刀 相州住廣正
刀 相州住廣正宝徳三年
相州本国の刀工の活躍は、幕府が京に移されたことによって次第に低迷してゆく。だから室町前期から中期の相州鍛冶の作は少ない。後期に至って相州小田原で北条氏が力を持つようになり、その下での作刀が盛んになる。廣光からだいぶ降ったころのことだ。その作風を受け継いでいる一人が廣正。相州鍛冶は彫物も上手であり、多くの作にみられる。刀身中程に至るほどに大振りの彫り物を特徴とする。激しく揺れ動くような板目に杢目が交じり、地沸が厚く付いて地景も顕著。その所々に飛焼が澄んで現れている。杢目に感応しているところは渦巻のように流れ、棟焼とも働き合っている。焼刃は沸と匂を巧みに調合したもので、沸のみの作風とは異なって折損への配慮も怠りがない。刃中は鍛え目に沿って沸が付き、砂流しが流れ、その合い間を金線が走る。肌目は刃境を越えて地中に至り、地刃の境界など問題でないような景色を展開している。帽子は火炎状に激しく乱れて返る。
刀 相州住廣正宝徳三年
相州本国の刀工の活躍は、幕府が京に移されたことによって次第に低迷してゆく。だから室町前期から中期の相州鍛冶の作は少ない。後期に至って相州小田原で北条氏が力を持つようになり、その下での作刀が盛んになる。廣光からだいぶ降ったころのことだ。その作風を受け継いでいる一人が廣正。相州鍛冶は彫物も上手であり、多くの作にみられる。刀身中程に至るほどに大振りの彫り物を特徴とする。激しく揺れ動くような板目に杢目が交じり、地沸が厚く付いて地景も顕著。その所々に飛焼が澄んで現れている。杢目に感応しているところは渦巻のように流れ、棟焼とも働き合っている。焼刃は沸と匂を巧みに調合したもので、沸のみの作風とは異なって折損への配慮も怠りがない。刃中は鍛え目に沿って沸が付き、砂流しが流れ、その合い間を金線が走る。肌目は刃境を越えて地中に至り、地刃の境界など問題でないような景色を展開している。帽子は火炎状に激しく乱れて返る。
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