太刀 古伯耆
太刀 古伯耆
童子切安綱などで知られる、平安時代末期の伯耆の刀工の作と極められている、ほとんど生ぶの太刀。時代の上がる太刀は腰反りが深く踏ん張りがあり、先に入って伏さるように反りがなくなる構造であるという認識だが、物を切るという実用を考えると、本作のように先反りが加わってくる。製作の時代は、武士の自立が意識されるようになり、源平合戦が激しくなってきた頃と考えられる。もちろん薙刀のような武器が実用的ではあるが、太刀でも受け、或いは斬り付けるという、戦闘行動の中で、の扱い易さが太刀の姿を変えていったに違いない。地鉄は、頗る古調な杢目交じりの板目肌。地斑、映り、微妙に質の異なる地鉄の複合、地沸などが複合して言葉に表せない濃密な景色を生み出している。「映り」が写真に写らないものであるという認識だが、写真で見てもその変幻の様子が判る。名品であると思う。そのように理解されてきたのであろう、八百年以上もの長い間大切に伝えられてきた。この地鉄に焼き施された刃文は、古作に特徴的な直調ながら刃形の判らない小乱調だが、所々に互の目が交じり始めている。時代の流れであろう、この点でも、安綱より少し時代が下がるとみている。刃境から刃中に広がる焼刃の働きはもちろんだが、地中に広がる湯走りだけではない濃密な沸と匂の景色がある。古作の地鉄とはこのようなものである、ということが強く感じられる名品である。□
太刀 古伯耆
童子切安綱などで知られる、平安時代末期の伯耆の刀工の作と極められている、ほとんど生ぶの太刀。時代の上がる太刀は腰反りが深く踏ん張りがあり、先に入って伏さるように反りがなくなる構造であるという認識だが、物を切るという実用を考えると、本作のように先反りが加わってくる。製作の時代は、武士の自立が意識されるようになり、源平合戦が激しくなってきた頃と考えられる。もちろん薙刀のような武器が実用的ではあるが、太刀でも受け、或いは斬り付けるという、戦闘行動の中で、の扱い易さが太刀の姿を変えていったに違いない。地鉄は、頗る古調な杢目交じりの板目肌。地斑、映り、微妙に質の異なる地鉄の複合、地沸などが複合して言葉に表せない濃密な景色を生み出している。「映り」が写真に写らないものであるという認識だが、写真で見てもその変幻の様子が判る。名品であると思う。そのように理解されてきたのであろう、八百年以上もの長い間大切に伝えられてきた。この地鉄に焼き施された刃文は、古作に特徴的な直調ながら刃形の判らない小乱調だが、所々に互の目が交じり始めている。時代の流れであろう、この点でも、安綱より少し時代が下がるとみている。刃境から刃中に広がる焼刃の働きはもちろんだが、地中に広がる湯走りだけではない濃密な沸と匂の景色がある。古作の地鉄とはこのようなものである、ということが強く感じられる名品である。□
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