじさいの漢字表記

2004年07月15日の再録
 大伴家持のアジサイ表記は「味狭藍」。もうひとつ、万葉集に知られたアジサイの表記がある。橘諸兄の歌では「安治佐為」という万葉仮名で表記されている。(巻二〇 4448)
(たちばなのもろえ{684~757}、父は敏達天皇の玄孫美努王,母は県犬養三千代。光明皇后(藤原不比等と再婚した三千代の娘・)の兄として、奈良時代に権勢をふるった)

「安治佐為の八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲ばむ(あぢさいのやえさくごとくやつよにを いませわがせこみつつしのばむ)」
 この場合の「八重咲く」は、「八重咲きのアジサイ」ではなく、「たくさんの花びらが重なりあって咲いているアジサイ」であろう。

 アジサイの表記について。
 平安時代のお坊さん、昌住が著した「新撰字鏡」では「安知左井」と表記。
 同じ平安時代の「倭名類聚抄(和名抄)」では「安豆佐為」。

 アジサイ。安豆(あつ)は「集まる」という意味。「佐(さ)」は、真を意味する。「為(い)」は、藍(あい)の意。すなわち、「真の藍色(あいいろ)の集まり」という花の様子から、安豆佐為(あつさい)と名がつき、安豆佐為(あづさい)が転訛(てんか)して、アジサイになったのだという。

 明治時代に編纂された「大言海」で、大槻文彦は「あじさい、語源は集真藍(あつさあい)」としている。

 アジサイに「紫陽花」の漢字をあてることについて。
 平安文学は、中国唐詩の影響を強く受けている。ことに中唐の時代の詩人白居易(白楽天772-846)の漢詩文集「白氏文集」は、人気が高かった。白居易の詩がアジサイに関わっている。
 10世紀に成立した「和名抄」に『白氏文集律詩に云(い)う、紫陽花、和名、安豆佐為(あつさい)』と書かれている。倭名類聚抄(和名抄)の編纂者は源順。

 源順は、白居易の「白氏文集第20巻」の中にでてくる紫陽花をアジサイのことを指していると思いこみ、「紫陽花=アジサイ」とした。
 源順の記述により、「白氏文集」に出てくる紫陽花がアジサイのことだと、皆も疑わなくなった。現在ではアジサイの漢字表記は紫陽花が一般的。

 しかし、ちょっと待って。違うのだ。
 実は、この「白氏文集」の中にでてくる紫陽花(ツィヤンファ)がどのような花をさしていたのかは、わかっていない。
 源順が「紫陽花とは、わが国の安豆佐為のこと」と書き残したのは、彼の思いこみによってであり、根拠があってのことではない。源順は中国へ行ったこともなく、白居易が詩に残した紫陽花を見たこともない。

<つづく>
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2010年07月06日


ぽかぽか春庭「白居易の紫陽花」
2010/07/06
ポカポカ春庭言海漂流記葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(4)白居易の紫陽花

2004/07/16の再録
 白居易が詩にした紫陽花が、紫色の花だったことだけは確かなのだが、その花が、はたして紫色のアジサイだったのか、ライラックのような紫色の花だったのか、はたまた別の紫色の花だったのか、記述は何もない。
 「白氏文集章巻二十」には、白居易が紫色の花を見て、だれもその名を知らなかったので、「紫陽花」という名をつけた、と書かれているだけだ。

 「紫陽花」の漢詩の前に、前書きがある。
招賢寺有山花一樹、無人知名(招賢寺に山花一樹あり、名を知る人無し)
色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物(色紫にして気香しく、芳麗にして愛すべく、頗る仙物に類す)
因以紫陽花名之(よって紫陽花を以てこれを名づく。)
「招賢寺に、名前が不明の紫色の花木があった。その名を知る人がいない。色は紫で芳香がある。芳しく麗しい愛すべき花。まるで、人間界とは異なる仙界の花のようだ。よって、この花を紫陽花と名付けた。」

「白氏文集」より「紫陽花」
何年植向仙壇上(いづれの年か植えて仙壇の上に向かう)
早晩移栽到楚家(いつしか、移栽して梵家(てら)にいたる)
雖在人間人不識(じんかんに在りといえども人識らず)
与君名作紫陽花(君に名づけて紫陽花となさむ)
いつのころからか仙壇に植えられていた
いつしか移しかえて、寺に植えられた
人の世界に来たけれども、人はその名を知らない
この花に名を与えて紫陽花と呼ぼう(春庭拙訳)

 私は、この白居易の前書きを読んで、「?」と思った。「色は紫にして気は香る」と書かれているからだ。
 白氏文集「紫陽花」前書きにある「芳麗愛すべし。すこぶる仙物に類す」を読むと、あれ?アジサイって、そんなに香りの強い花だったっけ、と疑問が生じる。
 白居易が「色は紫にして気は香る」と書き留めたのは、その紫色のあざやかさと同等に、周囲の空気を満たす香りが印象的だったことを想像させる。

 薔薇やライラック、百合のカサブランカは、その花の下にたてば、芳香に包まれる。しかし、アジサイの花に近づいて香りを確かめても、そんなに強い芳香は感じない。
 「気が香っている花」の香りに包まれて「ここは人間の世界じゃない、これはまるで仙人の世界のようだ」なんて気持ちにはならなかった。
 アジサイの色はたしかに美しいが、「芳麗愛すべし」とは印象が異なる。

<つづく>
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2010年07月07日


ぽかぽか春庭「あじさいとライラック」
2010/07/07
ポカポカ春庭言海漂流記葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(5)あじさいとライラック

2004/07/17の再録
 紫色で香りが強い花といえば、むしろライラックの種類に近いんじゃないかなあ。だが、確実なことはわからない。白居易が書いているのは「色は紫、香りが強い」ということだけで、花の絵を残しているのではないから。

 私が出講している大学のひとつ。正門脇バス停に、ライラック(リラ)の群落がある。毎春バス停周囲が満開のライラックに包まれ、なかなか来ないバスを待つ間、馥郁とした香りを楽しむことができる。
 白居易が「色は紫にして気は香る。芳麗愛すべし」と言ったのは、この花かも知れないなあ、と思いつつライラックの香りを楽しんできた。

 白居易は紫陽花の姿形をどのような花であるとも描いていないのだから、「気は香る」という表現を「芳香がある」と受け取らず、「色の紫から、周囲の気が香るように感じる」と、色彩からくる感覚を「気が香る」と表現したのだ、と考えることも不可能ではない。

 源順も、白居易が描き出した花を確実に知っていたのではないが、彼自身の詩への感受性によって、この紫色の花を「安豆佐為(あぢさゐ)」と受け止めた。
 源順がアジサイの漢字名を紫陽花と思いこんで以来、日本ではアジサイ=紫陽花となり、「安豆佐為」という万葉仮名を押しのけて浸透した。
 定着してしまえば、それが「現在の日本語表記」となる。
 日本語の漢字表記が成立するには、様々な要素がある。だから、「現時点では、アジサイの漢字表記が紫陽花である」というのは、それでよい。

 ただ、白居易の「紫陽花」は、直接に日本原産の花「アジサイ」をさしていたのではなかった、という事実も知っておきたいと思うのだ。
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2010/07/07の付け足し
 和語の「匂ふ(にほふ)」の原義は丹色(にいろ=赤土の色)が「秀(ほ)ふ=特別に秀でている」という意味なので、「匂う」は「美しい色が秀でている」という解釈ができますが、中国語の「香シャン」は、「嗅覚による香り」の意味になります。ただし現代中国語では「よい香り、良いにおい」は「香味xiāngwèi」ですが、唐代の「香」に別の意味があったかどうかまでは、春庭の貧弱な漢語知識ではわかりません。
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2004/07/20の再録
 私は、白居易の「紫陽花」は、香り高いライラックのような花だったのかも知れないなあ、と感じた。感じただけであって、絶対にそうだという証拠もない。

 千年前に、源順が「アジサイ=紫陽花である」と書いたら、だれも異議申し立てをしなかった。
 日本の文芸において、自分の感受性を発揮する以上に、「おつきあいの言葉やりとり」「同じ言葉をやりとりする仲間同士の交流」が重んじられる面があったから、紫陽花は別の花かも知れないと、だれも言い出さないうちに、いつのまにかアジサイといえば紫陽花になった。

<つづく>
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2010年07月09日


ぽかぽか春庭「遣唐使とあじさい」
2010/07/09
ポカポカ春庭言海漂流記葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(6)遣唐使とあじさい

2004/07/20の再録
 購読している新聞に、陳舜臣氏のエッセイが掲載されていた。
 2004年6月7日付の陳舜臣の文に「神戸市の市花は紫陽花」という紹介があり、紫陽花の名付け親として白居易の漢詩が紹介されていた。
 中国文学・歴史にも日本史にも造詣が深い氏のエッセイである。白居易の詩に関する部分は問題ない。

 しかし、文中に「遣唐使や水夫の衣服や荷物についた(日本原産のあじさいの)種が中国の沿岸地方で、しぜんに根付いて花をさかせたらしい」とあるので、陳氏は「白居易が実際に「安豆佐為」の花をみて紫陽花と名付けた」として、この文を書いているのではないかと推察された。
 遣唐使が唐のみやこ長安まで出かけているのだから、港町や長安までの道中に、安豆佐為(あづさゐ)の種がこぼれることも十分に考えられる。だから、千年前の上海の南200キロの港町杭州近くの西湖のほとりに、アジサイが咲いていたと想像することもできる。

 だが、「安豆佐為(あづさゐ)=紫陽花」というのは、源順の「思ったこと」であって、白居易が紫陽花の姿形を描写したわけでなく、「紫陽花が安豆佐為(あづさゐ)である」と、断定することもできない。
 白居易が「紫陽花はこの花」と指定しているのではないから、「紫陽花=アジサイ」かもしれないし、ライラックのような香り高い花かも知れない。

A:白居易は見知らぬ花を見て、紫陽花と名付けた 
B:源順は、紫陽花=アジサイと思った 
というA,Bから、
C:白居易が見たのは日本原産のアジサイである、
という結論が導き出せないことだけは、確認しておきたい。

2004/07/21の再録
 現代中国語では、アジサイは綉球科(八仙花科、虎耳草科)、綉球属(八仙花属)。
 綉球、八仙花、大八仙花、八仙綉球、繍球花、洋繍球、紫陽花、紫繍球、瑪哩花、天麻裏花、雪球花、粉團花などと表記されている。(私の手持ちの岩波日中辞典では、八仙花、綉球のふたつのみ)
 「紫陽花」の表記は日本からの逆輸入。「天麻裏花」は、「手鞠」の形の花、というこれも日本語からの表記。

 中国語を確認したり、アジサイの表記について検索をかけて確認するうち、私が自分の感覚で「白居易のいう香り高い紫色の花は、アジサイではなく、ライラックのような花」と感じたことが、案外まとはずれでもないことがわかった。

<つづく>
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2010年07月10日


ぽかぽか春庭「牧野富太郎のアジサイ」
2010/07/10
ポカポカ春庭言海漂流記葦の小舟ことばの海を漂うて>再録・紫陽花(7)牧野富太郎のアジサイ

2004年07月21日の再録
 植物学者の牧野富太郎が「植物一日一題」というエッセイに「千年前の中国にはアジサイは咲いていない」という長年の植物研究結果を書き留めている、と知った。私が愛用している植物図鑑は牧野の編纂による『学生版原色牧野日本植物図鑑』というハンディタイプの図鑑。しかし、エッセイ『植物一日一題』は読んでいなかったので、いつか読んでみたいと思う。

 また、植物学者湯浅浩史さんが、「白居易のいう紫陽花はライラックと思う」という主旨の文を書いていたことを知った。源順とは異なる感覚で、紫陽花をとらえていた人がいたことに感激!ライラックは片仮名表記なので、西欧の花かと思いこんでいたのだけれど、これも思いこみのひとつ。ライラック原産地は中国という。
 湯浅先生は植物学の権威だけど、「権威者だから、その言葉を信じる」というのじゃありません。植物には素人のオバハンが何となく感じた疑問を考えていったら、植物を長年研究している人と同じ結論に達したことの驚きと、同じ感覚を共有できた!という喜び。

 「アジサイの漢字表記は紫陽花」という「皆があたりまえと思っていること」でも、「ちょっとひっかかる」と感じた。
 「アジサイは雨のなかや湿った場所に咲いているのがぴったりするのに、なぜ、陽の花なのだろう」と感じたり、「芳香のある花」と白居易が書いているのに、なぜ、安豆佐為(あづさゐ)が紫陽花なのだろう、と思った。素朴な疑問を解決しようとあれこれ探っていったら、いろいろな事実がわかってきた。

 自分の心身でものごとを受け止めて、疑いを持ち、疑義提出するにはエネルギーがいる。約束事にしたがい、大勢にしたがってつつがなく生活し言葉を交わし合う方が、はるかに楽しく心地よく物事が運ぶ。
 だが、「つつがなく暮らすために、すでに決まっていることや考え方に従う」だけではいられない時もある。「思考を停止し、大勢に従うほうが楽」と思えるときも、一歩立ち止まり、自分の考え感性を信じていきたい。
 
 飛鳥の小径。アジサイは崖下の小径に咲き誇る。それぞれの株にそれぞれの色。
 様々な色を楽しむと同時に、私は私の感受性でものごとを受け止めようと願う。八方へアンテナをはり、さまざまな考えや感じ方を自分なりに受け止め、自分なりに考えていこう。

 アジサイのさまざまな発色は、土壌の酸性アルカリ性によるのだそうだが、私たちの思考感性は、サンセイもハンタイも、それぞれの自由に。
 世の中全体が一色に染まらぬことを願いつつ、私はさまざまな色を楽しみ、さまざまな色合いをながめることを喜びとしていく。

「紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の 別座敷」松尾芭蕉
「紫陽花の 末一色(すえひといろ)となりにけり」小林一茶
「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」正岡子規
 「集真藍(アジサイ)や株ごとの色 わたし色」春庭
 「陽を放つごとく雨中に咲くあじさい」春庭
==========
2010/07/10
 この「アジサイ色」を書いたのは、2004年7月の参議院選挙の投票が終わり、自公与党の圧倒的多数という結果になったあと、「こんなふうに与党一色になったあと、いったいこの国はどうなるんだろう」と感じたころでした。小泉内閣が大人気を誇っていた頃です。今、あのときの内閣が行った「民営化」などのツケを、国民は「失業の増加、格差拡大、景気低迷のまま国の借金増大」によって支払っているわけです。

 さて、2010年7月の参議院選挙を明日に控えて、私たちは「自分の色」を見つけることができたでしょうか。熱狂的なひと色に染められることなく、ひとつひとつ自分の身近な問題について、どの政策が一番自分の考えに近いか、選挙公報とにらめっこしています。

<2004年7月「アジサイ色」再録おわり>

日本語の変化 ナマ蕎麦でヤバイ

2010-08-19 21:50:00 | 日本語学
2010/10/08
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>日本語の変化(1)ヤバイ?

 言葉は、発音も文法も語意も変化する。現代標準語では「暖かくなって花が咲く季節」をハルと発音しており「パル」とは発音していない。発音が変化したからです。現代語では係り結びの法則を使って文末を結ばない。文法(統語=ことばの並べ方)が変化したからです。「春ぞ来にける」とは日常会話で言いません。

 多くのことばが古語とは意味が変わっています。平安時代の紫式部は「我がカナシと思う娘」を「私がいとしく思い、愛している娘」という意味で夕顔の巻に書いているけれど、現代語で「あなたって、カナシイ人ね」と人から言われてうれしがる人は稀でしょう。
 これらの変化と同じように、ヤバイの意味も変化しています。

 日本語の未来を憂える:huehukipachinkerさんからコメントをいただきました。日本語について思いをめぐらせてくださること、ありがたく思います。
投稿者:huehukipachinker 2010-10-01 08:29
 「それにしても最近の日本語の誤った使い方にはなんかウンザリしますね。たとえば「ヤバイ」を感動した時に使用する、なんて考えられません。」

 ウンザリするおキモチはよくわかります。最近の若者ことばの変化はスゴイですものね。
 さて、この「すごい」を,感動したときに使用することがありませんか。イチローは10年連続200安打をきろくした、すご~い!白鵬は歴代2位の連勝だ、すごいねぇ。
 しかし、奈良時代以前の人がきいたら、「すごい」を感動したときに使うなんて、なんてでたらめな日本語の使い方だろうと怒り出すでしょう。

 「すごい」の古語「すごし」は、「冷たく、寒く、ぞっとするようなおそろしい感覚」を表すことばでした。それが、「恐ろしく感じるほどすばらしい」という場面でも使われるようになっていきます。平安時代の紫式部は、舞楽を舞っているようすを「なまめかしくすごうおもしろく」と、「すごし」を誉め言葉として使用しています。「すごし」の使い方にバリエーションが与えられたのです。
 
 「ヤバイ」は当初は「危険である」「具合が悪い」「都合が悪い」を意味していました。語源説は複数あるのですが、一説によれば香具師や盗賊の隠語であったそうです。それが、1980年代に若者言葉に取り入れられ、30年の間に誉め言葉に変化していきました。千年前の「すごし」と同じ歴史をたどったのです。1990年代から、若者は「ヤバイ」を誉め言葉にも使いだし、2010年の今では、春庭は学生から「先生の授業、ヤバイよ」と「誉められて」おります。

 「ヤバイ」を「具合が悪い」「危険である」という意味にのみ使っていた世代からは「誉め言葉につかうなんて考えられません」ということになるのですが、このような変化は、生きていることばの当然の変化です。

 生きていることばは変化して当然。しかし、生きて使われなくなった言語は死にます。言葉を死なすにゃ刃物はいらない。「経済的有利さ」を与えてやれば、簡単に他の言語に置き換わってしまいます。日本語が経済的に有利に生活できる言語でなくなれば、百年で死語になります。
 日本語を大切にするには、変化を憂えるのではなく、日本語そのものが死語になることを憂えなければなりません。

 楽天やグーグルは社内公用語を英語にすると発表しています。日本語より英語を身につけた方が「経済的によい暮らし」ができる社会になったとき、親たちは雪崩をうって「我が子には日本語より英語を与えたい」と考え出すでしょう。

 願わくは、ヤバイ日本語であっても、日本語が言語文化として存続していくことを。

<つづく>
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2010年10月09日


ぽかぽか春庭「ナマソバ?」
2010/10/09
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>日本語の変化(2)ナマソバ?

 さて、「ことばは変わり、うつりゆくもの」と自覚している私でも、変化の現場に居合わせて、ああ、これも変わってゆくのかと感慨にふけることも多々あります。

 10月に入って後期授業からの帰り道、途中の駅でふいと寄り道して駅構内の蕎麦屋に入りました。入り口で呼び込みのおばさんが大声で「いらっしゃいませ~、ただいま当店は、ナマソバ大盛り大サービス、おにぎりは麺とセットの場合、一個百円にてご提供しております」と、繰り返し改札前の通路ゆく人に呼びかけています。

 ん?ナマソバ?
 店の看板には「生そば・ほんのり屋」と書いてあります。つい、呼び込み大声のおばさんに「あの~、おたくの店では、キソバを注文できますか?」「キソバ?そういうものはうちの店では出してないです。うちはナマソバです」おばさんはキッパリ言い切りました。で、そのナマソバはどんなもんやらと、店に入って「牡蠣ときのこのナマ蕎麦と明太子おにぎりセット」を食べました。
 ナマソバとは、乾麺を茹でて食べることに対して、打ったまま乾してない麺を茹でて供することを指しているようです。

 生ビール、生卵からの類推で「ナマソバ」と命名する。これは「赤い、青い」に対して「みどりい」「むらさきい」という形容詞を生成する子供の造語と同じです。
 釣ったまま加熱処理を加えてないのが生魚。鶏が産んだままの茹でたりしていないのが生卵。ストッキングを履いていない、加工を加えてない足が生足。素足(スアシ)を駆逐しました。
 そのうち、まだ未婚のおぼこい生娘もナマムスメと読むようになるでしょう。あの~、すでにナマムスメと読んでいる方、キムスメです。念のため。灘の生一本(きいっぽん)、生醤油(きじょうゆ)など、混じりけのない純粋な、元のままが生(き)です。
 生なまと生きは、意味合いも近いので、混淆が起こりやすい語であるといえます。

 生蕎麦(きそば)は、本来100%そば粉だけで打った蕎麦をさしましたが、江戸時代にすでに小麦粉をつなぎに入れた蕎麦のことを生蕎麦と称して客に出す店もあり、生蕎麦と小麦粉を使った蕎麦の区別がつかなくなってきていました。
 現代では、乾麺とは異なるという意味での「ナマ」の蕎麦切りを茹でたものをナマ蕎麦と呼ぶようになり、「生蕎麦」をナマソバと読むようになっています。このように、言葉は変化していく。キソバが店から絶滅したのに、生蕎麦は「ナマソバ」と読み方を変えて生き残った。

 西船橋ほんのり屋の呼び込みおばさんが、きっぱりと「うちの蕎麦屋にはキソバはありません。ナマソバを扱っています」と、説明したときは、ああ、蕎麦屋にキソバがなくなっていくのも時代なのだろうと感慨深いものがありました。小麦粉のつなぎを含めないそば粉だけの純粋な混じりけのない生蕎麦(キソバ)というものがこの世からなくなれば、キソバという語も失われ消えてゆくのです。

 「日本語は滅びるのか」と憂えるコラムを書いたりすると、春庭をなにやらの国粋主義者と勘違いなさるムキもいらっしゃる。
 別段私は、「ヤマト民族のタマシイがうんぬん」と主張しているのではありませんので、くれぐれも誤解なきように。
 第一、私自身はヤマト民族なんていう単体ではなく、太平洋からも大陸からもこのちっぽけな島に押し寄せてきて吹きだまった多数の民族の混血のなれのはてだと思っています。言語で言うと、日本語はクレオール言語(いくつかの言語が混淆してできあがったミックス言語)であろうと推察する論に賛成しております。

 日本語が滅びたら困るのは、ニホン語教師、おまんまの食い上げになるじゃありませんか。まあ、私が生きている間は日本語教える商売も成り立っているでしょうけど、キセル直しのラオ屋が商売できなくなったのも、キセルでたばこを吸う人がいなくなったせいだし、この先町からタバコ屋はどんどん減っていくだろうし。さて、ニッポニアニッポン語教師、生き残れるか。

<つづく>
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2010年10月10日


ぽかぽか春庭「死語は変化しない」
2010/10/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>日本語の変化(3)死語は変化しない

 春庭が「日本語言語文化」の衰退を憂えているというと、日本語学や日本語教育に携わる者は「正しい日本語」「美しい日本語」の信奉者であり、「乱れた日本語」「変わりゆく日本語」を嘆いているのだ、と勘違いされるかもしれません。春庭は「乱れた日本語」を憂いてなどおりません。言葉は乱れることが常態だからです。「正しい日本語」というのは、現在、規範的日本語として通用しているというだけのもので、100年前の正しい日本語は、現在では古くさい日本語であるし、現在の乱れた日本語は100年後の正しい日本語です。

 言語学に携わる者の多くは、「変化し、どんどん移り変わっていくのが生きていることばである」と思っています。ことばは変化するのが当然であって、変化しないのはラテン語のような死語だけです。ことばは変化するのが問題なのではなくて、死んで使われなくなってしまうことが問題なのです。
 ラテン語は、死語となったのちも、キリスト教の宗教用語としては生き延び、かろうじて書き言葉としては現在もバチカン市国やイギリスの教育に存続しています。

 しかし、もしも日本語を「母語話者」として話す人がいなくなったとき、「日本語言語文化学者」や「日本語学者」が研究の対象とする以外には顧みられなくなり、日常生活のことばとしては完全な死語となることでしょう。
 死語にするのは簡単です。三世代百年で日本語は日本社会から消すことができます。

 より有利な職業を持つには、日本語より英語が使えるほうがよいと、第一世代が考えたとします。我が子がよい仕事に就けるように一生懸命英語教育を子供に受けさせます。英語が堪能になった第二世代は、さらに子供によい教育と仕事を与えようとして、家庭内では日本語を使わず、生まれた赤ん坊には英語をつかって話しかけることとし、赤ん坊は英語を話す家庭で育ちます。その子供が大人になれば、母語としての日本語は滅びているのです。口頭言語文化としては数千年、書き言葉としても千五百年の歴史をもつ言語でもたった百年で死語になります。

 今期、私の日本語学の授業をとっている日本人学生のひとり、2年間休学してロンドンとマルタ島(地中海の島国で公用語は英語)に語学留学してきました。3年生に復帰して就職活動をはじめていますが、今年も就職戦線は厳しいと言っています。
 今の就活、学生たち苦戦しています。「グループ面接でいきなり英語で自己紹介しろと言われて、他の学生がすらすら自己紹介するのに圧倒されて、名前しか言えなかった、、、、、そのあと、英語ディベートがあって、結局落ちました」と、がっくりしている学生もいます。

 彼らが一様に感じている「英語もっと勉強しておけばよかった」という後悔が、おそらく日本語が滅亡する第一歩。日本語学を教える者としては、「英語も勉強していいけど、日本語の基礎もしっかりね」と思いますけれど、,,,
 日本語の将来をもう一度言っておくと、「この子の将来を考えると、日本語より英語を話せたほうが、豊かな生活がおくれる」と、親世代が思い始めたら、日本語は滅びの一歩を踏み出すことになります。

<つづく>
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2010年10月11日


ぽかぽか春庭「消える言語生き残る言語」
2010/10/11
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>日本語の変化(4)消える言語生き残る言語

 10月08日付けの夕刊に、インドの北東部アルナチャルプラデシュ州で、コロ語という話者が800人ほどの少数民族言語によって話されていることが「新発見」されたというニュースが出ていました。チベット・ビルマ語のなかのひとつの言葉ですが、周囲の言語とは発音や語彙のことなる未知の言語。インド中国の国境紛争が起きている地域なので言語学者が入り込めなかった地域であったために、今まで知られてこなかったのだそうです。話者800人のうち、日常生活でコロ語を使っているのは年寄りばかり、若者は生活に有利な言語(おそらくはインドの公用語である英語やヒンディ語)を日常生活で使うようになっている。コロ語もいずれ絶滅してしまうであろうと危惧されます。

 世界に5000~7000種類あった固有言語のうち、すでに2000語~3000語は「最後の母語話者がいなくなった」という絶滅言語です。(言語の数え方に幅があるのは、方言の数え方の差によります。春庭は沖縄方言を日本語のひとつと位置づけていますが、標準語の母音がアイウエオの5つであるのに、沖縄方言の母音がアイウの3つであることなどから、日本語とは別に独立した言語と数える言語学者もいます。)

 日本では、アイヌ語はすでに母語話者がひとりもいなくなり、アイヌ語教室の中で学習する言語になっています。
 しかし、明治時代、ブロニスワフ・ピウスツキーが樺太アイヌのユーカラを蝋管というレコードの原型のようなもので録音して記録が残されました。(ブロニスワフ・ピウスツキーは、ポーランドを政治犯として追われて樺太に流刑になった人です。)また、お雇い外国人のチェンバレンがアイヌ語研究者となり記録を残したこと、知里幸惠ちりゆきえ(1903~1922)がわずか19年の生涯のうち『アイヌ神謡集』などを翻訳出版したことにより、アイヌ語はかろうじて記録に残されました。

 知里幸惠の弟、知里真志保(1909-1961)がアイヌ人として初めて北海道大学教授となってから、ようやく二人目のアイヌ人北海道大学教官が誕生しました。
 2010年4月1日 付けで、白老・アイヌ民族博物館の学芸員だった北原次郎太さん(34)が、北大アイヌ・先住民研究センター准教授に就任しました。アイヌ文化アイヌ語研究はこれからも発展していくことでしょう。ただし、アイヌ語が母語(家庭のなかで親から子へ伝わる言語)として復活するかはまだわかりません。
 母語として社会の中で用いられることがなくなり、教室の中で教えられる言語であるなら、アイヌ語はこれから先変化することはなく、固定化されます。

 日本語を「現在の正しい日本語」として固定したければ、方法があります。日本語の母語話者がいなくなり、教室での「日本語学習」以外に日本語を覚える方法がないという社会になれば、一定の形の日本語が変化せずに固定されます。

 ネイティブアメリカン(アメリカインディアン)を迫害してきたアメリカ。公民権運動とともに、インディアンの各部族言語(ナヴァホ語ホピ語など)によって教育を受ける権利など、固有言語使用の権利を認めようという法的な整備が勧められてきた時期もあったのですが、移民の増加により英語公用語化を望む方が多数派となった結果、すでに、ほとんどのインディアンの血をひく家庭のなかでも母語は英語になっています。混血化がすすんだ結果でもありますが、アメリカでの生活では、英語を話したほうが圧倒的に経済的な有利さが得られますから、あえて子供を固有言語で育てようとする人がいなくなったからです。

<つづく>
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2010年10月12日


ぽかぽか春庭「生きている日本語」
2010/10/12
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座>日本語の変化(5)生きている日本語

 もし、日本語が母語として使われ続けるなら、これから先、生きたことばとしてどんどん変化を続けていくでしょう。奈良時代平安時代からみると大きく変化した日本語を私たちが話しているのと同じく、千年後の日本語は現在の口語とは大きく異なっているはずです。

 平安時代に生きた清少納言が「最近の言葉遣いはなってない」と枕草子に書き留めたように、私たちは「ちかごろのワカゾーは、こんな間違った日本語をつかいおって」と、嘆きつつ、日本語の変化を見ていくことになります。間違っていると感じるのは、旧世代に属するからです。規範的日本語を「正しいことば」として使用しているのが旧世代、新しい語の使用法を広め、変化を受け入れるのが新世代です。この世代間軋轢は古代から現代までいつの時代でもどこの地域でも起きてきたことです。

 現在定着しつつあり、20年後には辞書にも搭載されそうな文法上の変化のひとつ。「違う」の「テ」接続が、「ちがって」ではなく、「ちがくて」になっています。「ワカゾーの日本語は旧世代とは違くて、変化し続けている」
 私が見聞した範囲では、大学生世代の80%は「ちがくて」派です。「私はみんなとちがくて、人前で話すのが苦手なのでぇ~」などと自己紹介する学生に対して、「ちがくては、ちがっていて、正しくは違うのテ形はちがってなんですけれどぉ」と、一応は言ってみるのですが、すでに若者に定着しているこの変化は止めようがありません。

 30~40年前には「日本語の乱れ」の象徴であった一段変化動詞のラ抜きの可能形「見れる」「でれる」「食べれる」は、辞書搭載も行われていて、若者世代にとってすでに「ごくフツーの日本語」になっています。永井愛の『ラ抜きの殺意』を芝居で見ても、ら抜き可能形の使用をめぐって殺意まで持つということが、若い世代にはわかってもらえなくなっています。「ら抜き」が「正しくない日本語」という意識がまったくないからです。

 現在では「僕」は男性の自称に使われており、昔のような「あなたさまの召使い」という意味は失われています。今では、「わが家のボクはネ」と話したとき「わが家で召し使っているシモベ(使用人)」という意味では用いない。「わが家の男子(息子だったり夫だったりしますが)」くらいの意味でしょう。

 現在では「僕」というシモジモの自称を、一人前の男が使いおって嘆かわしい、と思われることはありません。「僕」という語自体は古くから存在しましたが、男性自称として盛んに使われるようになったのは、幕末の志士たちからだと語彙史研究者は説明しています。
百年もたてば、ヤバイも高級な日本語と思われるようになるでしょう。果たして、百年後に「ナマソバ」は生き残っているでしょうか。おそらくキムスメという語は絶滅しているでしょう。「結婚前に処女であること」が絶対的な価値を持っていた社会の価値観が消えたのですから、「キムスメ」という語が社会の中で使われることはないからです。

 生蕎麦キソバがナマソバに変化しても、ヤバイが誉め言葉に変化しても、変化しながら日本語は生きている。
 憂えるべきは、「母語としての日本語」が日本社会から消えることです。私がいつまでも留学生に日本語を、日本人学生に日本語学を教えてショーバイできるように、皆様、「生きた日本語」を大切になさりつつ、日本語母語社会を生き抜いていかれますように。
 
<おわり>

音読みか訓読みか

2010-05-23 09:36:00 | 日本語学
2012/01/27
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(12)ことばを知る

 春庭の言語文化トリビア知識。あれこれ気づいてそのときは「おもしろ~い」と思うのですが、知ったそばから忘れてしまうので、また同じこと知るとまた「おもしろ~い」と何度でも楽しめます。今年最初のことばの新知識。忘れないうちにメモしておきます。

 日本語の音読み、訓読みについて。
 日本には「yama」という言葉があり、同じ意味を表す中国の文字「山」が伝えられたとき、「san」という古代中国(南方地方の呉)の発音とともに、日本語の意味を表す「yama」とも発音することにした。これが訓読み。「花」は、Kaという古代中国発音と同じ意味の日本語、hanaとも発音する。(現代中国語では山はshan、花はfaと発音)。

 「紙」という文字の音読みは「シ」。訓読みは「カミ」と教わったので、留学生の漢字教育でもそのように説明してきました。しかし、中西進『日本文学と漢詩』を読んだら、中西は違う説明をしていました。
 カミKamiは、中国語「Kam」が、日本的な発音に変化したもの、というのが中西説。すなわち、訓読みのように見える「かみ」も、もとは中国語由来の発音だ、というのです。
 「紙」は、音読みはシ。中国では、文字を書く媒体を「簡kam」と表記した。同じ文字を書く媒体として輸入された紙も、日本では同様にkamと認識された。

 以下、春庭の補足。
 紙が発明される前は、インドではバイタラヨウの葉の表面をとがったもので傷をつけて文字を表し、中国でも最初は骨、継いで竹を薄く切ったものや木の皮などに文字を書き付けていました。
 kamとは、漢字で書けば「簡」であり、文字を書くために、竹を薄く切って並べたもの。竹と竹を繋いで、間に隙間がある。それが「竹プラス間=簡」

 古代の日本には文字がなく、それを書き付けるための木の皮も竹の薄片も必要なかった。大陸または半島から、日本に文字が直接入ってきたのは、金印を受けた九州の「倭の奴国王」や卑弥呼のころ。古墳時代になると、呪符としての文字が太刀や道鏡、土器などに刻まれるようになった、つまり土器の表面をひっかいて(かいて)文字の形を刻んだ。けれど、日本語として刻まれたのではなく、あくまでも呪力を持つ記号として。

 日本で初めて文字が刻まれたとき、それは土器に棒か何かのとがったもので、土器の表面をひっかいたものであったろう。だから、「かく」という語は、もともと「ひっかく、とがったもので傷をつけて印づける」ことであったろう。

 文字を書く媒体として「簡」が大陸からもたらされたとき、日本には文字を書くための媒体はなく、それを表すことばもなかったから、そのまま取り入れ「kam」という発音が伝わりました。しかし、日本語は開音節(必ず母音で終わる発音)であるため、kaは発音できるが、古代の人はmを単独の音として発音できず、iを付け加えてKamiとなった。

 以上が、Kamiと言う語の由来、中西進説。
 まとめると、「もともと日本には、簡も紙もなかった。簡が輸入されたとき、kamがkamiになって日本語に定着した。紙が輸入されたとき、書記媒体という意味から、同じようにkamiと発音した」。

 モノが外国から入ってきたとき、外来の語がそのまま日本語になるのは、今も同じ。テレビジョンは、電波映像受像器という翻訳漢語ではなく、日本人に発音しやすいように「テレビ」として受け入れ、パーソナル・コンピュータは、「個人用電気高速演算機」と漢語翻訳せず発音しやすい「パソコン」となる。(中国語は「个人电脑gèrén diànnǎo 」と翻訳した)。

 「紙カミ」は、もともと中国語、という中西の説、腑に落ちました。

<つづく>
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2012年01月28日


ぽかぽか春庭「ことばを楽しむ」
2012/01/28
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(13)ことばを楽しむ

 中西進は、日本には文字がなかったのだから、書かれた文章もなかったと考えました。中国語「文」が文字を連ねてまとまった事柄を表すものとして日本に輸入されたとき、文bumが日本語的発音になったものが文fumiだというのが中西説。

 以下、春庭補足。中国語の「文bum」が輸入されたとき、古代日本語の発音でpumとして取り入れ、mは単独発音できないので母音を付け加えpumiとなった。pの発音は奈良時代以後、fの発音に変化したのでfumi。
 m、b、pは、発音が移動し合う音です。(いずれも口唇音。samuiサムイとsabuiサブイはどちらも「寒い」を表す)。日本語では同じ「文」が古代中国語発音のままbumとも発音し、また、その変化形の「fumi」も使われているのです。(現代中国語で「文」はwenと発音します。韓国朝鮮語ではmun)。

 漢字の音読み、訓読み、このような基礎的なことでも、新しいことを知ると、とても面白く感じます。

 さて、「文fumi」には強いつもりの春庭、数字に弱い。
 漢字クイズをしていて、最後まで解けなかった熟語が「二一天作五」でした。「二一」と「作五」の間に「天」を入れるのができなかったのです。
 和語にも漢字熟語にも強いと自負していたのに、やはり、まだまだ修行が足りません。

 「二一天作の五」とは、算盤用語。
 小学校の算数授業で算盤を習ったとき、足し算引き算はなんとか覚えたのだけれど、かけ算割り算はさっぱり指も頭も動かなかった。
 だから、割り算のことばである「二一天作の五」も思い出せなかった。

 珠算での割算九九。10を2で割るとき、十の位の一の珠をはらい、桁の上の珠を一つおろして五とおく運算をしながら「二一天作の五」と唱えるのでした。
 この用語から、「物を半分ずつに分けること」や単純に「計算、勘定」のことを「じゃ、今日の飲み代は二一天作の五でいきましょうや」などと、言ったものらしい。

 今年も、忘れていたことば、新しいことば、どんなことばに出会えるでしょうか。テレビのクイズバラエティ番組をよく見ていて、そのとき知らない言葉があると、へぇ、知らなかった、と感心するのだけれど、すぐに忘れてしまう。メモをしておけばいいのに、このテレビを見終わったらメモしようと思っているうちに忘れてしまう。まあ、その程度の新知識だけれど、自分では「数字には弱いけれどことばには強い」つもりでいるので、せっせと知らない言葉をコレクションしていきたいと思います。

<つづく>
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2012年01月29日


ぽかぽか春庭「絵はがきをセッチョウする」
2012/01/29
ぽかぽか春庭十二単日記>遊びをせんとや生れけむ(15)絵はがきをセッチョウする

 子どものころ、本を読んでいたりすると夢中になってしまい、家の手伝いを忘れてしまうこともありました。私の分担は薪割りと風呂焚き。家の手伝いが疎かになったりするとよく父が「自分のことばっかりセッチョウしてないで、うちのことちゃんとやれ」と怒ったものでした。自分ではあまりこの「セッチョウする」という語を使ったことがないまま大人になり、東京ではさっぱり聞かない語になったので、群馬方言だろうと思っていましたが、確認することもないままになっていました。先日ふと気になって調べてみました。

 群馬弁と共通語彙が多い埼玉県秩父地方の方言にも「せっちょうする=世話する」という意味の語があり、関東甲信地方で使われていることがわかりました。
・千葉銚子せっちょー:いたずら。『支度』の意味もある。
・群馬・長野せっちょー:面倒、おせっかい、世話。
など。

 大辞泉、大辞林などに、古語の「せっしょうする」の語が変化したもの、折檻打擲(せっかんちょうちゃく)という語が略されたもの、という説がありました。
 「殺生せっしょう」から「せっちょう」になった、と言う説は、発音変化としてはわかるのですが、意味から言うと、ちょっと違う気もします。「こき使う→世話をする」という意味変化が起きたのかどうか。

小学館デジタル大辞泉「せっちょう(する)」:
 「せっしょう(殺生)」の音変化か。「折檻打擲(せっかんちょうちゃく)」の略とも》責め苛(さいな)むこと。こき使うこと。「ねぢ上げ、ねぢ上げ―す」〈浄・天神記〉
三省堂大辞林「せっちょう」:
 「せっしょう(殺生)」の転か〕いじめさいなむこと。また、こき使うこと。(用例)余の女郎どもを―せい/浄瑠璃・傾城酒呑童子」

 柳田国男は、方言周圏論で「方言は、古語をゆかりとするいにしえのことばの地方残存だ」と述べました。方言周圏論からいうと、「セッチョウ」も現在は方言だけれど、古語から由来している、ということになります。

 父に「自分のことばっかりセッチョウしてないで、家の手伝いを先にしろ」と叱られても、なかなか腰があがらなかったように、今、春庭は「期末の成績をつける」ことをやらなければならないのに、そちらにはなかなか取りかかれず、自分のことばっかりセッチョウしています。
 今しているのは「絵はがきセッチョウ」です。

 2011年4月から始めた、春庭アートプロジェクト「Also I'm still alive. To:青い鳥」。
 九州福岡で暮らす青い鳥ちるちるさんあてに、葉書を送り続けるシリーズです。ちるちるさんは、2008年に体調改善のための手術後、突然首から下が動かなくなるというアクシデントがあり、それ以来不自由な生活を続けています。ヘルパーさんや妹さんの介護を受けてリハビリを続け、「足の指が動いた」「左手が動いた」と、努力の毎日です。

 私には、ちるちるさんの体調がよくなるよう祈ることしかできません。祈りのひとつの形として、葉書を三日に一枚、一ヶ月に10枚送ることを始めました。
 美術館へ行っても、観光地へ行っても、「ちるちるさんに送る葉書、どれにしよう」と選ぶのが楽しみのひとつ。雑誌のグラビアや美術館のチラシなどからきれいな写真や絵を切り抜いて、手作り絵はがきをこしらえるのも、いろいろな切り取り方で楽しめます。

 絵を切り抜いて、白い紙と貼り合わせて葉書を作る時間、文を考えて、下手な字ですが、一字一字祈りを込めて書く時間、そのとき流れる時間が私とちるちるさんとの絆を綯うひとときなのだと思っています。

 はがきの文は、そのときそのときに心に浮かんだことをちゃらっと書いて、何を書いたかすぐに忘れてしまうので、もしかしたら、同じようなことを繰り返して書いている場合があるかも。
 でも、同じことを書いたとしても、それはおばあちゃんが繰り返す昔話と同じ。同じことを何度でも語りたいから何度でも書くのです。

<つづく>

文法とは何か1

2009-01-03 07:36:00 | 日本語学
(12/02)
春庭のBC級日本語教育研究1「文法とは何かその1」

 11/30に、次のような足跡をもらいました。

2003/11/30 9:30 hawk 「象は鼻が長い」って主語は鼻って本当?
2003/11/30 13:41 haruniwa 象鼻文の「は」トピックマーカー、「が」は「長い」の主体を示す
 
 せっかくのご質問なのに、足跡では、十分な説明もできません。
 日本語教師ポカポカ春庭、12月は、まじめに日本語学概論と日本語教育概論をやります。足跡でhawkさんが質問している「象鼻文」についても、のちほど詳しい説明をしたいと思います。

 三上章「象鼻文」は、日本語学のなかでは、奥津敬一郎「うなぎ文」と並んで、論争が続いた「日本語の文」です。英語に直訳ができない、日本語独特の文と言われています。

 「象鼻文」は、日本語における主語論争。「うなぎ文」は、日本語のコピュラ文の問題を明らかにしました。今では、ほぼ解決した文法事項なので、春庭、ちゃんと説明ができます。でも、いち早く「象鼻文」の秘密が知りたい人は、次の本をどうぞ。
☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No.63
(み)三上章(1960)『象は鼻が長い』くろしお出版.

 文法と聞くと、「活用形の丸暗記」とか、「文節と文節の関係がどうかの設問で、悩まされた国語試験の思い出」しかない人もいるでしょう。
 しかし、春庭が再三申し上げているように、ひとつには文法は「ことば、不思議発見!」のことです。

 そして、もうひとつ、文法とは、語学学習を「経済的に、最小の努力で最大の効果」で行うための「秘密の呪文」のことなのです。

 11/18「いろは歌留多」11/21「んじゃ、メナ」でも、五十音について、日本語音韻論のさわりをほんの少し齧ってみました。12月は、日本語文法学のさわりを少々。

 あ、文法と聞いて逃げないで。最後まで読むと、春庭からのステキなサービスが用意されているんです。あなたのための特別サービス。あなたっていうのは、そう、「あ・な・た」のこと。わかってるでしょう。春庭からのスペシャルコンタクト。
(以上、俺俺詐欺の逆バージョン、よくある手ですね)

 のちほど講義する本家「本居春庭」の国学研究は、文の成分関係の研究です。
 文の成分(文節)関係というのは、学校文法で教えられた方もいるでしょう。
 「修飾語が、どの語(被修飾語)を修飾しているか」「主語と述語の関係」などをやらされて、文法がすっかり嫌いになった人も多いようです。

 嫌いになっても、実はあなたは、日本語の文法すべてを全部習得済みであり、暗記しています。日本語しゃべっているんですから。

 「語と語の並べ方の規則」「語の意味」「活用規則」「語用論」など、文法全部。えっ、いつの間に、、、。たぶん、生まれてから6歳までくらいのあいだに、これらの日本語文法を、すべて習得しています。

 しかし、日本語学習者にとって、これらの「この単語の発音はどうやるか」「この単語の意味は?」「ことばとことばがどうつながって文になるか」など、一から勉強していかなければならないのです。

 単語をひとつひとつ習得することと、文法の習得は、学習者にとって重要なことがらです。ことばの習得にとって、「文法」は、なくてはならない必要事項。

 「私は学生です」という文と、「私は会社員です」という文を、ひとつひとつ丸暗記するのは、とても不経済なやり方。
 「私は~です」という「文の型」と、「学生」「先生」「会社員」「男」「女」という単語を覚えれば、「私は男です」「私は女です」と、いくらでも応用が利いて、しゃべれる文が増やせます。

 この「文型」を教えていくことが、日本語教育では大切な教授法になっています。
 ひとつひとつの文をべつべつに覚えていくのはたいへんだから、あるまとまったルールを知り、経済的に覚える方法、それが「文法」のことなのです。

 ほらね。文法って何か、わかってきたでしょ。

 12月の春庭は、とてもまじめです。まじめに日本語学概論を講義します。

 今月はシモネタギャグはなしです。ああ、つまらない、と思ったあなた、春庭から仕込んだ日本語学蘊蓄を、仕事を終えたあとの楽しみ「クラブ活動」の際に、先輩おねえさんに披露して、もててみたいと思いませんか。

 あ、おねえちゃんにモテるには、蘊蓄より、チップのほう、、、ですか。じゃあ、どっちにしろ、あなたがモテないことには変わりないから、暇つぶしに春庭サイトを読みましょう。

 多額のチップがはずめる方、パソコンの前で難しい顔をしていないで、チップを持って、ほら、、、お出かけを。

 お出かけしない真面目なあなたに、今月はとてもまじめな春庭がサービス。

 春庭、つつとあなたのおそばににじり寄り、
 「いらっしゃいませぇ!あたしぃ、このお仕事を始めてからまだ日が浅くてぇ、あまりいろいろわかってないけど、いっしょうけんめい勤めさせていただきま~す。よろしくねっっ。本気でサービスしちゃうから。
 お客さん、本番?生、いく? あ、うち、尺八生演奏禁止なの。ひちりきと笙の笛なら、演奏できるけど。
 はい、ひちりき演奏ね。かしこまりました、喜んで!
 普段は1曲だけなんだけど、お客さん、あたしのタイプだから、特別に2曲演奏するわね。サービス、さーびす」

 では、ひちりきを演奏します。1曲目は「越天楽」でぇ~す。
 ♪ヒューヒャアラ、ヒャラヒャラリコ、ヒャアラー リィコォリー~♪。

 あれ?何かべつのサービス期待した?

 春庭の日本語教室では、日本文化の紹介の際、ひちりき笙の笛で、「雅楽」演奏聞かせるんですよぉ。
 東儀秀樹の本番生演奏じゃないのが残念だけど、CDとかで。

 では、2曲めを。あ、いらないの?せっかくのスペシャルサービスなのに。
 2曲めがすごくいいんです。
 「越天楽」ほど、知られてないんですけど、「古楽乱声(こがくらんじょう)」って曲なんです。乱声、、、すごっく乱れちゃおうと思ったのにぃ。残念!

 12月の春庭は、これまでと違います。すごく真面目に、、、、文法を、、、斯うご期待!
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2003年12月03日


足跡メールにこたえて3「サルでもできる日本語の教え方
(12/03)
春庭のBC級日本語教育研究2「文法とは何かその2 うなぎ文」

 12/02スタートのBC級日本語教育研究、2回目です。

 ミステリーズさんから2003/12/02夜、届いた足跡「mysteriesうちの嫁は男です。これ何文?」

 春庭は、トランスジェンダー大賛成の人間ですから、自分のセクシャリティに正直にパートナーを選びとった息子を自慢している姑のセリフと解釈して、「芸文、ゲイ・ブン?」と足跡をかえしました。

 しかし、ミステリーズさんからの種明かし。
 2003/12/02 19:15 mysteries 孫の話なので孫文・笑

(この駄洒落が分からない人、あとでミステリーズさんから、清朝の辛亥革命と「孫文&宋慶麗夫婦」人民中国誕生と、「蒋介石&宋美麗夫婦」の講義をうけてください。または、映画『宋姉妹』を見ましょう。)

 日本語は省略を多く用います。お互いに話が通じていて、言わなくてもわかることは、いちいち言いません。

 息子夫婦のおめでたを吹聴したくてたまらないお姑さん。ご近所の最近孫が生まれた人に「オタク、お孫さん女のお子さんだったんですってね。うちの嫁は、まあ、お手柄!男の子を出産したんですよ。跡取りが生まれて、これで一安心」と、言いたくてたまりません。

 そんなとき、ゴミ出しのついでに立ち話。「おたく、お孫さん、お嬢ちゃんだったんですって。オタクのお嫁さん、やさしそうな顔してらっしたから、女の子かなあ、っておもってたんですよ。うち?うちの嫁は男です」

 「うちの嫁が生んだ孫は、男の子です」を省略した文が、「うちの嫁は男です」になるのです。この文、実は芸文でも、孫文でもなく、日本語の「うなぎ文」と構造が同じです。

 今回は「うなぎ文」とは何か、の講義。
 ことばは、直訳だけでは理解できないことがある、という例です。

 日本語では「猫がネズミを食べる」「ネズミを猫が食べる」と、語順を変えても、助詞を変えなければ、文の意味が変わりません。

 しかし、「ネズミを猫が食べた」という文の、日本語の語順の順番通りに「A rat eats cats」という文にしたら、英語の意味が変わってしまいます。

 英語を習った人が、cat rat eat の三つの単語を知っていて、複数形のS,三単現のSなんてことも教わったが、語順の理論を知らなければ、「A cat eats rats.」と「A rat eas cats.」では、まったく「逆の意味」になる、ということがわかりません。英語では、主格(主語)と対象格(目的語)の語順が大切だからです。

 「Kitty chan eats Mickey mouse..」だと、「あ、やっぱりキティちゃんって、ねずみが好物だったんだね。ピューロランドのキティちゃん、毎晩10匹はネズミ食っているらしいよ、あくまで噂だけど」という噂がたつ程度です。

 が、「Michey mouse eats Kitty chan .」という文が打電されたら、騒動がおこります。
 普通、ネズミは猫を食べませんから、オリエンタルランドがサンリオを吸収合併か、という話の譬喩かと思われて、株価が動いてしまします。

 株主特別サービス仕様のキティちゃんグッズほしさに、サンリオの株をこずかいはたいて10株買ったあなたは、大ショック!

 このように、単語と単語の並び順は、とても大切です。この並び順の研究を「シンタックス=構文論」といいます。

 英語には英語のことばの並べ方があり、日本語には日本語の「コトバの並べ方の規則」があります。習得たいへんですよね。

 あなたは、つまずいたり、ころんだりしながら英語を学んで、結局は英字新聞を読むことも、金髪ねえちゃんと会話することもできないで終わったことと思います。勝手に思ってすみませんが、まあ、春庭の英語習得と、みなさんだいたいいっしょでしょ!と推察。

 日本語学習者も、つまづいたり、まちがえたりします。いろんなまちがいをしますが、ちゃんと日本語を習得します。会話ができるようになるし、研究のための日本語文献も読めるようになります。春庭の指導よろしきを得ているからです。

 日本語の場合、助詞(particle)の働きを知ること。日本語の構造の中では、述語がもっとも大切であり、述語に係る文の成分を、「述語の働きを補助する補語」としてとらえる、ということが必要です。

 英語のような「主語ー述語」という関係の文法とは異なるので、最初は、いろんな誤解も生まれます。

 大衆食堂に入った留学生が、他の客が「ぼくは、きつねだ」「わたしは、うなぎよ」と、いっているのを聞きました。

 少し英語ができる日本人の友だちが「ぼくはきつねだ。I am a fox. わたしはうなぎよ。I am a eel.」と、翻訳して聞かせました。
 外国から来た友人のために、英語に翻訳してやれて、ちょっと得意な日本人。「それじゃ、ぼくはたぬきにしようかな。I am a racoon. 」

 ちょっとだけ出来る人ほど、得意になって知っている外国語を披露したくなるものです。私のスワヒリ語吹聴のように.


 留学生はびっくりして、日本ではレストランに入ったら、自分を動物にたとえるのが作法とおもい「I am a tiger. わたしはトラだ!」と、叫びました。

 大阪の阪神ファンが集まる食堂だったので、他の客にも、店主にもオオウケで、ライスは大盛りサービスになったとか。

 こんな楽しい誤解なら、笑ってすませられますが、自分の母語にひきつけて、外国語を直訳的に理解しようとすると、さまざまな誤解もでてきます。

 「私はきつねだ」が「I am a fox. 」になってしまったら、文の意味がことなってしまう、ということを教えていかなければなりません。このような誤解をときほぐし、ときほぐしして、日本語を教えていくのが、私の仕事です。

 「ぼくはうなぎだ」を英語で言うなら「I'd like to order my lunch. My order is a grilled eel on the rice.」くらいの表現になるでしょうか。

 「日本語のうなぎ文」
 奥津敬一郎の「うなぎ文」の解釈。「ぼくはうなぎダ」と言う表現は「ぼくはうなぎを注文する」と、同じ意味を表現していると考えました。

 「ダ」に「~ヲ 注文スル」という表現が含まれると、解釈したのです。日本語のコピュラ(繋辞)「ダ」に「述部代替機能」がある、と論じました。くわしく知りたい方は、下の一冊を。
☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊No.64
(お)奥津敬一郎『「ボクハウナギダ」の文法』くろしお出版.

 奥津と異なるもうひとつの解釈は、「ぼくはうなぎダ」という文は「僕が注文したいのはうなぎダ」という表現だ、という考え方。

「僕が注文したい食べ物は、うなぎダ」という文のうち、いわなくても分かっている「注文したい食べ物」という部分を省略した、という考え方です。ポカポカ春庭は、こちらに賛成しています。

 「うちの嫁が産んだのは、男の子です」を省略して、「うちの嫁は男です」と言ってしまっても、孫の誕生の話をしているという前提を、話し手聞き手両者が合意しているなら、誤解は生まれません。

 日本語では、言わなくてもわかることは、お互いの「語用論pragmatism=実用的実践的言語運用法」の中で解釈し合い、いちいち表現しなくてもいいのです。

 「食べた?」「うん、食べた」「じゃ、食べちゃうから待ってて」これで、すべてわかり合えます。

 いちいち主語と述語を出して、
「あなたは、お昼ご飯をもう食べましたか。それとも、まだあなたは昼ご飯を食べていないですか」

「はい、わたしはもう昼ご飯を食べました。あなたがまだ昼ご飯を食べていないのなら、どうぞ、あなたも昼ご飯を召し上がってください。」

「それでは、失礼して、お昼ご飯を食べますから、私が昼ご飯を食べ終わるまで、すみませんが少々お待ちください」

と、いちいち言わなくてもいいんです。こんなふうに会話していたら、わずらわしいですよね。

 「する?」「うん、しよう」
 これだけで、夜の会話が成立します。便利ですね。

 じゃ、今夜も、、、する?うん、しよう。じゃ、日本語の勉強をすることにしましょう。え?なにをするつもりだったの?

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2003年12月04日


足跡メールにこたえて4「サルでもできる日本語の教え方」
(12/04)
春庭のBC級日本語教育研究3「文法とは何か3 母語、第二言語、バイリンガル」

 「私も英語苦手です」「英語、苦労しました」という足跡を何通か、いただきました。よかった、英語苦手な人、春庭だけじゃないよね。

 今からでも遅くないから、初歩からきちんと学びたいとは思うものの、ついつい、目先の自転車操業に追われています。
 「ブロークンでも通じているからいいじゃないか」と、開き直って、これまで来てしまいました。

 習い始めのあの頃に、きちんと勉強しておけば、、、、。してもせんない後悔を今夜もしつつ、ブロークン。文法がなあ、ちゃんと覚えなかったから。

 中学1年生の英語を学び始めたあのころ。半年もたつと、始めて習う英語に夢中になって、どんどん勉強が進む子と、私のように、途中でひっかかって、前へ行けなくなる子の二手に分かれていきました。

 私が最初にひっかかたのは、複数のS。
 「先生、なんで英語は、本を持っています、と言うときに、いちいち、私は一冊の本を手の中に持っていますって、言うんですか。どうして一冊のっていうのをくっつけないとダメなんですか」と、質問した。教師は「そんなヘリクツ言ってないで、その間につづり字を覚えろ!」と叱りました。

 確かに、私は「Sii kamu to mai hausu.」と、書いていたんです。
そりゃ、つづりを覚えない私も悪いけど、「なぜ複数にSをつけるのか」というは、「ヘリクツ」なんでしょうか。子どもが抱いてはいけない疑問だったのでしょうか。

次は三単現のS。 I love you. はlove でいいのに、なぜshe loves me. と、Sをつけるのか?
 これも「英語じゃそういうって決まってるんだから、つべこべ言わずに覚えろ」と叱られました。
 私は I lobe yuu.と書いていましたから、それ以上つっこむことができませんでした。

 I am a girl. のとき、am は「です」と訳すのに、「I am in Tokyo.」のとき、am を「います」と、訳せという、そんなご都合主義のような、、、、。適当な、、、

 「なぜ、複数形にSが必要なのか」という疑問に答えてくれる人は誰もいませんでした。10年間、疑問に答える先生に会わないまま、国語教師になりました。そして挫折。

 日本語学、日本語教育、外国語教授法を学ぶことになって、やっと疑問に答えてくれる先生に出会いました。

 英語教科法の先生は「子どもに、なぜ複数にSが必要かと聞かれて、答えられないような者は、英語の教師になる資格がない」といいました。
 私は長年、英語の教師になる資格もない人たちから英語を教わっていたんですね。

 コトバには、抽象的一般的に「あるひとつのもの」、「出来事全体をあらわすこと」を表現する単語と、一回ごとの会話の中で、個別のものを指し示すものの、ふたつがあります。

 一般的に「りんご」と呼ばれるもの全体を示しているときの「りんご」と、今目の前にあって、私が食べようとしている「りんご」は、別のものです。今、目の前にあるりんごは、私が手に取り、口にいれることができる具体的な存在だからです。

 「りんごは赤い」というときの「りんご」は、目の前の一個のりんごじゃなくても、頭に思い描いただけの、りんご全体を思い浮かべて発言することができます。
 日本語は、この「一般的な表現としてのりんご」も、「目の前の、今手に持っている具体的実在としてのりんご」を、区別しないで表現する、言語です。

 日本語では「りんごは赤い」も「いま、手にりんご持ってるよ」も、ただ「りんご」でよい。
 しかし、英語は、このふたつを区別する。世界の中の一般的な「りんご」はりんご全体を表わすため、「apple」でよい。

 が、今、目の前にあり、私が食べようとするとき、具体的な存在であることを示すために「a」をつける。「I eat an apple」と、この「りんご」が、個別的存在であることをしめすためです。
 英語は、一般的な存在の「apple」と個別的存在の「an apple」または「apples」を、区別しなければならない言語だったのです。

 こんな個別表現のための「a」だった、ということを、英語を習い始めてから20年目にして、ようやく教わることができました。

 こういうことが「言語学」を学ぶ、ということです。

お察しの通り、私は「appuru」と書いていました。今では、「語尾にeがつくフォニック」も、ちゃんとわかりますが。

 私の中学校時代の英語教師は、つづり字命のようにスペリングテストを行い、テストでは、文が合っていても、つづりを間違えると×にされ、私はずっと英語の点数悪かった。 つづりも、フォニックをきちんと学んだ先生から教われば、そんなにややこしいもんじゃなかったんです。

 英語はつづりが複雑で、子どもが学ぶにはふさわしくない言語です。
 エスペラント語などのように、合理的で覚えやすい言語もあるけれど、現代では英語が世界制覇してしまいました。

 英語のつづりは、まことに不合理。前にかいたように、「Knight」ナイト=騎士のつづりのうち、Kも、ghも、発音はしない。昔の発音のなごりが残されているだけです。

 日本語も、昔は、ちょうちょうを「てふてふ」と書きました。歴史的仮名遣いです。これと同じような、歴史的つづり字法が、そのまま残っている言語が英語です。

 現代では、つづり字のまちがいなんか、たいしたことではありません。私の一太郎には、スペリングチェックという機能がついていて、まちがいつづりをチェックしてくれます。

 それより、コトバのルール、文法をきちんと知っておけばよかったんですね。
 
 英語でも、日本語でも、はじめて新しいことばを習う人にとって、「文法を学ぶ」ということは、避けて通るわけにはいきません。

 文法には、「シンタックス=構文論」「セマンティクス=意味論」のほか、「語彙論」「単語形態論、活用論」などが含まれ、さらに「語用論」「社会言語論」なども知らないと、言語運用ができません。

 すなわち、今、日本語を話して生活している人は、日本語の「構文論」「語彙論」「意味論」「単語形態論、活用論」「語用論」「社会言語論」などの全部を、すでに習得していることになります。すごいですね。

 そんなにいろいろ身につけていたなんて、春庭に言われるまで、知らなかったでしょ。これから大いに自慢してください。
 と、いっても、ほとんどの人は、自然に母語を身につけるんです。母語というのは、人が成長していく過程において、周囲で話されていたことばのことです。

 第一言語(母語)の習得は、だいたいどの言語でも、生まれてから3~6年くらいで、おおよその言語運用能力が身につくとされています。

 周囲の人が話しているのを聞いて、文を解釈し、自分でもまねて使ってみる。ただまねをするだけでなく、人は新しい文を作り出す能力を持っています。

 「パパ、買い物。ママ、会社」という二語文が話せるようになった子どもは、「ぼく」が自分自身を指し示す語、「トイレ」がおしっこをするときに行く場所だという単語の意味がわかれば、ふたつを組み合わせて、自分で「ぼく、といれ」と表現できるようになります。単語を文の型の中にあてはめて、新しい文を作り出せるのです。

 この、「語と語を組み合わせて新しい文を創出する能力」、これが「文法能力」のことなのです。

 この成長過程で、ふたつの言語を同時に聞いていると、自然習得のバイリンガルになります。自然にふたつの言語が身に付くのです。

 両親が別々の言語を話している場合、たとえば、母は日本語、父はフランス語を話していると、子どもは日本語フランス語両方を同時に覚える。
 また、両親の言語と、生活範囲(保育園、ご近所)などの言語が異なる子どもの場合、家の中では両親と子どもが中国語で話すが、子どもは学校で日本語を話し、バイリンガルになる。

 ただし、子どもによっては、どちらの言語も中途半端にしか理解できないという結果になって、どの言語でも十分な自己表現ができない、という場合もあります。安易に「うちの子、バイリンガルにしたいから、アメリカンスクールに入れてみようか」などは、要注意。

 自然に身につく第一言語(母語)と異なり、第二言語(主に外国語のこと)の習得は、大人になるほど、努力が必要になります。脳が若いほど、第二言語の受け入れがたやすいからです。

 もっとも、脳の若さ以上に、個人差というものが存在し、年をとっても驚異的な記憶力でつぎつぎに外国語を学んでいく人もいれば、若い頃から外国語苦手な春庭のようなのもいる、というしだい。

 10/08に書いた「シニア海外協力隊」への参加お勧めの一環として、効果的な外国語習得法について紹介しました。

 春庭、残念ながら、効果的に外国語を学ぶ方法を実践できなかった。
 わが恋人(そのなれの果てが、現在のワーカホリック夫)は、私以上に外国語を苦手とする「語学音痴」の男。

 夫がケニアにいって、最初に覚えた英語は、ハウマッチ。「ハウマッチって、ホントに実用的で、便利なことばだよね。買い物にすごく役にたつよ」と、新しく覚えた英語を披露して得意になっていた彼。(あのころは、それがかわいく思えたんですけど)

 外国にでるまで、ハウマッチを知らないですごしてきた人がいることに、感心してしまった、ということからおつきあいがはじまりました。間違いの元でしたね。

 このような語学音痴の恋人でなく、ペラペラの人と同居できていたら、今頃私の英語力は、、、、と泣いています。
 これまでに、英語ができなくて、ソンをした人生の分、金額になおせばハウマッチ。


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2003年12月05日


足跡メールに答えて5「サルでもできる日本語の教え方」
(12/05)
春庭のBC級日本語教育研究4「複数形」

2003/12/04 22:53 miyu312fm こんばんは、私も英語苦手発音だけは得意。
2003/12/04 22:43 tttakaaki 自然に身についた母語だけで生きています。
2003/12/04 22:15 piano212880 a にそんな意味があったなんて…勉強になります。

などなど、反響ありがとうございます。

 12/04に書いた単語の複数形について、補足トリビアを。

 世界で使用されている約3000の言語は、おおまかにインドヨーロッパ語族とか、ウラルアルタイ語族のような大きなファミリーに分類されている。日本語はウラルアルタイ語族のひとつ。

 11月27日付の英科学誌ネイチャーで発表された比較言語学の最新情報。
 DNA配列の類似度による系統分析の技術を応用した分類方法によれば、8700年前、トルコのあたりにいた農耕民族ヒッタイトの言語がインドヨーロッパ語族の先祖らしい。

 現在トルコでは、ウラルアルタイ系の言語が話されているから、ヒッタイト民族の直系子孫はトルコ近辺には残らなかったことが推測される。
 鉄器を発明したと言われているヒッタイト。鉄器を残して子孫を残さなかったらしい。

 3000もあるさまざまな言語。
 単語の単数複数の表し方は、言語によって、異なる。
 単語の複数の表し方は、

1,原則として単数も複数も同じ形。

2,原則として単数も複数も同じ形でよいが、語によっては複数を別の形であらわすこともある。

3,原則として、単数と複数を別の形であらわす。単数はひとつだけ、複数はふたつ以上の数をあらわす。(語によっては、単複同型)。

4,単数、双数、複数の三種類に分ける。単数はものがひとつだけあるとき、双数はものがふたつ存在しているとき、複数はものが3つ以上あるときに用いる。

 日本語は2番。原則、単数も複数も同じ形。「きのうりんご食べた」というときのりんごは、一個でも二個でも100個でもよい。

 そして、人々、山々、国々、など、畳語(おなじコトバを繰り返す語)による、複数の強調もある。

 大論争を巻き起こした日本語の単数複数論争。
「古池や蛙飛び込む水の音」
 この芭蕉の句を英語に翻訳するとき、a frogなのか、frogsなのか、論争が起きた。一匹だけ、ぽちゃんと、池に飛び込んだのか、何匹から続けて飛び込んだのか。

 日本語では問題にならない蛙の数が、翻訳では、どちらかに決めなければならないために起きた大論争。

 英語は、語尾にSをつけることで、複数を表すが、スワヒリ語は、語頭の文字を変える。

 ムトトは子どもひとり、ワトトは子ども複数。
 ムワリムは先生ひとり、ワリムは先生複数
 ムティは木一本、ミティは、木、複数。

「英語じゃ、ふたつ以上の数があれば、Sをくっつけるのが決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ!」ではなく、「世界のことばにはいろいろあって、ものの数をあらわす言い方も、こんなにいろんな種類があるんだよ。

 たまたま英語は、ふたつ以上の数があるものを表すとき、Sをつけることになったコトバなんだ」
と、教えてくれる人がいたら、私も、この納得いかない言語と折り合いをつけることができたかもしれない。

 英語教師が言語学の基礎を少しだけ知っていれば、私も、不合理きわまると思えた英語から逃げ出さなかったかも知れない。

 日本語のばあい、家々、道々などの畳語の言い方を教えるのは中級以後。初級では登場しないことが多い。しかし、初級で学習者がひっかかるのが、助数詞。

 一番最初に教えるのは、紙やお皿の数え方。一枚二枚三枚四枚五枚六枚、、、、と、番長更屋敷のお菊さんが一枚一枚うらめしげに皿を数えるのと同じく、留学生にとって、さらさらと数えられる。
 
 ひっかかるのは、ペンや傘を数えるとき。「いっぽん」と教えると、必ず次は「にぽん」と言う。「いいえ、two pensは、にぽんではなく、にほん」と教えると次は「さんほん」というので、「さんぼん」と訂正。すると次は「よんぼん」と言う。

 数を数えるのも、たいへんなのだ。
 ムワリム春庭、羊を数えて寝ることにします。Sheep(単複同型)いっぴき、Sheepにぴき「ちがう!にひき」Sheepさんひき「ちがう!さんびき」Sheepよんびき「ちがう!よんひき」、、、なかなか寝付けません。

 「三匹の山羊のがらがらどん」読み聞かせで子どもを寝かしつけた日も遠く、ひとりでねるときにやようぉおお、膝っ小僧が寒ぅかあろぅ」と、膝を抱えて寝ることにします。じゃ。山羊が一匹山羊が二匹、、、、
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2003年12月08日


心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究
(12/08)
春庭のBC級ニッポン語教育研究4「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「日本語教師はトリビア雑学博士であるべし」

 12/06、07、両日、「地学巡検」の旅に参加しました。
 2日間で、日鉱記念館、石炭化石館の見学、アンモナイト館の見学と化石掘り体験コーナー。常磐いわき周辺地層、数カ所での化石掘り。

 え?日本語教師がなんで、化石掘りに?話せば長くなり、長い話はお得意なのですが、そこは割愛。「話しことばの通い路」フリースペースちえのわ七味日記のこのページなどにhttp://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0311b7mi.htm グチグチと理由は書いてあります。

 で、今回の化石掘り旅行は、娘が成人し、「子育て卒業、子離れ実習」の第3弾です。これまでは親子3人で参加してきた「地学ハイキング」の「2003年一泊地学巡検」にひとりで参加することにしました。

 本来、春庭は「全身完全文化系」人間です。
 でも、私、高校時代は科学部に所属し、クラブ活動として共同研究した成果が「読売学生科学賞」全国大会に入賞したりしたんですよ。。

 学生科学賞といっても、クラブ活動を行った部員全員の努力の結果であり、私はちゃっかり東京のホテルで行われた授賞式に参加したのがメインの活動というお調子者。授賞式のメインゲストは朝永振一郎博士でした。

 高校時代の思い出。
 生物はなんとか理解できたけれど、化学は「水素と酸素がくっつくと水になるって、なんて不思議なことなんだろう」と、ひたすら感心したり、「硫酸銅のブルーって、なんともいえない青色だなあ」と、科学室の棚にある硫酸銅の瓶を飽きずにながめたり、という「不思議な世界へのあこがれ」だった。

 物理となると、まったくお手上げ。りんごが落ちたのを見て、どうして「すべての物は引きつけ合う」と思いつけるのか、まったくもって理解不能。

 地学も、天文分野は、ギリシャ神話の星座の話と関連させながら、星について学ぶのは好きだったが、気象や地形の話には興味が持てなかった。

 地学で星座のほかに興味が持てたことが「太古の地球」。恐竜、化石、リンボクロボク。ムカシトンボ、三葉虫、アンモナイト。
 今は絶滅してしまったたくさんの生物が、人間が誕生するよりはるか昔にいたことが、とても不思議だった。

 「遠くに行きたい」が第一テーマの私にとって、時間を遡ってはるか遠く、昔々に遡ることのできる化石の世界は、大好きな分野のひとつだった。 

私がどんなことに興味をかき立てられたかについては、11/10春庭今日の一冊、山口昌男『道化的世界』の項に書いた。同じ地面を掘るのでも、考古学の専門家になりたいと思ったことはあったが、化石の専門家になりたいとは思ったことがなかった。化石は、遠くから眺める夢の世界だったのだ。

 それが、7年前に「化石採集教室」に参加して以来、毎年、化石を掘るハイキングに参加してきた。

 ここから昨日の話。
 今回の採集地は、トキオがDASH村の「化石発掘プロジェクト」を実施した地域。トキオがこのテレビ番組の中で掘り当てた化石は「アンモナイト館」に寄贈展示されていることもわかりました。

 春庭、今回は二枚貝と巻き貝の化石を掘り出しました。ほんとはアンモナイトが欲しかったんですが、私がアンモナイトだと確信していっしょうけんめいハンマーとタガネで掘り出したのは、イノセラムスという貝の化石。
 私の隣で掘っていた人はみつけたのに、残念。でも、貝の化石もステキですよ。

 さて、冒頭に戻って、なんで、日本語教師が授業準備にあてるべき週末に化石掘りに出かける?

 私の持論は、「日本語教師は、教室では芸人であれ、トリビア雑学収集家であれ」。

 教室をなごませたり、授業に集中させるためなら、「日本語の歌」指導もやるし、踊りも見せる、土俵入りのジェスチャーも披露する。照れたり「歌は下手なのに」と躊躇したりはしない。

 歌や踊りが美味くて、才能があったのなら、私はミュージカル女優としての仕事をやめずに続けていた。人様から金をいただいて見せるほどの芸ではないとわかったから、小学校の体育館を回ってミュージカルを見せる仕事をやめたのだ。

 そして私は、他の日本語教師のように「日本語学」で博士号を持っているわけでもないし、「第二言語習得理論」を専攻した教育プロパーでもない。

 私が得意なのは、「楽しい教室」にすること。
 そして、学生の質問には、出来る限り答えること。わからないことは、あとで調べて答えるが、できるなら簡単にでもいいから、その場で答えたい。

 「日本事情」という科目では、日本の文化、歴史を教えている。「留学生のための日本史」というテキストを使っているが、テキストに書かれたことのほか、本当にさまざまな日本に関する質問が出る。

 それらの質問につぎつぎに答えていくと、「先生は歩く百科事典のようです」と、持ち上げてくれる学生もいる。

 「I'm not a walking encyclopedia. I'm an old secondhand dadderring Japanese book. 歩く百科事典ではなく、よぼよぼ歩きの古本です」と答える。一応「謙遜」の美徳は示しておかないと。

 よぼよぼ古本ではあるが、学生の質問に出来る限り答えるという姿勢、どんな質問をしても、先生はいやがらずに答えようとしてくれる、という教室の雰囲気は損なわずにいようと、思っている。

 日本文化、歴史以外の質問。当然、日本語の文法に関することが最も多い。これに答えるのは、日本語教師として当たり前のこと。

 「会社で働く」「会社に勤める」を「会社に働く」「会社で勤める」と、言い換えることができないのは、どうしてか、という基本中の基本の助詞問題から、国の日本語学校では「差し上げる」は敬語だと教わったのに、来日したら、先生に対して「先生の荷物もって差し上げましょう」と言うと失礼だと教わった。差し上げるというのは、敬語なのか、そうじゃないのか、わからなくなった、という待遇表現に関することまで、日本語についての質問は、とぎれることなく出てくる。

 当然知っていると、思って解説をしなかったことについて、留学生がまったく知らなくて、質問を受けることもある。

 日本の高校卒業程度の学生なら当然知っていると思うことを、留学生の既習項目によって、まったく学んでおらず、その部分の知識が欠けている、ということも多々あるのだ。
 理科教育、芸術教育などは、国によって、カリキュラムが大きく異なる、という教育事情による。

 「私の国では、学校の授業で音楽や体育を習うことはない。音楽は町のピアノ教師にならったり、スポーツは、クラブチームで練習したりする」という国もあるし、「受験科目になかったから、地学はまったく勉強したことがない」という学生も。

 私が担当している授業科目の中に、「日本語文章表現」というのがある。

初級日本語を学んでいる学生への、「初歩の日本語作文」の指導もある。初級の学生には、ひとつの文章の中で「だ、である体」の文体と、「です、ます体」の文体を混ぜてはいけないと口をすっぱくして教えますが、本日の春庭雑文は、雑文らしく、文体もまぜまぜです。

 大学院で、日本語によって博士論文修士論文を書く予定の学生に対して「論理的な日本語表現」などの指導もある.

 中級用の作文テキストのひとつの章に「変化の過程を表現するための、論理的な説明文」を練習する課がある。

 例文として出されているのは「アンモナイトがどのようにして化石になるか」という、変化の過程について。

 「アンモナイト」を、当然知っていると思って、化石になる過程を読解していたら、途中で「先生、さっきから話にでてくるアンモナイトっていったいなんのことですか」と質問を受けたことがあった。

 テキストに挿絵があるが、イカなのか、オーム貝なのか、知らない人には区別がつかない。

 そのとき、あわてずさわがず、さらりとアンモナイトを説明するには。

 まったくアンモナイトについて興味をもったことがない教師が、流暢な英語で説明するよりも、たどたどよぼよぼした私のブロークンイングリッシュで解説したほうが、わかってもらえる、という場合が多い。

 私はアンモナイトに興味があり、アンモナイトが好きだから、説明に「愛」があるんでR。

 おまけに、アンモナイトの章を受け持つときは、「古代の海」の古生物が描かれた図版や、私の宝物のひとつアンモナイト化石の文鎮(モロッコ出土の化石)を持参する。一目瞭然。

 これなら、どんなに英語がへたでも、通じるわけだ。必要なのは愛じゃなくて、文鎮だったのね。

 というわけで、今回はアンモナイト館の体験発掘現場で、ぜひともアンモナイトを掘り当てたかったのだが。

 つまるところ、日本語教師は、何事にも興味を持ち、トリビア収集が大好きという人に向いている仕事だと思う。どんな些末な雑学でも、それがほんとうに役にたつ。
 学生から出る質問は、多種多様おもいがけない質問も多い。

 私は、テレビからも、留学生からも日本人学生からも、毎日たくさんのトリビア雑学を学べる。覚えたトリビアは、すぐにでも次の教室で話したい。

 かくて、春庭日本語教室は、今日も「へぇへぇへぇ」が連打されるのである。

 これまで、地学などに興味がわかなかった人にも、化石掘りはお勧め。

 学術的な見地から「人生において意義深いのは、掘ることより、掘られることだ」という信念をお持ちのお方もいらっしゃいましょうが、ここはひとつ、掘るほうも体験してみましょう。

 新しい経験は、必ずあなたに新しい喜びをもたらすことでしょう。
 あなたが、アンモナイトや、恐竜の骨などを掘り当てることをお祈りして、、、、。掘られるのも楽しいでしょうが、機会があったら、ぜひ掘ってみて!
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2003年12月09日


心も頭もポカポカ春庭のへぇ!へぇ!平成教育研究
(12/09)
春庭のBC級ニッポン語教育研究6「サルでもできるHow to teach Nipponia Nippon語」
「日本語古文もなんなくわかる伝達の極意」

 語学(第二言語)の学習は、
1,単語を覚えること。単語の発音ができ、語句の意味がわかること

2,単語と単語をどうつないで、どう並べたら、意味のある文になるか、覚えること

3,文の含意や、ことば以外の情報(顔つきや態度、服装、文化的背景、などコトバ以外のすべて)を加味しながら、文の情報を正しく受けとる訓練

 実際の会話では、文の表面上のことば以上に、「3」の情報は大切。
 しかめっ面をしながら、「係長、ご栄転おめでとうございます」と言えば、この栄転を快く思っていないことは、すぐにわかる。伝達情報は、ことばだけでは成立しない。

 沈痛な顔を作りながら、「奥さんのご冥福をお祈りします」と言っても「やったあ、これで、与党を総攻撃できる。ツッコメェー」と、内心小躍りしているようすがアリアリの人もいれば、「盗聴を社長から指示したことはございません。世間をおさわがせしたこと、まことに申し訳なく」といいながら、少しも悪いと思っていないようすが、ミエミエというのも、よくある話。

 コミュニケーション(情報伝達、交流)は、人間存在のすべてが丸出しになる行為なのです。
 1,2,3,すべてが、「ことば」の習得にとって重要、とは言っても、「3」は、語学教室で教えることがらではなく、実際の運用の中で、自分自身の経験から学び取っていくもの。
 日本語学習は、「第二言語習得理論」に基づいて、効果的な日本語習得方法の研究を工夫し、主として1と2を教えます。

 春庭がどのように日本語を教えているか、興味がある人は「話し言葉の通い路」サイトをごらんください。

 ウェブログハウス春庭『ステップバイステップ日本語教授法』には、日本語を教えるための理論が書いてあります。フリースペースちえのわ『七味日記』の中の「ニッポニア教師日誌」に、毎日の日本語授業をどのように行っているかの、簡単な紹介があります。

 外国語習得に効果的な学習方法については、笈の小文11/07「シニア海外協力隊」の項で伝授してあるので、11/07を読み返してください。
 外国語を学ぶ二番目にいい方法は、ポルノをジャンジャン読みふけることでしたね。

 春庭、サービス精神旺盛だから、もう一度繰り返して、復習サービスしましょう。
 英語については、11/07を読めばいいから、古典日本語のサービス。

 古文を始めて読まされたときは、とても日本語とは思えなかった。英語以上に、ちんぷんかんぷんでした。
 しかし、古典文学ったって、こわかない。読むべきところを読めば、そのまま意味が通じるんです。
 (万葉仮名の原文を現代かなづかい漢字仮名まじり文に変換)

 「汝が身はいかにか成れる」と、問いたまえば、「吾が身は、成り成りて、なり合わざるところ、ひとところあり」と、こたえ給いき。ここに、いざなぎの命、のりたまわく、「我が身は、成り成りて成り余れるところ、ひとところあり。かれ、この吾が身の成り余れるところをもちて、汝が身の成り合わざるところに刺しふたぎて、くにを生みなさんとおもう。生むこといかに」と、のり給えば、いざなみの命「しか、善けむ」と、こたえ給いき。

 どうですか。日本の最古の古典。初めて読んでも、ちゃんと古文の意味が通じたでしょ。

 「なりなりて、なりあまれる所」をもちて、「なりなりて成り合わざるところ」を、「刺しふたぐ」んですよ。リアルですね。
 すばらしき哉!最古の古典のリアリズム!

 ぽかぽか春庭の最初の「卒論」は「古事記」です。
 この卒論を書いて以来、清純な乙女だった春庭が、現在のような耳年増に、、、、ああ、私

いろは歌のイロハ

2009-01-01 07:35:00 | 日本語学
2006/01/27 金
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(1)あさきゆめみし

 イロハニホヘト~は、順番を表わすときにも使われ、江戸町火消しの組番号い組ろ組などから、歌舞伎座の座席番号、下足札の番号まで使われてきました。

 「いろはにほへと~」と、この順で手習いをし、生涯の一番最初に「いろは」を覚えるので、ほかの何の順より、順序として頭の中に刻み込まれていたのです。

 順番を示すのに、数字を直接つかうのが好まれなかったのは、10以上のものがある場合、若い番号を取りたがる人が多いし、四番だと「死番」を連想させ、九番だと「苦番」を連想させるので、いやだという人もいたからです。
 現代でも、病院の4階は事務棟などにあてて病室にしないところが多いですし、入院病室として、4号室や9号室をつくらない病院が多いようです。言霊、ことだま。

 漢数字の「四」「九」は、死と苦に繋がるけれど、ひらがなの「し」「く」ならOKなのは、何故か。
 ひらがなは漢字がもとになって崩し字から作られました。「し」は漢字で書けば「之」で、「く」は「久」ですから、死や苦とは関係ないとみなす、言霊ルールです。(って、ようは、気分の持ちようだと思うのですが)

 江戸町火消しでは、「へ」は屁を、「ら」は羅を、ひは「火」を連想させるからと、へ組→百組、ら組→千組 ひ組→万組、のちに付け加えられた「ん」→本組となりました。
(羅は、男性の大事なところ「魔羅」を火事の危険にさらさないために忌避されたらしい)

 今は、ABC順やアイウエオ順のほうがよく使われています。いろは順で言っても、順序がわからない人が多くなったからです。
 「か」と「ぬ」どっちが先だか、すぐピンときますか?私は、頭から全部唱えていかないとわからなくなる。
 「いろは」では、「ぬ」が先です。「いろはにほへと、ちりぬるをわか」

 いろは歌、復習しておきましょう。「いろは」、から「せす(ん)」まで。

 「日本語教育研究」を受講する日本人学生のうち、「いろは歌」を、そらで全部言えると答えた学生、40名のクラスの中で数人でした。
 「いろは」も絶滅危惧種、瀕死語、やがては死語の仲間入りでしょうか?

 「いろは歌」は、「百人一首」「源氏物語」などと並んで、日本の言語文化の中枢を担ってきた、大切な日本語文化です。死語にはしたくありません。

 唯一、「源氏物語」を漫画で表現した、大和和紀『あさききゆめみし』が、いろは歌から引用された語句の中では、今時の大学生になじみがあるものになっていました。が、漫画の光源氏すら知らない学生が増えてきた昨今であります。

色は匂へど 散りぬるを (いろはにほへと ちりぬるを)
我が世誰ぞ 常ならむ  (わかよたれそ つねならむ )
有為の奥山今日越えて  (うゐのおくやま けふこえて)
浅き夢見し酔ひもせず  (あさきゆめみし ゑひもせす)

「色は美しく匂い立っているけれど、散っていってしまう。我々の世の中で、いったい誰が変化しないでいようか。因と縁によって生じる有為の世に、今日、奥深い山を越えて、浅い眠りの中に夢をみたことよ。酔いもしないで」

 「し」に濁点がつき否定形となる「浅き夢見じ(浅い夢をみない)」か「し」を清音ととって「浅き夢見し(浅き夢をみたことよなあ)」と取るか、の論争があり、文法上では「見じ(みない)」と受け取るのが正解なのだが、ここでは清音「し」(過去回想の助動詞「き」の連体形から終止形への転用)と解釈。
<つづく>
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2006年01月28日


ぽかぽか春庭「いろは歌(2)弘法大師作じゃありません」
2006/01/28 土
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(2)弘法大師作じゃありません

 「いろは歌」は、11世紀平安後期に成立しました。47のひらがなを一度だけ用いて、諸行無常といわれる仏教思想を表わした歌だそうです。

 大変すぐれた内容なので、古来から真言宗開祖空海(弘法大師)の作として伝わってきました。
 仏教の深い哲理を含む歌なので、作者を大仏教者「空海」に擬する伝説が生まれ、一般に信じられてきたのも納得できます。

h*********さん、コメントありがとうございます。
 「  「いろは歌」残してゆきたいですね。
    弘法大師空海さんが詠んだ歌らしいですよ
    とても、ありがたい言葉なのです。

 h*********さんのコメントの通り、日本語の宝として残していきたい言語文化です。
 私も祖母から「お大師さんの教えだから、お習字するのに、一字一字心をこめて書きなさいよ」と手習いのこころえを教わりました。

 しかし、日本語学国語学の研究では平安初期に弘法大師(774年~835年)が作ったという伝説は否定されています。
 日本語史の上では、、日本語の清音の発音が47になったのは、平安中期以後のこと。

 弘法大師が「いろは歌」を作ったのなら、弘法大師が区別して発声していた48の発音をすべて文字に置き換えて書き残したはずです。
 平安初期には、「eえ」の発音と区別していた「ye」の文字をつけ加えて48の発音をひらがなにしていなくてはなりません。
 
 「あめつちの歌」は平安初期に成立した手習いの歌。「いろは歌」と同じく、ひらがな清音の文字を一度ずつ用いた歌です。
 こちらは、平安初期には「e」と「ye」が区別されていたことのなごりをとどめて、「え」の字が二度つかわれています。

 「いろは歌」と同じく、清音の音節を重複することなく網羅して、これさえ覚えれば、日本語の音節を表記できるのです。
 濁音の表記はまだありませんし、「ん」の文字も成立していません。
 「え」が2回でてくるので48字あります。

 「あめ(天)、つち(地)、ほし(星)、そら(空)、やま(山)、かは(河)、みね(峰)、たに(谷)、くも(雲)、きり(霧)、むろ(室)、こけ(苔)、ひと(人)、いぬ(犬)、うへ(上)、すゑ(末)、ゆわ(硫黄)、さる(猿)、おふせよ(生ふせよ)、えのえを(榎の枝を)、なれゐて(馴れ居て)」。

 「えのえを」と、「え」が二度出てきます。ア行のエ(e)とヤ行の(ye)が区別されていた時代を反映しています。
 平安初期以前には、ヤ行は「ya i yu ye yo」の発音が区別できており、もっと前は「ya yi yu ye yo」だったと考えられます。

 いろは歌になると、「え」は一度だけですから、平安後期には、ヤ行「ye」の発音はア行の「え」と同じになってしまったことがわかります。「やいゆえよ」になりました。

 音声学の分類からいうと、ヤ行とワ行は、母音ア行とカサタナハマヤラ行の子音の中間的な存在で、「半母音」と呼ばれています。

 では、「いろは歌」47文字の平仮名、現在はつかわれていない仮名文字「ゐ・ゑ」はどんな発音だったのでしょうか。

 「わゐうゑを」は、wa wi wu we wo という半母音であったものと思われます。「あめつち」や「いろは歌」が成立するころには、wuは「う」と同じになっていて、wuに相当する仮名文字はありませんでした。
 しかし、wi,we,woは、ア行の「i,e,o」とは別の発音、半母音が使われていたので、別の文字でした。「わゐうゑを」
 文字があったのは、発音が別だったからです。

 現代の発音では、「wi,we,wo」は「i,e,o」と同じですから、「ゐ」「ゑ」の文字は必要ありません。ただし、「を」は、発音は「お」と同じですが、助詞を表わす文字として「を」を使用しています。

 このように、日本語の発音の変化を調べると、弘法大師が生きていたころの発音と「、いろは歌」の文字数が一致していません。
 「いろは歌」は弘法大師が亡くなったずっとのち、平安中期以後に作られたことがわかりました。
「いろは歌」、文献上での初出は1079年です。

 日本語の発音の変化、「ぢ」と「じ」、「づ」と「ず」の発音が室町時代から混乱し、江戸時代には同じ発音になってしまった、という話を「四つ仮名」のところで述べました。

 日本語は、語彙、文法、発音など、常に変化しています。
 語彙の変化、「挨拶ことばの変化」「古語」や「死語」などについて話しました。
 また、文法上の変化「ら抜きことば」や「さ入れことば」などについても解説してきました。
 過去ログにありますので、日本語の変化について興味ある方、本宅HPをごらんください。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponiamokuji0502.htm

 今、お話しているのは、ひらがなの文字からわかる日本語の発音の変化についてです。

 いろは歌の成立以後、弘法大師作という伝説のほか、柿本人麻呂が作ったという伝説など、さまざまな伝説が生まれました。

 人麻呂が作ったとしたら、、「あいうえお」のほか、あと3つの母音をのひらがなで書き表わしていたはずです。
 飛鳥奈良時代には、日本語の母音は8つあったので 万葉集や古事記に使われている「万葉仮名(漢字を日本語の音に当てはめている表記法)」では、8つの母音が書き分けられているのです。

 いろは歌にまつわる伝説いろいろあります。「いろは歌の暗号」と呼ばれる「咎なくて死す」という末尾文字の読みかえもそのうちのひとつです。

 発音についての話は今回でおわり。
 次回からは、「日本の言語文化の中のいろは歌」についてお話します。 
<つづく>
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2006年01月29日


ぽかぽか春庭「いろは歌(3)仮名手本、咎なくて」
2006/01/29 日
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(3)仮名手本、咎なくて

 「いろは歌」を7文字ずつ並べると、
い ろ は に ほ へ と
ち り ぬ る を わ か
よ た れ そ つ ね な
ら む う ゐ の お く
や ま け ふ こ え て
あ さ き ゆ め み し
ゑ ひ もせ す

と、なる。

 7文字ずつ並べた「いろは歌」行の最後の文字を続けて読むと、「とかなくてしす」となります。これを「咎無くて死す」と、漢字をあてはめると、「とが(罪)がないのに、死ぬ」という意味になる。無罪なのに、罪を負って死んだ、ということです。
 柿本人麻呂が無罪の死を賜ったことを惜しんだ後世の歌人が、歌聖人麻呂を偲んで詠んだ歌だ、という説もあります。

 赤穂浪士の仇討ち物語を歌舞伎にした「仮名手本忠臣蔵」。
 「仮名手本」というのは、この「いろは歌」で手習いをするときの手本にする「手本帖」のこと。

 だれもが「いろは歌」を知っており、7文字ずつ並べたときに読みとれる「咎なくて死す」を皆が知っているから、「彼らは仇討ちをはたした義士であって、罪なくして死ぬのである」という作者のメッセージ、表だって言わなくても、見る人に伝えることができたのです。
 「仮名手本」といえば「忠臣蔵」、江戸時代も今も、歌舞伎の演目中、一番人気の外題になっています。

 いろは歌、江戸時代の寺子屋では必ず習いました。
 明治以後の小学校では、「あいうえお」の五十音表が利用されるようになったけれど、それでも、「いろは順」が、学校内で利用されてきました。

 たとえば、音階の名前。
 ドレミファソラシの音階を「唱歌」の授業に導入するにあたって、「ドレミ」では、日本の子どもが覚えられないからと、「イロハニホヘト」が採用されました。
 今でも「ハ長調」とか「ニ短調」などいうときの諧調名に、このイロハ音階が残っています。
イ=ラ ロ=シ ハ=ド ニ=レ ホ=ミ ヘ=ファ ト=ソ、でした。

 「ちょうちょう」をイロハで歌うと、♪トホホ ヘニニ ハニホヘトトト♪
 ドレミに慣れた今からみると、なんだか「とほほ」の歌になっちゃいますね。
 
 私の時代には、とっくに「ドレミ」音階になっていましたが、調の名は、イロハ。
 音楽部で暗記させられた呪文。「へろほいにとは」。もうひとつは、「とにいほろへは」。
 「へろほい~」は、五線譜に♭(フラット)がつく数。♭ひとつは、ヘ調、2つはロ調。「とにいほ~」は、♯(シャープ)ひとつがト調、2つはニ調でした。
 今はCメジャーとか、Gマイナーと言うほうが若い人には通りがいいのかもしれません。
<つづく>
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2006年01月30日


ぽかぽか春庭「いろは歌(4)竹馬やいろはにほへと」
2006/01/30 月
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(4)竹馬やいろはにほへと

 「いろは順」は、学級の名にも使われました。
 現在では1年1組とか、3年2組など、数字による学級名が多い。しかし、昔は、1年イ組、ロ組、ハ組など、いろは順で学級名を呼ぶ地域も多かったのです。
 イロハ順の学級名を聞くと、子ども時代を思い出す、というお年寄りもいます。

 久保田万太郎代表作の俳句。「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」
 この句には、本歌があります。最近A新聞でも紹介されたので、ご存知の方も多いかと思いますが。
 日国NET(小学館日本国語大辞典公式サイト)から、引用すると。

 「 この万太郎の句は、太田道灌が武蔵国小机の戦でつくった『手習ひはまづ小机が初めなりいろはにほへとちりぢりにせん』というのが本歌だろう。また明治年間に広瀬中佐がつくった軍歌「今なるぞ節」に『いろはにほへとちりぢりに打破らむは今なるぞ』という一節もある。」

 道灌の和歌も、広瀬中佐の軍歌も「散りぢりにうち砕くぞ」というときの「ちり」を引き出すための序詞(枕詞などと同じく、一つの語を導き出すための修飾語)として「いろはにほへと」が使われている。

 日国ネット「よもやま句歌栞草」田中裕氏による万太郎の句、説明。
「 竹馬は、二本の竹や木の適当なところに足掛かりをつくり、これに乗って遊ぶもので、広く世界に見られる子供の遊び。竹馬に興じていた子供たちが日が傾くとともに一人去り二人去りして、ちりぢりになってしまったというのが万太郎の句意。」

 田中氏は、万太郎の「いろはにほへと」も「ちり」を引き出すための「序詞」のように考えているようです。
 「 いろは歌は直接、句意とは関係はないのだが、まことにうまくその雰囲気を伝える。」と、一句を評しています。
 
 しかし、万太郎の句の「いろはにほへと」は、単に「序詞」や「枕詞」ではないと、私は考えます。
 「直接句意に関係ない」どころか、この句の肝心な部分が「いろはにほへと」と思うのです。
 「いろは歌は直接、句意とは関係ない」と評している田中氏とは逆の考えで、「いろはにほへと」こそ、この句の句意を集約していると思います。

 万太郎が「竹馬に乗って遊んでいた子どもたちがちりぢりになる」と描き出したのは、は、夕暮れの子どもたちの光景を表現していると同時に、学校仲間として、いっしょに「手習い」をした子どもたちがちりぢりになることも表現しています。
 なぜ、そう思うかという根拠のひとつ。「竹馬」は冬の季語だからです。独楽回し、たこ揚げなどは、新年の遊びとして新春の季語ですが、竹馬は冬の季語。

 冬の遊びとして竹馬で遊んだ仲間達も、冬が終わると卒業シーズンを迎える。昔は、12歳でほとんどの子供が学業を終えました。冬がすぎ春が近づくと、卒業と同時に、仲間達は散りぢりになっていくのです。

 この「いろはにほへと」から連想されるのは、「手習いをいっしょにした学校仲間の思い出すべて」「イ組」「ロ組」「ハ組」の仲間や、ハニホヘト音階で習った唱歌や、お習字のいろはの文字、、、、、、、
<つづく>
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2006年01月31日


ぽかぽか春庭「いろは歌(5)日本語はうれしや いろは」
2006/01/31 火
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(5)日本語はうれしや いろは

 i*****さんからのコメント。ありがとうございます。
 「 たかが、いろはにほへと・・・・・・
  でも、何だか暖かい響きです。
  亡き母親を思い出しました。不思議ですねぇ?
   投稿者:i***** (2006 1/30 12:27)

ほんとうに、ことばは不思議。
 なにげない一言で、無限の連想がひろがったり、昔耳にしたことばが突然浮かび上がってきて、温かい思いや涙のひとときも胸に広がる。
 i*****さんも「いろはにほへと、、、、」で、なぜかお母さんを思い出したのですね。
 「いろは~」の響きによって、子供時代やお母さんと過ごした日々がわき上がる、ことばというのは、ほんとうに不思議で嬉しいもの。

 「いろは48手」といえば、ことばで表せるものや技のすべてを表わしたように、「い組、ろ組、は組~」というクラス名で学んだ学校生活のすべて、子供時代にすごしたことのすべてを思い出させることばが「いろはにほへと」なのです。

 「イ組の竹ちゃんも、ロ組の松やんも、ハ組の梅子も、みんなちりぢりになって、それぞれの人生をすごしているなあ」という述懐も含みます。イ組ロ組、それぞれの教室の窓、黒板、机と椅子、学校の中がすべて連想されるのです。

 学校に小机をならべて、いっしょに「いろはにほへと」と習字をした仲間たちが、いつしか竹馬にのって遊ぶ子ども時代をすぎて、ちりぢりの人生の中へと散っていった。そんな郷愁をも含んでいるのであって、単に目の前の子どもたちが、竹馬遊びをやめてそれぞれの家に帰宅する光景を句にした以上の感慨があると思えます。

 道灌本歌の「小机」が散りぢりにされる、ということも連想されるので、「大人への成長をとげるために、並べあってきた小机が散りぢりにされる」ということばの重層的な連想があるのです。

 現在は、学級をイロハ順に呼ぶことも、最初に平仮名を教えるときに、「いろはにほへと」から始めることもなくなりました。
 「いろは歌が、さまざまな連想を引き出し、引用されている」ということも、説明を加えなければ、現代の日本人学生にも、わからなくなっています。

 俳人・阿部青鞋(あべせいあい 1914(大正3)~1989(平成元)年)の句を引用して、「いろは歌」のシメとしましょう。
 (この句、俳句データベースなどを見てもでていません。青鞋の全句集をあたるヒマがなかったので、原本で確認できないままの孫引きです。出典は先にあげた田中裕氏解説の「よもやま句歌栞草」)

「日本語はうれしや いろは にほへとち(阿部青鞋)」

 俳句や短歌は、掛詞や縁語などの修辞のためにひらがなで書かれていることが多いが、私は「日本語は 嬉しや 色葉 匂へ どち 」と、解釈したい。
 「色葉」は、「いろはの仮名文字によって表わすことのできる言葉すべて」。「どち」は、親しい仲間、同類の人、の意。

 「日本語で表現できること、日本語の言語表現を味わえること、うれしいなあ。いろは47文字で書き表される日本語よ、匂い立つようにあらわれよ。日本語を喜びとしていきましょうよ、同輩たち!」
 日本語をつかって表現することを喜びとする人々への、青鞋からの、共感の挨拶と受け取りました。

 日本語、おもしろいです。うれしいです。ことばひとつひとつが、匂うがごとく今さかりなり。
<おわり>