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Ⅲ.七福神「エビス」様と古事記の向こう側・古代ミステリー最終章

2023-07-20 | 古代ミステリー
  1. ✨恵比寿さまの

3回シリーズの古代ミステリーロマン

最後の投稿です🙏興味のある方は ご覧ください。

 

【古事記の向こう側へ🚀】

今の日本には、150年前の明治時代の宗教政策の影響がまだ色濃く残っている。

当時は、政教一致を掲げていて、

「日本は天照大神を始祖とする神の国である。」

古事記・日本書紀は全て史実である」という教育が行われていた。

 

ヤマト以前の歴史は

「日本人とは関係の無い、野蛮人がいた時代」と、教えられていた。

 

戦前までこれが続いてきた。しかし、21世紀に生きる私達が、今更これを鵜呑み信じる訳にもいかない。

 

DNA解析により私達の祖先は縄文人と弥生人の二重構造とされているが、(一部古墳人)その祖先である弥生人達が、どこの国から渡来してきた民族なのかさえ、未だに解明されてはない。しかし、

かつての様に神話の世界に逃げ、ヤマト開闢以前の日本の姿を知ろうとする探究心を押し止める事などもうできないのだ。

 

古事記に記されている文字を額面どおり読むのではなく、政策者側に立った意図を読み取ろうという試みは一部の市井の間では研究されているが、それらは正史ではないので古代ミステリーと言われている。

 

中国や韓国などでは、史書の中で比喩的に表現している文章や隠語を読み取る(讖緯説)等ザラにあるが、日本ではまだタブーになっている様にも思える。なので、あえて説域を広げていく為に、より古代ミステリー的な視点から思いっきって異説を掲げてみる。

 

✨✨✨✨✨

【ヤマト王朝以前の日本の姿】

ヤマト王朝は、三世紀頃から始まったと考えるのが一般的らしい。では、それ以前の前王朝は、どの様な国があったのか。

 

「和国100余国の大乱」と魏志倭人伝にある様に小国が多く、統一された王朝はなかった。

 

それぞれの部族や小国は戦っても相手を完全に武力破壊することなく、平和的な婚姻合併策をとり連合国となって勢力を強めていった。お互いの王子と王女を婚姻させて、生まれた子を王にした。

小国の職業軍人は将軍程度で後は農民であり、武力支配を継続する事が出来なかったためだ。

しかし、古代和国は伝統的な女王国も多く、男王国と女王国の合併の場合は、女系男系の嫡系対立が生じる。有名な瀬織津姫などもその様な困難は遭遇したかもしれない。

 

古事記を額面どおり読まず、イザナミ・イザナキの「国生み神話」を比喩的な表現の物語として秘められた弥生人たちのストーリーを探っていく。

 

夫・イザナギと妻・イザナミの

「国生み」とは?

 

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古事記に記される『日本神話』

天御柱でイザナギは左から、イザナミが右から周り出会い、イザナミの方が先に声をかけて二人は結ばれた。

第一子のヒルコが生まれたが、柔らかく3年経っても歩くことができなかったので、ヒルコは神(王)には成れず船に乗せて流された。次の子も神(王)となることはできず、

 

「女の方から声をかけたので失敗した。今度は男が先に声をかけよう」と二人は合わさり直した。すると今度は上手くゆき、次々に国を生み出していった。

 

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「女性の方から先に言い寄った為に失敗した」

 

これは女王の方から男王に嫁入りするという男王国家は基盤が弱く、失敗したという事だ。

 

男王国と女王国の婚姻合併は3年経っても基盤が定まらず、日本列島の支配もままならなかった為、古代和国の伝統に従い、逆に男王から女王に婿入りするという再合併を試みた。

 

(逆もあり得ると思います…何れにせよ男系・女系の紆余曲折の時代🤔)

 

男系のヒルコ=王子・男王は世襲せず

女系のヒルメ=王女・女王の国としたところ、軟らかかった基盤が固まって四国から九州へと国生みの歩みが始まったのだ。

ヒルメは女王となり、大ヒルメと呼ばれた。

なので、国生みが続いた四国・九州には「大ヒルメ」の伝承が多く残されている。

大ヒルメ=女王は、後に天照大神ともいわれる様になり、また卑弥呼とむすびつける考えもあり、和国原初の女王国時代の代表的な存在となった。

 

室町時代になり、エビス様という福の神の名で、

ヒルコと出雲の国譲りの事代主という神が、同じ神様として祭られた。

 

なぜ室町時代の人々は、この国生みと国譲りの神を重ねたのか?

 

イザナギ・イザナミは、小国で混沌としていた西日本の多くの神(王)たちを二人の配下にしていき、部族連合国は拡大したが、最終的に黄泉の国(出雲)のイザナミ軍と、常世の国(新羅)のイザナギ軍は武力激突している。

日本書記では、イザナギ・イザナミ二人の仲を取り直したのは、(新羅の)菊理姫とされているが、古事記に登場せずに日本書記に記されているあたり、後世になり二人を祭った子孫なのではないかと思う。戦いは痛み分けとなったが、

 

イザナミ→スサノオ→大国主→事代主と代を重ねた後、

男系女系の嫡系対立の最後の争乱が、出雲の国譲りだったのではないだろうか。🤔

 

出雲の国譲りは、天孫族が出雲に進攻してきて出雲族より国を譲り受けたという日本神話でのエピソードだが、天孫族同士の内乱ともいわれている。

出雲の大国主・事代主(エビス)は船に乗って去っていき、この時、天孫族の嫡系が移ったのかもしれない。これを境にヤマト族の国権は女王から男王の系譜に移り、男系国家へと徐々に変貌していった。

 

この後も形式的であったにせよ、新たな王や支配者は必ず前王朝の王女に婿入りするという、伝統的なやり方で王位と国を譲り受ける婚姻合併は和国に長らく残っていた。

 

 

西宮には、事代主だけでなく武南方や瀬織津姫など天孫族側ではない神々が多く祭られている。

 

✨✨✨✨✨✨✨

戎(エビス)が日本で神として祭られた頃は、南朝の後醍醐天皇と、北朝側の足利氏との間で半世紀に及ぶ対立があり、分裂王朝の時代が続いていた。

最終的に足利氏側が勝利したが、新興の足利勢力は、南朝の味方であった旧寺社勢力に宗教的に対抗する為、新たな信仰勢力を生み出す必要があり、明との貿易で輸入した新たな神々を使って、旧来の仏教でも神道でもない、

『七福神』という外来種の神々への信仰を生み出していったのかもしれない。

 

そして、中央からすれば「戎」という蔑称で呼ばれた者達だが、実は民衆の側にはエビスとは呼ばず、元々「エピスさま」と敬服し親しんでいる人々がいたのだ。

 

何故、民衆には土着的なエビス信仰があったのか?

 

中国の西方にいた異民族「西戎」とは、勇猛な遊牧民族のことを指して言う。遊牧民族の多くは母系国家(ハラ)で、中国は男系国家(ウル)であった為、中国人は習俗の違う彼らのことを野蛮であるとして戎(エビス)という蔑称で呼んでいた。(犬戎、西戎など)

 

6~7世紀頃、エフタル族、突厥族など西アジアでの争いに敗れた遊牧民族らが、馬を駆り戎服(軍服)を纏ったまま北アジアのステップロードを抜け、民族(ペドウン)の大移動を敢行し朝鮮半島、日本列島へと逃げ込んできた。

推古8年(600年)

「43万の異敵が襲撃してきた」

戎人8千人が筑紫から播磨の明石まで至った」などと史書にも記述が残る。

 

 

エフタル族が日本列島に上陸すると、ヤマトでは彼らを恐れて一時は王権を継ごうとする者が誰もいなくなってしまった程だ。やがて欽明天皇が没した後、エフタル族は勢いを失い東日本へと去っていった。

次に渡来した突厥族は、明石を拠点として難波を押さえ奈良まで進出したが、聖徳太子の死後は勢いを失い多くは関東へと去っていった。

 

西アジアから渡来した彼らは、在来のエミシと区別され、外来のエビス(戎)と呼ばれた。

(あくまでヤマトからみた外来で先住者にとってはヤマト族も外来種だが🤔)

 

戎と呼ばれた人々が中央から東国の野に下った後でも、彼らと共に渡来してきた人々の子孫や恩恵を受けた者達が、「エビスさま」と親しみを込めて呼び陰ながら祀っていたのかもしれない。

製鉄、馬術や馬飼い、弓術など大陸渡来の恩恵に恵まれた人々は少なからずいたはずだ。そして、日本に弥勒信仰を伝えたのも彼らだった。

 

西アジアの勇猛な戦士たちの子孫は馬術弓術に優れ、蔑まれながらも東国で力を蓄えていき、ついには武士の時代をきり開いた。坂東武者は、戎の末裔だったのだ。

 

武士の世の中となり、エビスさまを堂々と祀ることが出来る様になった民衆の信仰と、

新しい宗教を頒布しようとする幕府の宗教政策の思惑も重なり、

ついには神となった戎(エビス)を恵比寿(エビス)様という福の神の呼び名にして広めて、外来の神々と合わせて「七福神」という新しい信仰がはじまった。

 

三福神、八福神など紆余曲折があった福の神信仰には、頒布する側の試行錯誤の思惑があったのだろう。インダストリアル宗教プロデューサーは必ずいたはずだ。

室町は貨幣経済と市場が過去最高に発達した時代でもあり、福の神や商売繁盛の神も最も時代に適っていた。

 

天皇の治世から、武士の治世へ変わり、

仏教神、皇祖神、
沿岸部に祭られる御霊信仰の
スサノオなど、それら過去の信仰対象は一切除いて、

中国の道教の神々まで取り込み、

神(王)になれず船で流されたヒルコと

国を譲り船で去っていった事代主と

東国へ去った、エビスと

沿岸部の信仰が習合され、

大国主など出雲系の神も大黒さまとして再生させて、

『七福神』が生み出された。

かつての仏教神、皇祖神が宗教界の主流派だとしたら、エビス神らは

野党連合政権といったところだろうか🤔しかし、マーケットはこちらに反応した。

港や市場はこの『福の神』の信仰と共に流通経済が発展し、ついには座(ギルド)という同業者組合まで発生した。

呪いや祟りなど呪術的な教化が蔓延した前時代を暗黒の中世と言うならば、なんとルネッサンスな世界だろう。日本の伝統芸能が花開いた時代でもある。

怨念という、前時代の負の植え付け型宗教を払拭しただけでなく、

商売繁盛という御利益の教化と、経済成長が同時に進行したというのは、

日本の宗教政策史上、極めて稀有な時代だ。

 


エビス様は、ヤマトの世で陰ながら祀っていた人々だけでなく、ついには日本の伝統的な信仰にまでなった。

 

 

✨✨✨✨✨✨✨

 

かつての女王国や母系国家とは、この様な世界だったろうかと思うほど、

 

西宮は全体が母性的な優しさに包まれている様に感じた。✨

 

時代を超えた福の神の歴史と、

福の神の福徳が溢れている。

 

次は、今宮戎神社にお参りしてみようと思う。

 

3回シリーズ・古代ミステリーロマン「エビス様の真相」

 

長い話を最後までお読み頂き、ありがとうございました。

✨✨✨✨✨✨✨

 

✨古代ミステリーロマンは、あくまでも読み物です🥸🤟

 



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