上杉家伝来の名刀から
太刀 来國俊元亨元年十二月日
鎌倉時代後期の山城を代表する名工、来國俊の太刀。来派は、大陸から優れた鍛造技術を携えて渡来した技術集団であった。それまでの我が国の作刀技術に来派の地鉄鍛えが加わり、格段に急速に進歩した、と考えている。良く詰んだ小板目鍛えの地鉄が綺麗で、刀身下半に乱れ映りが現れているのが良く判る。刃文は、備前の互の目丁子の影響を受けているのであろう、湾れ調子の構成に華やかな互の目丁子出来。互の目は大小変化に富み、大振りの互の目は袋状に丸みが大きく、これに小丁子、足が加わって華やか。文保四年に七十五歳作があることから元亨元年は八十一歳。もちろん弟子の相槌があってのことだが、この年齢で、これだけの作品を生み出すのだから、凄い。
太刀 来國俊元亨元年十二月日
鎌倉時代後期の山城を代表する名工、来國俊の太刀。来派は、大陸から優れた鍛造技術を携えて渡来した技術集団であった。それまでの我が国の作刀技術に来派の地鉄鍛えが加わり、格段に急速に進歩した、と考えている。良く詰んだ小板目鍛えの地鉄が綺麗で、刀身下半に乱れ映りが現れているのが良く判る。刃文は、備前の互の目丁子の影響を受けているのであろう、湾れ調子の構成に華やかな互の目丁子出来。互の目は大小変化に富み、大振りの互の目は袋状に丸みが大きく、これに小丁子、足が加わって華やか。文保四年に七十五歳作があることから元亨元年は八十一歳。もちろん弟子の相槌があってのことだが、この年齢で、これだけの作品を生み出すのだから、凄い。
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