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にっぽにあにっぽん日本語&日本語言語文化

日本語・日本語言語文化・日本語教育

いろは歌のイロハ

2009-01-01 07:35:00 | 日本語学
2006/01/27 金
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(1)あさきゆめみし

 イロハニホヘト~は、順番を表わすときにも使われ、江戸町火消しの組番号い組ろ組などから、歌舞伎座の座席番号、下足札の番号まで使われてきました。

 「いろはにほへと~」と、この順で手習いをし、生涯の一番最初に「いろは」を覚えるので、ほかの何の順より、順序として頭の中に刻み込まれていたのです。

 順番を示すのに、数字を直接つかうのが好まれなかったのは、10以上のものがある場合、若い番号を取りたがる人が多いし、四番だと「死番」を連想させ、九番だと「苦番」を連想させるので、いやだという人もいたからです。
 現代でも、病院の4階は事務棟などにあてて病室にしないところが多いですし、入院病室として、4号室や9号室をつくらない病院が多いようです。言霊、ことだま。

 漢数字の「四」「九」は、死と苦に繋がるけれど、ひらがなの「し」「く」ならOKなのは、何故か。
 ひらがなは漢字がもとになって崩し字から作られました。「し」は漢字で書けば「之」で、「く」は「久」ですから、死や苦とは関係ないとみなす、言霊ルールです。(って、ようは、気分の持ちようだと思うのですが)

 江戸町火消しでは、「へ」は屁を、「ら」は羅を、ひは「火」を連想させるからと、へ組→百組、ら組→千組 ひ組→万組、のちに付け加えられた「ん」→本組となりました。
(羅は、男性の大事なところ「魔羅」を火事の危険にさらさないために忌避されたらしい)

 今は、ABC順やアイウエオ順のほうがよく使われています。いろは順で言っても、順序がわからない人が多くなったからです。
 「か」と「ぬ」どっちが先だか、すぐピンときますか?私は、頭から全部唱えていかないとわからなくなる。
 「いろは」では、「ぬ」が先です。「いろはにほへと、ちりぬるをわか」

 いろは歌、復習しておきましょう。「いろは」、から「せす(ん)」まで。

 「日本語教育研究」を受講する日本人学生のうち、「いろは歌」を、そらで全部言えると答えた学生、40名のクラスの中で数人でした。
 「いろは」も絶滅危惧種、瀕死語、やがては死語の仲間入りでしょうか?

 「いろは歌」は、「百人一首」「源氏物語」などと並んで、日本の言語文化の中枢を担ってきた、大切な日本語文化です。死語にはしたくありません。

 唯一、「源氏物語」を漫画で表現した、大和和紀『あさききゆめみし』が、いろは歌から引用された語句の中では、今時の大学生になじみがあるものになっていました。が、漫画の光源氏すら知らない学生が増えてきた昨今であります。

色は匂へど 散りぬるを (いろはにほへと ちりぬるを)
我が世誰ぞ 常ならむ  (わかよたれそ つねならむ )
有為の奥山今日越えて  (うゐのおくやま けふこえて)
浅き夢見し酔ひもせず  (あさきゆめみし ゑひもせす)

「色は美しく匂い立っているけれど、散っていってしまう。我々の世の中で、いったい誰が変化しないでいようか。因と縁によって生じる有為の世に、今日、奥深い山を越えて、浅い眠りの中に夢をみたことよ。酔いもしないで」

 「し」に濁点がつき否定形となる「浅き夢見じ(浅い夢をみない)」か「し」を清音ととって「浅き夢見し(浅き夢をみたことよなあ)」と取るか、の論争があり、文法上では「見じ(みない)」と受け取るのが正解なのだが、ここでは清音「し」(過去回想の助動詞「き」の連体形から終止形への転用)と解釈。
<つづく>
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2006年01月28日


ぽかぽか春庭「いろは歌(2)弘法大師作じゃありません」
2006/01/28 土
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(2)弘法大師作じゃありません

 「いろは歌」は、11世紀平安後期に成立しました。47のひらがなを一度だけ用いて、諸行無常といわれる仏教思想を表わした歌だそうです。

 大変すぐれた内容なので、古来から真言宗開祖空海(弘法大師)の作として伝わってきました。
 仏教の深い哲理を含む歌なので、作者を大仏教者「空海」に擬する伝説が生まれ、一般に信じられてきたのも納得できます。

h*********さん、コメントありがとうございます。
 「  「いろは歌」残してゆきたいですね。
    弘法大師空海さんが詠んだ歌らしいですよ
    とても、ありがたい言葉なのです。

 h*********さんのコメントの通り、日本語の宝として残していきたい言語文化です。
 私も祖母から「お大師さんの教えだから、お習字するのに、一字一字心をこめて書きなさいよ」と手習いのこころえを教わりました。

 しかし、日本語学国語学の研究では平安初期に弘法大師(774年~835年)が作ったという伝説は否定されています。
 日本語史の上では、、日本語の清音の発音が47になったのは、平安中期以後のこと。

 弘法大師が「いろは歌」を作ったのなら、弘法大師が区別して発声していた48の発音をすべて文字に置き換えて書き残したはずです。
 平安初期には、「eえ」の発音と区別していた「ye」の文字をつけ加えて48の発音をひらがなにしていなくてはなりません。
 
 「あめつちの歌」は平安初期に成立した手習いの歌。「いろは歌」と同じく、ひらがな清音の文字を一度ずつ用いた歌です。
 こちらは、平安初期には「e」と「ye」が区別されていたことのなごりをとどめて、「え」の字が二度つかわれています。

 「いろは歌」と同じく、清音の音節を重複することなく網羅して、これさえ覚えれば、日本語の音節を表記できるのです。
 濁音の表記はまだありませんし、「ん」の文字も成立していません。
 「え」が2回でてくるので48字あります。

 「あめ(天)、つち(地)、ほし(星)、そら(空)、やま(山)、かは(河)、みね(峰)、たに(谷)、くも(雲)、きり(霧)、むろ(室)、こけ(苔)、ひと(人)、いぬ(犬)、うへ(上)、すゑ(末)、ゆわ(硫黄)、さる(猿)、おふせよ(生ふせよ)、えのえを(榎の枝を)、なれゐて(馴れ居て)」。

 「えのえを」と、「え」が二度出てきます。ア行のエ(e)とヤ行の(ye)が区別されていた時代を反映しています。
 平安初期以前には、ヤ行は「ya i yu ye yo」の発音が区別できており、もっと前は「ya yi yu ye yo」だったと考えられます。

 いろは歌になると、「え」は一度だけですから、平安後期には、ヤ行「ye」の発音はア行の「え」と同じになってしまったことがわかります。「やいゆえよ」になりました。

 音声学の分類からいうと、ヤ行とワ行は、母音ア行とカサタナハマヤラ行の子音の中間的な存在で、「半母音」と呼ばれています。

 では、「いろは歌」47文字の平仮名、現在はつかわれていない仮名文字「ゐ・ゑ」はどんな発音だったのでしょうか。

 「わゐうゑを」は、wa wi wu we wo という半母音であったものと思われます。「あめつち」や「いろは歌」が成立するころには、wuは「う」と同じになっていて、wuに相当する仮名文字はありませんでした。
 しかし、wi,we,woは、ア行の「i,e,o」とは別の発音、半母音が使われていたので、別の文字でした。「わゐうゑを」
 文字があったのは、発音が別だったからです。

 現代の発音では、「wi,we,wo」は「i,e,o」と同じですから、「ゐ」「ゑ」の文字は必要ありません。ただし、「を」は、発音は「お」と同じですが、助詞を表わす文字として「を」を使用しています。

 このように、日本語の発音の変化を調べると、弘法大師が生きていたころの発音と「、いろは歌」の文字数が一致していません。
 「いろは歌」は弘法大師が亡くなったずっとのち、平安中期以後に作られたことがわかりました。
「いろは歌」、文献上での初出は1079年です。

 日本語の発音の変化、「ぢ」と「じ」、「づ」と「ず」の発音が室町時代から混乱し、江戸時代には同じ発音になってしまった、という話を「四つ仮名」のところで述べました。

 日本語は、語彙、文法、発音など、常に変化しています。
 語彙の変化、「挨拶ことばの変化」「古語」や「死語」などについて話しました。
 また、文法上の変化「ら抜きことば」や「さ入れことば」などについても解説してきました。
 過去ログにありますので、日本語の変化について興味ある方、本宅HPをごらんください。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponiamokuji0502.htm

 今、お話しているのは、ひらがなの文字からわかる日本語の発音の変化についてです。

 いろは歌の成立以後、弘法大師作という伝説のほか、柿本人麻呂が作ったという伝説など、さまざまな伝説が生まれました。

 人麻呂が作ったとしたら、、「あいうえお」のほか、あと3つの母音をのひらがなで書き表わしていたはずです。
 飛鳥奈良時代には、日本語の母音は8つあったので 万葉集や古事記に使われている「万葉仮名(漢字を日本語の音に当てはめている表記法)」では、8つの母音が書き分けられているのです。

 いろは歌にまつわる伝説いろいろあります。「いろは歌の暗号」と呼ばれる「咎なくて死す」という末尾文字の読みかえもそのうちのひとつです。

 発音についての話は今回でおわり。
 次回からは、「日本の言語文化の中のいろは歌」についてお話します。 
<つづく>
00:10 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2006年01月29日


ぽかぽか春庭「いろは歌(3)仮名手本、咎なくて」
2006/01/29 日
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(3)仮名手本、咎なくて

 「いろは歌」を7文字ずつ並べると、
い ろ は に ほ へ と
ち り ぬ る を わ か
よ た れ そ つ ね な
ら む う ゐ の お く
や ま け ふ こ え て
あ さ き ゆ め み し
ゑ ひ もせ す

と、なる。

 7文字ずつ並べた「いろは歌」行の最後の文字を続けて読むと、「とかなくてしす」となります。これを「咎無くて死す」と、漢字をあてはめると、「とが(罪)がないのに、死ぬ」という意味になる。無罪なのに、罪を負って死んだ、ということです。
 柿本人麻呂が無罪の死を賜ったことを惜しんだ後世の歌人が、歌聖人麻呂を偲んで詠んだ歌だ、という説もあります。

 赤穂浪士の仇討ち物語を歌舞伎にした「仮名手本忠臣蔵」。
 「仮名手本」というのは、この「いろは歌」で手習いをするときの手本にする「手本帖」のこと。

 だれもが「いろは歌」を知っており、7文字ずつ並べたときに読みとれる「咎なくて死す」を皆が知っているから、「彼らは仇討ちをはたした義士であって、罪なくして死ぬのである」という作者のメッセージ、表だって言わなくても、見る人に伝えることができたのです。
 「仮名手本」といえば「忠臣蔵」、江戸時代も今も、歌舞伎の演目中、一番人気の外題になっています。

 いろは歌、江戸時代の寺子屋では必ず習いました。
 明治以後の小学校では、「あいうえお」の五十音表が利用されるようになったけれど、それでも、「いろは順」が、学校内で利用されてきました。

 たとえば、音階の名前。
 ドレミファソラシの音階を「唱歌」の授業に導入するにあたって、「ドレミ」では、日本の子どもが覚えられないからと、「イロハニホヘト」が採用されました。
 今でも「ハ長調」とか「ニ短調」などいうときの諧調名に、このイロハ音階が残っています。
イ=ラ ロ=シ ハ=ド ニ=レ ホ=ミ ヘ=ファ ト=ソ、でした。

 「ちょうちょう」をイロハで歌うと、♪トホホ ヘニニ ハニホヘトトト♪
 ドレミに慣れた今からみると、なんだか「とほほ」の歌になっちゃいますね。
 
 私の時代には、とっくに「ドレミ」音階になっていましたが、調の名は、イロハ。
 音楽部で暗記させられた呪文。「へろほいにとは」。もうひとつは、「とにいほろへは」。
 「へろほい~」は、五線譜に♭(フラット)がつく数。♭ひとつは、ヘ調、2つはロ調。「とにいほ~」は、♯(シャープ)ひとつがト調、2つはニ調でした。
 今はCメジャーとか、Gマイナーと言うほうが若い人には通りがいいのかもしれません。
<つづく>
00:21 コメント(14) 編集 ページのトップへ
2006年01月30日


ぽかぽか春庭「いろは歌(4)竹馬やいろはにほへと」
2006/01/30 月
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(4)竹馬やいろはにほへと

 「いろは順」は、学級の名にも使われました。
 現在では1年1組とか、3年2組など、数字による学級名が多い。しかし、昔は、1年イ組、ロ組、ハ組など、いろは順で学級名を呼ぶ地域も多かったのです。
 イロハ順の学級名を聞くと、子ども時代を思い出す、というお年寄りもいます。

 久保田万太郎代表作の俳句。「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」
 この句には、本歌があります。最近A新聞でも紹介されたので、ご存知の方も多いかと思いますが。
 日国NET(小学館日本国語大辞典公式サイト)から、引用すると。

 「 この万太郎の句は、太田道灌が武蔵国小机の戦でつくった『手習ひはまづ小机が初めなりいろはにほへとちりぢりにせん』というのが本歌だろう。また明治年間に広瀬中佐がつくった軍歌「今なるぞ節」に『いろはにほへとちりぢりに打破らむは今なるぞ』という一節もある。」

 道灌の和歌も、広瀬中佐の軍歌も「散りぢりにうち砕くぞ」というときの「ちり」を引き出すための序詞(枕詞などと同じく、一つの語を導き出すための修飾語)として「いろはにほへと」が使われている。

 日国ネット「よもやま句歌栞草」田中裕氏による万太郎の句、説明。
「 竹馬は、二本の竹や木の適当なところに足掛かりをつくり、これに乗って遊ぶもので、広く世界に見られる子供の遊び。竹馬に興じていた子供たちが日が傾くとともに一人去り二人去りして、ちりぢりになってしまったというのが万太郎の句意。」

 田中氏は、万太郎の「いろはにほへと」も「ちり」を引き出すための「序詞」のように考えているようです。
 「 いろは歌は直接、句意とは関係はないのだが、まことにうまくその雰囲気を伝える。」と、一句を評しています。
 
 しかし、万太郎の句の「いろはにほへと」は、単に「序詞」や「枕詞」ではないと、私は考えます。
 「直接句意に関係ない」どころか、この句の肝心な部分が「いろはにほへと」と思うのです。
 「いろは歌は直接、句意とは関係ない」と評している田中氏とは逆の考えで、「いろはにほへと」こそ、この句の句意を集約していると思います。

 万太郎が「竹馬に乗って遊んでいた子どもたちがちりぢりになる」と描き出したのは、は、夕暮れの子どもたちの光景を表現していると同時に、学校仲間として、いっしょに「手習い」をした子どもたちがちりぢりになることも表現しています。
 なぜ、そう思うかという根拠のひとつ。「竹馬」は冬の季語だからです。独楽回し、たこ揚げなどは、新年の遊びとして新春の季語ですが、竹馬は冬の季語。

 冬の遊びとして竹馬で遊んだ仲間達も、冬が終わると卒業シーズンを迎える。昔は、12歳でほとんどの子供が学業を終えました。冬がすぎ春が近づくと、卒業と同時に、仲間達は散りぢりになっていくのです。

 この「いろはにほへと」から連想されるのは、「手習いをいっしょにした学校仲間の思い出すべて」「イ組」「ロ組」「ハ組」の仲間や、ハニホヘト音階で習った唱歌や、お習字のいろはの文字、、、、、、、
<つづく>
00:05 コメント(8) 編集 ページのトップへ
2006年01月31日


ぽかぽか春庭「いろは歌(5)日本語はうれしや いろは」
2006/01/31 火
色葉字類抄待夢I・Ro・Ha Jirui show time>いろは歌(5)日本語はうれしや いろは

 i*****さんからのコメント。ありがとうございます。
 「 たかが、いろはにほへと・・・・・・
  でも、何だか暖かい響きです。
  亡き母親を思い出しました。不思議ですねぇ?
   投稿者:i***** (2006 1/30 12:27)

ほんとうに、ことばは不思議。
 なにげない一言で、無限の連想がひろがったり、昔耳にしたことばが突然浮かび上がってきて、温かい思いや涙のひとときも胸に広がる。
 i*****さんも「いろはにほへと、、、、」で、なぜかお母さんを思い出したのですね。
 「いろは~」の響きによって、子供時代やお母さんと過ごした日々がわき上がる、ことばというのは、ほんとうに不思議で嬉しいもの。

 「いろは48手」といえば、ことばで表せるものや技のすべてを表わしたように、「い組、ろ組、は組~」というクラス名で学んだ学校生活のすべて、子供時代にすごしたことのすべてを思い出させることばが「いろはにほへと」なのです。

 「イ組の竹ちゃんも、ロ組の松やんも、ハ組の梅子も、みんなちりぢりになって、それぞれの人生をすごしているなあ」という述懐も含みます。イ組ロ組、それぞれの教室の窓、黒板、机と椅子、学校の中がすべて連想されるのです。

 学校に小机をならべて、いっしょに「いろはにほへと」と習字をした仲間たちが、いつしか竹馬にのって遊ぶ子ども時代をすぎて、ちりぢりの人生の中へと散っていった。そんな郷愁をも含んでいるのであって、単に目の前の子どもたちが、竹馬遊びをやめてそれぞれの家に帰宅する光景を句にした以上の感慨があると思えます。

 道灌本歌の「小机」が散りぢりにされる、ということも連想されるので、「大人への成長をとげるために、並べあってきた小机が散りぢりにされる」ということばの重層的な連想があるのです。

 現在は、学級をイロハ順に呼ぶことも、最初に平仮名を教えるときに、「いろはにほへと」から始めることもなくなりました。
 「いろは歌が、さまざまな連想を引き出し、引用されている」ということも、説明を加えなければ、現代の日本人学生にも、わからなくなっています。

 俳人・阿部青鞋(あべせいあい 1914(大正3)~1989(平成元)年)の句を引用して、「いろは歌」のシメとしましょう。
 (この句、俳句データベースなどを見てもでていません。青鞋の全句集をあたるヒマがなかったので、原本で確認できないままの孫引きです。出典は先にあげた田中裕氏解説の「よもやま句歌栞草」)

「日本語はうれしや いろは にほへとち(阿部青鞋)」

 俳句や短歌は、掛詞や縁語などの修辞のためにひらがなで書かれていることが多いが、私は「日本語は 嬉しや 色葉 匂へ どち 」と、解釈したい。
 「色葉」は、「いろはの仮名文字によって表わすことのできる言葉すべて」。「どち」は、親しい仲間、同類の人、の意。

 「日本語で表現できること、日本語の言語表現を味わえること、うれしいなあ。いろは47文字で書き表される日本語よ、匂い立つようにあらわれよ。日本語を喜びとしていきましょうよ、同輩たち!」
 日本語をつかって表現することを喜びとする人々への、青鞋からの、共感の挨拶と受け取りました。

 日本語、おもしろいです。うれしいです。ことばひとつひとつが、匂うがごとく今さかりなり。
<おわり>

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