刀 加藤綱英
刀 於東都加藤綱英造之文化十二年二月吉日
綱英は、先に紹介した國秀の子。父に学んだ濤瀾乱刃を得意とした。刃文構成は、注文主の要望により、時には玉刃を焼き加えたり、この刀のように刃中所々の焼頭のみ丸みを持たせて玉のように焼いた例もある。小さな互の目から次第に大きな互の目へと連続している様子だけでは純粋な濤瀾乱とは言えないが、大波の寄せる風を感じさせる大らかな構成だ。物打辺りの刃中の玉は波間に顔を出した朝日と捉えるべきであろう。相州古伝に玉刃の霊力を意識した例がある。やはり沸の美観を強く意識している。沸粒は綺麗に揃い、鍛え肌の流れによって刃中にほつれと砂流し、一部に金線が現れている。
刀 於東都加藤綱英造之文化十二年二月吉日
綱英は、先に紹介した國秀の子。父に学んだ濤瀾乱刃を得意とした。刃文構成は、注文主の要望により、時には玉刃を焼き加えたり、この刀のように刃中所々の焼頭のみ丸みを持たせて玉のように焼いた例もある。小さな互の目から次第に大きな互の目へと連続している様子だけでは純粋な濤瀾乱とは言えないが、大波の寄せる風を感じさせる大らかな構成だ。物打辺りの刃中の玉は波間に顔を出した朝日と捉えるべきであろう。相州古伝に玉刃の霊力を意識した例がある。やはり沸の美観を強く意識している。沸粒は綺麗に揃い、鍛え肌の流れによって刃中にほつれと砂流し、一部に金線が現れている。